ending
――ending――
初顔合わせから帰宅すると、笑顔の両親に迎えられる。優しくて暖かい体に飛び込んで、長身の父に抱き上げられると、視界がとても広くなった。
「りんちゃんのおにいさんと、ともだちになったよ」
「ほう、そうかそうか。ぼくの天使は友達づくりの天才だね」
「あらあら」
優しい笑顔。やさしいことば。娘として、親子として自分に向けられていると考えると、むずがゆくなる。
「つぐみが演技の勉強の一環に映画やドラマをみておきたいだろうと思って、シアタールームに準備がしてあるから、あとで一緒に見ようか」
「ほんと? うれしい!」
「もっと小さい頃は、一緒に童話や名作劇場なんかも見たのよ?」
「えー! おぼえてないなぁ」
覚えているような、覚えていないような? あと、うれしい、嬉しいけれど、シアタールームって???
まさかちっちゃい映画館のようなものごと用意されるとは思わず、顔が引きつるのを我慢するのに忙しかった。
「つぐみ、今度、劇場も見にいこうね。気に入った劇団があったら、お招きしましょう?」
「それはいいね! さすが、ぼくの女神だ。話題のところはどこだったかな?」
劇団を招くって、えっと、どう止めればいいんだこれ。さすがに、娘に甘すぎるよね?
「ダディ、マミィ、あの」
「ん? ああ、そうだ。今日は一緒に寝ようか?」
「ぁ――う、うん」
なんて、止める言葉を探していたはずなのに、疲れからか、父の言葉に素直にうなずいてしまう。肉体はともかく、記憶の年齢は三十のおばさんなのに、両親と一緒に寝たいだなんて!
あわあわと取り消そうと慌てる私を、けれど、父の大きな手は優しく撫で鎮めた。
「つぐみの部屋がいいかな?」
「ふふ、少し狭いですよ、あなた。私たちの部屋にしましょう?」
「いいね。なら、ハルナにアロマを焚かせようか」
「はい。では小春さんには、つぐみのぬいぐるみも持ってきてもらいましょう」
幼いころは、自分の部屋にあこがれた。自分だけの空間があれば、お酒を飲んで暴れるお父さんから逃げられると思ったから。
けれど本当は、両親と川の字で寝ることに夢見た。二人が自分を見てくれて、優しく声をかけてくれるだけで、どんなに嬉しいことだろうかと妄想しては、現実を突きつけられた。
私は、こんなのは知らない。こんなに暖かいことなんて、知らない。知らないのに、今、いくらでも知ることができて、きっと、戸惑っている。
ホラー女優だった桐王鶫は、飢え狂うような愛の演技が高い評価を得た。
ただの子供でしかない私は、包み込まれるような愛の中で育っている。
(わたしは、どうやったら、ふたりの愛にこたえられるのかな)
演じ方はわかるのに、甘え方はわからない。過去を生きた鶫と、今を生きるつぐみの境界が、わずかに揺らいだ気がした。
――/――
「ああ、もしもし。私だ」
『珍しいね、伯父さんから電話をするなんて』
「私は、そんなに不精者だったかな?」
『そうはいわないけれど、忙しいだろう? なんていったって大御所俳優、柿沼宗像だよ』
「よしてくれ。未熟を実感したばかりなんだ」
自宅の一室でスマートフォンに語りかける。電話の相手は、年の離れた甥だった。彼もまた私と同じ道を辿り、奇しくも、若い頃の私によく似た風貌で人気を集めている。その人気は、なにも血筋や外見によるものだけではない。若い頃の私をしのぐほどの才能と、あの頃の私のような貪欲さを併せ持つ。
最後に顔を合わせたのは二年前。彼がまだ、十六のときだった。テレビで見る彼はより洗練されていたが、顔を合わせるとどうだろう? そのときが、楽しみでもある。
『……本当に、珍しい。弱気にでもなったの? よしてくれよ。伯父さんは僕の目標なんだから』
「乗り越えやすくなっただろう?」
『本当にそう思うんなら、覇気のない声をしてくれよ。なに? まさか、なにかあって覇気が満ちたって電話? はぁ……また目標が遠のくよ』
「はっはっはっ、やりがいがあるだろう?」
甥の親しげなため息が、どこか心地よい。私のような老骨を目標にしてくれているというのだから、おちおち気を抜くこともできない。彼女がいなくなって二年後に生まれた彼は、私にとっても希望だった。年の離れた妹が、命と引き換えに産んでくれた子だ。
だが、今にして思えば、それでも甘かったのかもしれない。彼女と同じ名前の子供にあんな形で諭されなければ、腑抜けた自分に気がつけなかったのだから。
『で、なんの電話だったのさ?』
「いやなに。今、私の友人たちとの間である計画が持ち上がっていてね。それに君を誘いたかったんだ。実力のある俳優としてね」
『嫌味か』
「くくくっ、そうではないよ。本心さ」
『ちっ、今に見てろよ。……で、計画って?』
手帳を開いて、あの日の未練に目を眇める。本当は断ろうと思っていた。けれど今日、仕事帰りに仲間たちに連絡して、出演を決めてしまった。未練にすがっていては、彼女に笑われるような気がしたからだ。
「“紗椰”、という映画を覚えているかい?」
『……トラウマでも掘り返してやろうってこと?』
「はは、覚えているようでなによりだ」
“紗椰”。いじめによって命を落とした少女、紗椰は、地縛霊として学校をさまよっていた。孤独の中で深い悲しみとともに消えていくはずだった紗椰は、ある日、自分が見える少女と出会う。孤独な少女、咲惠と地縛霊だった紗椰は、予定調和のように仲良くなり、絆を深めていった。だが咲惠の卒業式の日、彼女は通り魔に遭って心を壊し、人形のようになってしまう。悲しみに暮れる紗椰は、数年後、学校で行われた同窓会で、咲惠がクラスメートに暴行されたという真実を知る。親友を傷つけられた紗椰は悪霊となって、かつての咲惠のクラスメートに復讐を果たす。
「その、“紗椰”をリメイクする」
『は? いやでも、主演って確か』
「そうだ。桐王鶫――伝説の女優だよ」
『そうそう、伯父さんが独身を貫く原因の』
「海」
『はいはい、そんな本気で怒らなくてもいいじゃないか。……ごめんなさい』
「まったく」
前半は孤独だが心優しい少女の幽霊。後半は邪悪で恐ろしく、悲しい悪霊。二面性が恐怖を生み出すホラー映画で、加害者の妹で主要登場人物、沙希が恐怖の渦に巻き込まれるシーンは地上波放送の際に泣き出す子供が後を絶たなかったほどだ。
当時、彼女は以前のヒットから二面性というテーマによく用いられるようになり、これは、その二面性の“恐ろしさ”を知らしめた作品だった。故に、外国の評価だと、彼女の深い愛の演技を魅せられる“悪果の淵”を好む者は、彼女を“Ghost”と呼ぶ。だが、愛による狂気を魅せつける“紗椰”を好む者は、彼女を“Evil Spirit”と呼ぶという。
この子役について適役がおらず迷走していたが……なんとかなるかもしれない。それも、出演を取り決めた理由の一つだ。
『ま、いいよ。当然、役は遠藤弘樹なんだよな?』
「ああ。不安かい?」
『冗談。……あんたの演技よりもいいって、言わせてやるさ』
「くっ、楽しみだよ」
当時、私が演じた役は、加害者に雇われた探偵、遠藤弘樹だった。それを、今度は、甥が演じる。若い世代に委ねようなどと甘いことを考えていたこれまでと決別するのに、おあつらえ向きの舞台といえよう。
(君がこの世を旅立って二十年。その二十年が虚無の日々だったとは、もう、誰にも言わせないよ)
通話を終えたスマートフォンを机に置き、月のない夜を見つめる。あの夜空に君がいると思うと、不思議と、潰えたと思い込んでいた闘争心が、ふつふつと湧き上がってくるようだった。
――Let's Move on to the Next Theater――




