scene3
――3――
それから。
途中で人の入れ替えをしつつ、撮影が進んでいく。他の演者さんのシーンを可能な限り見せる、というエマさんの方針のため、時間の許す役者さんはずっと現場についてきてくれるのだけれど、撮影が終わった方から、どんどん表情が暗くなっていくのがわかった。
エマさんの撮影は、苛烈だ。穏やかで明るく、けれど人の本質を無遠慮に暴いて、作品を作り上げる。冷酷、と呼ばれてしまうかも知れないほどに。けれど、エマさんはそんな周囲の反応などどこ吹く風と言わんばかりに、上機嫌な様子を崩さない。
(これまでの撮影も、イキイキしてたなぁ、エマさん)
例えば、声優のタキさん。彼は金城尚將の友人で、咲惠を暴行する犯人の一角だ。そんな彼は、他人に興味が無くて、たった一人の家族以外はどうでもいいという性格。だから金城の犯行の誘いにもあっさりと乗ってしまうような、そんな役どころ。
田処亨介、という役名で、赤い髪に金のメッシュという派手な髪とピアス。無表情で、いつもスマートフォンばかりを見ているような、そんな役。
エマさんが介入したのは、そんな彼の残酷さを表現するシーンだ。金城がカツアゲをしている場面に遭遇した田処は、助けを求められるも、気にしたそぶりもなく通り過ぎる、というもの。
「た、助けて!」
「助けて? オレが遊んでやってるのに?」
恐喝を続ける金城と、エキストラの高校生。その様子を一瞥し、二人を避けて歩き去る。という、ほんの僅かなシーン。それに、エマさんはストップをかける。
「いや、いや、良い演技だと思うよ。でも、まだ興味が残っているかな」
「そう、でしょうか?」
タキさんは、クールな風貌に反して、丁寧で真面目な方だった。なにか悪かっただろうか、と、眉を下げて落ち込む姿は子犬のようにも見える。凛ちゃん曰く、グレブレでも“サソイウケ”のキャラを演じているそうだ。サソイウケってどういう意味だろう?
そんな好青年、といった雰囲気のタキさんに、エマさんはにこにこと笑みを浮かべている。なんだかもう、このときには既に、わたしには嫌な予感しかなかった。
「興味を引かれて無視をした。なるほど、それもそうだろう。でもここはあえて、もう少し視野を狭くしてみたらどうだろう?」
「視野を狭く……ですか? 仰ってる意味が、よく、わかりません」
「田処亨介には、家族が一人しか居ない。乱暴だった両親から君を守り、両親亡きあとは君を育て、守護し、養う姉だ。その姉を、誰か助けてくれたか? 君のことも姉のことも、世間は助けてなんてくれやしなかった! ああ、それなのに、君の周囲で起こる暴力たちは、いつだって君を巻き込む! 君と、君の大切な姉を! ……そんなの、理不尽じゃぁないかな?」
それは、演説のようだった。大きく手を広げ、「わかるよ、もう大丈夫だ」と洗脳をする先導者のような。その演説に、タキさんは耳を傾ける。目を見張り、伏せ、唇を小さく噛んで……その次にはもう、もとの表情に戻っていた。
「さぁ、もう一度やってみようか。テイク、アクション!」
かけ声。もう一度、エキストラの高校生を脅す金城。その脇を、タキさん――田処が通る。けれど、今度は一瞥すらしない。手元のスマートフォンを触りながら、ただただ歩いて。
「た、助けて!」
まず、脅かされている男子。ここは変わらない。
「助けて? オレが遊んで――ッ」
そして、ここ。男子の胸ぐらを掴もうとした金城が、驚いたように一歩引く。一瞥も、避けることもせず、田処が二人の間を通ったからだ。
それに、男子が一瞬呆ける。彼の表情は、演技と言うより素のものだ。けれど、直ぐにその表情も恐怖に彩られる。田処は助けるでも、気にするでも、無視するでもない。興味が無かったから触れなかった。関心を向ける心すら捨ててしまったから、気にしなかった。
「もしもし、姉貴か? 今日、なんか買って帰るんなら、荷物持つけど」
アドリブ。さすが声優さん、というべきなのかな。本当に電話をしているかのような口ぶり。田処は世界の暴力にも痛みにも無関心で、ただ、二人だけの世界のために歩くのだろう。
「カット! いや、いいね、いいね、さすが私の見込んだとおりだよ!」
「――……あ、は、は。ありが、とう、ございます」
「その調子でいこう。ふっ、くく、はははははは!」
茫然自失。そんな表情のタキさんを尻目に、次のシーンの準備に取りかかるエマさん。その後ろ姿は、まるで魔王のようだった。
それともう一つ。いつも金城尚將について回る腰巾着、手田東治。彼を演じるのは、“アンパイ☆カンパイ”というお笑いコンビのツッコミ役、ロンさんだ。ボケ役のツモさんとの軽快な掛け合いがとても人気で、今、話題の芸人さん……というのは、美海ちゃんに教えて貰った情報だったり。
坊主頭に小柄な体躯。にっこり笑うと少しだけえらが張るのが特徴的。とてもしゃべりが上手で、早口言葉では噛んだことがない、とか。相方のツモさんがサバンナで撮影をしているから、ロンさん一人で出演することになった……なんて仰ってるけれど、さすがにここまで来たら、わたしでもわかる。全部、エマさんの指示だ。最初からロンさん一人にオファーして、あぶれたから、ツモさんが一人でサバンナに行ったんじゃないかな。想像でしかないけれど。
「やぁやぁロン君。君の演技を、ぜひ、私に見せて欲しい」
「ははは、僕にできることでしたらそれはもうなんなりと」
「それは頼もしい! なら、私も思う存分出来そうだ!」
ロンさん……それはその、もしかしたら、墓穴かもしれませんよ?
そんな風に思っても、わたしには見ていることしかできない。ううん、今は見るのが仕事、なんだった。
わたしの初登場シーンは病室だ。それまで、多くの場面の撮影がある。なのにずっと幽霊の衣装を着て見ているのには、きっと理由がある。それは、わたしの役割を考えれば、導き出せるものだった。
わたしは紗代。紗椰の一部。分かたれた魂。
――なら、見ているんだ。学校という枠にくくられた地縛霊であった紗椰は、隣接した新校舎のこちら側の様子も。そう考えると、しっくり来る。わたしは、見ておく必要があるんだ。彼らという、人間を。
エマさんがパイプ椅子に雑に腰掛けて、優雅に足を組む。にまにまとした表情は、もう、ずっと変わっていない。
「ではいこうか。シーン、アクション」
今回のシーンは、ロンさん演じる手田東治が、咲惠にフラれる、というシーンだ。旧作にもあったシーンで、金城が安藤美穂と交際を始めたことを切っ掛けに、手田も咲惠を誘う。そしてあえなく断られる、という咲惠に焦点を置いたシーン。
「あ、あのさ、咲惠ちゃん。おれが付き合ってあげよっか? そしたらアニキだって、舎弟の彼女は奪わないだろ? だ、だからさ、おれと――」
「ごめんなさい。今、誰ともそういう関係になる気は無いの」
人当たりの良い少女、という仮面を被ったまま、咲惠はさっと断る。つい手田は、あーあ、と、ふてくされた。
「なんだよあの女。気取ってさ」
台本には、「好きなように不満を言う」と書かれたシーン。それを忠実に再現した手田さん。さすがにこの場の面々には見劣りしてしまうけれど、鶫の記憶にあるような、昔のスペシャル出演の芸人さんなんかよりもずっと上手い。充分、だと思うのだけれど、エマさんは満足できなかったようだ。
「いやいや、良かった、良かったよ。実は私は君の大ファンでね」
「えっ、いやぁ知りませんでした! ありがとうございます!」
「だからこそ、君はこんなものではないと知っているよ」
「へ、ぇ?」
困惑するロンさん。それはそうだよね、とも思う。だって大ファンと言いながら、今日までそんなことを口に出したりはしていなかったから。
「特に君のすごいところは、相手を立てるところだ」
「立てる? おれはそんなこと――」
「そんなことない? ははは、面白い冗談だ」
一歩、エマさんはロンさんに大きく近づく。それから、わたしや桜架さんくらいのスペックでなければ気がつけないほどの声量で、一言、告げた。
「だって君、いつも相方を立てているだろう?」
「っ」
「いつだってそうだ。相方を前に出して、善くも悪くも衆目にさらされない。功績は二人の物。問題は相方のもの。そうやって、生きてきたんだろう?」
「そ。そんな、こと」
「だから、今日も同じさ! いつものようにやって欲しい。いつものように、不安を抱えて、それをうまく料理して外に出すのさ! さぁ、やってみるといい」
エマさんはそれだけ言うと、さっとパイプ椅子に戻る。それからいつものように、足を組んだ。
「さ、やろう。シーン、アクション!」
カチンコの音が鳴り響く。さきほどの焼き回しだ。細部は変わらない。
「あ、あのさ、咲惠ちゃん。おれが付き合ってあげよっか? そしたらアニキだって、舎弟の彼女は奪わないだろ? だ、だからさ、おれと――」
「ごめんなさい。今、誰ともそういう関係になる気は無いの」
フラれて、呆然と立ち尽くす手田。そんな手田を、一瞥もすることなく立ち去る咲惠。残された手田は、震える手を口元に当てて――がり、と、歯ぎしりをした。
「なんだよ。あの女。せっかくおれが親切にしてやろうとしたのに。ああ、そうだ、咲惠が悪いんだ。おれは悪くない。咲惠が色んな男に色目を使ってるんだ。だから、そうだ、それなら、アニキに相談すれば? あいつ、アニキに気があるそぶりを見せて、おれにもアプローチしてきたって言ってやれば……ちょっとは、痛い目を見るだろ」
饒舌。普段から胸の奥でうずまいている不満が、あふれ出てきたかのような言葉。相方を立てる、という立場にあるロンさんの、本質、なのかな。
「カット! いいね! やっぱりそうでなくては!」
喜ぶエマさんを見て、頬を引きつらせるロンさん。ロンさんは自分の手を見つめて、どこか夢見心地な様子で、手を握ったり開いたりしていた。
こんな風に、エマさんは色んな役者さんから色んなものを引き出して演じさせていく。そしてシーンはついに、咲惠の暴行シーン(撮影現場を見せることで、子役たちにフィクションだとわかってもらう、なんてもっともらしいことを言っていた)。そのあとは――いよいよ、わたしのシーンが、スタートする。
(これまで見てきたシーン。それから、咲惠の暴行のシーン。それがきっと、わたしの演技のキーになる……の、かな)
不安はある。でもそれ以上にわくわくにも似た興奮があって、わたしは手を握りしめた。




