scene:Back side3
――3――
二つの試練をクリアしたわたしは、今、救出した柿沼さんと二人で歩いていた。柿沼さんは神妙な顔つきで、一緒に歩いてくれる。救出作戦、というのを念頭に、気分を合わせてくれているんだと思うけれど……やっぱり、柿沼さんって優しいなぁ。
鶫の記憶でも、柿沼さんは優しい方だった。衝突も多かったみたいだけれど、それも相手を思ってこそのものだったみたいだしね。わたしは優しいばかりの柿沼さんしか知らないから、厳しい頃があったなんて実感が湧かないのだけれど。
「かきぬまさん、つぎはどんな刺客があらわれると思いますか?」
「そうだね……ちょっと耳を貸してくれるかい?」
「は、はい!」
柿沼さんはそう、片膝をついてわたしに耳打ちをしてくれる。
「これは人質になっているときに盗み聞きしたことなのだけれど……どうやら妖精たちにはリーダーがいて、そのリーダーが凛ちゃんを気に入ってしまったようなんだ」
「じゃあ……つぎは……」
深刻な声色。けれど意図的に、演技がかった言い方をしてくれている。緊張感は増すけれど、ワクワクも増すような、そんな言い方だった。
「おそらく、リーダーとの直接対決になるだろうね……。私も最大限助力をする。一緒に、凛ちゃんを助けよう、つぐみちゃん」
「はい! わたし、ぜったい、りんちゃんを助けます!」
満足げに微笑む柿沼さんの様子は、誰がどう見ても“良いお父さん”だと思う。確か独身だったと思うのだけれど……お子さんが居たら、どんな感じなのかな。
あ、でも、海さんは伯父甥の関係なんだっけ。二人が関わっているところは見たことがないのだけれど……『紗椰』の収録中に見られるんだろうな。楽しみ、かも。
「あそこだ」
「!」
言われて顔を向ければ、広めの共有スペースに大がかりなセットが施されていた。大きな鳥かごは開かれて、その前にうつろな表情の凛ちゃんが立っている。周囲は森をモチーフにしたセットで、審査員席っぽい長机が一つ。三人掛け、かな。
そして何より目立つのは、通りがかる芸能人さんや無関係のスタッフを驚かせ続ける、仁王立ちの女性。どこか艶っぽさも感じる黒いドレスに、うにょんうにょんのヘアバンド。そして胸には「ようせいおう」のワッペン。
「来たわね。待っていたわ、勇者つぐみ」
「あなたが、妖精王?」
「ええ。そうよ。私こそが妖精王。その名も“くいんくいんレディ”!」
しん、と、場が凍る。だが、妖精王――桜架さんはどこか満足げだ。ちらりと周囲を見回せば、どこか諦念を滲ませるスタッフさんの表情が目に入る。妥協してこれなんだろうなぁ。
「ルールを説明するわ。三つのお題を出してそれを演技してちょうだい。審査員は三人で持ち点は一人五点よ」
「さんにん、ですか?」
「ええ。私と彼と……あなたでいいわ」
彼、と、柿沼さんを指した指をスライドさせる。その先には一緒になって凍り付いていた女の子三人組が、指差されたことに焦っていた。
赤メッシュの金髪のボーイッシュな女の子と、黒髪に黄色がかかった黒目の大人しそうな女の子と、明るい茶髪をポニーテールにした……って、あ、姫芽さんだ。
「ああー、私はちょっと用事がー」
「う、うちも! うちも! ということで、姫芽、よろしく!」
「え!? 赤留、紅葉!?」
風のように逃げていく二人の女の子。残された姫芽さんは何か言う前に、桜架さんに肩をつかまれて捕まった。
最早、何も言えることはない。両手で握りこぶしをつくって、小声で「がんばって」と告げれば、姫芽さんは引きつった笑みのまま、こくんと頷いてくれた。
「私、柿沼さん、姫芽ちゃんの順番でお題を出すわ。勇者つぐみ、あなたの相手は私が洗脳した凛よ!」
凛ちゃんは桜架さんの呼びかけで一歩踏み出し、両手を挙げる。そして。
「がおー」
なんとも可愛らしい威嚇をしてくれた。り、凛ちゃん……。
「ふふ、上出来よ、凛。さ、早速やりましょう。第一問はこれ『細かすぎて伝わりにくいものまね』よ」
あらかじめ用意していたのだろう。桜架さんはくるっとフリップをひっくり返す。ただ凛ちゃんはお題について事前に知らされてはいなかったようで、「え、えーと、うーんと」と、顎に手を当てて悩んでいた。
けれどなんとか持ち直し、凛ちゃんはスタッフさんからパイプ椅子を借りてきてそれに腰掛ける。するとどうだろう。きりっとした表情は既に、役者のそれだった。さすが凛ちゃん。どんなものまねをするのか、楽しみ!
「こほん……じぶんをエゴサしてきがつかれていないと思ってる兄!」
えごさ? あ、いや、前にも聞いた気がするけれど……そうだ。自分の評判を自分で検索すること、だ!
兄、ということは虹君だよね? 家で良くえごさをしているのかな。凛ちゃんはパイプ椅子に座って足を組み、背筋をピンと伸ばしてスマートフォンを手に取った。
「今回も上々だな。この分なら直ぐに、霧谷桜架にだって追いつけ――ん? 凛か。いやちょっと社会情勢について調べてたんだよ」
「んふっ」
思わず、吹き出してしまう。いやだって、言いそう、言いそうなんだもん! やれやれ、なんて肩をすくめる仕草をする凛ちゃんを見ていると、なんだか虹君の姿が重なって見えた。
気になる点数は、桜架さん、姫芽さん、柿沼さんの順番で、五点・二点・二点の九点。内輪ネタだからわかりにくい、ということなんだと思うけれど、堂々の五点は桜架さん。ちょっと笑いを堪えている様子だった。
なら、わたしは。
「では、“きりおうつぐみのことになると、ジョーゼツになるおうかさん”をやります」
「へぇ? 良いわ。見せて貰いましょうか」
挑戦的に笑う桜架さん。
意識の奥でひっくり返る鶫。
わたしは極力周囲を見ないようにして、桜架さんの様子を思い出す。頬は上気し、声は浮き、顔には笑みを浮かべて。
「んんっ――はい、私の好きなものは映画鑑賞ですね。好きな女優は桐王鶫で……鶫さんのことを知らない? そうなら鶫さんの魅力をたっぷりと教えて上げるわね。優しくて平等で綺麗で演技がとても上手で幼い私は何度もお世話になったものだけれどやっぱり演技に向かう真摯な態度こそ彼女の魅力をさらに引き立てる……え? もういい? なぜ?」
まだまだ言い足りないのに。そう言おうとすると、意識の奥で鶫がブリッジを始めた。
「どうですか?」
「そうね……まずは点数を」
桜架さんの呼びかけで、それぞれ点数の札を上げる。二点、三点、四点で九点。柿沼さんも少し笑いそうになっていて、ほんの少しの関わりだけれど遭遇する機会があったのか、姫芽さんも顔を引きつらせている。
桜架さんは、というと。
「足りないわね。私だったらまず、映画鑑賞の趣味を差し置いて鶫さんの情報をすり込むもの」
「! なるほど、たしかに」
そうだよね。失念してた。これはわたしの負けだ。意識の奥に謝ると、息切れだけが帰ってきた。なんで?
「では続いて、柿沼さん、お題をよろしいでしょうか?」
「あ、ああ。ではそうだね……『猫』なんていうのはどうかな?」
「いたいけな少女に猫を演じさせる、と。わかりました」
「さくらちゃん、君ねぇ……」
「ふふ、冗談です」
思えば、鶫の記憶でも、柿沼さんと桜架さんはこんな感じだったみたい。鶫に話しかけてきた柿沼さんを遮るように鶫に抱きつく桜架さん。割り込まれた柿沼さんに、申し訳なさそうに笑う桜架さん。
鶫はよくわかっていなかったようだけれど、わたしにはわかる。きっと二人の視線の交わるところでは、火花が散っていたに違いない。
「ではまた凛から……良い?」
「はい、おししょ――くいんくいんレディさま!」
凛ちゃんは気合い充分。洗脳されている体を崩さずに、猫の演技に取りかかる。薄く目を伏せ、息を吐き、わたしの方に近づいて。
「にゃぁ」
体勢を低くして、頭をわたしに押しつけてすり寄る。にゃあ、と可愛い鳴き声が、耳朶を甘く痺れさせた。
気になる点数は……四点、五点、三点で十二点。桜架さんはどことなく満足げで、姫芽さんは口元を押さえてもだえていた。
「つぐみ、つぐみ、ファイト」
「うん。ありがとう、りんちゃん。よーし」
猫、と言われてイメージするのは、美海ちゃんの家の白猫だ。ふっくら丸いふわふわの猫。彼女はいつもソファーやわたしの膝で丸まって、甘えるでもなく去って行く。その気ままさを表現するのなら、一つしかないよね。
ぺたんと座り込んで丸まって、くあぁ、とあくびをして。猫の手をつくって自分の頭を撫でると、他人も気にせず目を閉じて眠る。甘えたいときに甘える。でも、今はそのときではないのです。
さて、点数はどうかな? そう思って、見上げてみる。
「か、かわいい。どうしよう、二人ともかわいい」
と、姫芽さん五点。
「どうどう、落ち着いて、姫芽ちゃん」
苦笑しながら、柿沼さんが四点。
「さすがつぐみちゃんね。ただこの場ではもう少し、かわいらしさを前面に出しても良かったかも知れないわ」
最後に、うんうんと頷きながら、桜架さんが三点。
(合計十二点……同点だ)
やらせ、と言われかねない配分だけれど、三人とも真剣かつ真面目に講評して下さるから、本気なんだと思わせてくれる。
二問連続での同点に、凛ちゃんとしても心に火が付いたのか、彼女もまた次の問題を心待ちにしていた。
「さ。では最後に姫芽ちゃん、いいかしら?」
「あっ、は、はい! うーん、そうですね、えーと」
姫芽さんは顎に手を当てて悩む。フリップに何か書こうとしては躊躇い、消し、やがて何かを決意したように書いて――わたしたちを見て、さらに書き直した。
提示されたお題は、『いいひと』というもの。でも一瞬、書き直したとき、彼女の口は“わ”と動いていた気がする。もしかして本当は『わるいひと』と書きたくて、でも、子供相手だからやめたのかな?
(考えても、しかたない、かな)
姫芽さんはもしかしたら、何かに悩んでいるのかも知れない。力になれたら、なんて風に思う一方で、この書き直されたお題でも、彼女の心に光明が差し込む切っ掛けになれば嬉しい、とも、思う。
自分のためだけじゃない。誰かの心を動かす演技。誰かの心に切っ掛けを与える演技。難易度は上がるけれど……だからこそ、燃えてきた。
「ではまず――やれるわね、凛」
「はい、おししょー」
凛ちゃんは目を伏せ、やがて何かを唱える。集中して耳を澄ませば、彼女の言葉が聞こえた。
「『接続・記憶領域・空想設定・同調』」
途端、凛ちゃんの纏う空気が変わる。以前、凛ちゃんと競い合ったオーディションの時のような、冷たく機械的な空気ではない。優しく穏やかでありながら、苛烈で精緻な……鋭い稲妻のように、熱を持った空気だ。
凛ちゃんは薄く微笑むと、胸に手を当てて目を開く。潤むように澄んだ目。柔らかく細めてわたしたちを眺める、表情。
「私の名前は、凛。好きなものは、お母さんの作ったご飯と、お父さんの優しい手。嫌いなものは……ごめんなさい、思い浮かびません」
幸福そうに思い出す様子。それはまるで、日常の何気ない一幕を、心の底から幸せだと思っているかのようで。
「将来の夢は――いいひとに、なることです」
ああ、そっか、彼女はいい人なんだ。だからこんなにも、まっすぐ、はにかむようにいい人になりたい、なんて言えるんだ。そう、胸の奥から響くような、優しさに満ちた声だった。
ぱちぱち、と拍手が聞こえる。呆然という言葉がこれほど正しいと思えることはそんなに無いんじゃないか……なんて思わせるような表情で、姫芽さんが手を叩いていた。
「良かったわよ、凛」
「ほんとですか!? やったー!」
「ふふ。では、採点を致しましょうか」
桜架さんの声で、姫芽さんは我に返る。それから慌てて、促されるまま札を出した。配点は、姫芽さんも柿沼さんもともに五点。なのに、桜架さんだけ四点だ。なんでだろう?
「とても良い演技だったわ。でも、私は凛はもっとできると信じているから、この一点はあなたの未来のための一点よ。いつか、今のとても良い演技よりもさらに先の演技を、私に見せてくれるかしら? 凛」
桜架さんの言葉に、意図を察する。桜架さんは、凛ちゃんにすごく期待している。その期待が、四点、なんだ。
「おししょー……はい! いつか、おししょーから五点、とります!」
「ふふ。ええ、待っているわ」
こんな、良い演技を見せられたら、わたしだって負けてられない。凛ちゃんはわたしの親友だから、凛ちゃんに、妙ちきりんな演技は見せられない。
「次はつぐみちゃんね。準備は良い?」
目を閉じる。
「はい!」
善いひと。
良いこと。
その裏には、いつも対比がある。
善人が善人として見られるのなら、そこにはきっと悲しいことがある。だから、わたしは、悲しみと比べて善を演じよう。
(お願い、見ていて、鶫)
『ええ、魅せて頂戴、つぐみ』
目を開ける。
わたしの目の前には既に、舞台が広がっていた。森、木々、緑。何かに気がついたように木の洞に駆け寄り、身動きの取れない小鳥を拾う。自分の服が汚れることも厭わず小鳥を抱きしめて、周囲を見回せば、大きな木があった。きっと、ここから落ちたのだろう。
「……」
声は出さない。必要ないから。
ただ小鳥の羽を撫で、こぼれ落ちた命を憂う。
声には出さない。ただ、万人がそう感情で聞き取れるように。
『――ごめんね』
そう、胸中で唱えた。
「……すごい」
「いや、本当に、彼女たちは鬼才だよ」
呆然と呟く姫芽さんの言葉に、柿沼さんが楽しそうな笑みで同意する。その笑みの向こうに、炎のようなものが見えるのは気のせいかな? 気のせいだよね? 気のせいじゃ、ないんだろうなぁ。鶫の記憶を遡れば遡るほど、苛烈な柿沼さんの姿が出てくるし。
「さ、では採点をしましょう。ふふ――今回は、私の負けね」
そう、桜架さんから順次、点数が発表される。三人とも、堂々の五点。合計十五点で、満点、ということは……。
「りんちゃん!」
「つぐみ!」
凛ちゃんに駆け寄って抱きしめる。無事に試練は終了だ。これでやっと、みんなを返してもらえるし、撮れ高に気を割く必要もなくなる。肩の荷が下りたよ……。
ちらりと姫芽さんを見れば、ほっと息を吐いているけれど、どこかその表情には憂いが残る。でも、さっきまでのどうしようもない感じとも違っているように見えるけれど、気のせい、では、ないよね? 解決に役立ててくれたら、嬉しいんだけどなぁ……。
「ふふふ、見事だったわ、つぐみちゃん。このあと、スタジオ……晴れ舞台に、ご褒美を用意しておいたから、そちらで受け取って頂戴」
「わぁ、やった! ありがとうございます、おうかさん!」
「妖精王くいんくいんレディ……は、もういいわね。ふふふ、どういたしまして」
言われるまですっかり忘れていたのだけれど、そういえばご褒美があるんだ。
どんなご褒美なのか、嬉しいような心配なような……。
(それにしても……)
満点だったことは嬉しいけれど、ほんの少しだけ、凛ちゃんが羨ましくも思う。だって、凛ちゃんの四点は、未来に期待された四点だ。その意味は大きい、よね。
もちろん、全力の演技を満点で認められたことそのものに不満はない。やれて良かったとも思、う、し……――いや、違う。
凛ちゃんは価値ある四点を得られて、負けたけど嬉しそうだ。
わたしは満点を得たけれど、まだまだ、自分を磨き上げたい欲求に駆られた。
でも、わたしは満点だ。満点でないと、企画上の勝負に勝てないから。
つまり、ゲームとしての勝敗はキッチリつけた上で、役者としては対等に扱ってみせたんだ――!
(だとしたら、この勝負の本当の勝者は――)
にこにこと場を見守る桜架さんに戦慄する。
なんだか、まだまだ、桜架さんには勝てそうにないと思わされてしまった。




