ending
――ending――
クラス合同演芸会が無事、盛況で幕を閉じた。一般開放されていたからダディとマミィももちろん来てくれたし、観客席には蘭さんも来ていて、舞台のあとには褒めてくれた。
明けて翌日。わたしは、今回の演芸会でお世話になった鴎雅先輩にお礼を言うために、いつものように、示し合わせたわけでもなくサロンの木陰に集まった。
「無事に終わって良かったよ」
「はい! あの、いろいろ、ありがとうございました」
「僕はなにもしていないさ。つぐみ、君の努力の結果だよ」
鴎雅先輩はそう言うと、そっぽを向いてお弁当に箸をつける。ほんのりと朱を差した耳朶に、ほんの僅かな照れをみせて。
「それにしても、練習期間が短い割に、よくあんなに完璧にこなせたな」
「見ていてくれたんですか? えへへ、先生がよかったんです」
「ああ。僕のクラスとは時間がずれていたから。……で、先生?」
蘭さんは、分析ののち、実践、という論理的な教え方の先生だった。そのやり方がとても丁寧で、だからこそわたしもちゃんと覚えられた。共演は『妖精の匣』と『紗椰』の二回だけれど、どちらもちゃんと絡みのある共演じゃなかったから、一度、並んで演技をしてみたいなぁなんて風にも思う。
「らんさん、です。みなうち、らんさん」
「皆内、蘭……んん? ウィンターバードプロダクション所属の?」
「はい!」
わたしの言葉に――鴎雅先輩は突然、目を輝かせる。
「劇団“きりさくら”出身の皆内蘭! きりさくら在籍中は式浪蘭として活動。デビュー作はショートムービー『こおろぎのうた』で主人公の姉を演じきり続くショートムービー『紫陽花』・『勝ちどき』・『Blue』で数々の脇役を演じる。きりさくらを卒業しウィンターバードに正式所属すると名を皆内蘭に変えて、CM出演・ドラマ出演・舞台出演と活動の場を拡大。どれも主役級でも敵役でもなく脇役・端役と名も無い役柄にもかかわらずその名を少しずつ少しずつ浸透させ、今や“皆内蘭”の名を見たことがない人間はいないと謳われるようになった、サイドキャストの星の!?」
……思わず。そう、見たことのない口調と態度で一息に言い切った鴎雅先輩を、わたしは呆然とみる。蘭さんってそんな経歴だったんだ、とか、桜架さんの姪だから、桜架さんの本名“式峰桜”の名字をもじって式浪にしたのかな、とか、全ての情報を受け止めつつも、感情がついてこない。
ちらりと鴎雅先輩を窺えば、興奮に輝いていた瞳や朱の差した頬は、徐々に血の気を失い、青ざめていくところだった。
「す、すす、すまない、昔からどうも役者さんのことになると、その、興奮して。ああ、き、気持ち悪かったと――」
「すごい!」
「――す、すご……?」
遅れてきた感情が追いつくと、わたしの口をついたのはそんな言葉だった。裏方を目指している鴎雅先輩は、きっと、色んなコトを勉強してきたんだと思う。だからこうして、こんなにもたくさんの情報を語れるんだろうなぁ。
すごい、と、素直にそう思う。ちょっと圧倒されてしまったというのも否めないけれど……本当に役者さんのことが好きなんだなぁ、と、そんな風に感じた。
「はい、すごいです! ものしりなんですね!」
「あ、ああ、えーっと、好きこそものの上手なれというだけだよ、僕は」
「だけ? すごいことだと思いますけれど……?」
「う、うーん――妹と話しているのとは別の意味で、調子が狂うな」
妹。双子の妹がいると、そういえば話してくれたことがある。妹さんは、いつも、鴎雅先輩のこんな情熱と希望に満ちた視線を向けられているのかな。
ちょっぴり羨ましい気もするけれど、マネージャー業への熱意を滾らせる小春さんも、思えば、相当熱意があった。今度、小春さんともこーゆー話がしたいなぁ。
「変わった子だよ。君は」
「えっ。へ、変ですか?」
「ははっ、そうじゃない」
そうじゃない、と、そう笑いながら、鴎雅先輩はわたしの頭に手を置いて小さく微笑んだ。
「良い子だな、と、思っただけ。それだけだ」
「そう、ですか? ありがとうございます!」
よくわからなかったけれど、褒められるのは嬉しい。鴎雅先輩は満面の笑みでお礼を言うわたしに笑みを深くし……それから何故か、少しだけ、瞳に憂いを浮かべて。
「つぐみ、僕は」
その続きに、耳を傾けて。
だから、その音に気がついた。
「っ、ごめんなさい、おうが先輩。しー、です」
「ん? あ、ああ」
唇に人差し指を当ててお願いすると、鴎雅先輩もすぐに口を噤んでくれた。それから、木陰からサロンの中央を窺う。
そこにいたのは、クラスメートの子だ。確か皆から、小川さん、と呼ばれていた子。ざっと記憶から容姿を参照して、直ぐに思い至った。『妖精の匣』でリリィに虐められるクラスメート、“奈々”として出演していた、小川恵鈴ちゃん……だと思う。
その、小川さんをサロンで呼び止めたのは……誰だろう。ここからでは、よく見えない。
「あれは、悧巧院先生、か?」
鴎雅先輩の呟きで、あ、と声を上げそうになる。そう、そうだ、よく見たらわかった。わたしの担任の、悧巧院一紗先生だ。
悧巧院先生だ、とわかると、その表情がよく見える。その会話も、拾えるようになる。とおくで、聞こえる声。
「小川さん。今回の演技もとても良かったわ」
「ほんとうですか?!」
「とくに、クライマックスシーン。言ったとおりに、よくできていたわね」
「やったぁ! センセイのおかげです! ありがとうございます!」
「ふふ、良いのよ、これからも頑張って頂戴。期待しているわ」
「はい! がんばります!」
「ところで小川さん。あの子、どこへ行ったのか知らないかしら?」
「あの子? ぁぁ……あの子ですか。ごめんなさい、私」
「ああ、いいのよ。小川さんは本当によく頑張ってくれたから」
慈しむ声。/声、どこかで似たような。
愛に満ちた表情。/表情、どこかで感じた。
ときおり優しさ。/ちがう、だめ、そうじゃなくて。
執着心。/独占欲、あるいは愛、自分勝手な、一方的な。
「お、おい、つぐみ?」
「ぁ――」
だめ。
だめ。
だめ。
考えるな。考えるな。考えるな。
どうして、よく見えなかった?
どうして、声すらかけなかった?
どうして、質問の一つもできなかった?
どうして、先生の顔を、よく、覚えていないの?
考えるな、考えるな、考えるな。
“あの人”に、あまりにも似すぎているだなんて、考えたら――
「あら? あそこに、誰かいるのかしら?」
――視線が、わたしを、見て、捉えて、手が。
いしき、が。
おち、て、あ、だ、め……――――…………
『今回だけだよ、つぐみ』
目を、開ける。
――/――
目の前で身体を揺らすつぐみに、とっさに手を伸ばす。
学校のサロンで、お気に入りの場所で偶然出会った少女。天真爛漫で可愛らしく、健気で努力家の少女。僕の妹とは正反対だけれど、守ってあげたいと思った小さな女の子。
(助けなきゃ)
僕に――天海鴎雅に、彼女を助ける資格なんてないのに。なのに、気がついたら手を伸ばしていた。
思えば、伝え聞く悧巧院先生の態度も、クラスの様子も、なにもかもがおかしい。まだ子供に過ぎない僕にだって、彼女の状態が良くないということはわかった。それなのに、アドバイザー気取りに口出しするだけで、僕にできることなんかなかった。
だから、せめて、ピンチの時に守るくらいは、したい――と、そう思ったのに。
「ちょっと、ごめんね」
「つ、つぐみ?」
「肩、借りるね? 鴎雅君」
「は、え?」
突如身体を持ち直したつぐみは、僕の肩に手を置くと、身体を引っ張り上げる要領で飛び上がる。そして小さな体躯を猫のように操り、サロンに備えられた蔦と金属フレームでできたアーチの上に、息を殺して潜んだ。
い、今のは一体。というかあれ、どういう動きなんだ? 周囲の人は誰も気がついていない。というか、気配がなさ過ぎて、目で追ってなかったらわからなかった。
「あら、あなたは、天海さんの?」
「り、悧巧院先生……こんにちは」
「ええ。もう一人いたような気がしたのだけれど――気のせいね」
そう言って、歩き去っていく悧巧院先生。その姿が見えなくなるや否や、僕の隣につぐみ? うん、つぐみ、が、戻った。
「ごめんね、鴎雅君。ちょーっと気まずくって」
「あ、ああ、それは良いのだけれど……」
「気が動転しちゃった」
そんな風に笑うつぐみ、だけれど、どこか、雰囲気が違う。
ああ、そうだ、目だ。鋭い視線。挑発的で、力強く、貪欲で。
(なんて、きれいな)
どうしようもなく。
そうだ、僕のような人間を、どうしようもなく、惹きつけるような。
「あ、もう昼ご飯、終わっちゃうね?」
「そ、う、だな」
「今日は色々ありがとう」
「あ、や、待ってくれ。それが君の素なのか?」
どうしても、聞かなければならなかった。どうしても、聞いて確かめなければならなかった。守るべき妹のようだと思ったつぐみのこれまでを、確認しなければならなかった。
「ううん。今は、強がって演技をしているだけ。演技の最中は、頑張れるから、それだけだよ」
「そう、なのか」
「うん。じゃあ、もう行かなきゃ! ばいばい! 明日には、演技は抜けてるからね!」
「あ、ああ」
足早に走り去るつぐみを見送りながら、どきどきと高鳴る胸を抑える。
どうして、つぐみはあんな風に振る舞った? 悧巧院先生が、いたからだ。ピンチになると、あんな風に振る舞う? そう、なのかな。
だとしたら。
(もう一度、彼女に逢う方法が、あるとしたら)
誘惑が、鎌首をもたげる。
その想像を振り払うように、僕は、頭を振った。
つぐみは健気で、一生懸命で、守ってあげなきゃいけない存在で。
ああ、だから。
ああ、だけど。
胸を渦巻く高揚と不快感に、痛みを覚える。
僕は、僕は、どうしてしまったのだろうか。
疑問と慟哭だけが、深く、深く、胸に根付いた。
まるで、茨のように。
――Let's Move on to the Next Theater――




