scene2
――2――
――はぁ、はぁ、はぁ……。
暗がりの中を歩く。手に持つ懐中電灯は震え、軋む足下はおぼつかない。
――はぁ、はぁ、はぁ……。
見渡す視界はぼやけ、血の跡も見える。探り探りで歩くのも、もう限界だった。
――はぁ、はぁ、はぁ……ぐ、うぁ。
不意に、痛みからか、瞼を閉じる。目元を拭い、恐怖を振り払うように前を見て――
「ねぇ、どこへ行くの?」
――背後からかけられる声。振り向き、背に当たる手。
「アハ、は、ハハハハハヒヒャヒヒヒヒヒヒッッッ」
暗転。
悲鳴。
雨音。
「あわ、あわわわわ、あわわわわわ」
「つぐみはへただなぁ」
「いや、はじめてにしてはいい」
口々に告げる幼い友達の声に、私は、ぐでーっとコントローラーを下ろした。
「こわい、こわいけどおもしろい。それいじょうにむずかしいよ、じゅりあちゃん」
学校見学の終わり。まだまだお昼時ということで、私たちは今、凛ちゃんの家でゲームをしているのです。
結局あのあと、まだ学校に残るという虹君を置いて、私たちは凛ちゃんの家にお邪魔した。私の両親はこれから仕事(午前中を無理に空けてくれたみたいだ。申し訳ない)ということで、凛ちゃんの家には凛ちゃんのお父さん、夜旗万真さんのみが、ほんわかぽわぽわしながら私たちを迎えてくれた。
今日の私に負けず劣らずボーイッシュな格好の珠里阿ちゃんと、柔らかいスカートが目を引く女の子らしい格好の美海ちゃん。そして紺のワンピースでかわいらしくおしゃれをしていたのに、家に着くなり秒でジャージ姿に着替えた凛ちゃん。
平日の昼間。咲き始めの花盛り。微笑ましく見守る万真さんの前で、珠里阿ちゃんはどうどうとホラーゲームを広げて見せた。
「さ、どれからやる?」
「うぅ、や、やっぱりこわいのだ……」
「バイオパンデミック9がある! これにしよ、じゅりあ」
「いいわね。つぐみもそれでいい?」
「うぅ、や、やっぱりこれ、こわくてゆうめいなやつだ」
女三人寄ればかしましい。子供のうちでも変わらないことは同性ながらよくわかっている。私は震える美海ちゃんの手をそっとつかんで、安心させるように微笑んだ。
「つぐみちゃん……いっしょに、せっとくをしてくれる――」
「だいじょうぶ、みんなでやればこわくない」
「――だよね、しってた」
諦めの表情で、凛ちゃんの家にあったよくわからないキャラクターのクッションを抱きしめる美海ちゃん。なんとなく、「慣れているんだろうなぁ」と思わせてくれる表情だ。
「これってどこになにをいれるの?」
「そこからなのか」
「じゅりあ、つぐみはちょっとばばくさいんだ」
「うぐっ」
今度は、くの字になった私を美海ちゃんが慰めてくれる。優しい子だね、美海ちゃん……。
そして、時間は冒頭に戻る。
まずは映像にびっくり。
次に、操作の複雑さにきょどきょど。
そしてそして、想像以上の恐怖演出にニヤリ。
血湧き肉躍る時間だったことには間違いないのだけれど、いかんせん、ゲームというものが下手すぎた。珠里阿ちゃん曰く、「センスがない」らしい。ゲームのセンスとは。
せっかくだから休憩にしよう、と、凛ちゃんがお菓子とジュースを持ってきてくれた。この年頃の子供のお菓子と言えば駄菓子のイメージだったけれど、並ぶのは上品なチョコレートやポテトチップスだ。
「ひゃっかてんでかったの?」
「え、えっと、モールのこと? ううん。コンビニにうってるよ?」
「わすれそうになるけど、つぐみっておかねもちのオジョーサマだから」
「いや、りん。あんな車でおくってもらっておいて、わすれるか? フツー」
コンビニに売ってるんだね……。いやそうか、生まれ変わってから、親と一緒でもコンビニは行ったことないなぁ。
前世でも実のところ、あんまり行ってないのだけれどね。だって、八百屋さんや肉屋さんと仲良くなって端材を売ってもらった方が安かったし、お茶はドクダミ茶を煎じて飲む最終手段もあったけど、結局、水があれば生きられたしね。コピー機は図書館、映像は当時の女優仲間の多恵ちゃんにダビングしてもらった。いやぁ、懐かしい。
「ほいくえんとか、いったことなさそうだよな、つぐみって」
「うん、じゅりあちゃんせいかいです」
記憶を掘り返せば、そのあたりは御門さん(小春さんのお母さん)がやってくれていた。つまるところ、御門さんが私の乳母なのだ。保育園行くよりも安全だよね。まぁ、早めにつけた家庭教師はあんなことになってしまったのだけれど。
「三人は、ほいくえんでであったの?」
「いんや。もっとまえ」
「わ、わたしのおかあさんと、じゅりあちゃんのおかあさんがともだちなの」
「わたしのははとみみのははも、ともだちなんだ」
なら、美海ちゃんのお母さんがみんなの渡りになったんだ。美海ちゃんのお母さんも、美海ちゃんと同じで優しい方なのだろう。
「わ、わたしのおかあさん、いろっぽいとかよく言われるんだけど、おうちではけっこうぽやぽやしてて、やさしいんだ」
「だから、みみちゃんもやさしいんだ」
間髪入れずにそう告げると、美海ちゃんはあわあわと手と首を振る。
「わ、わたしなんかぜんぜんやさしくないよぅ、つぐみちゃん」
「でもさっき、なぐさめてくれたよ?」
「あ、あれは、その、ぅぅ」
顔を真っ赤にしてしまう美海ちゃんの背を、ぽんぽんと叩く凛ちゃん。そんな美海ちゃんを見て笑う珠里阿ちゃん。珠里阿ちゃんはひとしきり笑うと、少しだけさみしそうに目を伏せた。
「うち、むかしからおかあさんいそがしくってさ。ぜんぜんいえにいないから、みみのおばさんがメンドーみてくれたんだ」
女優さんだもんなぁ。忙しいかぁ。しかし、忙しいと言われる女優さんと聞くと、代表作が知りたくなるのは女優の性だ。確か、朝代早月さんといったかな。あとで、図書館に連れて行ってもらおう。
ん、いや、携帯電話で調べられるか。だめだな、選択肢のとっかかりに携帯電話という選択肢が出てこないよ……。
「みんなのごりょうしんの、デビューさくとかって、わかる?」
おずおずと聞くと、まず、凛ちゃんが手を上げる。
「はい!」
「はい、りんちゃん」
「ははのデビューさくは、ない!」
「アナウンサーだもんね」
「ちちのは、“たんてい・ひなたゆうまのじけんぼ”」
「か、かっこよかったよねぇ、かずまさん。おとなのいろけ! きんだんのこい!」
勢いよく答えた凛ちゃんに、それ以上の熱量で追従する美海ちゃん。禁断の恋、禁断の恋かぁ、濃いなぁ。
「わ、わたしのおかあさんのデビューさくは、“つばき ~あいえつのおうせ~”だよ」
「しってる。ちちがいってた。“ひるドラはりんにははやい”って」
あ、愛悦の逢瀬……? 前世から、昼ドラの感じって変わってないんだなぁ。キラキラした目で語る美海ちゃんは、本当に、お母さんの演技が好きなのだろう。情熱が伝わるようですらあった。
「じゅりあちゃんは?」
「うちか? うちは――ううん、だめだ。いっちゃ、だめなんだ」
「……え?」
珠里阿ちゃんはそう言うと、さっきまで楽しげに会話に参加していたのに、苦しさをごまかすように、眉を下げて苦く笑った。
「おかあさん、すっごいやくしゃだったのに……ほんとうに、すごかったのに、だれにもしられたくないんだ」
「……きらいなやくが、デビューさくなの?」
「うん。あたしはすきなんだけどなぁ」
そう、膝を抱きしめて言葉をこぼす珠里阿ちゃんの瞳は、蛍光灯の光を避けるように暗く沈んでいた。今にも、壊れてしまいそうなほど。
「……じゅりあちゃんがすきなものなら、わたしもすきになりたいなぁ」
「つぐみ?」
「だって、ともだちだからね。ともだちのすきなものは、しりたいよ。ね?」
小さくてふにふにな手だ。私と同じ、子供の手だ。こんな手が力なく下がっているなんて、私はあんまり好きじゃないなぁ、なんて、格好つけすぎかな。
「つぐみはやっぱり、すごいやつだ」
「う、うん――そうだね。すごく、すごい」
二人の声はむずがゆいけれど、ひとまず今は珠里阿ちゃんだ。珠里阿ちゃんは幾ばくかの逡巡を見せ、それから、うん、と頷いてくれた。
顔を上げた珠里阿ちゃんの表情に、さっきまでの痛々しさはない。親指でぐいっと目元を拭うと、いつもの珠里阿ちゃんの姿があった。
「そうやってオンナノコにやさしくするオトナに、ろくなやつはいないっておかあさんがいってたけど、つぐみならセーフだな!」
早月さん……娘さんになにを教えているんですか。
「あ、でも、ヒトにはタイトルはないしょだぞ! ともだちのちかいだからな!」
「うん、もちろん!」
「わたしもまもる」
「わ、わたしだって!」
私の返事に続いて、凛ちゃんと美海ちゃんもすくっと立ち上がり声を上げてくれる。
「で、タイトルは……」
――♪
と、告げようとしたところで、どこか聞いたことのあるメロディが流れる。これって確か、前世の私が出演した作品、“悪果の淵”のメインテーマだ。ほんとにホラー好きなんだね……。
「ちょっとごめん――もしもし、おかあさん?」
『――』
「うん。りんのいえ」
『――』
「え! ほんと!?」
『――』
「うん! すぐいく!!」
『――』
どんなやりとりがあったのか、想像はつく。それでも、満面の笑みになった珠里阿ちゃんと喜びの共有がしたくて、問いかけた。
「どうしたの?」
「おかあさん、うちあわせがはやくおわったから、きょうはいっしょにゴハンたべられるんだって!!」
「そうなんだ! よかったね、じゅりあちゃん!」
「うんっ。もうそこまでむかえにきてくれているから、あたし、いってくる!」
珠里阿ちゃんはそう言うと、慌てて服を着て、「ゲームはかす!」と叫んで走って行った。どうやら、車を家の前につけてくれたみたいで、玄関の方から聞こえてくる声から察するに、到着した早月さんが凛ちゃんのお父さんにお礼を言っているようだ。
珠里阿ちゃんは猛ダッシュでリビングを飛び出して、それから大きくつんのめりながらUターン。私たちの方へ走り寄るとすぐさま身を屈め、こっそりと、私たちに聞こえるように声を潜めた。
「“りゅうのはか”」
「え?」
「ナイショだかんな!」
そう、今度こそ、珠里阿ちゃんは飛び出した。
「げんきだな」
「り、りんちゃんも、たいがいだよね」
「?」
二人の声。
でも、どこか、遠くから聞こえるような錯覚。
だって、そのタイトルは――。
「りゅうのはか……?」
かつて、前世の私、桐王鶫も出演していた作品であったのだから。




