opening
――opening――
――私は『紗椰 ~SAYA~』と書かれたタイトルを指でなぞる。無我夢中で歌詞を書いて、それが本当に良かったのか、これ以上はないと思っておきながらも不安になる。でも今、それ以上に心を惑わすのは、私が本当にこの“咲惠”という少女を演じきれるのか、という不安だった。
(はぁ……不安、なのかな)
私たちの所属するグループ『CC17』及び、その親グループに当たる『EXIT77』を擁する芸能プロダクション『フラワリングプロ』の事務所の一室で、私は思わずため息を吐く。
良い演技、って、なんだろう。つぐみちゃんの演技はすごかった。見ているだけで、ハラハラした。海さんの演技は自然だった。本当に、日常のワンシーンみたいだった。エマ監督が引き出したGOUさんの演技だって、本当にその手の人を前にして脅されているかのような迫力があった。
(じゃあ、私は?)
アイドルとして生きてきた。アイドルとして、先輩のサブとしてだけれど大晦日の歌合戦にも出演したことがある。何千人、何万人の前で行ってきたパフォーマンスが、この女優という舞台で役立つ気がしない。それが、如何に自分が不本意だと嘆いていたアイドルという稼業に頼ってきたのか指摘されているようで、悔しくもある。
(でも)
そう、でも、もう私は歌った。自分の価値を見ろと、謳った。なら、ここで逃げるのは――
「いやだ」
「なにが?」
「ひゃっ……あ、赤留? いたの?」
「そりゃ、事務所なんだからいるでしょ」
黒髪を首の後ろで二つ結びにした女の子。赤いメッシュと鋭い目つきが特徴的で、身長は私と比べて頭一つ半も違う。低身長で強気な彼女――榴ヶ岡赤留は、親グループである『EXIT77』のメンバーで……私の、幼なじみだ。
赤留は私の“台本のタイトルをなぞってはため息を吐く”という奇行を目にすると、これ見よがしにため息を吐く。それから、見た目にそぐわぬ荒っぽい動作で対面のソファーに腰掛け、足を組んだ。
「まだ悩んでるの?」
「う、うーん、そう、かな」
「歯切れ悪いわね……で?」
四月二日生まれの私と、翌年の三月三十一日生まれの赤留。学年は同じだけれど年は一つ違う私たちは、家が隣同士なコトもあって、互いが最初の友達だった。姉妹のように育った私たちは、趣味も外見も何もかも正反対で、だからこそ、気の置けない仲になれたんだと思う。
十七歳のメンバーで構成される『CCT17』の中だと、私の卒業と入れ替わるように赤留が加入する。そうしたらきっと私なんか置いて行かれてしまうんだろうなぁ――なんて、思わせてくれるほどパワフルな幼なじみだ。
「で、というと?」
「私は役者のことなんかわかんないけどさ、話聞くだけなら聞いて上げる。で?」
「あ、あはは、赤留は強引だなぁ。――あのね」
歌詞は書いた。思いも乗せられた、とは思う。でも、いざ演じてみるとなると困ってしまう。技術は練習すればいいとは思う。付け焼き刃で一流になれるなんて思ってはいないけれど、アイドルとして人前には立ってきたんだから、最低限の立ち回りはこなしてみせる。
でも、役に入り込むとなると、これがわからない。台詞や設定を読み込んでも、本人と会えるわけでもないのだし。
「――そう考えてたら、だんだん、わからなくなってきたの」
堂々巡り。うまく演じることばかりを考えて、演じ方すらわからなくなった。
「ふぅん。なら、設定に書いてないところを想像してみれば?」
「え?」
「演じる役の人生が頭に入ってたら演じやすくなるんじゃない? 推理小説と一緒よ。情報が揃わないと、犯人はわからないもの」
推理小説を好んでよく読む赤留に言われると、妙に説得力を感じてしまう。
「あんた、なんてキャラ演じるんだっけ?」
「咲惠、っていう女の子」
「なら、咲惠がどんな人生を歩いてきたのか、推理……じゃなくて、想像してみればいいんじゃない?」
悪夢の発端となる少女、志嶋咲惠。設定を読み込むだけじゃ、彼女の人生はわからない。今日に至るまでの日々は、私自身で補填するしかないんだ。
「ま、口出しした以上は付き合うから、なんかあったら言いなさい」
「本当? なら、一緒にリメイク前の『紗椰』を見て欲しいのだけれど、いい? 一人じゃ怖くてちゃんと観られないから……」
「えっ」
赤留が一緒に見てくれるのなら……もっとちゃんと細部まで、見られるかも。やっぱり赤留は頼りになるなぁ。
ぱちり、と、目が覚める。自分の部屋。ベッドの上。靄のかかった記憶を振り払うと、昨夜の記憶が蘇る。役が決まった時点から幾度となく見た『紗椰』だけれど、ある程度でも冷静に見ることができたのは、隣で一緒に見てくれた赤留のおかげだろう。
赤留はいつも堂々としていて、『紗椰』の最中もそれは変わらなかった。赤留を膝の上に置いた私を怖がらせないようにするためか、最初から最後まで微動だにせず、終わったあとに一言……そうだ。
(赤留……)
慣れないベッドで寝心地が悪かったのか、眉を寄せて唸り声を上げている赤留。彼女を起こさないように赤留の手からするりと抜けて、思い切り背伸びをする。
「うぅ……うぅ……紗椰……ぁぅぁぅぁぅ……」
「ん? なにか言った? ……寝言かな?」
赤留の顔に日の光がかからないようにカーテンを薄く開けて、その前に椅子を置いて腰掛ける。カーテンの隙間から零れる日差しが、膝に置いた台本に降り注いだ。
役柄の項目。志嶋咲惠の名前を指でなぞる。彼女はありふれた中流家庭で生まれた少女だった。幼い頃から飲み込みが早くて一度聞いたことは忘れない神童だったけれど、人に合わせるのが苦手で、誰かに心を寄せることもなかった。共働きの両親は彼女にあんまり興味が無くて、だからこそ、“普通の愛情”を知らなくて、でも、“普通の人たち”に合わせるやり方も知らなくて。
(ずっと、ひとりぼっちだったんだね、咲惠)
孤独を抱えたまま、笑顔で誤魔化すやり方ばかりが上手くなった咲惠は、人々から注目されるようになった。加減を覚えた彼女は手の届く秀才で、人当たりも良くて、いつも柔らかく微笑んでいる。だからたくさんの人が彼女を慕ったし、あるいは、嫉妬もした。
けれど、咲惠は――そうだ。咲惠は、向けられる視線や思いに対して、なんの感情も抱かなかった。だって誤魔化すばかりが上手い女の子が、本当の気持ちの意味なんて、わかるはずもなかったから。
(だから、きっと、出逢ったんだ)
紗椰、という名前。イジメで自殺した少女の霊。虐められる原因はなんであったか? 簡単だ。彼女もまた、咲惠と同じだったのだ。孤独な天才。ひとりぼっち。ただ、紗椰は咲惠よりも誤魔化すことが上手じゃなくて、加減も苦手で、だからこそ飛び抜けた鬼才として迫害された。
紗椰は劇中、大人の姿で描かれる。理由はキャストの年齢に合わせて……とか、そんな理由ではないらしい。言うなればそれは、紗椰という少女の願望のようなもの、なのだとか。だから、怨霊となって“完結”した彼女が切り離した良心の姿を、子供のモノにすると決めていた……と、エマ監督は私に教えてくれた。
「うぅ……んんっ……姫芽は私が守ってあげ――あ、あれ?」
ぼんやりと、咲惠と紗椰の軌跡を辿っていると、ベッドから赤留が起き上がる。
「ん? あ、起きたんだ。おはよう、赤留」
「あー、んー、あー……ふぁ……あ、そっか、ここ」
「昨日は付き合ってくれてありがとう。ところで今、何か言った?」
もごもごとしていたから、よく聞こえなかったのだけれど……赤留は眉根を寄せてうんうんと唸ったあと、頭を振った。
「――……寝言よ。覚えていないわ」
「そう?」
いつも私が助けて貰ってばかりだったから、はっきりとしない赤留は珍しいな、なんて風にも思える。
「で? やれそうなの?」
どこか、心配そうに窺う声。
私はそれに一言、しっかりと頷いた。
「うん」
「やけにハッキリ言うじゃない」
「赤留のおかげだよ」
「……ふぅん、そ。なら、がんばんなさい」
「うん。ありがとう」
気持ちは、固まったようにも思える。あとはいつもと同じ。ステージに立つとき、私は“アイドルの私”になりきる。これも同じだ。私は、咲惠の人生を追って、運命を知って、思いを呑み込んで……“咲惠になりきる”。
大きく深呼吸をする。朝の澄んだ空気が胸を膨らませて、解き放った。私は私なりに、私の出来る演技をしてみよう。そうしたら、つぐみちゃんや美奈子さんも喜んでくれるかも知れないし、ね。
――/――
『紗椰』という映画の魅力は、どんなところにあるのだろう。鶫さんへのリスペクトをひとまず抑えて、そんな、ありきたりなことを考える。当時のホラー映画。そのヒット作のすべてに鶫さんの名があったわけではない。あの当時は後に爪痕を残すようなホラー映画が多く存在していて、その中で、他を抑えて頭角を現したのが『紗椰』という作品だ。
当時のホラー映画……例えば、『竜の墓』にも出演していた閏井松子主演の『恨道』や、私の母……式峰梅子主演のサイコスリラー『0キャスト』が有名かしら。その作品群は確かに恐怖を覚えても仕方がない出来だったけれど――鶫さんは、他とはひと味違った。
例えば、身振りによって身体を大きく見せる演技。
例えば、緩急を極めた身体運動によって引き起こす錯視。
例えば、外付けの音声ではなく自らの声帯で引き起こす怪音。
その全てを統括して引き起こされるのは、“共演者を巻き込む”恐怖だ。悪霊を、心の底から恐怖する共演者の存在が、観客の心を“ひっかく”。
(だからこそ)
私の役目は、当時の鶫さんを踏襲しつつ、現代技術を上回る演技をすること……なのだけれど。
(エマは、なにを考えているのかしら)
与えられた脚本。新しく増えた役割。紗椰の良心を引き抜き落とし込んだ“紗代”というキャスト。つぐみちゃんは逸材で、当時の私が演じた沙希を演じる凛と同等の才能を持ちながら、とてつもない何かを秘めているようにさえ思わせてくれる。
けれど、だからといって、ベテラン俳優ですら戸惑うであろう“リメイク映画の新キャスト”なんてキャラクターを任せて、果たしてやりきれるのか、なんて。
(つぐみちゃんは、きっと求められた解は出す。でも……本当に生かし切れるの? エマ)
台本に書かれた役割は、難しいものだ。なにせ――
「霧谷さん、準備お願いします!」
「――ええ、わかりました」
台本を閉じて、スタッフに向き直る。最初は姫芽ちゃん演じる志嶋咲惠と友情を育むシーンから。差し込みのシーンは既に大方撮影済みで、あとは出演者の臨場感のためにストーリー進行と同時に進めていく、ということだけれど……十中八九、役者として未熟な主演者が気持ちを切り替えられないだろう、というための差配なのでしょうね。本当に、食えないひと。
(さて、姫芽さんは悩みを解決できたのかしら)
歌詞が完成した、というお話は聞いた。なら、一区切りはついた、ということかしら。そう、セーラー服に身を包み、準備を終えた姫芽ちゃんを見て。
「……――ふふ、なるほど」
既に咲惠というキャストが降りているのか、ガラス玉のように空っぽな瞳で佇む姫芽ちゃんの姿を、視界に収めた。
咲惠、というキャラクター。その生い立ち。その経緯。ちゃんと呑み込んで、だからこそ出来る表情。当時、咲惠を演じた椿さんを彷彿とさせる気迫。いったい、なにを呑み込んだのかしら……ふふふ。
「やぁ、待っていたよ、桜架」
「あなたはずいぶんと生き生きしているわね、エマ」
「そりゃあそうさ。やはり、つぐみに任せて正解だったよ。私の見込んだとおりの歌を仕上げてくれた」
「……へぇ?」
見込んだとおりの、ね。
やっぱり、エマは、本質的にはよく似ている。
「なら、私も少し、踏み込んでみようかしら?」
今の姫芽さんならきっと、呑まれはしないだろうから。




