scene:Back side2
――2――
美海ちゃんと手を繋いで、テレビ局の通路を歩いて行く。窓から見える東京の風景はコンクリートとビルディングに溢れていて、鶫の記憶にあるような混沌とした様子とは違っていた。
周囲の風景に気を取られつつある一方で、美海ちゃんはわたしの様子をどこか楽しげに見ていた。
「つぐみちゃん、なんだかちっちゃい子みたい」
「えっと、ちっちゃい子、だよ? わたし」
「そ、そうじゃなくて、えーと、そうなんだけど、そう、いつもオトナっぽいから」
口元に手を当てて、くすくすと笑い声を零す美海ちゃん。なんでだろう。今はむしろ美海ちゃんのほうが大人びているようにすら見えた。
「いつか、つぐみちゃんよりもオトナっぽくなって、つぐみちゃんに頼られるようなわたしになるから……ま、待ってて、ね?」
「もう、みみちゃんはとっくにオトナっぽいとおもうんだけど……」
「いいの!」
なんとなく、押し切られてしまった。でも、眼鏡の奥で優しく目を眇める美海ちゃんの様子を見ていると、不思議と、何も言えなくなってしまう。
す、と伸びた背筋。わたしよりも背が高くて、堂々としていると、なんだかとてもオトナっぽく見えた。わたしよりもずっと頼りになりそうだと思うんだけどなぁ。
「あ、見えたよ! ほら!」
「う、うん。まってみみちゃ――ぇぇ……」
さっきと同じようなセットの中、びしっと格好良いポーズで待つのは皆内蘭さんだ。皆内さんは顔を手のひらで隠し、スタイリッシュなポーズをつけてはいるものの、「ようせい」ワッペンとうにょんうにょんのヘアバンドが雰囲気を台無しにしていた。
それは、いいんだけれど、その、もう一つ。なんで皆内さんなんだろう? と思ったわたしの疑問は、瞬く間に氷解した。
「は、はは、一体どうしてこんなことに」
鳥かごの中、耳が聞こえないようにヘッドフォンをした柿沼さん。鳥かごが統一規格しかなかったのか、柿沼さんは体操座りの体勢で膝を抱え、うつろな表情で檻に寄りかかっていた。
思わず胸の奥に意識を向ければ、そこには思い切り白湯を吹き出し、むせて咳が止まらない鶫の姿があった。
「よく来ましたね、試練の勇者よ」
「えっ、あっ、はい」
「ルールを説明します。といっても簡単な伝言ゲームです。私の出したお題を美海ちゃんが描き、つぐみちゃんがそれをさらに描き、人質に伝える。人質が答えられたら成功です。問題は三問出題し、一つでも成功すれば良しとしましょう」
皆内さんはすらすらとルールを説明してくれた。その間もスタイリッシュなポーズは続けていて、笑って良いのか判断しかねるのだけれど……目が死んでるから、笑わない方が良いのかも。
なんとなく、このポーズを指示したであろう人の姿を思い浮かべる。凛ちゃんの姿はまだ確認できていないし……たぶん、試練の妖精はあの人なんだろうなぁ。
「成功すれば、人質は解放しましょう。ダイジョウブ、ヨウセイ、ウソツカナイ」
「あっ、はい」
どうしよう、柿沼さんが気になっていまいち集中できない。やめて、柿沼さん、ドナドナを歌わないで。柿沼さん、歌、上手いなぁ……。
「では早速始めましょう。まずは私が美海ちゃんにお題のカードをお渡しします」
「は、はい! つぐみちゃん、わたし、がんばって描くね!」
スケッチブックに鉛筆。わたしが美海ちゃんの作品をじっと待っていると、美海ちゃんはそんなわたしを安心させるように微笑んで、スケッチブックを渡してくれた。
お題は……なるほど、『長靴を履いた猫』かな。もう、線の一本という単位で美海ちゃんの絵は覚えた。なんだったら絵を渡してくれた美海ちゃんの姿ごと写真のように正確な模写ができる――けど、それって、ちょっと違うかも。
ようは、「伝言ゲーム」だ。同じ物を描く、のではなく、同じお題で描くことが(撮れ高的にも)重要なんじゃないかな。なら、オリジナリティを入れつつ同じお題で……。
(えっ、美海ちゃんの完璧な絵のあとで、オリジナリティ?)
ど、どうしよう。い、いや、一問でも正解したらクリアだ。だったら一問目は様子見として……えーと、えーと、ちょっと背を高くしようかな!
「どう、ですか?」
描き上がったそれを柿沼さんに見せると、柿沼さんは顎に手を当てて考え始める。それから、やがて、ぽんっと手を打ち、さらさらとフリップに答えを書いてくれる。
まさか、わかってくれたのかな? だったら嬉しい、のだけれど――。
「答えは……『足長おじさん』ということで、不正解です」
「えぇっ!? そ、そんな馬鹿な……」
驚きおののく柿沼さんの姿に、申し訳ない気持ちでいっぱいになる。いやでも、うん、なんとなくわかってた。少なくとも猫には見えない。ステッキを持つ手、難しいよぅ。
「うぅ……あれぇ?」
「つぐみちゃん……み、みなうちさん! つぎ、つぎにいきましょう!」
「ええ、そうですね。ではどうぞ」
項垂れるわたしを気遣ってくれたのか、美海ちゃんが次のお題をお願いしてくれた。なんだか簡単なお題だったようで、絵を描く美海ちゃんの表情は柔らかい。そして、そっと差し出された絵を見て、わたしもまた、美海ちゃんの表情の理由を察した。
楕円形の形、ギザギザの葉っぱ。これはたぶん、トマトだろう。これにオリジナリティを入れるのなら、丸形にすればいい、よね? かぶりつくと冷たさが広がる、みずみずしいトマトをイメージ。へたのギザギザもちょっと柔らか目に描けば……できあがり!
「どうぞ!」
柿沼さんはわたしが差し出した絵をそっと受取、今度は安堵の息を吐き出した。うんうん。誰がどう見てもトマトだもんね。
「それでは、柿沼さんの答えは――ミカン!」
「うんうん、ミカ……えっ、ミカン?」
思わず。
本当に、思わず、固まる。
「不正解ですね」
皆内さんが両手で大きく×を作ると、柿沼さんは目に見えて狼狽していた。ぜったい、トマトに見えると思ったんだけれど……あれぇ?
じっくりと見比べてみると、なんだかだんだんトマトではなくミカンに見えてきた。いやでもちょっと待って欲しい。オリジナリティを入れるのって、すごく、難しいの!
(今からでも形態模写に……いや、だめ)
今から写真の様に完璧な模写を描きでもしたら、「前の二つはやらせ?」と後ろ指を指されてしまうと思う。だったら、もう、このままいくしかない。
「最後のお題は、こちらです――頑張って」
「っはい!」
皆内さんに気を遣われてしまった。うぅ、ますます失敗できない。
美海ちゃんは、今度こそちゃんと伝えようと言わんばかりの表情で、真剣に描いてくれていた。
でもごめんね、美海ちゃん。わたしがポンコツなだけで、これまでもちゃんと伝わっていたんだよ?
「よし、できた! ど、どう?」
美海ちゃんが見せてくれたのは、布を被ったような古典的なスタイルの“お化け”。単純ながらアレンジの利く形に、思わずほっと息を吐く。
それから改めて、わたしは自分のスケッチブックに向き直った。お化け、という対象にオリジナリティを含めるのは、さほど難しいことじゃない。だってわたしには、最高のお手本がいるのだから。
幽霊。
悪霊。
人魂。
お化け。
意識の奥。
心の内側。
足を組んで悠然とわたしを見つめる彼女の、期待に満ちた目。
(わたしにとってお化けと言えば、やっぱり、一番に思い浮かぶのは、あなただ)
スケッチブックに鉛筆を走らせる。気分はアーティスト、かな。長い黒髪。這いつくばる姿。なにもかもが、わたしの心を高鳴らせて止まない。
「これ、で!」
肩で息をしながら、スケッチブックを柿沼さんに渡す。
「なるほど……はは、これはわかるよ。ああ、わかるさ」
柿沼さんは、どこか愛おしそうにスケッチブックを見る。それから、ゆっくりと丁寧にフリップを書いて寄越してくれた。
フリップの端っこには、「悪霊」と書いて消されたあと。それから、もう一つ、とても丁寧に書いてくださった字。
「お化け――正解です!」
「やったー! やった、やったよ、みみちゃん! みみちゃんの、おかげだね」
「えへへ、そんなことないよ。でもありがとう、つぐみちゃん」
美海ちゃんに駆け寄って抱きしめると、美海ちゃんもまた控え目に抱きしめ返してくれる。
「いいでしょう。ではこれで、人質を解放致します」
「妖精さん……ありがとうございます!」
鳥かごが完全に開けられ、柿沼さんが解放される。そうすると、柿沼さんはヘッドフォンをスタッフさんに返して、大きく背伸びした。
「助けてくれてありがとう。美海ちゃん、つぐみちゃん」
「わ、わたしは、ぜんぜん、なにもできませんでしたし」
「わたしのほうがダメダメだったよ、みみちゃん……」
「はは。一生懸命助けようとしてくれただけで、十分だよ」
そう言って、柿沼さんはわたしたちの頭を撫でてくれた。大きな手が温かくて、気持ちが良い。
「じゃ、じゃあつぐみちゃん! わたしはここで妖精さんを見ておくね?」
「あ、そっか」
そういえば珠里阿ちゃんも、その流れで置いていったんだった。あんまりにもあんまりなピンチだったから、流れを忘れちゃうところだったよ……。
「うん。ありがとう、みみちゃん。妖精さんをよろしくね」
「ま、まかせて!」
可愛らしく力こぶを作るようなポーズをして、美海ちゃんはわたしと柿沼さんを送り出してくれた。
(次の試練できっと、最後だ)
さすがにここからこれ以上人質が追加されることはない、と、思うので、次こそは凛ちゃんだろう。もう、今のような失態は見せられない。今度こそスマートかつ撮れ高を十二分に意識して――うん、頑張ろう!




