opening
――opening――
晴天。青い空に白い雲。きらきらと輝く水面が眼下に見える。わたしはシートに背中を預けて、円い窓ガラスから外を眺めた。まさかこんなことになるなんて、と。
「つぐみ、つぐみ! カモメ!」
「うん、そうだね、りんちゃん」
「つ、つぐみちゃん、高くてこわいから、もう少し近くにいってもいい?」
「シートベルトをはずしたらあぶないよ、みみちゃん」
「つぐみ、アメあるよ。舐めるか?」
「うん、ありがとう、じゅりあちゃん」
隣に凛ちゃん。後ろに美海ちゃんと珠里阿ちゃん。前の席には虹君と……レオ、と名乗るツナギ。二人からは、わいわいとはしゃぐわたしたちに、ため息を吐く音が聞こえてきた。
もう少し周囲に耳を傾けると、反対側の座席の会話も聞こえてくる。一番前の二席には、マミィ。マミィの隣は凛ちゃんのお母さんの、真帆さん。その後ろの二席は珠里阿ちゃんのお母さん、早月さんと、桜架さん。この席がわたしたちの真横だからよく見えるのだけれど、早月さんは終始頬を引きつらせていた。
さらにその後ろには、美海ちゃんのお母さんの夏都さんと、レオの保護者役として来てくれた椿さん。で、さらに後ろの席の様子はさすがにわからないけれど、凛ちゃんのお父さんの万真さんや、美海ちゃんのお父さんの鉄さん。そしてダディが座っている。
「りんちゃん、ぐあいが悪くなったりない?」
「だいじょうぶ! ひこうきってはじめてだけど、楽しい!」
「そっか、よかった」
快晴の空を突き進む、一機のプライベートジェット。念願叶って海に行く、となったわたしたちに、ダディとマミィは“所有”している無人島で、一泊二日の小旅行をプレゼントしてくれた。
みんな忙しいだろうに、何日も前から計画を練っていたのか、はたまたスポンサーのパワーなのか、これだけの大人数が参加することができた。それ自体はすっごく嬉しいのだけれど。
(ねぇ、鶫、見てる? 飛行機だよ)
(むり)
目を瞑って意識を向ける。前ほど近くないけれど、前よりも強く向き合うことができるようになった鶫。彼女は苔むしたアスファルトの上で蔦の這うシートに腰掛け、青い顔で項垂れていた。
飛行機、苦手なんだね、鶫。鶫の記憶を参照すると、いつも眠るように意識していたみたいだ。演技のためなら飛行機の外側に張り付くことすら厭わないのだろうけれど、プライベートでは難しい、みたい。
(わたしは……飛行機、けっこう好きだな)
もしも張り付く演技をするのなら、やっぱり窓が良いよね。やってみたいかも。
「ねぇりんちゃん」
「なに?」
「まどの外に張りついたら、おもしろそうだよね」
「……つぐみ、そとにでたら落ちちゃうんだよ」
な、なんだろう。凛ちゃんの目がとても生暖かい。
「おいレオ、後ろのヤツが妙なこと言ってるぞ」
「つぐみは、ほら、時々ずれているから。そんなところも可愛いと思うよ」
「いや止めろよ」
うぅ、虹君とレオまで……どうしてこんなことに。
わたしは周囲から向けられるぬるーい視線から逃れるように、シートに深く身体を埋めて顔を隠す。そんなつもりじゃなかったのに……。
『着陸準備に入ります。シートベルトの確認をしてください』
操縦者の眞壁さんのアナウンスが入る。眞壁さん、一体何種類くらい操縦できるんだろう。船もできそうだよね。ちなみに、副操縦席に座るのは小春さんだ。
アナウンスに従ってシートベルトを確認。着地の衝撃に備えていると、想像よりもずっと柔らかく、無人島に備え付けられた滑走路に着地した。
「おぉ、すごい、たのしいかも」
小笠原諸島から西。本州とグアムのちょうど真ん中という位置に、この無人島はある。なんでもマミィの実家である空星家が所有していた無人島らしいのだけれど、卒業祝いにプレゼントされたのだとか。
「つぐみが大きくなったら、あなたにあげるわ」
「ぇぇ……もてあましちゃうよ、マミィ……」
「いいね。ぼくの天使の島だ。TsugumiAngelLandと名付けようか」
「は、はずかしいよぅ……ダディ……」
無人島なんて貰っても、管理できる気がしないよ……。
プレゼントの規模の大きさに震えつつ、無人島に着陸する。島の中央に広い平原があり、ここに滑走路が設置されていた。平原の端には大きなログハウスがあって、ここで泊まるらしい。
率先して案内やサポートをしてくれるのは、小春さんだ。小春さんは男性陣と一緒に、ログハウスに荷物を運んでくれる、の、だけれど。
「こはるさん、わたし、じぶんの荷物はじぶんでもつよ?」
「つぐみ様……なんとお優しい……でも、大丈夫ですよ。つぐみ様のお世話は私のやりがいですから」
「そう? でも、むりはしないでね?」
「ええ。約束致します」
微かに口元を緩めて告げる小春さんに頷いて、視線を他に戻す。待ちきれない、という様子で駆け出す凛ちゃん。凛ちゃんに引き摺られるように引っ張られていく虹君。そんな虹君に何故か引き摺られていくレオ。カオスだ。
珠里阿ちゃんはみんなを微笑ましそうに見つつ、早月さんについていた。忘れ物はないか、と、早月さんに確認する様子は、背伸びをしているようで微笑ましい。美海ちゃんは、と見回すと、わたしに向かって、てとてとと小走りで駆け寄る彼女の姿が見える。
「い、いこ、つぐみちゃん!」
差し出された手を握ると、夏の陽気に火照った手のひらが、なんともぬくぬくと暖かくて。
「うん。いっしょにいこ、みみちゃん」
こうして手を取り合うと、あのときのことを思い出す。夕暮れの校舎。振り払われた手。感情を爆発させて、暗がりの先に走り去った美海ちゃんの姿。もしも、あのままだったらきっと、こんな関係にはなれなかった。
(あのときは、力を貸してくれてありがとう――鶫)
そっと目を伏せて、意識の奥の鶫を思う。わたしの思いに鶫は……反応することもできず、青い顔で蹲っていた。なんか、うん、ごめんね?
ログハウス、と、言ったけれど、近づいてみるとその威容がよくわかる。これ、山小屋とかログハウスとかそんな規模じゃなくて、ペンションとか大きめの別荘とか、そのクラスの建物だ。
玄関から靴のまま入って、家の中も靴を履いたまま。普段はダディとマミィで一部屋を取るところを、今回は親同士の交流もかねて、二人も男性女性で別れるそうだ。虹君とレオは二人部屋で、わたしは凛ちゃんたちと女の子部屋。
早速割り当てられた部屋に行くと、入り口で珠里阿ちゃんが首をひねっていた。思わず、彼女に声をかける。
「うーん」
「じゅりあちゃん、どうしたの?」
「くつのままなんだよな……おかあさん、まちがえて脱いでないかな、くつ」
「あー」
うん、たぶん、大丈夫だとは思うけれど。
出逢った当初からは想像もできないほど、珠里阿ちゃんは早月さんとわかり合えているように見える。あの洋館の屋上で、雨の中、涙を流していた珠里阿ちゃん。彼女の当初の姿からは想像もできないほど“仲良し親子”になっている、と思う。
ぶつかりあって、向き合って、交わした言葉はきっと一生忘れない。
『つぐみはあたしのサイコーのともだちで、サイキョーのライバルだ!』
なんだか、頬が緩みっぱなしになってしまいそう、なんてね。
「海!」
「りんちゃん?」
「つぐみ、海、およぎにいこう!」
凛ちゃんは荷物をばさーっと広げて、その中から水着を取り出す。わたしたちの年の水着なんてみんな、ワンピースタイプのものかセパレート、せいぜいタンキニだ。凛ちゃんの水着は淡い紫をベースにしたセパレートタイプで、なんとも可愛らしい。
いつも好奇心たっぷりで目をキラキラと輝かせている凛ちゃんらしく、心はもう海に傾いているように見えた。飛行機から望む水平線は、それはもう綺麗だったからなぁ。
「ほらほら、先ににもつのせいり! あたしはりんを見るから、みみはつぐみを見てやって」
「ぶーぶー、あとでいいじゃん」
「だめ!」
珠里阿ちゃんはそう言うと、自分の荷物をテキパキと整理しながら凛ちゃんの世話もする。面倒見が良くて世話焼きな珠里阿ちゃんらしい光景は、なんとも言えない心地よさがある。
「つ、つぐみちゃん、わたしたちもにもつのせいり……しよ?」
「あ、うん」
「ふふ。こうして二人でにもつせいりをしていると、シンコンさん、みたいだね?」
「え、そうかな?」
「もう、いけずなんだから」
美海ちゃんのお母さんの夏都さんは、昼メロドラマの顔役なんだとか。その影響か、美海ちゃんも、時々こうやってオトナっぽい言葉遊びをしようとしてくる。それにしたって、いけず、なんて、どこで覚えてくるんだろう。わたしみたいに、中に誰かいないよね?
自分の荷物の整理をしていると、部屋の外に気配を感じる。小春さん探しが上手くなったわたしにとって、気配を探るなんて造作も無い、のだけれど、この気配は……。
「こーくん? レオ?」
部屋の扉を開けて廊下に顔を出せば、ドアノブに手を伸ばしていた虹君が顔を引きつらせていた。
「っ……もう驚かねぇぞ」
「充分驚いている反応だよ、虹。急に訪ねてごめんね、つぐみ」
「ううん。えーと、どうしたの?」
苦虫を噛み潰したような顔の虹君と、苦笑しつつも爽やかな様子のレオ。レオは今回は、一番の目的は療養のため、なんだけれど、一応、表向きには、桜架さんが呼んだ椿さんの甥として参加している。色々と事情があって、ツナギはしばらくレオとして活動しなければならない。うっかり呼び間違えないように、気をつけないと。
「親父たちが準備ができたら呼ぶから、それまで部屋で荷物整理でもしてろってさ」
虹君がぶっきらぼうに告げたので、わかった、と頷いておく。わたしたちは元気いっぱいだけれど、ダディやマミィは一息吐きたいだろうしね。
「つぐみと海で遊ぶの、楽しみにしているよ」
「おいレオ。おまえ今のうちから女誑しでも目指すのか?」
「つぐみだけだよ」
「へぇ……?」
正体は明かしていないのに、なんだか仲が良さそうで安心してしまう。ツナギ、として最初にできた友人は虹君だったみたいだからね。レオも、そのことを気にしている様子だった。きっとまだまだ大変なことがたくさんあるとは思うけれど、助けになれたらわたしも嬉しい。
「兄! もう海、いってもいいの!?」
「ちょっと待て凛。まだだ。親父とお袋の準備が終わるまで待ってろ」
「えー!」
わたしの後ろからひょこっと顔を出した凛ちゃんが、わたしの背に抱きついたまま虹君に抗議の声を上げる。首筋に凛ちゃんの息がかかって、ちょっとくすぐったい。
「じゃ、オレたちも準備してくるから。いくぞ、レオ」
「ああ、うん。じゃあつぐみ、凛、またあとで」
並んで歩いて行く二人を、わたしと凛ちゃんはひらひらと手を振って見送る。
「ね、つぐみ」
「ん? なに、りんちゃん」
そんな彼らを眺めていた凛ちゃんが、ふと、思い出したように声を上げた。
「ツナギちゃん、なまえ、かえたんだね」
「――んん?」
「あ、だいじょーぶだよ。へんそーってやつだよね。言わないよ」
「あ、え、あり、がとう?」
「ふふん」
得意げな表情で胸を張る凛ちゃん。えーと、あれ? 言ってない、よね?
「あの、なんでわかったの?」
「? ふくをかえても、色はかわらないよ?」
「そうなの???」
よく、わからないけれど、凛ちゃんはいつもとても鋭い。思えば、最初にわたしに触れてくれたのも凛ちゃんだった。最初にできた友達で、あの日のオーディションで、全部をぶつけてくれたわたしの親友。
もしかしたら、今日この日、わたしがわたしとして笑えているのも凛ちゃんのおかげかもしれない。なんだか、そんな風にも思える。
「おへやで待っていよう? りんちゃん」
「うん! なら、グレブレのきょーりょくプレイしよ!」
「それだと、みみちゃんとじゅりあちゃんがヒマになっちゃうよ」
部屋に戻りながら、凛ちゃんの横顔を見つめる。
口に出して言うと、きっとあなたは困ってしまうから言わないけれど、思うだけなら自由だよね?
いつもありがとう、凛ちゃん。




