scene5
――5――
――竜胆大附属・記念ホール。
舞台裏。鏡の前でくるりとターン。御門さんに拵えてもらった特製のメイド服の裾が、ふわりと翻る。髪は三つ編みにして肩口から垂らし、瞳は前髪で隠す。クラシカルなメイド服も相まって、けっこう地味な仕上がりにできたんじゃないかな。
結局、わたしが練習に参加できたのは二回だけで、修行の成果を生かせるような場面はなかった。だから、ぶっつけ本番で演技に挑まなければならないのだけれど……。
(うん――なんだか、燃えてきた)
ふつふつと湧き上がる闘志に身を委ねる。今日までの日々は決して無駄ではなかったと、蘭さんの指導は間違っていないのだと、わたし自身に叩きつける。いつだって、立ち向かうべきは、できなかったときの自分で。いつだって目指すべきは、わたしの中で応援してくれている相棒の背中なのだから、こんなところで立ち止まってなんかいられない。
(わたしの出番は……まだ)
待ち時間で、わたしに話しかけるひとはいない。だからこそ今のうちに、蘭さんに教わったことを反芻する。一言一句違わず脳裏に刻まれた修行を、思い起こす。
ウィンターバード俳優育成学校で、蘭さんはまず、わたしから台本を受け取った。そして、内容を何度か読み込むと、こう、聞いて来た。
「つぐみちゃんは、これをどんな作品だと思いましたか?」
「えーっと、れんあいもの、でしょうか?」
「そう。恋愛物。けれど、ジャンルとしてはコメディの要素も含まれています」
「コメディ……」
蘭さんは不思議な距離感の方で、わたしを子供だと侮らず、まるで同僚を扱うかのように接してくれる。だからなんだか、職人さんみたい、なんて風に思った。
「はい。悪役令嬢アネッサがヒロイン、アロアナを虐めるシーン。それから、王子様、マックスがアロアナとすれ違うシーン。これらはコメディ調に描かれています。とくにアネッサが登場するシーンのほとんどはコメディ調になっていますので、これは小学生が演じる上で凄惨な内容にならないよう、意図的にそういった題材に仕上げられている、と解析できます」
とても、とてもロジカルな台本の見方に、思わず息を呑む。これまで感覚で掴んでいた役作りを、機械的にひもとかれていくような感覚。
「ラストシーンの断罪などはシリアスですし、アロアナとマックスの恋愛シーンも後半になるとシリアス調といえるでしょう。けれど断罪といっても婚約破棄をされるだけで、追加で罪罰を言い渡されるわけでもありません。全体的にみればライトな舞台といえます。であれば」
蘭さんはそこで区切り、まっすぐわたしを見た。
「……つぐみちゃん。あなたは、どういった指摘を受けましたか?」
「えっと――目立ちすぎ、と、目立たなすぎ、です」
「そう。それならやはり、あなたに足りなかったのは、“雰囲気に同調すること”ではないでしょうか?」
雰囲気に同調?
例えばそう、コミカルなシーンならコミカルに動くとか、そういうことなのかな。でも、アネッサが一人で愚痴を言い、その後ろで髪を結うシーン。あの場に、決定づけられるような雰囲気ってあったかな。
そんなわたしの疑問を察したかのように、蘭さんは言葉を続ける。
「アネッサが登場するシーンは、その前後でコメディ調に仕立てられています。そのシーンの間である以上、このシーンもコミカルであるべきです。他にもアネッサとつぐみちゃんが登場するシーンで大きなものがありますが……それは、どんな雰囲気のシーンだと思いますか?」
言われて、台本の内容を思い浮かべる。確か断罪されるシーンで、その場は舞踏会。アネッサに扇やワイングラスを差し出したり、断罪されたアネッサが座り込んでしまうとき、側に寄って背をさするシーンだ。
断罪ではコミカルな空気はないものの、その前に悪口や愚痴を言ったりするシーンは、それまでのように少しだけコメディチックといえないこともない。
でも、ここは――。
「あとのシーンでうまくかんじょういにゅうできるように、シリアスに振る舞う?」
「はい、さすがですね。それで問題ないと思います」
蘭さんの言葉に、ほっと息を吐く。
「そうしますと、どの場面でも言えることですが、脇役にできることは、主役をより引き立たせる舞台装置になりきることです」
舞台装置。回転する床であったり、入れ替わる背景であったり、あるいは木や石であったり。そういうものがあるとないとでは、大きく違う。それは、よくわかる、なんて風にも思った。
主役ではなく、悪役でもなく、ヒーローでもなく、ヒロインでもなく、ましてや悪霊なんかじゃ絶対にない。
「では、さっそく実践してみましょう。心の準備は良いですか?」
「はい、もちろんです!」
蘭さんの手を取って舞台に上がる。小春さん、凛ちゃん、桜架さんの見ている前で、わたしは――。
ぱちり、と、目を開ける。もうすぐ、わたしの最初のシーンだ。失敗した日のことを思い出すのは怖いけれど――もう、負けてやるつもりはない。
意識の奥で、鶫が不敵に笑う。やりきってこい、と、笑顔で告げるその声に、背中を押される。
(さぁ、始めましょう)
わたしはメイド。
わがまま放題のお嬢様を、やれやれ仕方がないなと支える使用人。
ならば舞台の上のお嬢様であっても、完璧に、支え上げて見せましょう。
(待っていて下さいね、お嬢様)
もう、おそれるものはなにもないのだから。
――/――
教員用の席で、つぐみの担任教師、悧巧院一紗が舞台を見る。自分たちのクラス合同演芸会の幕が上がると、オープニングから始まる一連の流れに、一紗は満足げに頷いた。
今回の劇も、これまで受け持った子供たちと変わらない。完璧に、思い描くままの“作品”だ。どんな技量であっても演じられるような台本。綺麗に均すことで平均を上げる手法。今まで芽が出なかった児童も、やりがいがわからなかった児童も、よくやれている。一方で、うまくできる児童はできない子の演技を見て優越感を覚え、うまくバランスがとれていた。なにもかも、一紗の手のひらの上で。
「みんな、頑張っているわね」
「ええ、そうね」
「っ」
一紗の独り言に、答える声。ぎょっと目を見開きながら振り向くと、一紗の隣にこの学校の理事長、竜胆明子が腰掛けていた。
「理事長……たいへんご無礼を」
「いいわ、楽にして頂戴」
「は、はぁ」
何故、わざわざ小等部の演芸会に足を運んだのだろうか。気まぐれか、気になったものでもあったのか。一紗は混乱を表情の下にしまい込むと、理事長と並んで舞台を見る以外の選択肢を失っていた。
だが、と、一紗は考えを変える。あの期待されていた少女、空星つぐみ。彼女の慌てふためくだけで役の体を成していない姿を見たら、如何に理事長といえど失望することだろう。それを、次の行事で“均して”作品に仕立て上げれば、一紗の評価も上がることは間違いない。
(思ってもみなかった幸運ね)
緩みそうになる頬を押し止めながら、一紗は舞台を注視する。ちょうど、件の空星つぐみが出演するシーン。アネッサの愚痴の間、髪を結うだけのシーンだ。
この場でつぐみが求められていることは、子供らしい大きな声で、「おっしゃるとおりです」とでも言っておけばいいだけなのだ。聞きに来れば、そういう“アドリブ”で乗り切る方法を教えてあげたというのに……愚かな子だと、一紗は嘲笑する。
「まったく、マックス様はなにもわかっていませんわ!」
アネッサがそう、頭を振るシーン。ここでつぐみは髪を結い直す、はずだった。
けれど、会場から漏れ出る小さな笑い声。どこか明るくなる教員席。それはまさしくあの目立たない演技をしているはずの、つぐみの演技からくるものであった。
(なによ、あれ。あんなのは教えていないわ!?)
アネッサが頭を振ろうが身体を動かそうが、ちょこちょことついて回るつぐみ。可愛らしく動けど、アネッサの動きを大げさに見せる“補助”をしているに過ぎず、観客は皆、つぐみを、というより、アネッサのコメディシーンを、楽しんでいるように見えた。
その様子に気を良くしたのか、演技を続けながらもヒートアップするアネッサ。立ち上がり、くるりと回転して見せても、つぐみはぴったりとついてきた。
まるで――あらかじめ定められた演出であるかのように。
一紗は、舞台に注目する観衆の中でただ一人、困惑と焦燥に塗れていた。一週間もないような時間だ。それだけの期間に、完璧に“脇役”を演じこなすなど、いったい誰が想像できようか。
だが、時は無情に過ぎていく。ついにはつぐみの演技を全員が受け入れたまま、最終シーンへ。
(でも、まだ、まだよ)
最終シーンは、これまでのようにコミカルに動かれると、なにもかも台無しに成る。それはそれで他の“駒”が可哀想だが、次の舞台ではつぐみという“均した駒”も加えて作品を仕立てることが出来るのだから、それを贖罪としよう。
そう考える一紗の目の前で、舞台はつつがなく進行していく。アネッサが大げさにグラスを受け取って、それをヒロインのアロアナにかける。するとアネッサは、目立つように取り出した扇で、ばさりと顔を覆ってアロアナを見下して。
(――違う!)
一紗は、口に出さず、心の中で叫んだ自分を褒めてやりたくなった。
(空星つぐみの印象がない――いいや、違う、違うわ)
印象の端に残るのは――“手”。己をスポットから僅かに外し、物を手渡すその“手”のみを明るみに出す。白い手が小道具を持って浮き上がると、アネッサは満足げに受け取った。
その表情の一つすら――“手”に誘導されているかのように!
影ながら演者を支え、ときには助け、ときには演技の質を左右する。そのつぐみの真価がわかるような観客がいたら、その観客はそれに、こんな風に思うことだろう。
「舞台装置のような演技――ふふっ、さすがね、空星さん」
竜胆明子の言葉に、一紗は思わず歯を食いしばる。コメディ調のシーンではコメディを際立たせ、シリアス調のシーンでは、悪役を目立たせる。大げさな動きを補助する脇役の存在があったから、アネッサの大ぶりな演技がとてもよく際だった。
(こんな――私のプランに、こんなものはない。私の作品、なのに……!)
一紗は憤怒を隠しながら、大団円で終わった舞台に拍手を送る。もし、もしこれでつぐみを叱ったら。それが、よりにもよって一紗の隣で満足している理事長の耳に入ったら。
今までギリギリのラインで思うように動いていた一紗は、自分の生死を分けるラインを嗅ぎ分けるのがうまかったが故に、つぐみを“均す”ことができない、ということに気がつかされた。
(――いいわ、今回は見逃してあげる。でも、次は……)
一紗はそう、つぐみに執念の情を抱く。
故に、彼女は気がつくことが出来ない。
既に彼女は神として盤上を見下ろす存在ではなく。
(次こそは、私の作品に“均して”あげるわ)
同じ舞台に降り立った、ただの人間に成り下がっているということに――。




