scene1
――1――
恐怖とは何か。恐怖を愉しむとは何か。それは、私という人間がホラーに携わるようになってからずっと、私自身に問いかけてきたことだ。そして、私の持論ではあるが、この二つは表裏一体だと思っている。
恐怖とは、昨日まで続いた今日が壊れることと、昨日が今日であること。恐怖を愉しむとは、今日が昨日の延長線上にあり、かつ、昨日とは違う一日であると実感すること、ということだ。
何が言いたいのかというと。
「あさしろじゅりあ、六さいです! よろしくおねがいします!」
「ゆうがおみみ、六さいです。あの、がんばります。おねがいしましゅ。あぅ」
「よるはたりん、六さい。よろしくおねがいします」
私の横で元気に告げる少女が三人。活発系、大人しい系、クール系と個性豊かな三人だ。この子たちの他にもたくさん参加者はいるのだけれど、しっかりとなにをしに来ているのかわかっているのは、この三人だけであるように思える。
まぁ、今の段階では誰も彼も十人並みのスタート地点。しっかりしていて偉いね、とか、わぁかわいい、とかは思うけれど、それ以上のことはない。ただ一つ、不満があるとすれば。
「さ、君のことも教えてくれるかな?」
にこにこと子供好きのする笑顔を見せるひげ面の男性。髭のせいで老けて見えるが、きっと、まだまだ若手に数えられる名監督。その苛烈さは、この場では見られないけれど、わかる。
だって、私が長年接してきた人たちも、同じように瞳の奥に消えない炎を宿していたから。片っ端から、一度は恐怖に震えさせてやったけど……と、それはいいか。
私は他の参加者たちがそうしていたように、彼に向かって一歩踏み出す。私は今やホラー女優ではない。今は、親の期待を一身に背負って立つ、未熟な、そう――幼女なのだから。
「そらほしつぐみ、五さいです。どうぞよろしくおねがいします」
丁寧に頭を下げると、見学の両親がやたらと感動している姿が見えた。相も変わらず親ばかで心配になるが、手を振ってあげるわけにもいかないので、そっと目配せをするだけで許して欲しい。
桐王鶫、改め、空星つぐみ。
ほんとうに、どうしてこんなことになったんだか。
長年培った女優魂が、私の、小さなため息を押し殺した。
――/――
目が覚めたら、覚えのある香りに包まれていた。白いシーツ、ベージュのカーテン、白い天井、それから目の端をちらつく点滴のパック。有名になってからは一度も無かったけど、若い頃はときどき過労で倒れていた。なんてったって私の実家はド貧乏。栄養が足りてない上に動きすぎだったのだ。
なんとなく周囲を見回すと、千羽鶴やら色紙やら、果物やらお人形さんやらとまぁ色んなものがベットの周りに溢れている。どこが差し入れてくれたんだろう? 人形は、和風ホラーのときのやつかな。
(ナースコールは……あれ?)
ベットの端に手を伸ばそうとして、ふと、異様な光景に気がついた。いやいや、そんな、待って欲しい。私はホラー映画のためなら黒いアイツとだって共闘する女だぞ。こんなことで震えてどうする。そんな混乱した思考では、冷静さなんて得られるはずもなかった。
だって、考えてもみて欲しい。見慣れた(なんだったらハリがなくなりつつあった)腕が、ぷるぷるぴちぴちの真っ白で小さな手になっていたのだから。
(なんで、こんな、いや、そもそも)
台本。
トラック。
押し潰され。
それから、どうなった?
(これ、ホラー映画だったら、死の運命に追いかけ回されるヤツ……?)
唐突にフラッシュバックした光景に、軽い頭痛を覚える。もしかしなくとも、私は一度死んだのだろうか。そうすると、これって幼い頃の私? こんなに綺麗で白い肌してたかなぁ? 栄養失調気味で、枯れ木のようだった気がするのだけれど。
ソレに比べて今の身体はどうだ。白い。もちもち。ちょっと痩せ型な気もするけれど、この程度、どうということはない。もしかしてあれ? 仏教でいうところの輪廻転生? 無宗教の無神論派で、むしろ冒涜的な悪霊やら祟り神やらを演じてきた私が? そんな馬鹿な。それこそホラーじゃないか。
「――」
「――」
「――」
と、不意に声が聞こえてきた。誰の声だろう? 聞き覚えのあるようなないような、不思議な感覚だ。私は知らない。でも、こう、身体が覚えているような?
ふわふわとした心地で耳を傾けていると、不意に、カーテンが開かれる。そこにいたのは、それはもう目の保養になるような美男美女の姿だった。女性の方は、如何にも大和撫子な美人。額を出した艶やかな黒髪に、抜けるような白い肌。涙に濡らした頬が、なんとも扇情的だ。男性の方は、これまたタイプの違う美男子だ。シルバーブロンドの髪に青い瞳。すっと通った鼻筋と、長身。彫刻の世界から飛び出してきたような外人さんだった。
(えーと、だれだっけかな――)
「――だでぃ、まみぃ?」
私の思考が帰結する前に、鈴を転がすような可憐な声が喉から響いた。もしかしてこれって私の声なのだろうか。ううん、こんな綺麗な声なら、ささやきホラーも容易だな……って、違う違う。
私の声を聞き届けると、推定私の両親は、驚きに目を瞠る。すると、縋り付くようにベットに駆け寄り、私の頬に白魚のような手を添えた。
「目を覚ましたのね?! ああ、よかった。私のつぐみ」
「つぐみ……一時はどうなるかと思った。ぼくの天使がこの世から去ってしまうなんて、ぼくには堪えられないよ」
おそらく私の両親は、そういってはらはらと涙を流す。泣いても絵になる。すごい。
「わたし……は?」
「つぐみ、あなたは階段から足を滑らせて落ちたのよ。それも十三段も!」
「それから、君は三日も眠り続けていたんだ。ほら、心配の余りミナコが千羽鶴を折ってしまったんだよ」
九十七段でも良かった。いや、死ぬか。というか、おかあさん(多分)が折ったんだね、すごい。
いやいや、そうじゃない。どうしても混乱で思考がぶれる。だけれども、ここまで来たら受け入れるしかないのかもしれない。目を閉じて思い出せば、確かに、この身体の記憶がある。というか、趣味嗜好的にも性格的にも、この子、十中八九私だ。私という存在が転生して、記憶が無くても私として生きていたのだろう。変な子供だったろうに、きちんと愛してくれた両親には感謝しかない。
「さ、痛いところはないかい? ぼくの天使」
「う、ん」
「良かった。ああ、私、お医者様を呼んで参りますわ」
いや、しかし、なんだ。だめだ、どうにも頭が巧く回らない。記憶を思い出した反動か、なんだかちょっと熱っぽくなってきた。
「つぐみ?」
「ね、ます」
ただ、一言、心配だけはかけないように。そう告げるのを最後に、私の意識は温かい闇の淵へと溺れて薄らいだ。
――/――
「あなた? つぐみは?」
「眠ったよ。少し、熱があるようだ」
ベットの上で寝息を立てるぼくたちの天使を前に、そっと息を吐く。あんなことがあったのに、健気にぼくたちを見て微笑んでくれたつぐみを見ていると、胸が痛んだ。
「昔から聡い子だった。ぼくたちに気を遣ってしまったんだろうね」
「ええ、そうですね、あなた。つぐみに、私たちの天使に、何故このような」
「もう言わないでくれ、ミナコ。君がアレのことで胸を痛める姿は、見たくないんだ。君だって、ぼくの女神なのだから」
落ち込むミナコの額に口づけを落とすと同時に、遅れて医者が来た。老年の彼は、ぼくらがもっとも信頼を置いている人物だ。黙礼して、状況を伝え、病室の端に移動した。
「目が覚めたと言うことは、もう大丈夫でしょう。ただ、今週はまだ入院を継続して様子を視ましょう」
「はい。ありがとうございます」
医師たちが退出していくのを見送って、つぐみに寄り添う。顔立ちはニホンジンのミナコによく似ていてとても愛くるしいが、髪と瞳はぼくに似ていて、シルバーブロンドにサファイアの瞳だ。ぼくらにとっては愛らしい天使だが、どうも、有象無象からすれば“魔性”に見えるらしい。
美しく可憐な顔立ちに、色の抜けたような肌と瞳。触れれば溶けてなくなってしまいそうな儚さは、誰であろうと惹きつける。月明かりに誘われた蛾たちは、我を忘れてしまうのだと。
家庭教師など、学歴だけで選ばなければ良かった。同性であれば滅多なことはないだろうと思っていたが、まさか、階段から突き落とすとは。
「使用人は、もっと信頼の置けるものからの紹介のみで雇おう」
「では、空星宗家より手配なさいますか?」
「そうだね。そちらと、ぼくの家の伝手も使おう。つぐみのためだからね」
「はい。――この優しい子が、傷つかなくとも済むように、万全を尽くしましょう、あなた」
「ああ」
だからどうか、つぐみ、君はいつまでも無垢に笑っていて。
そのためなら、君の望むものはなんだって手に入れよう。
たとえ、どんな手段を使っても、ね。
そう、つぐみを撫でると、嬉しそうに身じろぎする。
どうか、君の未来に、幸福があらんことを。