scene1
――1――
いよいよ、わたしの演じる『紗椰』のパートの撮影が行われる。
白いワンピースに着替えて、足にはサンダル。撮影時にはこれも脱いで裸足になる。紗椰が切り離した良心。善性の霊。幽霊だから、出で立ちはとてもシンプルだ。
「つぐみちゃん入りまーす!」
スタッフさんの声が響く。まずは旧校舎で姫芽さんと桜架さんのシーンなので、『紗代』の衣装を着て、二人の演技のシーンを見るように……というエマさんのお達しだった。
「おはようございます! よろしくおねがいします!」
スタッフさんの案内で、他の演者さんが見学しているブースに行くと、そこには既に凛ちゃんや柿沼さん、それからキリッと目のつり上がった女の子がいた。カチューシャで髪をとめておでこを晒しているから、ハッキリとした顔立ちがよく見える、
彼女は確か、姫芽さんの演じる咲惠の友人役、安藤美穂を演じる美園苑子さんだ。海さんと同じ、RainbowRoseという事務所の所属だったと思う。
「子供……アナタが空星つぐみね。私は美園苑子よ。よろしく」
「はい! よろしくおねがいします!」
美園苑子さんは、背筋をぴんと伸ばした綺麗な姿勢の女の子だった。年は確か十七で、姫芽さんと同じだったはず。
「つぐみ! つぐみ! こっち!」
「りんちゃん……うん!」
柿沼さんたちにも挨拶をしながら、わたしの手を引く凛ちゃんについていく。並べられたパイプ椅子。演技風景がよく見える位置。特等席を確保しておいてくれたのかな?
凛ちゃんはあまり変わらない表情を柔らかくして、スマホを操作していた。わたしになにか見せてくれるのかな? 手元を覗き込めば、凛ちゃんがスマホで撮影したと思われる画像が並んでいた。スマホ、いつも持ち歩いてるもんね。思い出の宝庫だ。
「ほら、これ!」
「わぁ……おうかさんだ」
なにかイベントでもあったのだろうか。ウィンターバード俳優育成学校の前で、二人で並んで写真を撮っていた。桜架さんはスーツの上から、凛ちゃんは私服の上から羽織るように衣装を身につけている。
この衣装は……グレブレだ。グレブレ過去世界の学生服、魔導術師の黒コート! どこで手に入れたんだろう?
「これね、おししょーにもらったの!」
「おうかさんに?」
「うん! これナイショなんだけど……おししょー、グレブレに出るらしい」
「ええーっ!?」
出る……あっ、声か。そうだよね。声優さんとして声を当てる、ということかな。桜架さん、ほんとになんでもできるなぁ。もちろん、鶫の記憶でもバリバリなんでもできる子供だったみたいだけれど――写真に写る桜架さんの笑顔はとても柔らかくて、温かくて、意識の奥で鶫がそっと微笑んだのがわかった。
「つぐみは、最近、どう?」
「どうって……もう、りんちゃん。なんだか、よそよそしい?」
「うぅ。だって、なんて聞けばいいかわかんなかったから」
「ふふ、そっか。ごめんね?」
少し、意地悪だったかな? ぺろっと舌を出して謝ると、凛ちゃんは「うぅー」と唸って顔を覆った。恥ずかしかったのだろう。
さて、近況はというと、やっぱりあれかな。タタコイビターモンブラン。トッキーのCM撮影だ。
「トッキー、しんさくのCMさつえいしたよ」
「あ! そっか! つぐみのことだから、すごかったんでしょ?」
「あはは、ありがとう。でも、やっぱりまだまだだよ」
「そうなの?」
「うん」
そう、あのあとがとても大変だった。勉強になった、とも言うのだけれど。
あの流れで撮影することになったのだけれど、いくつか改良点を加えて再度撮影することになった。その改良点、というのが、わたしにとってはどれも盲点で。
一つは、足下に“落とす”演技表現。
食品、ということもあるので、落とす・捨てるを連想させるのはスポンサーから待ったがかかる。ということで、ちょうど、和室の卓袱台は背が低いので、卓袱台の上に落とす形になった。机の上ならそう問題は無いだろう、と。
もう一つが、パッケージ。
あの表現だと、タタコイビターモンブランの商品パッケージが作中にはっきりと映らない。そこで、本番は最初に電話をする海さんを正面から撮影。トッキーの箱を持って、箱からトッキーが一本、飛び出ているような形にして貰った。それをわたしが後ろから抜き取る、という構成だ。カメラを切り替えて、正面から後ろへ。ただ、海さんはただでは転ばず、スマホに向ける笑みをどこか初恋の少年を連想させる甘い笑みに変えて演出していた。
(盲点。でも――勉強になった)
演技。
ストーリー性。
そして、コマーシャル・メッセージという意味。
「つぐみ、楽しそうなかおしてる」
「あー、うん。たのしい、かな」
「そっか」
「うん」
なんとなく、なにかに納得したように頷く凛ちゃん。わたしはそんな凛ちゃんに頷くと、なんとなく、二人で前を見た。
――撮影が始まる。タイミングは偶然だったけれど、わたしたちはまるで導かれるように、木造校舎の奥に佇む姫芽さんの姿を、見つめた。
「エマさん、たのしそうだね、つぐみ」
「あ、あはは、そうだね……」
姫芽さんの様子を楽しげに見るエマさん。またなにか企んでいるのか、にんまりと持ち上げられた口角が、なんとも言えない空気を醸し出していた。なにか考えているのか、もしくは――企みが、成功したのか。
見守ることしかできないわたしたちの前で、エマさんは手を上げる。途端、場が静まりかえり、みんな、エマさんの合図をじっと待っていた。
「では、シーン――アクション」
始まりの合図は静かに。カチンコの音だけが、現場に広がる。木造校舎の教室。乱雑に寄せられた机。薄汚れた窓ガラス。学校やクラスで常に居心地の悪さのようなものを感じていた志嶋咲惠は、なにか自分の空虚な心を満たすものがないかと、彷徨うようにやってきた。
そこで初めて、咲惠は、旧校舎に根付いた霊――紗椰に出逢う。
「――」
咲惠を演じる姫芽さんが、ぼんやりと虚空を見つめている。瞳に光はなく、普段の彼女の様子を知る人間からすれば、別人かとも思うことだろう。鶫の記憶では、椿さんがこれを演じていた。
椿さんは世界になじめない人間を、攻撃性で表現していた。にこやかで周囲に溶け込む表の顔と、興味の無いものには攻撃的になれる裏の顔。対して姫芽さんは――椿さんよりも、ずっと、空っぽだ。
「――誰かいるの?」
虚空を眺めていた姫芽さん――咲惠は、ぼんやりとそう告げる。焦点の合わない目。彼女がアイドルだと知らない人が見たら、きっと、女優さんであるように思える、と、思う。
だって、なんだか、見ているこっちが溺れてしまいそうなほど空虚だから。空っぽ、だから。
(すごい)
わたしは、この人と演じられるんだ。この人たちと、演技が出来るんだ。そう思うと、どきどきとわくわくで、胸の奥がぶるりと震えた。
『■■■■■』
唸り声。耳鳴り。廊下側から、ずるりと這い出る長い髪。最初は威嚇。けれど表情の変わらない咲惠を窺うように、青白い肌の女が姿を現す。姿勢を低くして這う姿は、まるで蛇のよう。咲惠の周りをぐるりと巡る蛇。
まだ悪霊ではない紗椰は、このときは軽く驚かしてやろうと思っていた。けれど、まったく動じない咲惠に、少しだけムキになってくるのだ。ぐるり、ぐるり、ずるり、ずるり。機械やワイヤーで補助をせずに歩法のみで動く姿は、映像加工の違和感を生み出さない。
『■■■■■』
「だれ?」
『ッ!』
「ああ、そっか――」
そうして。
椿さんの演じた咲惠は、やっぱり怯えはせずに、共感と幾分かの同族嫌悪を滲ませて相対した。そして、その違い。これがきっと、姫芽さんが思い悩んで作り上げた、志嶋咲惠というキャラクターの解釈。
「――あなたは、私といっしょなんだね」
笑顔。今日までの笑顔は全てうそで、今この瞬間に浮かべた笑みこそが真実なのだと告げるような、華やかで落ち着いた笑み。やっと、やっと同族を見つけた孤独な少女の、安定を求める笑み。
咲惠。天才で、だから周囲に合わせることができてしまって、そのせいで真の理解者を得られなかった少女。姫芽さんは演じるまでの過程で、こんなにも、咲惠という一人の女の子に共感していたんだ。
「私は咲惠。あなたの名前を教えて」
静かに告げられた言葉。幽霊に遭遇した人間の発する言葉とは思えない。落ち着いていて、喜色すら滲ませた声。それに紗椰は――いくつか戸惑うような唸り声を上げて、這い寄る。這い寄る?
(あれ? ここって、たしか)
鶫の記憶では、このシーンでは紗椰は一度引いた、と思う。いやでも、それは椿さんの演じる咲惠に“同族嫌悪”の匂いを感じ取ったから。でも、もし、こうも歓迎的な態度を取られたら?
桜架さんの演じる紗椰は、その答えを明確に表す。疎まれれば逃げる。それは、生前の紗椰の残した癖だ。でも、好意を向けられたことのない紗椰が、急に、微笑まれでもしたら?
『ゥ■■ォォ■■■ァァァッ!!』
「っ」
答えは、困惑。そして、攻撃。未知に対する防衛本能。紗椰の足下は長いワンピースで隠されている。すり足による体重移動で動けば、頭の位置は変わらず、まるで滑るように移動しているように見せることができる。
それはわたしが、リーリヤを演じる際にもよく使った、鶫の技術だ。鶫のなし得たことを、桜架さんは、とっくにできるようにしていた。
滑るように移動した紗椰は、咲惠の首を掴む。痛みに怯む咲惠は、けれどすぐに、安心したように微笑んだ。
「つれていってくれるの? ――うん、いいよ」
肌に食い込む青白い手に、添えられる咲惠の手。紗椰はそれにびくりと震えると、怯えるように後ずさる。知らないから。こんな風に接せられて、こんな風に受け入れられるコトなんて、紗椰は知らないから、だから。
『ォォ――■■』
紗椰はそのまま、廊下側に逃げるように消える。あ、と、伸ばした咲惠の手から逃げるように。
「カット。んふはははは! いや、実に素晴らしい! そうそう、その調子でいこう。良い役作りだね、姫芽……姫芽?」
歓喜に打ち震えるエマさんが、立ち上がって拍手と共に姫芽さんに近づく。けれど、姫芽さんは空っぽの瞳のまま、エマさんに向かって首を傾げるばかりだ。
これって、まさか、役が抜け切れていない? どうしようかな、なんて思っていたら、ひょっこり戻ってきた桜架さんが、姫芽さんの前に立つ。
「はい、姫芽ちゃん、この手を見て」
「?」
桜架さんはそう言って、指を一本立てて見せる。その指をすいっと上に動かすと、姫芽さんもそれを目で追う――瞬間、桜架さんは、空いていたもう片方の手で指を弾く仕草をすると、姫芽さんははっと我を取り戻した。
「ん? つぐみ、つぐみ、おししょーは今、なにしたの?」
「えーと――」
ようは、意識の隙間を縫ったのだ。視線が移動し始める刹那。行動への疑問と思考がぶれる隙間に音を差し込む技術。あんな一瞬で意識の隙間を把握できるあたり、鶫の技術を超えてると思うのだけれど……意識の奥で、鶫がうんうんと頭をひねっていた。いったい、なにを考えているのやら。
「――ひめさんが音にびっくりして起きるようにしたんだとおもうよ」
「ふぅん???」
うん、よくわかんないよね。ごめんね、凛ちゃん。
凛ちゃんの様子に苦笑する傍ら、胸がじんわりと熱くなっていく自分を自覚する。エマさんが、配役未登場のシーンにも役者たちを集めた理由。演技を見せておく訳。その意味は、胸の奥に灯った火が教えてくれる……ような、気がした。




