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scene1

――1――




 ――私立竜胆大付属小学校。


 数々の芸能人を輩出、またはその活動を支えてきた名門校。前世の私にはあまりに縁のない施設だったから知らなかったのだけれど、あげられる受講者の中には前世の私が知る人間もいたほどだ。身元のはっきりしている人間相手なら見せてくれるという卒業名簿を眺めながら、私は知っていた名を目でなぞった。

 初等部には、当時子役だった人間もいる。そちらにもやはり、知っている名前があった。専門系の学校なんか通わなくても演技が卓越していたさくらちゃんは除くとして。


「あら、Vシネマの楠王座も名簿にありますね。ほら、つぐみ」

「ほんとだ!」

「ホラーにも出ていたらしいのだけれど……そちらは知らないのよねぇ」

「そうなんだ?」

「お母様もつぐみちゃんも、渋い趣味なのですね」


 Vシネマの名優、くすのき王座おうざ。弟分として有名だった、甲田こうだりく。今は二人とも六十代だろうか? 懐かしい俳優だ。確か、ヤクザもののホラー映画で共演したことがある。楠さんはチャカよりドスが似合う風貌で、甲田さんはまさしく舎弟という演技が上手だった。

 桐王鶫が共演した作品は、楠さんの放免祝い(刑務所から出所する人を祝うこと)に刑務所に迎えに来た甲田さんが、突如、錯乱して、楠さんを撃ち殺してしまう。そのときに甲田さんを呪っていたのが、ほかでもないこの私、桐王鶫なんだよね。

 確かそのとき、子役もいたはずだ。そう思って小等部の卒業名簿を確認するも、思い描いた名前がなかった。


(元気にしているかなぁ、サラちゃん)


 当時の映画作品、“竜の墓”では、楠さん演じるかぶら総三郎そうざぶろうの妻であった伊都子は、蕪の愛人であった美乃利に毒を盛られて死んでしまう。それが美乃利を妻にしたいが先代組長の娘であった伊都子を切れなかった蕪による共謀で、伊都子は悪霊となって彼らを呪い殺していくのだ。このとき、美乃利の娘、瑠美子を演じたのがサラちゃんだ。サラちゃんは子役で悪役という立ち回りを見事にこなし、高い評価を受けていた。

 ご家庭の事情で一時期役者の世界から離れ、その後、復帰した。復帰後はけっきょく、一度も会うことができなかったなぁ。


「つぐみ、疲れてはいないかい?」

「うん、ダディ。だいじょうぶ!」


 とっさに父にそう答えると、父は「そうか」と微笑んで私を抱き上げた。ぼんやりしていたから、疲れていると思われたのだろう。ついつい物思いにふけってしまう。気をつけないと。


「生徒のためのサロンがあります。見学の方に解放することもございますので、少し、休まれますか?」

「そうだね。つぐみ、いいかい?」

「うん。ありがとう、ダディ」


 父に抱き上げられたまま、サロンとやらに移動する。というか、生徒用のサロンってなに? けっこう学費高いんだろうなぁ、なんて、今更ながらに考えてしまった。


「――こちらです」

「わぁ……」


 サロン、というのは植物園と隣接(建物の中なのに!)しているようで、磨りガラスの向こう側には花々や木々、小鳥なんかも羽を伸ばしている。ドーム状のスペースで、中央には白いアンティークな机と椅子。防音効果もあるので、ここで演技の自主練習をしたり、休んだり、試験勉強をしたり、食べ物を持ち寄って食事にしたりするようだ。生徒によっては、使用人を入れることも許可している……って、それ、お金持ちの優雅なティーブレイク用っぽいね。

 私は父の手から抜け、そっと、付き従ってくれていた小春さんに近寄る。両親がいるときは影薄いんだよね、小春さん。凛ちゃんも気がついてなかったし。


「こはるさん」

「いかがなさいましたか、つぐみ様」

「ばーどうぉっち、してもいいよ?」


 休憩中だからね。そう、小春さんの袖をくいくいと引っ張りながら告げると、小春さんはいつもはほぼ変えない表情を微笑ませて、首を振った。


「いいえ、大丈夫です。こうしてこの空間につぐみ様と小鳥と花々を視界に収められるだけで感無量にございます」

「おおげさだなぁ。でも、きゅうけいしたくなったらおしえて?」

「はい。承知いたしました。至福のとき故、お気になさらずとも大丈夫にございます」

「そう?」


 小春さんに頷いて、両親のもとに戻る。母に手を引かれて高い椅子に座ると、母は優しく私を撫でた。


「人に気を使えるのは才能よ。優しい子ね、つぐみ」

「さすが、ぼくたちの天使だ。えらいよ。ただ、自分を優先にするのは忘れないこと。いいね?」

「うん!」


 やっぱり、できた両親だ。前世の両親に爪の垢を煎じて飲ませてやりたい。父が抱き上げて椅子に座らせてくれたので、私の仕事は紅茶とクッキーに舌鼓を打ちながら、学長先生の会話に耳を傾けることになった。




「つぐみちゃんは、将来はやはり演劇の道に?」

「実は、既に子役としてのデビューが決まっております」

「まぁ! 放送日には必ず視聴いたします」

「ええ、そうしていただけるとつぐみも喜ぶことでしょう」




 父と学長先生の会話を耳に挟みながら、小春さんの用意してくれた紅茶を飲む。ときおり、母が差し出してくれたクッキーを気恥ずかしいながらも食べていると、いつの間にか、父もその輪に加わっていた。やめて、太っちゃう。

















「――では、そろそろ移動しようか」

「つぐみ、もう学校のことはわかってきたかしら?」

「うん! たのしそう!」

「ふふ、いい子ね」


 サロンを出て、最後に事務的な話をするのだという。一緒に応接室に入って、というところで、不意に、肌に突き立つ視線を感じた。


「あ」

「ん?」


 振り向くと、そこには、レッスン用のウェアに身を包んだ虹君……凛ちゃんのお兄さんが、お友達を連れて歩いてくるところだった

 虹君は真っ白のタオルで汗を拭きながら、友達と真剣な表情で何かを話している。今日のフィードバックだろうか? 熱意という言葉で語るには、まだ彼のことを知らない。


「まだいたんだ」

「こんにちは、こーくん」

「誰がこー君だ」

「おや、ぼくの娘にそう呼ばれるのは嫌かい?」


 私の頭上から、父の声が聞こえる。するとどうだろう、虹君はびくりと肩をふるわせて、ばつが悪そうに目をそらした。虹君こそ天使のような風貌なのに、いかにもきかん坊なところが面白い。

 類推するに、基本的に彼は、人がよく真面目で、ぶっきらぼうの中にも優しさがあるような感じだ。本当に、凛ちゃんのご家庭っていいご家庭なのだろう。


「いえ、そんなことはないです」

「そうか、よかったね、つぐみ」

「うん!」

「ああ、そうだ。よかったらつぐみの相手をしていてくれないか?」

「え?」


 父の提案に、思わず私が聞き返す。小春さんだけでも、いや、なんだったら一人でも問題ないのだけれど?

 そう戸惑う私になにを思ったのか、虹君は小さなため息とともに、頷いた。


「まぁ、いいですよ。凛で慣れてますし」

「ありがとう。さ、つぐみ、いい子にしているんだよ」

「う、うん。わかった! ダディ、マミィ、またあとで」

「ええ、またあとで」


 ……で、なんだか妙なことになってしまったなぁ。おずおずと顔を上げると、虹君の友達であろう少年が、虹君の肩をつかんで内緒話に講じていた。

 といっても、会話内容を真剣に隠したいわけでもないのだろう。聞こえてくる声はなかなかの声量で、有り体に言えば丸聞こえだった。


「すっげぇ、妖精みたいじゃん。なぁ虹、どこで知り合ったんだよ」

「妹のダチだよ」

「妹も美少女だもんな、おまえ」

「そんなことより、いいのか? 田中。おまえ、植村に呼ばれてんだろ?」

「げっ。そうだった。あのハゲ課題多いんだよなぁ。じゃあね、妖精ちゃん!」

「え、あ、うん」


 そう言って、虹君の快活そうなご友人は軽快に走り去っていった。残った虹君は、自販機横のベンチに私を連れてくると、隣に腰を下ろす。


「見るたびに覗いてるのな、おまえ」

「そのせつはごめいわくをおかけしました」

「別にいーけど」


 私がぺこりと頭を下げると、虹君は気まずげに頬をかく。この年の頃の男の子って、なんだかとても不器用だ。それが妙にかわいらしくって、私は、気づけばくすくすと笑い声をこぼしてしまっていた。

 凛ちゃんが、兄、兄、と懐くのもわかる気がする。


「なに笑ってんだよ」

「なんでもありません」

「っていうかさ、ガキが敬語使うなよ」

「ふふふ、うん、わかった」

「おまえさぁ」


 ため息。細められた目。さらさらの黒い髪から覗く夜空のような瞳は、気まぐれな猫みたいだ。


「この年の女子ってのは、生意気になるようにできてんのか?」

「おんなのこはいろいろあるのです」

「そうだろうけど、そうじゃないだろ。凛はわかりやすい。金持ちだからか? ――ぁ」


 虹君の戸惑いを感じて、首をかしげる。なんだろうと首をひねって、理由はすぐに思い至った。きっと、お金持ちであることを揶揄してしまい、良心の呵責が働いたのだろう。慌てる彼に気にしていないと告げるのは簡単だけれど、それだと気まずくなってしまいそうだ。

 せっかくこんな利発な子と話せているのだし、ちょっと機転を利かせてみようかな。スイッチは、軽めに。汗を拭うふりをして稚気を隠す、友人の兄に。


「では、もしもわたしからおかねやティアラをはぎとったとき、あなたはどんなことばをくれるの?」


 視線。天井を見ていた目を、思いついたように流し、虹君を見る。

 発声。挑むような言葉。あなたは今、試されていると伝えるように。

 表現。退屈・独占・歪んだ愛。それでも愛なのだと伝えるには?

 ブレス。浅く吐かれた呼吸は、緊張を意味する。あなたなら、どう捉える?


「っ――……なにもないね」


 一拍。視線を天井から私に戻すまでの一呼吸で、虹君は意図を汲む。


「へぇ? でも、なにもないものからは、なにもでないよ。それでも?」

「ああ、そうだ。不幸にもオレは、言葉にするのがうまくない。それでも、オレの想いは言葉にするよりも豊かだ」

「そのしんじつのみをいだいて、とおきちへおいやられたとしても?」

「そうだ。そして一つ、明らかにしよう。オレが遠き地へ追いやられたとしても、それは欲望の目とおべんちゃらを滑る舌を持たぬが故であり、あなたを想う真実を失ったからではないということを」


 背筋を伸ばし快活に告げる姿は、年相応と言うには大人びていた。悲劇の匂いのする題目を即座に呑み込んで、理解して、挑み返すように放つ力強い言葉。

 この一言に、少しだけ、恥ずかしいな、と思う。彼が、ではない。無自覚の内に彼を見くびっていた私自身に。




 せめて、彼の真摯な演技に、最後まで己を則ろう。




 私は傲慢な王。

 子供たちに己をおだてる言葉ばかりを求め、悲劇の内に死ぬ王だ。

 誰よりもかわいがっていた末の子を、些細なことで追放してしまう、一人のさみしい狂人だ。





(ではあらためて――シーン、アクション)





 さぁ、言葉のドレスを着せておくれ、わたしのかわいい子供たち。
















――/――




(ぁ、これは泣く)


 とっさに出てきた言葉。それと、オレの経験則。だいたいぶっきらぼうに扱った女の子は泣いてしまうのだと、責め立てる良心の陰で、痛い目を見た記憶たちが口々にはやし立てた。

 けれど、なんでだ。こいつは泣いたりわめいたりなんかすることもなく、飄々と返してきた。しかも、オレよりもエンジンがかかるのが早い。前回はオレから売ったケンカだった。今は、オレがケンカを売られている。そう思うと、高揚にも似た苛立ちが、マグマみたいに血管から心臓を駆け巡る。


(おもしれーじゃん)


 オレの台詞に、空星つぐみは立ち上がる。ロミオとジュリエットみたいに離れて相対しているのに、ハムレットとレアティーズのように対照的だ。



「では、もうわたしにあなたのようなかぞくはいません」



 瞳。冷たく凍った目。

 愛しい子に向けるものではない。冷酷よりもなお強く、激しい狂気が渦巻いていた。これがさっきまで、楽しげに微笑んでいた少女と同じものだというのか。

 前みたいなちぐはぐさも、ただ、今、この瞬間だけはほぼ(・・)感じない。人の目を見ることだけは確かな凛とすぐに友達になった少女が、なによりも“悪”を演じるのが巧いだとか、そんな幻想は信じない。



「ならば王よ、言ってくれ。オレがあなたの想いを失ったのは、口先だけの力を持たず、黙して動く有り様が不興であったのだと」



 震える己を叱りつけるみたいに、オレは語気を強めて言い放つ。



「言いすがるな――くどい。すでに矢は、はなたれたのです。愛しかったそのたいく(体躯)も、こころねも、すべてわたしののろ()いとなりました。そののろ()いだけをてにもつ(手荷物)に、どこへなりとゆきなさい」



 それすらも、狂気の嵐の前では無意味だった。薄く引きつるようにあげられた口角は、見紛うことのできない嘲笑だ。不興を買って追放される実の子を、あざ笑う表情だ。



「おまえなど、うまれてこなければよかったのです」



 ほかのどれより、真に迫った(・・・・・)言葉。闇だ。ああ、そうか、こいつ、闇を抱えているんだ。だったら、オレが負けてちゃだめだ。オレを誰だと思ってやがる。

 闇の象徴、桐王鶫に対照して例えられた、光の象徴、霧谷桜架の再来にして、いずれはそれを超える男だ。



「ならば今は、涙を呑んで別れよう。だが思い知れ。隠れた企みはいつか光に晒され、誰でさえ悪を称えるものは、最後は痛みを受けることになるのだと」



 沈黙。そうか、ここで引き下がるんだ。ああ、でもだめだ。オレはまだこいつに言ってやんなきゃいけないことがある。なんなのかよくわからないけれど、そう、重要な――ぁ。




「……」

「……」

「……?」




 不意に、途切れた集中の間に視線を感じる。見回せば、腕を組んで見学しているつぐみの両親と、凛たちと、学長先生。


「つづけないのか? あに」

「凛ちゃん、おそらくここでシーン区切りよ」

「おお、なるほど。さすがつぐみのおかあさん」


 油の差し忘れたブリキ人形みたいに首を動かせば、もう、そこにはいつものあいつがいた。スイッチでも切ったみたいに、すっかり役の抜け落ちた、ただの空星つぐみだ。

 ……どういう切り替えしてんだこいつ。


「もうよかったのかい? つぐみ」

「うん! あそんでくれてありがとう、こーくん」

「お、おう」


 なんでオレがこんなにモヤモヤしなきゃならないんだ。悪態をつく方向もよくわからなくて、ただ、また(・・)、汗を拭うふりをして天井を見上げる。ただ、胸の内からは、冷たく見下すあいつの姿が消えてくれなかった。




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