scene2
――2――
全体の流れとして、まずは前半のパートで咲惠周辺の人間関係が丁寧に描写される。例えば最初に見た、格闘家のGOUさんを主軸としたシーンや、スケジュールの都合で見られなかったけれど、麻生健を演じる男性アイドルの飴屋キョーイチさんを主軸とした、麻生家の一幕。凛ちゃんや須崎仁衣奈さん、見城総さんのシーンなんかだ。
日数経過している、という設定で、わたしたちは、咲惠と紗椰が友情を育んでいくシーンをじっくりと見学をした。やっぱり印象的だったのは、名前を教え合うシーンだろうか。こっくりさんなら、と、五十音表と鳥居が書かれた紙、それから十円玉を持ってきた咲惠の前で、五十音表がびりびりに破かれる。今は何も手に持っていないけれど、ひとりでに破かれたようにCGを入れるのだとか。
「ぁ」
『――』
「そっか……さや、って、いうんだね」
五十音表の二文字だけが、裏返って落ちる。それに、咲惠は嬉しそうに微笑んだ。
「さえ、と、さや。なんだか私たち、名前まで似てるんだね」
はにかむ咲惠。窓辺から差し込む光が、咲惠が拾い上げた二文字の紙にかかる。目の前に居るのはおそろしい幽霊だ。だというのに咲惠は、優しげな笑みを崩さない。当たり前だ。だって咲惠にとって、あるいは紗椰にとっても、二人は初めて出逢った“当たり前に分かち合える友達”なのだから。
――それから、場面転換して、次は旧校舎の入り口に。咲惠と、咲惠の友人でありGOUさん演じる金城尚將の恋人でもある安藤美穂とのシーンだ。もっとも、咲惠は金城と美穂の関係を知らない、という設定だったと思う。
「さ、準備して。始めよう」
エマさんの声で、姫芽さんと苑子さんが校門の前に並び立つ。苑子さんは直前まで台本を手にして確認していて、姫芽さんは大きく深呼吸をしてから、少しずつ雰囲気を変えていった。
「さて、シーン、アクション!」
カチンコの音。にまにまと現場を見るエマさん。校門から旧校舎を覗き見る姫芽さん――咲惠に、そっと近づく美穂。
「咲惠? こんなところでなにをしているの?」
「美穂? ……なんでもないよ。なにか、居た気がしたんだけど、ふふ、猫かなにかだったみたい」
このとき、時系列としては、紗椰とは友好を深めたあとになる。咲惠は紗椰のことを思い出して、普段通っている校舎に隣接する形の旧校舎に向かって微笑んでいた。それを誤魔化して首を振る咲惠に、美穂はただ「そう」と頷く。
「咲惠、この間のテスト、どうだった?」
「いつもどおりだよ。数学、ちょっと難しかったな」
「ふぅん。まぁ、そうね。――いつも、いつもどおり、ね」
「ん? 美穂、なにか言った?」
「いいえ、なんでもな――」
カチンと、音が響く。
「カット。ああ、いや、すまないね。一つだけいいかな?」
そのエマさんの声に、まただ、なんて風に思った。でもどうするんだろう? GOUさんと違って、苑子さんは現役の役者さんだ。あんな風に、言いくるめられるのかな?
「なにか、粗相がありましたでしょうか? 監督」
「ああ、いや、そう畏まらなくても良いよ、苑子君。ただ少しだけ、聞きたいことがあってね」
安藤美穂というキャラクターは、咲惠の異常性に気がつき始めている人物、という設定だったと思う。だから彼女の能力と魅力に嫉妬して、咲惠を襲う事件に加担する。
「努力を積んで今がある。一生懸命磨いた技術だ。それを、なんの努力もせずに手に入れた人間が現れたら、君ならその人のことをどう思う?」
うーん、どう、か。わたしだったらどう思うかな? そんななんでもできる人が現れたら……どきどき、しちゃうかも。だって、わたしにできないことができるんだよね? 勉強になる、というか、うん。吸収したい、かな。
でもきっと、そうじゃないよね。エマさんはなにが聞きたいんだろう? 一般的な答えは、どうなるんだろう? ずるい、と、そう思うのかな。
「――どうも」
「ほう……?」
苑子さんの言葉は、きっと、周りで聞いていた皆さんとも、あるいはわたしとも、予想と違った。
「才能の差違は誰にでもあります。それを埋めるか埋めないかは、当人のレッスン次第ではないでしょうか? 醜く嫉妬をするようなことは、致しません。ですが、それが安藤美穂のキャラクターだというのなら、私はそれを演じますが――」
「なるほど!」
苑子さんの言葉を遮るようにエマさんが頷く。それに、苑子さんは小さく片眉を上げた。対してエマさんは――また、だ。また、あのときのように、三日月のように口角を持ち上げた。
「君は、嫉妬をする人間を、醜いと思うんだね?」
「っ」
苑子さんが、小さく唇を噛む。反論か、なにか、さらに声を上げようとした苑子さんを、エマさんはあの笑顔を浮かべたまま、遮る。
「それはあまりに――」
「――いやいや、否定することはない。そうさ、綺麗な感情ではない! その心に、その考えに、いかほどの間違いがあるだろうか! 君は高潔な人間だ。誇り高く努力家で誠実で真っ当だ! その姿勢を私は評価するし、だから君に声をかけた。ぜひ、この安藤美穂を演じてくれないかとねぇ。ああ、んふふふっはは、は、だからさ、そう、一つ、一つだけ、聞いてみたいんだ」
圧倒され、後ずさり、息を呑む苑子さん。そんな苑子さんに、エマさんは、さらに一歩近づいた。
「――君は、自分が他人を妬ましいと思ってしまったとき、自分自身に対してどう思う?」
「それ、は」
「くっ、ひひひ……すぅ、はぁ……撮影を中断して悪かったね。さ、もうワンテイクいこう!」
俯く苑子さんをその場に残し、エマ監督は持ち場に戻る。それから、さっと手を上げた。
「さ、持ち場について。テイク――アクション」
今度は静かに響く声。まだ咲惠が抜けていなかった姫芽さんは、自然に、さっきと同じように旧校舎を眺めた。もう、撮影は始まっている。苑子さんもまた、なんでもないように装って、姫芽さんを見た。
「咲惠? こんなところでなにをしているの?」
「美穂? ……なんでもないよ。なにか、居た気がしたんだけど、ふふ、猫かなにかだったみたい」
ここまでは、台詞は同じ。けれど、この次だ。校門から離れて、並び歩き始める咲惠と美穂。何気ない、日常の会話にシフトする、はず、だけれど。
「咲惠、この間のテスト、どうだった?」
「いつもどおりだよ。数学、ちょっと難しかったな」
「ふぅん。まぁ、そうね。そう、よね」
歩きながら会話を続けるはずの美穂が、不意に、足を止める。胸に手を置いて、強く、強く、胸元のシャツを掴む美穂。俯いた表情が、巧みなカメラワークでモニターに映し出されると、直ぐに……美穂の浮かべる苦渋の表情が、浮かび上がった。
苦しそうに、胸の奥で暴れる感情を抑えつけるような仕草。今にも壊れてしまいそうだ、なんて、そんな感想が脳裏を過った。
「――いつも、いつもどおり、ね。いつも、同じようなところを間違えるのが、いつも? なに、それ」
「ん? 美穂? どうしたの?」
足を止めた美穂に気がついて、咲惠が振り返る。その頃には美穂は、いつもの澄ました表情に戻っていた。
「いいえ、なんでもないわ」
「そう?」
他人より優れている。それはつまり、普通の人の痛みを知らない、ということ。咲惠は美穂の様子に気がつくことなく並び歩く。それが、悩みを抱える彼女にとって、どれほど残酷なことかなんて、気がつきもせず。
「カット! いや、素晴らしい! 私の期待以上だ! さぁ、次に行こう!」
ご満悦の笑みを浮かべるエマさんに、わたしは思わず頬を引きつらせてしまった。期待以上、なんて、本当にそんなことを思っているのかな? 怪しいなぁ。
訝しげに見るわたしを余所に、隣で見ていたはずの凛ちゃんがどこかに駆け出していた。慌てて追いかけると、凛ちゃんは、まだ立ちすくんだままの苑子さんの側に寄る。
「だいじょうぶですか? 具合、わるい?」
「ぁ――ん、え、ええ。大丈夫よ。凛ちゃん、つぐみちゃん、ね」
「はい。あの、えっと、つぐみ、水とかあった方がいいかな?」
凛ちゃんの言葉に頷く。手を上げると、小春さんがいつの間にか近寄っていて、ペットボトルの水をくれた。
「ありがとう、こはるさん。そのこさん、お水、どうですか?」
「今、その人、どこから……ああ、いえ、気を遣わせてしまってごめんなさい。もう大丈夫よ」
苑子さんは震える手で水を受け取ると、一口、唇を湿らせる。それから大きく深呼吸をして、しゃがみ込んだ。
「私には、ちょうどあなたたちくらいの妹たちがいるの」
「そう、なんですか? わたしと、りんちゃんくらいの?」
「ええ。だからその、申し訳ないのだけれど、少しだけ抱きしめさせてくれないかしら?」
戸惑うような声。わたしと凛ちゃんは思わず目を合わせて、それから、ゆっくりと頷いた。
「ありがとう」
苑子さんはそう、一言だけ告げた。それから二人まとめて抱きしめる、のだけれど、縋るようにというよりは、なにかを確かめているような、優しい抱擁だった。
「――よし、もう大丈夫よ。恥ずかしいところを見せてしまったわね」
「い、いえ! わたしとつぐみで良ければいつでも! わたしもよく、つぐみにこうやって、ガチャ運をもらってます!」
「ガチャ運? ふふ、そうなの? ありがとう、なら、また、頼らせて貰うかも知れないわ」
そう、困ったように笑う苑子さん。わたしが最初に想像していたよりもずっと、柔らかい方なんだろうな。エマさんの言うように、高潔で、優しく、誇り高い人。
それを見抜いて、なお、あんな風に追い詰めるエマさん。エマさんがそういうつもりなら、わたしだって負けていられない。
(エマさんに何か言われる前に、期待以上だって言わせてみたい)
そうだよね? 鶫。
そんな風に胸の奥に問いかければ、苔むしたアスファルトの景色の中で、鶫はにやりと笑って親指を立ててくれた。そうこなくっちゃ、だよね。




