scene1
――1――
(ど、どうしよう)
手元に開いた台本は、来週行われる演芸会のもの。ストーリーはロミオとジュリエットのように禁断の恋をする男女と、障害になる悪役がいる、というものだとか。主要登場人物にはハッキリとした役どころがあって、脇役と明確に分けられている。そのほかにも、裏方希望の子供は裏方に回ったりもする、“今後、どんな方向に進みたいのか、色んなことを体験してみよう”という意味合いの強い演芸会だったりするらしい。
規模は大きくて、クラス合同で行われる。クラスはわたしが一組で、一クラス二十人。六クラスあって、二クラス合同で演芸会。この、連番で隣のクラスと合同、というのは二年間変わらないそうだ。三年生でクラス替えするからね。せめてレオが二つ隣じゃなくて、隣の教室なら合同で……って、頑張ってるレオにこれ以上なにも背負わせちゃだめだよ、わたし。
それでその、演芸会の何が問題で困っているのか、というと。
大学で見られるような扇形の講義室。教壇がある位置にステージがあることと二階部分に講義室を囲うような通路があること以外は、テーブルの配置された普通の講義室だ。
そのステージの上に立たされたわたしとクラスメートの何名かは、女性の担任の先生……悧巧院先生に、指示を頂戴していた、の、だけれど。
「では、各員、ゴールデンウィーク前に出した課題を元に、ワンシーン演じて見ましょうか」
ゴールデンウィーク。そう、わたしはそのゴールデンウィーク明けが、もっと正確に言うのなら、この五限目の授業が執り行われているその日の朝が、初登校の児童だ。だから恥ずかしながら課題というのも今日知ったことだし、台本も自分の机の中から先ほど発掘したものだ。
このことが発覚したのは、ついさっき、お昼ご飯のときのこと。鴎雅先輩との会話の中で、わたしの事情を聞いた彼は、ふと思い出したようにこう告げた。
『休学? 復帰は今日? そうすると、演芸会の準備が大変だ』
『えんげーかい?』
『ん? 知らないのか? 変だな……連絡くらいあったと思うんだが……』
『カゼを引いていたから、気をつかってくれた、のかも』
『うーん。いや、まぁいい。そういうことなら、台本くらい入手した方がいいと思う』
『えーっと……?』
『十七日に行われる演芸会。今日はその合同練習があるはずだ。君も、おそらく』
『わたしも……って、ええっ!?』
――ということがあって。慌てて職員室に確認にいったものの、担任の先生は不在。せめて台本だけでも、と、机の中を覗けば、奥の方に詰まっていた台本を発掘。準備も何も、本当に最低限の状態で参加することになってしまった、ということだったりする。
台本の内容については、さっき、目を通して暗記した、けど、わたしのこの役で、課題なんて出るのかな? 練習期間もなくて、役者周りのみんなとろくに会話も出来ていなくて、テンポも、抑揚も、テンションも、なにもかもわからない中で放り出されて。
(こんな、こんなの――)
先生の合図。やるべきことは暗記した。でも、暗記だけでどうにかなるほどこの世界は甘くない。だからこそ。
(――わくわくしない、はずがないよね)
意識の奥で、鶫が親指を立てる。わたしはそれに応えるように、意識をかちりと切り替えた。わたしの役割は単純明快かつ、ごく僅か。わがまま放題の悪役令嬢、アネッサのおつきで、本番ではメイド服に身を包むような役回りだ。その演技の内容はというと、アネッサがヒロインへの愚痴をこぼす独白のようなシーンで彼女の髪を整えたり、ヒロインに文句を言いに行くシーンで礼をしたりとか、そんなシーンだ。
今からわたしが演じるのは、その中でも一番、行動が多いシーン。アネッサが私室で悪巧みをする際に、彼女の髪を梳いたり整えたりするようなシーンだ。椅子に腰掛けたアネッサ役の姉川さんの背後に立ち、彼女の髪を整える。観客席には横顔が見える形で、正面には鏡台が置かれるみたいだ。今は練習だから、姿見が置いてある。
「では、位置に付きましたね。用意、スタート」
悧巧院先生の合図で、意識を整える。イメージするのは小春さんや御門さんのような、我が家の“本物のメイドさん”。彼女たちの振る舞いはとても洗練されていて、だからこそ、台詞のない役柄にだって行動に意図や意味を持たせられる。
主人の邪魔をしないように、主人の命に従うまま、丁寧に髪を整えていく。主人が不快に思わないように、主人を称える笑みを。主人が傷つかないように、手指の動きは柔らかく丁寧に。それでいて観客になにをしているかわかるように、指や手の動きははっきりと魅せて。
「まったく、腹立たしい女! アレックス様に近づいて、なんてみっともない!」
同意するように。立てるように。
微笑みを携えたまま、アネッサの髪を、梳いて――
「――そこまで」
「っ……ぁ」
先生の一言で、思考が途切れる。先生はわたしを見るとどこか落胆したように肩を落とした。
「空星さん、あなた、自分の役をわかっているのかしら?」
「ぇ、は、はい。先生」
先生は立ち上がると、まず、アネッサ役の姉川さんに薄く微笑み、「あなたは良かったわよ」と言って安心させる。かと思えば、わたしに向き直る目は、なんだかとても厳しいように思えた。
「言ってごらんなさい」
「……アネッサの髪をすいたり、ととのえたりする役です」
「ええ、そうね。ということは、目立ってはならない脇役よ。なのに、あなたは今、目立とうとしたでしょう?」
「え……?」
目立とうとした、か、と言われると、どう答えれば良いんだろう。単純に、観客席から見てなにをしているかわからないよりはわかった方が良いかな、と思ったのだけれど……それが、目立とうとした、ということになるのかな。
「はぁ。いいですか? 空星さん」
ため息。思わず、スカートの裾を掴む。
「あなたが今までテレビで演じてきた役は、どれも人の目を引く役ばかり。ちやほや……ん、ン。褒められることが嬉しかったのでしょうけれど、ここはあなたのパパやママが守ってくれていた今までとは違い、クラスのお友達と一つの舞台を作り上げる場であり、共に学ぶ学校です。自分だけ目立って、よくされたいだなんて思うのは、恥ずかしいことのなのよ? わかった?」
ちや、ほや……?
そんなんじゃない。そんなつもりじゃない。ただ、わたしは、演じるのが楽しくて。でも、楽しく演じて、それで、それは、ダメで。
「空星さん? お返事くらいなら、できるでしょう?」
「は……ぃ。はい、がんばり、ます」
「ええ、そうね。あなたと違ってゴールデンウィーク中もサボったりはせずに努力してきたクラスのお友達の、足を引っ張らないように頑張ってちょうだい。たいした役でもないのだし」
一生懸命、力を抜く。がんばって力を抜かないと、スカートを掴んだ手が、離れそうになかったから。
そうやって力を抜いてみたら、周囲の声も鮮明に聞こえてきた。小声で話す、わたしに聞かれることを想定していない、小さな声だった。
「そらほしさんって、けっこうわがままなんだ」
「やっぱり、あのウワサってほんとうだったんだ」
「あー、エンギがよくみえるように、なんどもやり直しさせてるっていう」
「ナットクかも」
「ゴールデンウィークも、ずっと遊んでたらしいよ」
「みんながんばったんだし、ジャマしないで欲しいよね」
「いじめっ子のエンギだって、エンギじゃないのかも」
「えー、イジメられたくないから、わたし、そらほしさんとはあそばなーい」
重く。
重く、のしかかる。
そんなことはない。違うって言いたかった。でも、みんなはゴールデンウィークもちゃんと練習していて、課題をこなしていて、わたしだけそれをしていなかったのは事実だったから、だから、言い訳をしようとしていた自分の弱い心を押し込んだ。
大丈夫。次はきっと、さっきよりも上手にできる。イメージするのは、いつも影ながらわたしを守ってくれる小春さんや真宵のような、目立つことなく任務を遂行する大人の女性。気配を極限まで薄くして、それで。
「そこまで。ぼうっと立ってるだけでは役は務まりませんよ」
「ご、ごめんなさい」
薄くしすぎた。いないと思われたのかも。
「そこまで。髪を梳いてばかりでは画に花がないわ」
「は、はい」
台本には書いてなかったけれど……ゴールデンウィーク前に注釈とかあったのかな? あとで台本に書き加えておかないと。
「そこまで。目立ちすぎるなと言ったでしょう?」
「……は、い」
しまった。また、目立っちゃったかな。アネッサ役の姉川さんも、何度も同じシーンをやらされて不安そうだ。早く、なんとかつかまないと。
「そこまで」
早く。早く、上手に。
「そこまで」
……はやく、はやく、はやく。
「そこまで」
……。
「そこまで」
「そこまで」
「そこまで」
「そこまで」
「そこまで」
「そこまで」
――……。
「そこまで……はぁ、物わかりの良い子ではなさそうですね。もういいわ」
「っ、先生! わ、わたし」
「疲れているのでしょう。このシーンは後回しにします。姉川さんはよく台詞を覚えているようですし……よく自主練習しておきなさい」
「……………………はい」
引き続き練習が行われる。講義室の後ろに下がったわたしから人目が離れ、喧噪と視線は全て、ステージに注がれていた。そこに、わたしの居場所はない。握りしめた台本が、弱くよれていく。泣いたりはしない。涙を流すなんてできない。でも、悔しさは噛みしめた唇から、痺れるような痛みになって、胸の奥に伝うようだった。




