scene4
――4――
前半シーンを撮影し終えるころには、空はすっかり暗くなっていた。今は高校卒業後、社会人になってから、という後半最初のシーン。同窓会のシーンを終えて、次の撮影場所は学校の外。道路から公園にかけてのシーン。
凛ちゃんが途中からうとうととしていたけれど、凛ちゃんは役柄としてわたしほど“知らなくて良い”ので、既にマネージャーの稲穂さんに運ばれて帰宅準備をしている。
子役の営業時間としてはわたしももうダメらしいのだけれど、撮影に参加していないから、自主的な見学という形で労働時間に含めないようにして貰った。だって、わたしにもわかるから。紗椰の視点で、この風景がどんな風に見えていたのかということを、知っておく必要性が。
「仮眠は? ほら、メイクを直すわよ。こっちを向きなさい」
「うん、ルル、おねがい」
「睡眠不足はお肌の敵よ。若さを質に出すのはやめておきなさい。ツケがこわいわ」
「ははは……うん、わかった」
わたしにぴったりとついて管理してくれるルルに答える。ルルは、今日は金髪のツインテールに虹色のウィッグをちりばめていて、暗がりの中でもきらきら輝いて見えた。
「つぐみちゃん」
「あれ? そのこさん?」
声をかけられて振り向くと、苑子さんがわたしを心配そうに見ていた。首を傾げると、わたしの顔色を窺うそぶりを見せる。
「私はあなたくらいの妹や弟が多いから……その、もう眠かったりはしない? 体調は大丈夫? ごめんなさい、心配になってしまって」
「そのこさん……はい、だいじょうぶです! でも、心配してくださってありがとうございます!」
「そう……なら良いのだけれど、辛くなったら言うのよ?」
……あの昼間の撮影から、苑子さんは最初のクールな雰囲気は鳴りを潜め、なんとも心配性なお姉さんといった感じの雰囲気に変わった。なんというか、苑子さんだけでなく、みんな、確実に影響を受けているように見える。
あまり変化がないのは、姫芽さんだ。完全に入り込むタイプの演技だから、演技中の指導があんまりきかない。でも、演技後のぶり返しが心配、かも。
そして、まったく変化がないのが。
「……つぐみちゃん?」
わたしの視線に気がついて顔を上げる、桜架さん。登場シーンの全てでエマさんから何も言われず、期待相応の成果を出し続けてる。桜架さんと共演するのは“ほぼ”初めてだけれど……桜架さん、本当に、どんなときでも完璧な方だ。なんでもスマートにこなしている、というイメージのままの感じ。
「あ、えっと、なんでもないです」
「そう?」
傾げた首を戻して、撮影を見守る桜架さん。視線の先では、エマさんがちょうど合図をしようとしていたところだった。
「では、始めようか。シーン、アクション!」
エマさんの合図で、咲惠が走り出す。この前に、同窓会で言い寄られるシーンが撮影されていて、咲惠はそれを断っている。帰路につく最中で再び言い寄られて、咲惠は逃げ出した。
追いかけてくるのは、金城尚將、田処亨介、手田東治、そして、男性アイドルグループ出身の飴屋キョーイチさん演じる、麻生健。
「はぁっ……はぁっ……」
「どこに逃げようってんだ、咲惠ェッ!!」
「っ」
咲惠は走る。誰も信用していない彼女にとって、信じているのは一人だけ。公園を抜けた先にある、かつての学校。旧校舎まで逃げ込めば、最期がそこならば、咲惠は死んでもいいとさえ思っていた。
でも、その願いは叶わない。公園で捕まって、咲惠は公衆便所に連れ込まれる。
「カット! よし、直ぐに公衆便所のシーンに移ろう」
一度テープを切って、移動する。ここからが、暴行のシーン。子供に見せるのは、と、反対も出たそうだけれど……どのみち、試写会には行く。“そう”見えるように加工された場面を見るよりも、メイキングシーンとして見ておいた方が、完成した映像をいきなり見るよりも良いだろう、という判断だとか。
わたしは、その、えっと、ほら、鶫の記憶から知識だけはあるからね。『悪果の淵』とか、もっと凄惨なシーンだし。
「よし、では行こう。準備して――三、二、一、アクション!」
エマさんの声。連れ込まれた咲惠が、地面に引き摺り倒される。
「おい、健! おまえは見張っとけ! 東治、ちゃんと撮っとけよ!」
「もちろんですよ、アニキ! だから、次、次はおれが」
「わかってるよ」
「やめっ、離して!」
息を呑む。金城尚將を演じるGOUさんは、誠実な人柄の印象の強い格闘家だった。けれど、今はとても暴力的だ。思わず自分の肩を抱いたわたしを、苑子さんがそっと抱き寄せてくれた。
知識としては知っていたけれど……確かに、照明もマイクもスタッフさんの姿もない本編映像をいきなり見たら、けっこうショックだったかも。
「チッ、大人しくしろッ!」
「あんまり騒がしくしないでくれよ」
「わかってるよ!」
暴力。そして、卑屈な笑みを浮かべる手田。対して、相変わらずスマートフォンを触るばかりで、凄惨な現場には見向きもしない田処亨介。時折、トイレのガラスで髪を直しているような仕草さえあった。
咲惠は、必死で抵抗を繰り返す。そして、運命を分ける行動。口元を抑えた金城の指を、咲惠は強く噛む。演出として、口に含んだ指型の人形なのだけれど、あとでこれを本物に見せるように合成するそうだ。
「っぐぁぁ!?」
「あ、アニキ?! 指が……」
「この、くそがッ!!」
カメラワークが切り替わる。咲惠を映さずに、咲惠に馬乗りになった金城が手を上げる。あとで効果音をつけるのでフリだけなのだけれど……鬼気迫る表情で手を上げる彼の姿は恐ろしい。
「カット! よしよし、さすがだ」
このあとは、公園の外のシーンに移る。中からは物音と影だけ映す演出で、カメラがピックアップするのは、見張りの麻生健のシーンだ。
飴屋キョーイチさんは、明るい茶髪の青年で、確か年は海さんの一つ下の十七歳。ベビーフェイスという言葉がよく似合う、整った顔立ちの男性アイドル。Moodeというグループに所属しているのだとか。
「さぁ、さくさくいこう。シーン、アクション!」
エマさんの合図で、麻生健のシーンが始まる。麻生は中の様子に耳を塞ぎ、嫌そうに顔をしかめていた。元々、断れない性格の麻生は、今回も共犯者として巻き込まれただけだった。高校生の頃からなにも変わらない。振り回されて、呑み込むばかり。
「いやだ、いやだ、なんでオレがこんな目に遭うんだ」
麻生は、中を窺おうとして、けれど頭を振る。この場に居たくない、という表情で立ち上がって、逃げようとして。
「カット!」
ああ、そして、制止がかかる。ここまでで、スタッフさんたちもだいたい察している。この青年もまた、エマさんの毒牙にかかるのだと。
「さて、キョーイチ君」
「は、はい」
すっかり萎縮してしまっている飴屋さんに、エマさんはにっこりと微笑んだ。
「君、今の仕事は好きかな?」
「へ?」
「アイドル。いつも楽しそうだからね」
「えーと、なんの関係が……」
「いいから。聞いてみたいんだ。だめかな?」
戸惑う飴屋さんに、エマさんはただ問いかける。そして、そこまで言われてしまったら断る訳にはいかないと思ったのか、飴屋さんは恐る恐る頷いた。
「好きッス。踊るのも、歌うのも、ファンサも! オレを見てくれて、喜んでくれるって思うと、元気になるんスよね」
「そうか、そうか、なるほど、じゃあ――」
エマさんはどこか穏やかな顔で頷いて。
「――次は、“見つかったらその全てを失う”と思って、演技をしてみようか?」
「え……?」
「さ、はじめよう。位置について」
にっこりと、三日月のように、笑った。
「テイク二、アクション」
軽く始められたテイク二。けれど、ううん、だからこそ、飴屋さんの脳裏にはさっきのエマさんの言葉が渦巻いているんだろう。トイレの中を窺うようにして、飴屋さんはそれから、耳を押さえて座り込む。
「冗談じゃない。これからだっていうのに、こんなところで、こんな、こんな、こんなッ!」
弱々しい言葉が、やがて、強い言葉に変わっていく。焦燥に、駆られるように。そして、飴屋さんは立ち上がる。拳を握りしめて、下唇を噛んで、足をもつれさせながら走る。
「いやだ、いやだ、いやだ、こんなところで、巻き込まれてたまるかよ!!」
走り去る飴屋さんの背中を見つめながら、エマさんは楽しげに笑う。根は善良。けれど、自己中心的な面がある。そんな麻生健のキャラクターをよく表した演技。
「カット! やはり私の見込んだとおりだ! 素晴らしい演技だったよ、キョーイチ君」
そして、エマさんは横目でわたしを見る。ここまで来て、なにを思ったか? そう、問いかけてくるような視線だった。
暴力で人を支配する金城尚將。奸計で人を操ろうとする手田。残酷なほどに他人を見ない田処。保身ばかりの健。そんな彼らの暴力に晒された、咲惠。
「さ、つぐみちゃん、いよいよ共演シーンね。疲れてはいないかしら?」
「はい、おうかさん。だいじょうぶです!」
「ふふ、心強いわね。さ、いきましょう」
桜架さんの言葉に頷く。次は病院のシーン。いよいよ、紗代の誕生のシーンだ。これを終えたら、明日からは夕方以降の撮影のみになる。最初で最後の長時間の現場入り。気合いを入れて頑張らないと!
「シーン、アクション!」
ロケバスで病院に移動して、いよいよ、わたしの出演シーンが始まる。ベッドの上で眠る咲惠。廃人のようになってしまった彼女は、寝て、起きて、世話をされて、寝る。それだけの生活を繰り返していた。
そんな咲惠のもとへ、紗椰が訪れたのだ。友達の魂が弱っていることを察し、彼女を校舎に縛り付けていた呪縛を憎悪で引きちぎって。もう、なにもかも、手遅れなのに。
『――ォォ』
唸り声。咲惠に向かって、紗椰の手が伸ばされる。その、伸びた手を――咲惠が、掴んだ。
『ッ』
まだ、悪霊ではない、ただの幽霊だ。ああ、だから、紗椰はこの場に捨てていく。友情も、理性も、善意も、なにもかも。咲惠の元へ残していく。ただ、復讐のために。
咲惠の指は、紗椰を掴んでいた。けれど瞳は虚空を泳ぐばかりで、寝ているのか、起きているのか、その区別すらつかなかった。わたしはそれを合図に準備をする。
『オ、オオオ――險ア縺輔↑縺?嚀谿コ縺励□――■■■■■ッッッ!!!!』
紗椰の肩が大きく跳ねる。それから腰をひねり、まるで無理矢理動かしたマリオネットのような奇妙な動きで、病室から消えていった。あとに残されたのは、誰かを掴んだままの咲惠の指。そこに、あとから加工で、虚空からにじみ出すように、わたしが現れる。今は普通に歩いて側に寄って、咲惠さんが掴んでいるような位置に、手を置くだけ。
『――』
わたしは口を開くことなく、ただ、側に寄る。するとほんの少しだけ、咲惠の表情が和らいだような、気がした。
「カット! よしよし、さすがだ。いいね」
エマさんの言葉は、なんともあっさりとしたものだった。えーっと、本当にこれで良いのかな?
「さ、今日はここまでにしよう。――明日の撮影、楽しみにしているよ、つぐみ」
「っ……はい、エマさん」
エマさんの言葉で、察する。
紗代の本格的な活躍は、明日からだ。
今日は、誕生しただけ。
誕生?
(そっか、今、紗代は生まれたんだ。憎しみのまま行動するには、紗椰は優しすぎた。だから紗代は生まれ落ちて、関係者全てを無差別に屠ろうとする紗椰の代わりに、無関係な人間を守るんだ。だって)
だって。
(咲惠が起きたときに、無関係な人間まで死んでたら、咲惠が嫌だろうから)
ほんとうは、咲惠以外の人間なんて――憎くて仕方がない、はずなのに。
カチリ、と、スイッチが入る。胸の奥に満ちる感情の名前はわからない。でも、一晩たっぷり時間はあるんだから、明日までにどうにか形にしておこう。
そう、胸の中の形容しがたい感情に、わたしはただ、笑みを浮かべて挑戦を誓った。




