scene1
――1――
撮影現場を離れ、次の現場へ移動する。駐車場へ向かう道すがら、わたしは隣を歩く姫芽さんを盗み見た。色素の薄い茶色の髪。ポニーテールに結われたそれが風に揺れる。姫芽さんは、さすがアイドルというべきか、とても綺麗な方だ。
優しげな顔立ちと、百六十後半くらいには届くであろう高めの身長。反面、目元が柔らかいから、表情はとても優しく見える。スレンダーで豹のよう、だけれど、顔立ちは可愛らしい子猫のようで、それが不思議な魅力を醸し出していた。
「ひめさん、あの、次のゲンバに行くまえに、より道をしてもいいですか?」
日だまりのような笑顔が、よく似合う人。それがわたしの姫芽さんへの印象なのだけれど……今は、その笑顔にも陰りが見える。
「ええ、もちろん大丈夫だよー……。私は、むしろ、ついていかせてもらっている側だからねー……ははは」
伏せられた瞳。苦く上がる口角。ため息と共に吐き出された言葉は、どこか痛々しかった。
次の現場はトッキーのCM撮影だ。『紗椰』でも共演させていただく海さんと二人で、トッキー新作のCM撮影を行う。『紗椰』の共演者の演技を見ることで、姫芽さんの歌詞制作の一助になれたら嬉しいのだけれど……果たして、エマさんはそこまで考えていたのかなぁ。
たぶん、エマさんのことだから、もっと常識外な理由に違いない。人の常軌から逸した行動をしがち、っていうのは、天才肌の方の特徴だからね。
「でー、えーと、寄り道って言うのは?」
「とちゅう、他にようじがあるトモダチを、乗せてあげるヤクソクをしているんです」
「乗せて……ああ、社用車で?」
「はい」
今日は、いつものセンチュリーではない。凛ちゃんと虹君を乗せる約束があるから、ゆったりと乗れるリムジンだ。キャデラックのリムジンで、色は白。L字型のソファーシートでゆっくりとくつろげるタイプだ。
……鶫の記憶がそっとわたしに語りかける。「お値段は考えない方が良いよ」と。うん、いや、はい。将来、わたしの稼ぎで買うときは小型車にしようかな。
「こっちです」
「あれって……リ、リムジン……へ、へぇ、は、初めて乗るなぁ」
眞壁さん(老紳士)が、そっと扉を開けてくれる。わたし、姫芽さん、小春さんの順番で乗り込むと、姫芽さんは突然現れた(ように見える)小春さんの姿に、たいそう驚いていた。
「ひっ……あ、あれ? いつの間に」
「私のことはお気になさらず。どうぞおくつろぎ下さい」
「は、はぁ」
なんだか今日は、姫芽さんの色んな表情を見るなぁ……なんて、あはは……ごめんなさい。
「友達っていうのは、あの、凛ちゃん?」
「はい、そうです! あと、りんちゃんのお兄さんも」
「お兄さん……あー、夜旗虹君、かなー?」
「はい!」
凛ちゃんもまた『紗椰』の共演者だから、姫芽さんも察しが付いたみたいだ。ちょうどルートが被っていたから、ついでに送るよー、という話は前からしていた。
そこにエマさんからの密着要請が加わったので、予定が被ってしまったのだ。約束を覆すようなことにはならなくて良かった。
「あ、なにか飲みますか?」
「う、ううん、大丈夫だよー、あはは」
緊張からか、カチンコチンに固まってしまっている姫芽さん。車に緊張している、という理由だけじゃないんだろうなぁ。だって、膝に置かれた手が、時々、思い出したようにぎゅっと握りしめられているから。
歌詞を書いたことは一度も無い。わたしも、鶫も。だから姫芽さんが歌詞にどうやって向き合おうとしているのか、わたしにはよくわからない。
でもそれが、演技に立ち向かうことと同じ気持ちだったのなら?
だったらわたしにも、出来ることがあるかも知れない。他ならぬエマさんの提示した、“演技をするわたしを側で見ていて貰う”、という方法で。
「あ」
「ん?」
「りんちゃんの家、ついたみたいです」
車が停まる。姫芽さんがいることは事前に携帯電話で伝えていたからか、扉が開いて中の様子が窺えるようになっても、動揺の声は聞こえない。
「お邪魔します」
「兄、きゅうにかしこまってどうした?」
「こら、凛。今日は他の方も居るんだから」
おずおずと入ってくる二人。いつもように涼やかな表情の虹君と、わかりづらい表情の下で、声を弾ませている凛ちゃん。
虹君は礼儀正しい仕草と柔らかい微笑みを維持したまま、姫芽さんに挨拶をする。おずおずと返す姫芽さんも、虹君の親しみのある態度で幾分か肩の力が抜けているようにも見える。それはいいこと、なのだけれど、なんか、こう。
「……つぐみ、つぐみ、兄のネコ、どう思う?」
「変」
「おいこらなんか言ったか」
うんうん、やっぱりこうじゃないと。そんな風に頷いていると、虹君はじとーっとした細目でわたしを見てきた。
でもでも、わたしも凛ちゃんもいる前で、あからさまに猫を被るなんて失礼だと思うのです。だから、そう、「なんか言ったか」なんて言われるのなら。
「……ジョークがたのしいのは、わたしの耳のおかげであって、こーくんの舌のうまさがりゆうではありません」
暗に「悪い冗談だ」と。あるいはそう、本性を隠す虹君をからかうように。
わたしの言葉の意図を素早く察した虹君は、「へぇ?」と言って口元を引きつらせた。
「おまえの感情の色眼鏡で見たから、たちの悪い冗談にでも聞こえたんだろうさ。どうだ? 泡になる前に、もう少し澄んだ色の眼鏡でも掛けてみたら良いんじゃないか?」
ひく、と、わたしは自分の口元が引きつることを自覚する。むぅ……ああいえば、こう言う!
「こうすればああ言われる、なんてかんじょうで、ジブンをかくしてる。それでやりたいことができなかった人もたくさんいる」
「やりたいことをやって、振る舞いたいように振る舞う。変わり者のレッテルが欲しいのか? 結果だけじゃない。何かを成す過程にだって満足感がある。オレはオレの過程を遂げるだけさ」
わたしと虹君の舌戦に、口を挟めずにいる姫芽さん。凛ちゃんは、そんな姫芽さんに、呆れたような表情で声をかけていた。ちょっと凛ちゃん、なんでそんな「やれやれしょうがないな」みたいな様子なの?
「さいしょがシェイクスピア。つぎにアンデルセン。それからジョン・レノンをジェームズ・ディーンで返してる」
「あ、頭、良いんだねぇ、二人とも。あ、もちろん凛ちゃんも」
「……つぐみは、ふだんはもっとかしこい。でも、兄とはなしてるとこどもっぽい」
こ、子供っぽい……。言外に、わたしだけでなく虹君にも当てられた言葉。この舌戦の勝者は、きっと凛ちゃんだろう。わたしも虹君も、揃って胸を抑えて蹲ってしまったから。
「子供っぽいって……そんなことないよー。うん。二人ともきちんと勉強していて、えらいなーって思うよー」
「ひめさんは、ベンキョウ嫌い?」
凛ちゃんがそう首を傾げて聞くと、姫芽さんは首を横に振る。
「そんなことないよ。あはは。ただちょっと、空回ることが多いだけ。うん。それだけ」
「そうなの?」
「うん」
それだけ、と言う姫芽さんの表情は、暗く沈んでいた。普段は見せないようにしているであろう仕草。それが、追い詰められているのか、表に出てきてしまっている。エマさんは、ここまでして――姫芽さんの“なに”を引き出したいんだろう。
「あー……みんなは。みんなはー、どうして、この道を選んだの?」
話を変えようとしたのか、姫芽さんは幾分かの逡巡のあとにそう告げた。
「わたしは、兄がたのしそうだったから」
「オレは自分の才能を一番生かせる場所がココだ、と思っただけです」
自信満々に言い放つ虹君は、なんだかとても“らしい”感じがして、少しだけ頬が緩んでしまう。なんだかこう、やっぱり、猫を被って大人しく過ごしているときよりも、こうして自信満々に堂々としていてくれた方が、わたしは好きだな。
なんて、そんなことを考えていたら、いつの間にかわたしに視線が集まっていた。まずいまずい。えーとえーと。そう、どうしてこの道を選んだのか、だよね。最初はもちろん、記憶に従って。でも、それを言うわけにもいかないから、その次に芽生えた理由。
「――ゆめを」
「夢?」
「えーっと……ゆめを見るのがつかれちゃったひととか、ゆめをわすれちゃった人が、もういちど、ゆめを見られるような、そんな演技がしたいんです」
今度こそ“二人で”ハリウッドに。
その夢を忘れるつもりも、違えるつもりもない。
「そういえば、つぐみの理由、わたし、知らなかった。いつから、そんな風にかんがえてたの?」
「ふふふ……ひみつ」
わたしが唇に指を当てて答えると、凛ちゃんは「えー」と残念そうにしていたけれど、深くは聞かないでくれた。虹君も、そんな凛ちゃんの様子を見て、開きかけた口を閉じる。
「そっか、みんなちゃんと、理由があるんだね」
その、どこか沈むような声に反応したのは、凛ちゃんだった。
「……ひめさんには、ないんですか?」
心配そうに姫芽さんを覗き込む凛ちゃん。無理矢理やらされているのだとしたら……なんて、そんなことを考えてしまったのだと思う。わたしも、凛ちゃんが聞かなければ聞いてたことだろうし。
そんなわたしたちの気遣う声と視線に、姫芽さんは「違うの」と慌てて前置きを告げながら、首を横に振った。
「切っ掛けは家族が勝手に送った応募用紙だったんだけれどー……それでも、アイドルって楽しいし、やりがいもあるし、満足してるんだー……あははは」
勝手に送った……って、なんだろう。姫芽さん可愛いからなぁ。アイドルで天下を獲れそう! なんてご両親に思われても仕方がない、のかな。
誰かの意思に強制されて、なりたくないものにならなきゃいけないのって、きっとすごく大変なことだと思う。想像、でしかないけれど。今は楽しくても、そうでないときがあったのかも知れない。
(もしかしたら、エマさんの課題も、この辺りの事情にヒントが隠されているのかも)
例えば、そう。
「あの、ひめさん」
「なぁに?」
もしも、アイドルにならなければ。
「ひめさんは、なにになりたかったんですか?」
「え――?」
どんな未来を思い描いていたのだろう、と。
「あんまり踏み込むなよ、つぐみ」
不意に、虹君から声がかかる。慌てて姫芽さんの様子を見れば、少しだけ、動揺が見られた。
「え、あっ、ごめんなさい!」
いけないいけない、追い詰めたかったわけじゃないのに……うぅ、わたしのバカ。
「あ、あはは、いいのいいの、気にしないでー」
姫芽さんはそう言って、柔らかい表情に戻る。ただでさえすっごく悩んでいるのに、悩みを追加してどうするのさ……。
「こーくん、おしえてくれてありがとう」
「ま、おまえが時々空気読めてないのは今日に限ったことじゃねぇからな」
「うっ」
「兄。兄も言いすぎ」
凛ちゃんに慰められて、背を撫でられる。虹君はそんなわたしの様子なんて関心が無いかのようにそっぽを向いていたけれど、口元を押さえながら肩を震わせたのは見逃せない。
むぅ、いいよ、もう。いつかお返しして上げるから。そんな思いを込めて見つめて上げれば、虹君は不思議と、大きく背筋を震わせた。
「理由、か」
――小さく、呟かれた声。今度こそ、それを聞かなかったことにする。もし姫芽さんの役に立てることがあるのなら、遠慮無く言って欲しい、けれど……わたしで本当に姫芽さんの力になれるのか、ちょっと不安になってきた、かも。




