ending
――ending――
あれは、いつのことだったか。
まだ鶫さんが生きていた頃のことだ。彼女はたいそう人を驚かすのが好きで、クリスマスに天井に張り付いていたり、ハロウィンに不気味なマスクをつけて床下に隠れていたりと、幼少期はずいぶんと驚かされた記憶がある。
そんなエピソードばかりだから、当然のように海での思い出もあった。撮影で海に行った空き時間。鶫さんの姿が見えなかったから、辻口さんと閏宇さんの三人で探している最中、海に、一枚の大きなベニヤ板が流れてきたのだ。あまりにも不自然だから三人で近づくと、ベニヤ板がくるりと回転。裏側に張り付いていた鶫さんに、それはもう驚かされた。
いつもそうなのだけれど、そのときも確か理由は、次は溺死体の役だから、練習していた、とか、そんな理由だったと思う。
「懐かしいわ。あれで、辻口さんは失神。私も膝を抱えて震える羽目になったの。もっとも、一番怖かったのは、烈火のごとく怒る閏宇さんだったのだけれど」
「……あの人らしいわね」
私の話をどこか疲れた表情で聞くのは、早月さんだ。本日のお化け役に抜擢されたのは、私と早月さんの二人。最初は夏都さんの予定だったのだけれど、私たちが悪霊役をやることを感づいた珠里阿ちゃんに、こっそりお願いされたのだ。
『あたしも、おかあさんの“お化けのえんぎ”、みてみたい』
『じゅ、珠里阿? 私はそもそもあまりお化けは得意では――』
『だめ?』
『――よく見ておきなさい。私が悪霊演技であの人に劣らないということを、見せて上げるわ』
『やったー!』
いつの間にか、娘さんにずいぶん甘くなったものだと思う。去年の暮れに見かけたときは、もっと刺々しく周囲を威嚇していて、珠里阿ちゃんともすれ違っているように見えたのだけれど。
「さて。今回は挟み撃ちの作戦。私が入り口、早月さんは出口……鶫さんを誰より間近に見てきた女優として、最大限のおもてなしをしてあげないとね」
山道に和気藹々と入っていく凛たちの姿を見つける。衣装は白いワンピース。黒髪を前にも流し、水に濡らし、“囁くように聞こえる大声”を出せるよう声量・声質を調整。
肩を落とし、ざわめきを前に、さざ波を後ろに。さぁ、刮目なさい。これより先はホラー女優霧谷桜架の前哨戦。『紗椰』より前に、味わわせてあげるわ。
『許さない』
私の声に、びくりと肩を震わせて振り向く三人。恐怖に引きつる表情。瞬きと呼吸を読んで、意識の隙間に合わせて動く。鶫さんが得意としたブリッジ走行も面白いけれど、今回は四つん這いだ。
『かぇぇせぇぇぇぇッ!!』
私が走り出すと、三人は悲鳴をあげながら走り去る。急遽舗装したという割には整えられた道を四つん這いで疾走すると、過去の鶫さんの視点を味わうことができて……それが、なんだか少し楽しかった。
鶫さんはどんな気持ちでこうしていたのだろう。昔日の光景を脳裏に再生し、鶫さんの動きを忠実に再現していく。蜘蛛のように肘の関節を目立たせ、ワンピースの裾を使って下半身を隠し、腰と肩甲骨のバネを使って跳躍。
「凛、つぐみ、無事か!?」
「だ、だいじょうぶ、うぅぁぁぁ」
「あ、りんちゃん、あしもとに気をつけてね?」
――なんだか、つぐみちゃんはほんの少しだけ余裕そうだ。楽しそう、とも言い換えられる。これでも私は今日からホラー女優の端くれ。ちゃんと怖がらせてあげたいと思う、けれど、ここから先はバトンタッチだ。
即興で美奈子さんが作った怪談話。あれに沿って、同じ衣装の早月さんが前から挟み撃ちをする。
(さ、あとは任せましたよ、サラさん……ではなく、早月さん、か)
足を止めて、気配を消す。大きな木の陰に隠れて、挟み撃ちのために、今度はつかず離れずの距離をついていくことになる。
三人は足を止めずに祠に到着。札を置くと、拍手と見紛う速度で手を合わせ、揃って踵を返した。
その、後ろ。
『ァ■■■亜■ィ■ッッッッ』
掠れた声。
山の奥から、もがき苦しむように這い出る女。
『ロ■■ァァ■■■ィァァァァ!』
鶫さんとはまた違う。“悪役の才能”があるとまで謳われた女優。私には、鶫さんも認めたあの才能を何故秘匿するのか、かけらも理解できなかった。だって、あれは違う。
「ひっ」
小さく、つぐみちゃんが息を呑んだ。喉を掻き、苦しみ、それでも愉悦の笑みを浮かべる姿。
私と同じ衣装に身を包みながらも、彼女の演技は彼女独特のものだった。鶫さんの悪霊が否応なしに“理不尽”を叩きつけるものであるとするのなら、彼女の、早月さんの演技は、そう。
(狂気)
つかみかかろうとした早月さんの手が、とっさにつぐみちゃんを抱きしめた虹の行動によって遮られる。凛もまた、涙目……というか、ほとんど泣きながらもつぐみちゃんを助けた。
早月さんの手が空を切る。同時に、虹と凛は真っ青な顔を隠そうともせず、横抱きに抱えたつぐみちゃんを逃がすように走り始めた。さすがの若さというべきか、とても早い。
「けれど、ふふ、逃がさないわ」
再び四つん這いに。この速度で前に出たら転んで怪我をさせてしまうかも知れない。仕方なく、両手を揺らしながら走る早月さんに、四つん這い走行で合流・併走した。
『かえぇせええええええええええ!!』
『ろぉぉぉ■■■■■ァァァァァァッ!!』
がさがさ。
ざくざく。
だ、だ、だ、だ。
併走する二体の悪霊。
「あんなの聞いてねぇぞクソがッッ!!」
「うわぁああああっ、うぐっ、うぅ、つ、つぎゅみは、わたしがっ、ふぎゅ、まもるんだからぁぁぁっ!!」
「あわわわ、はやい! こわい!」
そんな悪霊から逃げる二人。
いつしか視界は開け、海の側を走っていた。
「早月さん」
「ええ」
私は早月さんと合図を交わすと、テントに三人が逃げ込んだことを確認して、そのままの勢いでぐるりとテントの裏に回った。そこで、控えていた小春さんと真帆さんに、メイクを落として貰う。
「早月、桜架さん、すごいわね、あなたたち」
「お疲れ様です。さ、お二人とも、こちらが着替えです」
髪を乾かし、メイクを落とし、着替えて息を整える。その上で、小春さんがプロ顔負けのテクニックでメイク直しをしてくれた。プライベート用の簡単なメイクではあるけれど、それでも充分、スタイリストとしてやっていけそうな腕前に見える。
ご両親といい、小春さんといい、気配を消してついてきた使用人といい、この島といい、つぐみちゃんのご家族はどうなっているのだか。畏れや呆れを通り越して、関心ばかりが湧いてきた。
「早月さん」
「……なによ」
「素敵でしたよ」
「あんたに褒められても嬉しくないわ――でも、受け取っておくわ」
なんだか、虹と重ねてしまうのは悪いような気がするけれど……今日の早月さんは、どこか、可愛らしささえある。
「では、子供たちを慰めましょうか」
「……珠里阿の反応が怖いわ」
「喜んでくれると思いますよ」
「それが怖いのよ。はぁ、胃が痛いわ」
何食わぬ顔で、二人並んでテントに戻る。大粒の涙を流しながら、つぐみちゃんにしがみつく凛。そんな凛とつぐみちゃんの隣で、がっくりと項垂れる虹。凛とつぐみちゃんを慰める美海ちゃんの側についていた珠里阿ちゃんは、私たちの姿を見つけると、ひまわりのように嬉しそうに笑った。
「おかあさん! っと、えへへ」
早月さんのところへ小走りで駆け寄り、身体をかがめて、内緒話をするように。
「やっぱり、おかあさんが一番すごいね」
「……ありがとう、珠里阿。あなたの言葉があれば報われるわ。――次の誕生日は、ちゃんと、祝わせて」
「っ――うん!」
抱き合う二人に、何か言うのも野暮だろう。
私は二人のシルエットを背に、凛たちに近づく。
せめて彼女たちに、感想でも聞いてみようかしら。なんてね。
――/――
怒濤の肝試しの翌日。
泥のように眠ったわたしたちは、ジェット機に乗り込んで席に座る。行きと同じように操縦席に座るのは、眞壁さんと小春さんだ。
「いや、すごかったね。夜は眠れた? つぐみ」
「ぁ、レオ……うん。みんなぐっすり」
とはいえ、まだまだ寝たりないのかな。凛ちゃんと虹君が並んでぐっすり眠っていて、珠里阿ちゃんと美海ちゃんも同じように眠りこけている。
「あの、さ、つぐみ」
「……うん」
レオはそう、窓から島の様子を眺める。その笑顔は、どこか、そう、ツナギとしての彼を思い出させるような、憂いのあるものだった。
「五百円玉、伝えてくれてありがとう」
「ううん。わたしは伝えただけ、だよ」
「それでも、ありがとう。虹は私の――おれの、最初の友達だったから」
ずっと抱えていたんだろう。どうしていいか、わからなかったんだろうとも、思う。
「昨日、遊んでみてわかった。みんなきっと、変わらない。変わらなきゃ行けないのは世界じゃなくて、おれなんだ。だから、気がつかせてくれて、ありがとう」
「わたしはなにもしてないよ。ぜんぶ、レオが見つけたんだよ?」
「ははは、つぐみはそればっかりだね。良いよ。勝手に思っておくから」
楽しげに笑うレオからは、昨日から見せていた戸惑いのような感情は見られない。向き合うことを知った、オトコノコの顔を、していた。
「おれ、ちゃんともう一度勉強して、俳優になる。いつか、父さんを超える俳優に」
「いいの……?」
「うん。四条の名を捨てて、風間として活動しても、どこかでボロはでると思う。父さんは“紗椰”の公開が終わって、オーディションに関わったことが迷惑にならない程度に時間を置いたら自首するって言ってた」
今は入院中の、四条玲貴。犯罪行為にも手を染めていたという彼は、今は療養に努めている。どのみち、病院から出廷しても問題ないと言われるまでは、裁判はできない。だから、それなら、巻き込んだわたしたちの映画に問題が無いというところまでこぎ着けたら、罪を告白するそう。
罪に向き合ってくれるのなら、わたしから言えることは何もない。だって、わたしは鶫ではないから。罰を受けてくれるのなら、わたしが出来ることは何もない。だって、レオは断罪ではなく、超えることを選んだから。
「じゃあ、いつか二人でびっくりさせよっか」
「ははは、良いね。つぐみとならできそうだ」
口調を変え。
色合いを変え。
それでも、ツナギはツナギだ。きっと、何も変わらない。
「ふぁ……」
「ねむいの?」
「うん、なんだか、オレも眠くなってきた、みたい」
「ねていて良いよ?」
「ん――」
わたしの肩に頭を預けて、静かに寝息を立てるレオ。わたしはそんな彼の頬をつつくと、そのまま、同じように体重を預けた。
明日からはまた、いつもの日常だ。
でもその日常はきっと、少しだけ、今までとは違う。
だから今日も、『明日が良い日になりますように』と祈って、眠ろう。
「おやすみ、レオ」
「……ん」
なんだか、あったかい、かも。
「ミナコ、カメラはあるかい?」
「ふふ、ええ、もちろん」
「……おやすみ。ぼくの天使」
――Let's Move on to the Next Theater――




