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scene5

――5――




 絨毯の敷かれた大部屋のローテーブルに、ばさりと大きな地図が広げられる。この無人島の地図だというそれに、ダディは×印を書いた。


「ここに、先住民が残したと思われる祠がある。道は舗装済みだけれど、外灯はない。道を踏み外したりはしないように、先ほど、部下に小さな反射板を設置させたから、危なくはないけれど雰囲気は出るはずだよ」


 ちょうど島の真裏に当たる位置に、その祠はあるのだとか。

 今回はわたしに気がつかれないように、ミニカメラで撮影。待機所のモニターに映すそうだ。珠里阿ちゃん、美海ちゃん、レオと大人たちは見学。凛ちゃんの希望で、わたしと虹君と凛ちゃんの三人で参加することになる。

 ……待機、と言いつつ、桜架さんや早月さんの姿が見えない。ひょっとしなくても、お化け役、なのかな。


「急に肝試しに向かっても、つぐみたちもあまり怖くはないでしょう? そこで、マミィがとっておきの怖いお話をしてあげますね」


 と、マミィはいつもの優しい笑顔で、ぴんと人差し指を立てた。


「マミィ、こわいおはなし、知ってるの?」

「ええ。つぐみも、楽しみにしていて」

「うん!」


 見れば、珠里阿ちゃんなんかも目を輝かせているけれど……美海ちゃんは、ほんの少し、口元を引きつらせていた。

 小春さんが部屋の電気を消し、マミィは蝋燭に火をつける。ぼんやりと揺れる炎を側に、マミィはゆっくりと語り出した。


「――この辺りは昔、漁師たちの休憩所として機能していたとか。近くの島で小魚をとって、この島に立ち寄り、祠で海の安全を祈願して戻っていたそうです」


 この島の周囲には、人の住めるような場所はない。一番近くの島は小笠原諸島で、そこから船を出し、ここで休憩して、戻るということなのかな?


「時は遡り、昭和初期のことだったといいます。近くの島で漁師をしていた正太という若者が、いつものようにこの島に立ち寄ると、一隻の難破船が打ち上げられていたそうです。正太は『これはいけない、生きている人は居るだろうか?』と直ぐに調べに行ったのだとか」


 落ち着いた声。マミィの声は、とても澄んでいる。気がついたら、聞き入ってしまうほどに。


「夕暮れにさしかかろうという砂浜で、正太は難破船に乗り込みます。『おおぃ、誰か居ないか? 居たら返事をしてくれ』と言うと、木の船の奥から『うぅ』と、消え入りそうなうめき声が聞こえてきます」


 木製の船といえば、海賊船のようなものがぱっと思い浮かべられる。でも、直ぐに乗り込めるのなら、それほど大きくはないんだろうけれど……。


「正太がうめき声の方に近づくと、どんどん、声が大きくなっていきます。壁は破れ、血の跡が床に染みつき、その場で何かがあったことは明白です。正太はだんだんと恐ろしくなってきましたが、なんとか、歩き進んだそうです。そうするとついに、一番奥の部屋で、うめき声の正体を見つけました」


 凄惨な現場だ。けれど、人の生き死にについて言及していないから、そこまで想像することはなかった。わたしたちに気を遣ってくれたんだろうなぁ。


「『うぅ、たすけてください、どうか』……声の主は女性でした。女性は木棚の下敷きになっていて、自分で這い出るのは難しいことでしょうが、正太が助けてやればきっと持ち上がることでしょう。正太は女性に『今助けてやるぞ』と声をかけると、女性に近づきます。ああ、ですが、正太は気がついてしまいました。おそらく女性の持ち物でしょう。近くの篭には、たくさんの金の延べ棒が収められていたのです。正太は最近博打にのめり込み、たくさんの借金がありました。少しでも働いて稼がねばならないのに、正太の稼ぎでは一向に貯まりません。ああ、ですが、今、彼の目の前には大きな財産があるのです。正太は迷いました。迷いましたが、借金を返せるだけではなく、思う存分博打ができるほどの黄金を前に――彼の心は、悪に傾きます」


 囁くように紡がれる言葉。

 静かに、染みこむような声。


「『この女が生きていたら、この金は返さねばならない。でも、もし』……生唾を呑み込んだ正太は女に向かってこう言います。『自分一人では持ち上げられない。今、仲間を呼んでくる』と。そして正太は、呻くことしかできなくなってきた女性を背に、音を立てないように篭を持ち出します。そして、仲間など最初からいなかったので、正太はそのまま船に乗り、家に帰ってしまいました」


 小心者で悪辣。

 大胆不敵で臆病。

 きっと、そんな人物だったんだろうな。


「正太は持ち帰った金で借金を返すと、余った金を元手に博打の元締めをするようになります。たいそう稼ぎ、たいそう遊び、たいそう金を使いました。そうするとまた財産が底をつき始めます。正太はそれに、こんな風に思います。『あの船にはまだ、金が眠っているのかも知れない』と。正太は直ぐに行動します。手斧を片手に久々に船を動かし、島に辿り着くと、あの難破船を探します。ですが、既に朽ち果ててしまったのか、船は一向に見つかりません。そうしているうちに夜が更けて、仕方なく、正太は島で一晩過ごすことにしました。――その夜のことです」


 声のトーンが低くなる。夜半、無人島、見捨てた人、金に目が眩んだ己。

 果たして、どんな夜を過ごしたのだろう。思い悩めば悩むほどに、重みが増していく。


「正太は、チャリン、チャリン、と金属の転がるような音で目が覚めました。乗ってきた船から身を起こし、音の鳴る方へ、音の鳴る方へ、砂浜を歩きます。するとどうでしょう、砂浜の先には見覚えのある難破船があったのです。『運が良い。目が覚めたのも仏様のお導きに違いない』と、心にもないことを呟いて、正太は難破船に近づきます。けれど、不思議なことに、いつまで経っても難破船に辿り着くことができません。ざくざく、ざぁざぁ、砂の音と波の音が、むなしく響くばかりです。正太は思いました。『一目見たときはこうも遠くはなかったはずだ』と」


 近くで、「あわわわ」と声が聞こえる。美海ちゃんが、わたしの服の裾をぎゅっと掴んで震えていた。


「正太は仕方なく、一度戻って明日の朝、もう一度探索しようと踵を返します。ところが、目の前にはまた難破船があり、やはり、近づくことができません。このとき正太はようやく、自分が何かに巻き込まれていることに気がつきました。ざくざく、ざぁざぁ、ちゃりん、ちゃりん。正太はこの場から逃げだそうと必死で走りますが、どこにも行くことができません。『なら、泳いで逃げだそう』。錯乱した正太は、そう言って海に飛び込もうとします。ですが――正太は、夜闇で黒々とした潮が海ではなく……女性の髪の毛であることに気がついたのです」


 ひゅ、と、息を呑む声。美海ちゃんとは反対側でわたしに捕まっていた凛ちゃんが、ぴしりと固まっていた。


「『かえせ』と、声がします。『かえせ、かえせ、かえせ』と響く声に、正太は持っていた金をばらまきました。『ひぃぃぃ、これで、これで許してくれ!』そう叫びますが、声はやみません。やがて声はだんだんと近くなり、そして、髪の毛の海から這いずり出てきた女が、木棚で潰された下半身を引き摺りながら正太にしがみつき、こう、言いました。――『私の足を返せ』……と」


 電気が付く。部屋が灯りに包まれると、凛ちゃんはようやく息を吐き出した。


「それからは、定期的に、この島では女性の霊を鎮めるために、昔からこの島にあった祠にお供え物をすることになったそうです。今日は三人に、お供え物としてお札を置いて帰ってきて欲しいのだけれど……良いかしら?」

「わわわわわわわかった、わかりました。わたしとつぐみと兄なら、やれます!」


 ……きっと、今の怖い話はこの島と関係ないんだろうなぁ。だってダディとマミィが、曰く付きの島にわたしの名前をつけようとか、するはずないからね。

 そうなると、せっかくここまで盛り上げてくれたんだから、水を差さないように頑張らないと。

















 スタート地点は海岸沿いのテントだ。だいたい片道十分程度で祠に到着する、のだとか。


「はぁ、なんでオレまで」

「兄、こわいの?」

「怖がってるのはおまえたち……」


 虹君はそこで一度言葉を句切り、目を細めてわたしを見る。それから、やれやれと首を振った。


「……おまえだけだろ、凛」

「そんなことない。つぐみ、つぐみ、こわい? こわいよね? つぐみは、わたしがまもるから!」

「うん、ありがとう、りんちゃん」


 虹君は、凛ちゃんに答えるわたしを胡乱げに見つめていた。髪をかきむしって、大きくため息までついている。ちょーっと失礼じゃないかな?

 スタート地点でわたしたちを見送ってくれるのは、珠里阿ちゃんと美海ちゃんと、それからレオだ。レオに虹君からの伝言は、さっき、こっそり伝えておいた。だからかな、レオの虹君を見る目は、少しだけ、柔らかい。


「つぐみ! がんばれ!」

「り、りんちゃんも、気をつけて」

「虹。つぐみと凛のエスコートは頼んだよ」


 手を振ってくれる三人に、しばしの別れを告げる。テントの奥では、ダディたちが優しく手を振ってくれた。気配を感じられないだけで、ほんとに直ぐ側に真宵さんたちがいるんだろうなぁ。


「よし、さっさと行ってさっさと帰るぞ、チビ共」

「む。兄! そんな言いかたしちゃダメなんだよ?」

「はいはい」


 ……凛ちゃんと虹君の二人は、なんだかいつも賑やかで楽しそうだ。二人と一緒に居ると、なんだかわたしも兄妹が欲しくなってしまう。鶫は、うん、ある意味ではわたしのお姉さんみたいな感じだけれど。


「兄、かいちゅうでんとう、重い」

「貧弱」

「もう、こーくん、ダメだよ」

「なんでおまえは保護者面なんだ。しょうがねぇな、ほら、凛、寄越せ」

「やった」


 海岸沿いを並んで歩く。直ぐに山道に入って、その先が祠になるんだとか。

 砂浜を歩いていると、山道の始まりと思われる場所が見えてきた。足下に続く棒状の反射板が、きらりと光っている。


「ね、つぐみ」

「どうしたの? りんちゃん」

「つぐみと出あえて、まだ、はんとし(半年)くらいだけど……わたし、つぐみとともだちになれて、よかった。だから、あの、その」

「うん」


 手を握って、凛ちゃんの隣を歩く。虹君は空気を読んで、ちょっとだけ前を歩いてくれた。


「これからも、ともだちでいてくれる?」


 控え目にわたしを見る瞳。黒い瞳の奥は、ほんの少しだけ青みがかっている。

 あの日、オーディションで出会って、それからずっと凛ちゃんはわたしの一番の友達だった。あれから色んな人と友達になれたけれど……一番最初で、それから、一番の親友(・・)は誰かと言われたら、やっぱり凛ちゃんだ。だから。


「りんちゃんこそ。わたしは、りんちゃんのしんゆう(親友)の座を、だれにもゆずる気はないんだからね」

「っつぐみ! えへへ、うん! わたしだって! 大きくなっても、ずっといっしょ!」


 花開くように笑う凛ちゃんを、愛おしく思う。凛ちゃんがいつだって対等に向き合ってくれたから、だから――だから。


「ほら、そろそろ山道だ。足下に気をつけろよ」

「うん!」

「うん、ありがと、こーくん」


 山道に踏み込むと、途端に視界が暗くなる。外灯の一つもないと、樹のカーテンが帳のように、重くのしかかってきた。ぼんやりと輝く反射板が、かえって不気味さを演出している。


「つぐみ!」

「はい! えっと、りんちゃん?」

「たのしいこと、かんがえよう!」

「そう、だね?」


 凛ちゃんは、震える足を隠すようにそう叫ぶ。あまりの勢いに圧されていると、くつくつと笑う虹君の声が耳に届く。ちょっと失礼ではないだろうか。



「どうすればずーっとつぐみといっしょにいられるか、かんがえてたんだけど」

「うん」

「つぐみが兄とケッコンすれば、ずっといっしょにいられるね!」



 返事に詰まる私と、吹き出す虹君。


「へぇあ?」

「ブフゥッ!? 凛、は? おまえ、は? 何言ってんだ!」


 そんなわたしたちの様子なんて気にした様子もなく、凛ちゃんは名案とばかりに頷いていた。


「兄だって、つぐみならうれしいよね?」

「だっれが! こんなちんちくりんと!」

「む。ちんちくりんはひどいよ、こーくん」

「言葉の綾だ!」


 綾なんだ。いやいや、そうじゃなくて、えーと、えーと。


「あ、でも、つぐみにもえらぶケンリがあるよね」

「なんでそっちを気遣ってんだ?! オレじゃ不満だってのか? あ?!」

「こーくん、ちかい、ちかいよ」


 何故かわたしに詰め寄る虹君に、思わず怯む。だって、えっと、そんなことを急に言われても困るし、ううむ、ええっと。


『許さない』

「許さないって、おまえが言い出し、た、ん……だ?」


 響く声。

 ゆっくりと振り向くと、そこには、暗がりにぼんやりと浮かび上がる、一つのシルエット。

 海から這い出てきたのか、真っ白なワンピースを着た黒髪の女性が、一歩踏み出そうとして――崩れ落ちる。ああ、きっと、足に力が入らないんだ。そう思わせる動きのあと、彼女はそのまま四つん這いで、高速で、駆けだした。





「うわぁああああ!? は、走れ、走るぞ!」

「ひゃぁあああああ!? 兄、つぐみ、はやく、はやく!」

「っあ、あれってまさか――」





 わたしは凛ちゃん共々虹君に手を引かれて、夜の山道を走る。

 賑やかに走り去る道行きがなんとも怖くって――鶫を思い出して緩む頬を、頑張って抑えることしかできなかった。





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― 新着の感想 ―
[一言] 「これぞ鶫さん直伝!!」っと、張り切ってるあの方が見えます。 「さくらちゃん出来る様になった!( ^ω^ )b」
[一言] こ、このエクソシスト走法の使い手は…
[良い点] 桜花さん……化物ステップ身につけたんですね?さすが…… [気になる点] こーくんツンデレやりすぎると嫌われるぞ!
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