scene3
――3――
泳ぎに泳いで。
遊びに遊んで。
「くそ、なんでこんなに疲れなきゃならないんだ」
「あはは、こーくんだいじょうぶ?」
日も暮れ始めたころ、わたしは海辺で虹君の背をさすっていた。
「主にはおまえのせいなんだがな」
「ふせんぱいがよかった?」
「……チッ」
なんだか、一日があっという間だった。最初はギクシャクしていたレオも、次第に打ち解けて、椿さんとタッグを組んでビーチバレーを勝ち抜く程度には満喫しているように見えた。
そんなビーチバレー選手権は、もちろんわたしとダディのチームが圧勝です。審査員のマミィも満足そうで、本当に良かった。
「元気が有り余りすぎだろ。あと、おまえの父親のアレ、どうなってんだ」
虹君が言うのは、わたしとタッグを組んだダディのことだ。足場の悪い砂浜で、トランポリンにでも乗っているのではないかというほどに軽やかに動き、力強くスパイクを決め、わたしを肩車したまま反復横跳びまでしてみせた。
今更ながら、血縁を強く感じさせる。だってわたしも、こう動こうと思うとそう動くことができる。鶫がわたしを“ハイスペックボディ”と例えたのにも納得、だったり。
「おまえと結婚する男は大変だな。あの父親に認められるってことは相当だぞ」
「そういえばいつかのバラエティで、ダディが、こーくんをためすって」
「はぁ!? バラエティって……ああ、あれか、くそ。認められるって、なにをどうすれば認められるってんだ……?」
なんだか、えーと、たぶん虹君は“挑まれている”っていう気持ちで話しているのだろうけれど――わたしとの結婚のためにダディに認められようとしている、みたいな感じになっているのは気がついているのかな?
たぶん、気がついていないんだろうけれど、うん、ええっと、なんだかほっぺたが熱くなってきた。
「あ――ち、違う、ええっと、そうじゃなくて!」
「あ、あはは、わかってる、わかってるよ、あははは、は……」
「……」
「……」
沈黙。
なんだかどんな顔で虹君を見たら良いのかわからなくて、視線が泳ぐ。
そうこうしている内に、虹君の視線が砂浜を歩く凛ちゃんたちの姿を捉えた。
「あー……なんだ」
「こーくん?」
虹君はなにかを逡巡するように、言葉を選ぶ。いくつか言おうとした言葉を呑み込んで、頭を掻き、それから静かに口を開いた。
「なぁ、つぐみ」
疑問と、どこか、戸惑いに濡れた声。
「ん? なに?」
「レオって、あいつさ……」
凛ちゃんたちの輪に交ざるレオの姿を見て、虹君は、やっぱり、言いづらそうに言葉を選ぶ。
その、虹君の言いたいことが何であるかがわかってしまうから、わたしはただじっと、虹君の言葉を待った。
「あー……いや、やっぱりいいや」
「え?」
「つぐみ、レオに一個、伝えておいてくれ」
また、ガシガシと髪をかきむしりながら、虹君は項垂れていた背をすくっと伸ばす。それから、戸惑うわたしに笑みを見せた。
……時々、凛ちゃんを構っているときに見せるような、優しい微笑み。夕日に浮かぶ、虹君の柔らかな横顔。
「五百円玉は、しばらく貸しておいてやるよ、って、な」
「……うん、わかった!」
あの日、ツナギが鵜垣に投げつけた五百円玉。夢の中で何度もわたしを助けてくれた、一枚の硬貨。それについて、きっと、深く聞く必要なんか無い。
「さ、戻るぞ。……サプライズ、あるんだろ?」
「あわわわ、いっちゃダメだよ?」
「ここからじゃ聞こえねぇよ。それより、遅れるなよ、つぐみ」
「うん、待って、こーくん!」
さっさと歩き出す虹君に追いつく。
歩幅はぜんぜん違うけれど、なんだか、とても近い。その近さが、その優しさが嬉しくて、少しだけ、頬が緩んだ。
(良かったね、ツナギ)
夕日に照らされた影が、遠くまで伸びる。なんだか今はその影すらも、暖かかった。
……ということで。
場所をログハウスに移し、入浴や料理の準備。ただのパーティーだと思い込んでいる凛ちゃんには、このあと、とっておきのプレゼントがあったりするのです。
大人たちが準備を進めてくれている間。わたしたちは入浴タイム。女の子四人……だけだと危ないので、小春さんと桜架さんが入浴の手伝いをしてくれる。
「走らないようになさいね」
「はい、おししょー!」
大浴場といっても差し支えのない大きな檜風呂。桜架さんが一声掛けると、まさしく走り出そうとしていた凛ちゃんの身体がぴたりと止まる。滑って転んだら危ないよ、凛ちゃん。
「つぐみちゃん、つぐみちゃん」
タオルで身体を隠しながら、美海ちゃんは控え目にわたしを呼ぶ。これからまさに髪を洗おうとしていたわたしは、桶を手に取ったまま美海ちゃんに首をかしげた。
「おうかさん、すごいね。きれー……」
美海ちゃんにいわれて、桜架さんを見る。確かにすごくバランスの良い、綺麗なプロポーションだと思う。胸ってあんまり大きすぎると和服が似合わなくなっちゃうんだけれど、桜架さんはアンダーとの差が大きいからすごく大きいという訳でもないのに、プロポーションがよく見える。
わたしは……わたしは、どうなんだろう。鶫は幼少期の不摂生が祟って、比較的スレンダーな体格だった。わたしはどんな大人になるのかな? 不安がないって言ったら、たぶん、嘘になる。それでも、大好きなダディとマミィに似るのなら、なんでもいいかなっていう気持ちもある。
「なんだ、みみ。おししょーの身体が気になるのか?」
「り、りんちゃん、あわわ、そ、そんなんじゃなくて……」
「あはは、おうかさんが、“ボン、キュッ、ボン”できれいだねって、話をしてたんだ」
わたしの言葉のどこか引っかかったのか。
むむむ、と唸り声を上げて、凛ちゃんは首をかしげる。
「ぼんきゅっぼん……? やっぱりつぐみは、ときどきババくさいよね」
「うぐっ」
そして、次いだ言葉が槍のように突き刺さった。あれ、おかしいな、鶫に引っ張られているのかな? 胸の奥へ意識を向ければ、鶫は苔むしたバスタブの中で土左衛門ごっこをしていた。じ、自由すぎるよ……。
「三にんとも、はだかで何してんだ? かぜひくぞー」
「あ、じゅりあちゃん。そうだよね、りんちゃんもみみちゃんも、身体、あらおう?」
「あ、そうだった。おししょー! 髪、あらってー!」
ぱたぱたと桜架さんの元へ走る凛ちゃん。つるん、と転びそうになる凛ちゃんを、優しく抱き留める桜架さん。
「はいはい。凛と、そうね、つぐみちゃんを私が見るわ。その方が凛も喜ぶでしょう。小春さんは、美海ちゃんと珠里阿ちゃんをお願いしてもいいですか?」
「はい。それもまた、はい」
「?」
小春さんはわたしに一礼すると、美海ちゃんと珠里阿ちゃんの方へ歩いて行く。わたしは凛ちゃんを抱える桜架さんと並んで、洗面台の前に腰掛けた。
「凛もつぐみちゃんも、髪を洗うの、大変そうね」
「おうかさんも、たいへんそうです。その、長くてきれいで」
普段は編み込んでいることも多い黒髪も、今は解いて流している。少しだけ編み込みの癖がついていて、緩くウェーブがかった髪は美しい。鶫の記憶の中で背伸びをしていた小さな女の子は、柔らかく子供の頭を撫でられる女性に成長した。
わたしも、そうなれるかな。
「あら、ありがとう。つぐみちゃんの髪も綺麗よ」
「おししょー、わたしはー?」
「もちろん凛も」
凛ちゃんは桜架さんに髪を洗って貰いながら、嬉しそうに笑う。凛ちゃんの黒髪から水滴が落ちて、板張りの床を撫でた。ちょっとだけ思うのは、もしもここに鶫が居たら、桜架さんと並んでわたしの髪を洗ってくれたのかな、なんて。
「はい、終わり。身体は洗えるわね?」
「うん!」
「じゃあ、次はつぐみちゃん」
「え? あっ、ありがとうございます!」
わたしの後ろに移動した桜架さんが、泡立てたシャンプーでわたしの髪を撫でる。すぅ、と、指が通っていくくすぐったさに、少しだけ身をよじった。
「痛かった?」
「ううん、だいじょうぶ、です」
「ふふ、そう」
梳くように髪を撫で。
揉み込むように頭皮を刺激する。
なんだか、マミィみたい、かも。
「凛の髪も綺麗だけれど、つぐみちゃんの髪もとても綺麗ね。水を梳くようだわ」
「あわわ、おうかさんの髪も、すごく、きれいです。――つぐみさんも、こうやって、洗ってくれたんですか?」
「あら、ありがとう。ええ、そうね、何度か。ふふ、笑って『ちょうど良いです!』なんて言ったのだけれど、ほんとはちょっと痛かったのよね」
意識の奥。鶫ががばっと起き上がって、気まずげにぶくぶくと沈んでいった。
「子供の扱い、とか、そういうのが得意な方ではなかったの。そういう意味では、閏宇さんの方がよほど上手だったわ。でもね、一生懸命、私のために何かをしてくれるということ自体が、とても嬉しかった」
「それは――」
「ほら、流すからしっかり目を瞑って」
温かいお湯が、頭から身体を流していく。前髪にあたったお湯がヴェールみたいに視界を覆うと、胸の真ん中からぼんやりと温かくなった。
「つぐみちゃんも、覚えておいて。できなくてもいい。でも、思うことを諦めないで――なんて、ふふ、あなたの方がよほどわかっているかしら」
「そんなことないです! おうかさんは、その、すてきです」
「ふふ、ありがとう。さ、身体を洗ったらお風呂に浸かりましょう?」
身体を洗い終えて走り出そうとする凛ちゃんを捕まえながら、桜架さんはそっと、わたしから離れる。こうやって誰かのことを考えて、思える桜架さんは、本当に素敵な人だと思う。
わたしの理想はマミィだ。わたしの夢は鶫で、わたしの目標はきっと、桜架さんだ。そう思うと、なんだか元気が湧き上がってくるような気がした。




