scene4
――4――
芳しいビーフシチュー。
焼き色の眩しいローストビーフ。
色とりどりのサラダに、バゲットに、小皿に盛り付けられた一品料理たち。
「わぁ……母、母、すごい、ごちそうだ!」
「そうよ。早月や夏都だけでなく、美奈子さんや椿さんにも手伝って貰ったんだから」
凛ちゃんのお母さん、真帆さんが、凛ちゃんの頭を撫でながらそう告げる。男性陣はまとめてお風呂に放り込まれていたようで、虹君とレオを連れてダディたちも戻ってきていた。
食事後、男性陣が後片付けをして、その間にマミィたちがお風呂に入るのだとか。
「さ、あなた」
「ああ、美奈子――皆さん、本日は忙しい中、お集まりいただき誠にありがとうございます。本日はどうぞ日頃の疲れを癒やしてください。さ、グラスを手に……乾杯」
ダディのとても良くとおる声で乾杯の音頭が取られる。わたしたち子供はジュースを、大人たちはグラスにお酒を傾けた。
料理は、どれを食べようかな、と考えた次の瞬間には取り分けられている。以心伝心、ということは、素知らぬ顔でそばに控える小春さんの仕業だろう。嬉しいけれど、小春さんが疲れてしまわないか心配。
ということで。
「こはるさん」
「いかがなさいましたか?」
クラッカーにクリームチーズと生ハムを乗せて、そっと、小春さんに差し出した。
「あーん」
「っ!」
わたしだって、小春さんを労ることくらいできるのです。そんな意味を込めて差し出したクラッカーを、小春さんはただ、じっと見つめていた。あれぇ?
「あ、もしかして、きらい――」
「大好物です」
「――ほんと? よかった。じゃ、あーん」
小春さんはその場で大きく深呼吸をする。手ずから、というのは、もしかしたらマナーが悪かったのかも知れない。どうしよう、小春さん、無理していないかな?
そんな風に考え始めたところで、小春さんが動き出す。差し出したクラッカーは小ぶりなモノだったから、大きく口を開けたら一口ですっぽりと収まった。その代償に、わたしの指が小春さんの唇に当たってしまう。
「どう?」
「至福です。むぐ、むぐ、さいこうれふ。生きてて良かった」
「おおげさだよぅ、もう」
でも、うん、小春さんはあんまり表情が動かないからわかりにくいけれど、とても喜んでくれているのが伝わってくる。小春さんが嬉しいと、わたしも嬉しいな。
「あら、小春ばかりでは妬けてしまうわ。ねぇつぐみ、マミィには?」
そんなわたしたちの様子を見ていたマミィが、わたしの隣に腰掛けて微笑みかける。マミィにももちろん、やらせていただきます。クラッカーに、今度はレタスとサーモン。和風っぽい、ぽくない、かな?
「マミィにも! はい、あーん」
そう言って差し出せば、マミィは実に上品に咥えてくれた。
「あーん……ふふ、美味しいわ。ほら、お返しよ、あーん」
「あー……んっ。おいひぃ!」
マミィから一口受け取ると、クラッカーとクリームチーズ、それからオリーブの酸味がふわりと広がった。美味しい。
「ああ、見えるかい? カズマ、テツ。ぼくの天使と女神が楽園を築いているよ。これはまさしく天上の調べ。ああ、こんな場に居合わせるとはなんと幸運な」
「ええ、見えていますよ。僕も真帆と凛にやってもらおうかな。凛、どうだい?」
「わたし、つぐみに食べさせてくる!」
「よし、俺も美海と夏都に……美海? ああ、もうつぐみちゃんのところへ……強かなところは夏都譲りか? 将来はきっと夏都もびっくりの猛獣系小悪魔に――」
「あ・な・た?」
「ひっ……な、なんでもない、なんでもないぞ、夏都。だからクラッカーにハバネロは――」
……なんだか、他の席が騒がしい気がする。けれど顔を向けようとすると、マミィがそっと視線で止めてくるので、素直に従ってやめておいた。
代わりに別の方向へ目を向ければ、顔を真っ赤にしたレオに食べさせようとする、酔って顔が赤い椿さん。それから、珠里阿ちゃんに食べさせて貰って顔を真っ赤にする早月さんと、そんな早月さんをからかう桜架さんの姿が見えた。桜架さん、早月さんに容赦が無いよね……?
「つぐみ、つぐみ、わたしも、あーん」
「つぐみちゃん、つぐみちゃん、わたしも、あーん!」
「り、りんちゃん、みみちゃん、いちどに食べられないよ……」
圧が、圧がスゴイ。
助けを求めようと周囲に目を向ければ、一人気ままに食事を楽しむ虹君と目が合った。虹君は困り果てているわたしの姿を見ると、にんまりと笑って口を動かす。
『せ・い・ぜ・い・が・ん・ば・れ』
せいぜい、頑張れ?
ふーん、そっか。困っているわたしを見て、そんなこと言っちゃうんだね。
うんうん、そっか。
「りんちゃん、みみちゃん、あとでもらうね?」
二人に断りを入れて席を立つ。まだ湯気の立つアツアツのビーフシチュー。虹君って育ち盛りなのに、ぜんぜん食べてないみたいだったからね。
「こーくん」
「は? おま、え、いつの間に?」
意識の隙間を縫って近づいてきたから、わたしの接近に気がついていなかったみたいだ。ダディとマミィ、それから小春さんはちゃんと目で追っていたのに。
「はい、あーん」
「は? え? なにを――」
虹君は左を見る。
まさか断るのか? と、笑顔だけど目が笑っていないダディの姿。
虹君は右を見る。
まさか断らないわよね? と、笑顔なのに圧力があるマミィの姿。
「は、はは……悪魔か、おまえ」
「あーん」
「ぐぬぬぬ、わかった、わかったよ」
やりとりの間に冷めてしまったのか、ほどよい熱さになったビーフシチューを、大きな口で受け入れる虹君。ぐい、と近づく顔立ちはきれいで、思わず、凛ちゃんの家で演じた“禁断の恋”の一幕を思い出した。
『ありのままのつぐみが、幸せなら、それでいい』
あのときの言葉に救われた……なんて言ったら、虹君は、なんて言うかな?
なんだかおかしくなってしまって、小さく声を漏らして笑う。胸の奥がまた、ほぅ、と温かくなった。
「なんだよ」
「なんでもないよ……ふふ」
「はぁー、女って何歳になっても全然わかんねー」
天を仰いで顔を隠す虹君。そんな虹君に、感謝しているんだよ? なんだか照れくさいから、当分は、秘密だけれどね。
たくさんの料理に舌鼓を打ったあと。
凛ちゃんは片付けられたテーブルの上座に案内されて、首をかしげていた。
戸惑う凛ちゃんを尻目に、わたしたちは目配せをする。凛ちゃんの前に大きな箱を置いて、それから、わたしたちは一斉に、クラッカーを鳴らした。
「りんちゃん、たんじょうび、おめでとう!」
「え? え? ええっ!? わわわ、すごい、こんな、いいの?」
「良いに決まってんだろ。ほら、誕生日プレゼントもあるぞ」
「兄……みんな……ありがとうっ!!」
瞼の端に涙を溜めて、凛ちゃんはわたしたちに笑いかける。凛ちゃんの目の前の箱を開けると、七本の蝋燭が立ったケーキが置いてあった。
「さ、消して、凛」
「うん! 母! はぁ……ふぅー!」
大きく息を吐いて、凛ちゃんが蝋燭の火を消す。そうすると一斉に拍手が巻き起こった。その拍手に照れて俯く凛ちゃんに、真帆さんはそっと声をかける。
「誕生日プレゼントもいっぱいあるわよ」
「ほんと? ケーキもあるのに?」
「もちろん」
真帆さんからは、可愛らしいカラスの髪飾り。
万真さんからは、台本に挟めるようなクローバーの栞。
虹君からは、黒を基調とした上品な帽子だった。
「わぁ、わぁ、わぁ! すごい!」
「あたしもあるぞ!」
「わ、わたしも!」
珠里阿ちゃんからは、手作りのチョコクッキー。
美海ちゃんは同じくチョコマフィン。一緒に作ろうと誘われたけれど、残念ながら日程が合わなかった。
「だいじに食べる! ありがとう!」
早月さんは、どこか不器用に笑いながら小鳥のぬいぐるみ。
椿さんも用意してくれていたみたいで、演技の役に立てば、と、自分が出演したドラマの台本を持ってきてくれたみたいだ。
夏都さんと鉄さんは二人で一つ。わたしたち四人の写真を額に入れて作ってくれたみたい。いつ撮影したモノなのだろうか? 一番左に美海ちゃん。その隣に、美海ちゃんの手を掴んで上げる珠里阿ちゃん。そんな珠里阿ちゃんと手を繋ぐ凛ちゃん。そして、一番右側には、凛ちゃんの手を掴んで微笑む、わたしの姿。
「きれい! 家にかざる!」
続いて、小春さんが可愛らしいキーホルダー。描かれているのは、鳥の鶫だ。なんだか照れくさい。
マミィは靴だ。カラスのワンポイントが可愛い、お洒落なパンプス。その靴によく似合う上品なショール。どちらも、ローウェル製品なようだ。
「い、いいんですか? こんな、だって、すごい」
「ふふ、もちろん、つぐみと仲良くしてくれているお礼のようなものよ」
「つぐみと仲良くしてるのは、わたしがうれしいからで、その」
「だから、よ」
優しく凛ちゃんの髪を撫でるマミィ。そんなマミィに、凛ちゃんはただ首をかしげていた。
「さ、つぐみちゃんはオオトリだから、次は私ね」
「おししょーも?」
「ええ。私のプレゼントは、これよ」
そういって桜架さんが取り出したのは、凛ちゃんの部屋にあったぬいぐるみと同じ種類のモノだ。シロクマに恐竜の尻尾を生やした、可愛いと妙ちきりんの間を行ったり来たりしそうなキャラクター、“クマザウルス”の姿。
今日、桜架さんが持ってきたのは、『凛ちゃんの』というプラカードを掲げたクマザウルスだった。可愛い、けれど、センスがちょっと謎でもある。
「知らないモデルだ! おししょー、どうやって?」
「ふふ。なにを隠そうこのクマザウルスは、私が名付け親なのよ? 十三個も却下された上で一番地味になってしまったのだけれど……メーカーに、少しだけ融通を利かせて貰ったわ」
「おおー! すごい! けんりょくだ!」
ああー、なるほど、そっか、それで。
きっと、却下された名前はとてもすごかったんだろうなぁ。絶対、熊もザウルスも関係の無い名前だったに違いない。知りたいような、知りたくないような。
「じゃあ、さいごはわたし。気に入ってくれるか、わからないけれど」
そう言って、わたしはスマートフォンのケースを取り出す。なんというか、最初に凛ちゃんとお出かけをしたのが、スマートフォンを買いに行くときだった。だからその日のことを思い出して、ダディに頼んで作って貰った。
もう少し器用なら、自分で作りたかったのだけれど……将来は、ぜったい、自分で作る。
「ケース?」
「うん。わたしとね、おそろいなんだ」
凛ちゃんのケースは、シルバーのボディに黒い翼の刻印。
わたしのケースは、黒いボディにシルバーの翼の刻印。
「そっか……つぐみと、いっしょに買ったスマホだから。ありがとう、つぐみ。だいじにする。うれしい――えへへ」
ケースを嵌めて、胸に抱きしめる凛ちゃん。幸せそうに微笑む彼女の様子に、わたしたちは揃って顔を見合わせて、みんな、同じような顔で微笑んだ。
「リン、せっかくだから叶えて欲しいことはあるかい? こんなに人が集まることもあまりないからね」
「つぐみのおとうさん……でも、これいじょうなんて」
「はは、遠慮はしないでいいんだよ。つぐみの友達には毎年同じ分だけやることだからね」
ダディ……さらっと言うけれど、それってすごいことな気がする。
「じゃあ、あの、むりでなければ」
「ああ、言ってごらん」
「わたし――――が、したい」
そう、控え目に続く言葉。
その内容があまりにも予想外だったものだから、わたしたちは揃って首をかしげて、聞き返した。
「ん? なんて?」
「きもだめしがしたい。こんどこそ、クリアしたい!」
大広間に響く声。
思わず、といった様子で固まる美海ちゃんと、目を輝かせる珠里阿ちゃん。
なんだか、うん、もう一波乱あるようです。




