scene4
――4――
――ウィンターバード俳優育成学校・トレーニングルーム
色んな人たちが演技の練習に取り組む中、ゆったりとした服装で周囲を監督するのは、稀代の大女優、霧谷桜架その人だ。桜架さんは緩く微笑みを浮かべているが、その雰囲気は重厚そのもの。綺麗な方だな、と思う一方で、どこか貫禄さえ見えた。
そんな桜架さんが入室してきたわたしたちに気がつくと同時に、桜架さんの足下から小さな影が飛び出した。まばゆい黒髪を翻し、あまり動かない表情に喜色を浮かべた、わたしの親友。
「つぐみ!」
「りんちゃん!」
駆け寄ってきた彼女の小さな体躯を抱き留めると、勢いを殺すためにその場でくるりと回った。嬉しい、けど、ちょっと危ないよ、凛ちゃん。
「ふふ、ひさびさのつぐみ分のほきゅーだ!」
「うん、なら、わたしもりんちゃん分をほきゅー」
「きゅー!」
「ぎゅー!」
そんな風に凛ちゃんと戯れながら、ここに来た経緯を思い出す。
なんでも、小春さんはまず、マネージャー仲間を当たってみてくださったそうだ。すると、凛ちゃんのマネージャーである日立稲穂さんが凛ちゃんの先生に当たる桜架さんに相談。すると、桜架さんが心当たりのある方を紹介して下さる、ということになり、学校から帰ってすぐ支度をしてウィンターバード俳優育成学校にやってきた。
どうやら凛ちゃんは稲穂さんから話を聞いたそうで、わたしが学校を終えて小春さんに教えて貰うよりも早く、情報を得ていたみたい。で、学校での連絡に繋がったというわけで、RAINでの凛ちゃんの返信に繋がったとか。
「こんにちは、つぐみちゃん」
「はい、こんにちは、おうかさん!」
桜架さんは、丁寧に目線を合わせて挨拶をしてくれる。というか、先にわたしが挨拶をしなきゃ行けなかったのに……反省反省。
桜架さんは、鶫の記憶に見る“桜架さんが幼い頃の鶫”を倣っているかのような態度だった。それが、わたしの唯一無二の相棒を愛してくれているように思えて、なんだか嬉しい。
「今日はお時間をいただきありがとうございます」
「いいえ。つぐみちゃんには凛のことで恩もあるわ。このくらいのことだったら、力を貸しましょう」
桜架さんと小春さんが、そう手を取り合ってくれる。その光景に、思わず胸がじんと温かくなった。凛ちゃんはそんなわたしの様子に気がついて、そっと手を握ってくれた。凛ちゃんの寄り添うような暖かさが、今はなにより嬉しい。
話が付き、その場から移動する。凛ちゃんも一緒についてきてくれるみたいで、なんとも心強かった。
「つぐみ、つぐみ、最近、グレブレはどう? つづけてる?」
「うん。このあいだの、周年イベントガチャ、たのしかったね」
「……つぐみ、ちょっとみせて」
凛ちゃんにスマートフォンを手渡すと、凛ちゃんはちょっとだけ真顔になった。三百回分のガチャを回すと好きなキャラをくれるというシステムがある。おかげで、イベント期間中に好きなキャラを二人もくれた。
凛ちゃんは「うぬぐぬぬ」と聞いたこともない唸り声をあげたあと、そっと、わたしにスマートフォンを返してくれる。それから大きく深呼吸をして、わたしに向き直った。
「もう、わたしも二年生だから、こんなことじゃ怒らないよ」
そう胸を張る凛ちゃんは、羨ましくなるほどかわいい。
「二年生だからね。つぐみよりもおねーさんだ」
「……りんおねーちゃん?」
「ぐっとくるけど、キョリを感じる。つぐみ、いつものでおねがい」
「ふふっ……うん、りんちゃん」
凛ちゃんの拗ねたような表情に、思わず笑みがこぼれた。凛ちゃんがお姉ちゃんだったら、きっと楽しいだろうなぁ。お姉ちゃんが欲しいって言ったら、ダディとマミィ、困るよね。妹、ならいいかな。どう思う? と鶫に意識を向けたら、鶫は頭ごと目を逸らした。百九十度くらい回ってない? 大丈夫?
でもそっか、二年生、か。凛ちゃんは今年から下級生ができて、“先輩”になったということだよね。だから、大人っぽく振る舞おうとしている、ということなのかな。うーん、それは確かに、ちょっと距離を感じて寂しいなぁ。
「あ。りんちゃん、もしかしてそれで、学校で会いにこない、とか?」
「うっ……だ、だって、つぐみだって新しいトモダチがほしいだろうし、いつもいっしょにはいれないし、親友はわたしだけど親友いがいも、もっとほしいだろうし」
「そっか……気をつかって、くれたんだね」
登校初日。てっきり、凛ちゃんがひょっこりとお昼のお誘いをしてきてくれるかも、なんて考えていた自分がいたことも否定は出来ない。寂しくも思ったけれど――違う。凛ちゃんはわたしの親友として、わたしの友達作りを邪魔しないように遠慮をしてくれたんだ。
自分のやりたいことよりも、わたしのことを優先してくれた。そのことを言い当てられたからか、凛ちゃんはそっぽを向いてしまったけれど……耳元まで真っ赤に熟れているから、照れているのは一目瞭然だった。
「りんちゃん、りんちゃん」
「な、なに?」
「りんちゃんと、ぎゅーっとしたいな?」
「しょ、しょうがないなぁ。つぐみは甘えん坊だ」
「うん、そうだよ。だから、ぎゅー」
「ふふっ。うん、つぐみ、ぎゅー」
凛ちゃんの体温が、じんわりと伝わってくる。こうやって、わたしを思ってくれる親友がいる。わたしは、一人じゃないんだって実感できる。
だからきっとわたしは――なにがあっても頑張れる。この先ずっと、どんなときでも。
「さ、ついたわよ」
抱きついたままでは歩けないので、凛ちゃんと手を繋ぐ。そうして直ぐに桜架さんに声をかけられた。案内された場所は、小規模の舞台を行うためのステージが据えられた施設だった。ひととおりの演技ができるように、器具が設置されている。
その中央では、今まさに、なにかの演技が行われていた。即興劇だろうか。男性二人と女性二人。言い争いをしている、というエチュード、かな。
「おまえが盗んだんだろう!」
「私は知らないわ! あなたじゃないの?」
「オレは知らない! 誰が悪いって言うんだ!」
「お、落ち着いてください」
大柄な男性が激昂する。それに女性が答えて、もう一人の男性も呼応する。最後の女性が窘めているのを見て、わたしは思わず「あ」と声を上げた。
「うるさいうるさいうるさい! そうよ、私がやったのよ!」
「この女! オレに罪を着せやがって!」
「おい、暴力はやめろよ!」
「ど、どうしよう、警察を!」
激昂と怒号の中、決して目立たず、けれど場を上手く回す演技。その風景を一目見て、わたしは、桜架さんが紹介しようとしている人物がわかった。
他ならぬ桜架さんに少しだけ似ている容姿。控え目ながら、NGシーンなどは見たことない、的確に演技を行う手腕。
「らん、さん?」
「ふふ。ええ、そうよ、つぐみちゃん。私の姪の、皆内蘭。彼女ならきっと、あなたの要望に応えられるのではないかしら」
あの日の、『紗椰』の撮影でただ一人、一度もエマ監督に止められることなく演技を完遂した女性で、わたしがこの業界に足を踏み入れて、最初に共演してくれた方だった。
人のはけた舞台を前に、わたしは蘭さんと向き合う。蘭さんは事情を聞いているのか、わたしに対して薄く笑みを浮かべ、視線を合わせてくれた。
「私につぐみちゃんの教師が務まるか、心配なのだけれど……私でいいのかしら?」
その問いに、わたしが何かを言うより早く口を開いたのが、桜架さんだった。
「いい、つぐみちゃん」
「はい!」
桜架さんの言葉に返事をすると、その様子に、蘭さんは小さく首を振る。誤解を恐れずに言うのなら、その、“やれやれ”と言いたげに。
なんだか、蘭さん、桜架さんとずいぶん打ち解けているように見える。親戚ということだけれど、桜架さんは血縁者にこそ厳しい態度を取る方だったと、鶫が言っていたから。
「皆内蘭という女優は、適合の天才よ」
「桜架叔母さん、買いかぶりすぎです」
「おばさんは止めなさい。おばさんは」
「……では桜架さん。言い過ぎでは?」
息の合った。あるいはテンポの良い会話。二人はまるで友人同士のような距離感で、会話をどんどん進めていく。
「蘭は、とにかく“ 合わせる”という一点においては、私と鶫さん以外では太刀打ちできないほどの天才よ。その才能は主役としてではなく、誰かを立たせるときに真価を発揮する」
急に比べられた鶫が、わたしの意識の奥ですってんころりと転んだ。
「だからね、つぐみちゃん」
そう、桜架さんはわたしを見て。
「あなたの要望に、この上なくぴったりではないかしら?」
茶目っ気たっぷりに、ぱちりとウィンクをした。
「っはい! あの、らんさん!」
「は、はい、えっと、つぐみちゃん?」
「わたしに、らんさんのエンギを教えてください!」
頭を下げて、数秒間。前を見えない姿勢だから、この瞬間が何倍にも感じる。断られたらどうしよう。よしんば受けてもらえたとして、教えられたことを実践できるだろうか、顔に泥を塗る、なんてことにはならないかな。
心配は尽きない。尽きない、けれど、だから逃げたいとは思わない。この場には蘭さんと桜架さんだけではない。わたしの信頼する小春さんと、心配してくれる凛ちゃんがいるのだから。
「……わかりました。良いでしょう」
「ほんとうですか!?」
「ただし」
「っ」
付け加えられた言葉に、思わず背筋を伸ばす。
「私もまだまだ若輩の身です。――至らぬところがあれば、教えて下さいね?」
「……っ、はい! よろしくおねがいします!」
皆内蘭さん。
桜架さんの謳う、“脇役の天才”。
そんなひとに教えを請うことができるとわかって、胸が熱くなる。
(もう、無様な演技は見せない)
そう心に決めて、わたしは、蘭さんの授業内容に耳を傾けた。
ただただ、新たな演技を得ることができるという高揚感と、自分自身への、悔しさへの、雪辱のために。




