scene3
――3――
――竜胆大附属小学校・講義室
ステージの上で、子供たちが演技の練習に励む。その様子を監督するのは、つぐみの担任教師、悧巧院一紗だ。クラス合同で行われるこの演芸会だが、監督は一紗のみであった。合同相手の担任教師は主に裏方の指導を担当している。
一紗は相変わらずつぐみを“見学”させながら、他のシーンを煮詰めていた。その眼差しは自信に満ちあふれていて、自分が指導した児童という“作品”を仕上げる高揚感に満ちている。
「センセイ」
そんな、指導の最中、一紗に声がかけられる。声の主は、一紗にも覚えの良い児童。熱心な授業態度の少女のものだった。
彼女はサイドに結んだ髪をぴょこんと揺らしながら、一紗の側まで近寄ってくる。その姿は愛らしく、子供らしい魅力に溢れていた。
「どうでしたか? 私のエンギ」
「ええ、とてもよくなっていたわ」
「よかった! ……ねぇセンセイ、私、あんな子とはちがうから、もっとがんばりますね!」
「ふふ、そうね、期待しているわ」
あんな子、と指されて、一紗は直ぐに気がつく。今もただぼんやりと舞台を見ることしかできない、ちっぽけな子供の姿だ。物珍しい容姿と目立つ役柄で立場を得てきただけの子供。演技力は同年代ではずば抜けているが……それがどうしたというのだろうか、と、一紗は歪に笑う。
一紗にとって、児童たちは己の作品だ。作品だから熱心に指導するし、挫けても励まし親身になるし、決して見捨てたりもしない。その姿は教育熱心な教師そのものであり、故に実績を上げ、優秀な教師として評価されてきた。
だからこそ、作品の輪を乱す完成品は、邪魔だった。
だが、邪魔だから排除するという訳にはいかない。担任教師として任された以上、邪魔者であっても作品に取り込まなければならない。ならば、どうするか。
(一度、ちゃんと現実を思い知ればいい。打ちのめされて、それから的確な指導で成功させて優しく評価してあげれば、いい駒になることでしょうし)
講義室の端っこで、ぼんやりと舞台を眺めるつぐみ。その姿に、当初のようなきらめきはない。一紗にとって邪魔なメッキは全て引き剥がした。きっと、あれが空星つぐみという少女の真の姿であるのだろう。
一紗はそう、これまでの経験から確信し、思い込んでいた。これまでの出演作品で得た経験など、まやかしなのだと。そう判断するに相応しい情報も、一紗は得ていたのだから。
「……あなたが教えてくれた、撮影時の彼女の態度、指導の参考になったわ。やはり、共演者の生きた情報に勝る物はないのだから」
「ほんとうですか!? うれしいです!」
一紗の言葉に、髪をサイドに結んだ少女が満面の笑みで喜ぶ。一紗とて、小学生の意見を鵜呑みにするわけではない。けれど、つぐみと接して情報が正しいと感じたからこそ、目の前で喜ぶ彼女を評価していた。
「あなたが言ったとおり、噛みついてきたわね」
現場で、自分の演技が通るまで噛みついてくる少女。撮影時間を押すのなら、諦めて出来ないと言えば指導に持って行けるのに、先日の練習では結局一度も、つぐみはできない、やれない、わからないと言うことはなかった。一紗に必要なのは、従順な犬のような子供だ。あんな、狼のような子供は、作品の邪魔でしかない。
また、小学生の子供なら、クラスメートと無邪気に交流を図ることだろう。だが、昼時にクラスに溶け込めるよう指導しようとクラスに顔を出したときには既に、つぐみの姿はなかった。演技のための学校で、ワンマンスタイルを貫くなどあってはならない。
「せっかくあなたがプリントを届けてくれたのに、困った子ね」
「……はい。ちゃーんと、そらほしさんにわたるように、届けたんですけれど」
「これからも、あの子のことをよろしくお願いしてもいいかしら?」
「はい! 私、学級イインですから!」
学級委員として、つぐみの休養期間中にプリントを届けるよう立候補してくれた少女。彼女の健気な態度に――“ナニカ”を感じながらも、己の作品の邪魔にはならないモノであろうと、一紗は微笑みをもって見逃した。
「本当に……頼りにしているわ、小川さん」
笑顔で頷く彼女のことを、一紗は直ぐに思考から追い出す。今日も諦めずに噛みついてくるようだったら、指導プランは少々変更せざるを得ないだろう。一日の練習で折れないということは、練習では折れない人間、ということだ。
(なら、今回の作品は犠牲にするしかないわね)
おぼつかない演技での本番。
その日まで練習には加えず、大舞台で恥を掻かせ、更生させる。
――そのあとは、一紗の作品に加わるよう、熱心に指導してやればよいのだから。
一紗は、思考を終えてつぐみを呼ぶ。もう一度演技をしろ、と、一紗が告げると、つぐみは目を輝かせて頷いた。その様子に、一紗は、己がプランを変更したことは正解であったと確信するのであった――。
――/――
「はぁ……」
「どうしたんだ? つぐみ。そんな、ため息なんかついて」
学校のサロンで、わたしは思わずため息を吐く。なんだか一生分のため息を吐いているような、そんな気分になった。
「おうが先輩……」
光の加減で青く輝いて見える、不思議な色合いの黒髪。色素の薄い瞳。あの日から昼ご飯をご一緒するようになった三年生の男の子、天海鴎雅先輩が、わたしを心配して声をかけてくれた。
なんだか、気を遣わせてしまったようでたいへん申し訳ないです。ため息、気をつけないとなぁ。御門さんのお弁当はとても美味しいのに、味が落ちちゃうよね、こんな態度。
「ああ、そうか、演技か。確か担任は、悧巧院先生、だったか?」
「うぅ……そうです、エンギです。りこういん先生のクラスです」
「そうか……うーん、優秀な先生、ではあるらしいんだが」
優秀な先生。つまり、先生は優秀だけど生徒が無能、と。い、いや、だめだ。まだ諦めるには早い。小春さんが指導の先生を見つけてくれるまで……ううん、それでもだめだったときまで……いや、ダメだった上で、心が折れるまで、諦めたりはしない。
昨日探し始めて、明けて今日。小春さんのことだから、きっと、もう見つけてくれていることだと思う。そうしたら、次は、わたしが応える番だ。あと、小春さんとルルが喜ぶこともしてあげたいなぁ。
「悧巧院先生は、確かご実家もかなり大きなところだ。もしかしたら、君のご両親の方が詳しいのかも知れない」
「ダディとマミィの方がくわしい……そう、なんですね」
「あとは、僕に出来ることと言えば、上級生の知り合いから話を聞くことくらいだが」
鴎雅先輩はそう言って、自分のことのように悩んでくれた。その気持ちが嬉しくて、思わず、頬が緩んでしまう。
「ううん、わたしも自分でがんばってみます。だから――ありがとうございます、おうが先輩」
「っ……い、いや、うん、まぁ、できることならするから」
「おうが先輩? なんだか顔が赤いような……?」
わたしの言葉に、鴎雅先輩は「なんでもない」とそっぽを向いてしまう。日差しが暖かかったのかなぁ?
「危ないところだった……っと、そうだ、友達に相談はしないのか?」
「え?」
「友達、いるんだろう? 学外とか。友達という生き物は大概、相談されると喜ぶと思うが……」
友達、と聞いて、まっさきに思い浮かぶのは凛ちゃんたち。それから虹君とレオ。レオは、今、一生懸命溶け込んでいるところだろうし、気が引ける。でも、うん、心配掛けちゃうから相談は難しいかもだけれど――凛ちゃんたちに、会いたいなぁ。
スマートフォンを取り出す。みんなとは、RAINというチャットアプリのグループで、毎日のように会話していた。でも、声は聞けてない。それが、なんだかさみしい。
「僕も友達が多い方じゃないけど……連絡、してみても良いんじゃないか?」
「……――うん」
鴎雅先輩に頷くと、スマートフォンを胸に抱く。そういえば、もう、みんなと知り合って一年が経った。一年、なんて言葉では言い表せないほどに鮮烈な毎日だったのだけれど。
それなのに、ぜんぜん会えてないなんて、そんなのだめだよね。そう思うと、胸の奥がぽかぽかと温かくなっていくような、そんな気がした。
「たすけられてばかりですね、おうが先輩」
「後輩を助けるのは当たり前のことだから、だから、その、気にするな」
「えへへ……はーい」
「っ、ほら、善は急げという。連絡、したらどうだ」
なんだか、とてもいい人だなぁ。
学校に来て、最初に知り合ったのが鴎雅先輩で良かった、なんて、ただそんな風に思った。
胸に抱いたスマートフォンを持ち直して、鴎雅先輩に勧められるまま、RAINを開く。グループチャットになんて書こうか迷って、迷って、迷って、ただ一言『みんなと会いたいな』と打ち込んだ。返信は二秒で来た。えっ、凛ちゃんはやい。
『みんなと会いたいな』
『うん、待ってる』
待ってるとはこれ如何に。困惑していると、珠里阿ちゃんと美海ちゃんも連続で書き込んでいった。
『凛、ずるい』
『そうだよ、凛ちゃんばっかり!』
『ふふん、特権だからね、こればっかりは』
あれ、なんだろう、なんの話だろう。なんだか唐突に置いてけぼりになってしまったようで、困惑する。珠里阿ちゃんと美海ちゃんは、凛ちゃんと同じクラスみたいだし、教室で話しているのだろうけれど……それで、なんでわたしが?
『つぐみ、直接来るの?』
『わかんない、かな』
『そっか、じゃ、あとで楽しみにしてるね!』
『うん、わかった』
なんとなく、会話を終えてしまう。
どうだった? と言いたげにこちらを見る鴎雅先輩に、わたしはただ、「えーと」と口ごもる。
「会うことになっている、みたいです」
「みたい???」
うん、えっと、それ以上に答えることが出来ないんです。
わたしは困惑を封じ込めるように、ただそうやって、曖昧な苦笑を返すことしか出来なかった。




