ClimaxScene
――Climax――
善と悪。
正義と罪。
解釈は人によって違うと、思う。
「――アクションッッ!!」
洞木監督の合図で幕が上がる。わたしの前には鶫の姿。彼女は悪を演じるといった。善と悪がテーマのエチュード(アドリブの演技)。どんな悪に対して、善を演じれば良いのか。
――まずは、傾向を探る。善、とは、なにに対して良いことをしようとしているのか、悪を見て合わせて行く。
(難しい、けど――わくわくする。鶫と、演技ができるんだ……!)
この世界は、この夢の世界は、わたしと鶫の心の風景。ひび割れたアスファルトと嵐の夜。その光景が、わたしの背後から差す光によってかき混ぜられていく。わかりやすい。わたしの心と鶫の心が、ぶつかり合っている証明だ。
わたしの後ろから、朝日が昇ろうとしている。空は快晴。風に乗って花びらが舞い、足下には草原の気配が香り立つ。
鶫の後ろから。月が昇ろうとしている。空は暗雲。空気には稲妻と雨粒が混ざり、足下からはひび割れたアスファルトがせり上がる。
「――■■■■■」
鶫は俯くと、何かを小さく呟いた。肩を落として、手をだらりと下げ、ずるり、ずるりと足を引きずりながら近づいてくる。善、善とは、まだ、だめ。悪が悪を見せつけないと、動くことができない。じゃあ、鶫の演じる悪とは?
身動きを取ることができないまま、鶫の接近を許す。ずるり、ずるり、ずるり。大きく左右に身体を揺らしながら、鶫はついに、わたしの正面に立った。
「■ぇ、そん■とこ■■なにを■ているの?」
低く紡がれる声。所々掠れて、聞き取ることができない。安心する音と不安になる音、というのが存在するらしい。これは不安になる音。意図的に絞り出された声色は、聞いているだけで足下がぐらつき、背筋にぞわぞわと悪寒が走る。
答えないわたしに、彼女はなにを思ったのか。なにも、思っていないのか。腰を曲げて、黙り込むわたしの顔を覗き込む。
ぎょろりと、左右の目が別々の動きをする。
かちかちかち、と、打ち鳴らされる歯。
こひゅぅ、こひゅぅ、と、吐息が、かかる。
「おねえさんと、遊ぼう? 遊ぼう? 遊ぼう?」
「あそぶ……?」
「ええ、そう。人形遊びなんかどうかしらァッ!」
「っ」
抑揚の激化。
落ち着いた声色から急転直下で変化する声。高音と低音を、心の隙間にねじ込むようなタイミング。
これが、桐王鶫。
これが、ホラー女優の演技……!
「お人形はアナタ、遊ぶのは私、ねぇねぇねぇねぇねぇ――いいでしょう?」
「きゃっ」
突き飛ばされて、のしかかられる。狂気の笑みを浮かべた悪霊の姿。押しのけて、逃げないと、ならない――けど、違う。
(それじゃあだめだ。悪を悪として打ち倒していたら――それは、わたしの思う善じゃない)
怯える演技――を、しながら、そっと息を吸う。わたしは善人。悪霊に成り果てた彼女に、逢いにきた少女。
きっと、この女の子は、悪霊になった彼女の友達なんだ。だから救いたいと思ってここに来たし、怯えながらも、はねのけない。
「うん」
だから。
「いいよ」
「へぇぁ?」
ひとりぼっちにしてごめんね。
今、あなたを助けてあげる。
たとえ悪霊になって、人を襲っているのだとしても構わない。だってあなたは、わたしの友達だから。わたしの家族だから。わたしの、大事な人だから。
「ごめんね。寂しかったよね? 辛かったよね?」
腰を浮かせて、彼女の頭を抱きしめる。雨に濡れた髪は冷たくて、細い肩は折れてしまいそうで、それでも、どこかにまだ暖かさがあった。
たとえあなたとわたしが違う人生を歩んでいても、たとえあなたとわたしが、人間と幽霊で、違う種族であったとしても。
「わたしは――あなたを見捨てない。絶対に」
足下から草の匂いがする。アスファルトと混ざり合い、彼女の記憶が少しずつ、流れ込んできた。
それは、共有されていた鶫の記録なんかじゃない。彼女が生きてきた人生の、本当の実体験。苦しくて居心地の悪い大嫌いな父。ああ、けれど本当は、撫でてくれる手が好きだったんだね。厳しくて冷たい大嫌いな母。ああ、でも、たまに作ってくれる生姜焼きが好きだったんだね。
お父さんを失って――最初に見つけたのは、鶫だった。葛藤と後悔に歪んだ父の遺体を見て、誰よりも後悔したのは鶫だった。本当は、すきだよって、伝えたかった。お母さんには、何を言う間もなく離れていってしまった。でも、本当は、無関心を装う傍ら、父のようにならず生きていてくれたらそれでいいなんて、そんな風に思っていたんだね。
祖父母が、眠るように並んで亡くなっていたのを見つけたのも、鶫だったんだね。縋り付いて泣いて、泣いて、泣いて、辛い気持ちを封じ込めて、記憶に蓋をした。複雑な思いを抱いていた両親との別れと違って、心の底から好きだった人を喪ったのは初めてだったから。
「ッ」
飛び退くように離れる鶫に、一歩近づく。
迷って苦しんで、誰かのために悪霊になろうとしている心優しいあなたに、わたしは、なにができるのかな? どうすれば、並び立てるのかな。
「一緒に死にたいの?」
「ううん。死にたくはないよ」
「そう。ならそれは勇気? あっ、ハハハハ! 悪霊に説法かしら?」
顔を上げて嗤う。
鶫は手を振り回し、わたしを見て嗤う。
「本当に、誰かを傷つけることがあなたの目的なの?」
「ええ、そう! だって誰も彼も幸せそうで、羨ましいのだもの! ――ねぇ、私に分けて? あなたの幸福、あなたの痛み、あなたの命を!」
鶫が、わたしに近づく。わたしの首に手を掛けて、ぎょろりと目を剥き、歪に嗤う。恐ろしい。怖い。関節が固まってしまっているように、ぎこちなく動く手。かけられた吐息の冷たさ。こうも、存在感に恐怖心を乗せられる人を、わたしは他に知らない。
(揺れている? ――違う。わたしが、震えているんだ)
もしも、鶫がもう少し力を込めれば、わたしの首なんてぽっきりと折れてしまうことだろう。そこまではしない、なんて、楽観はしない。彼女ほど真に迫った役者を、わたしは知らないから。
だから、覚悟を決めろ。
わたしはわたしの死を恐れない。わたしは、わたしの大切なものの死を恐れる。
「いいよ」
「――悪手ね。そう、なら、もういい、その首」
「ただし、半分」
「は?」
鶫の死。
そして、誇りの死。
わたしは悪を討つ正義の味方を演じるんじゃない。
わたしは、悪をも救う、善人の演技をやり遂げるんだ。
「欲しいんでしょ? だったら、あなたの半分も貰う。それで平等、だよ」
「なにを、ばかな」
わかるよ。
恐れて、拒絶したら、あなたは除霊されたように演技をする。
でも、この物語の主役は、わたしでも、鶫でもない。二人のつぐみが主人公で、欠けてはならないものだから。
「あなたに貰った夢はわたしが咲かす」
一歩踏み出す。
――追い風に乗った花びらが、雨粒をかき消した。
「あなたに貰った勇気で、わたしは踏み出す」
手を広げてわたしを見せる。
――アスファルトの罅から蔦が伸び、草花が生える。
「あなたと、鶫と夢見た世界をわたしが作る」
声を上げ、前を向く。
見て。見て。見て。わたしはこんなに強くなったよ。一歩、踏み出せたよ。
だから、見て。
「人と幽霊が並んで夢見ることなんてできない! 私にあなたの身体をくれるとでも言うの? ははっ、そんなので、喜ぶとでも思った?」
「人と幽霊が並んで夢見てなにが悪いの? わたしはそれを悪とは思わない。喜ぶのも悲しむのも苦しむのも楽しいのも夢を見るのも、一緒だから、もっと、嬉しいんだ!」
日の光が、稲妻をかき消す。青空と夜空が融けて混ざって、朝焼けの瑠璃色に染まった。
「理解できない、理解できない、理解できない! 私なんかいなくても、一人で生きていけるでしょう?」
「このっ、わからずや!」
走って、瞳を揺らして戸惑う鶫に抱きつく。鶫に馬乗りになって鶫の顔を覗き込んで、彼女の瞳にわたしの意思をぶつける。そうしたら、鶫の瞳に映り込んだ夜空で太陽と月がぶつかって、砕けて、空には、無数の星が浮かんだ。
「一人で生きていけるとか、生きていけないとか、そんなんじゃない! 血が繋がっていなくても――家族と、離れたくなんかないってわかれ!」
喉がかれるほどに叫ぶ。頬を伝う涙が、わたしを呆然と見上げる鶫の頬に、落ちた。
「わたしのっ、ぅぁ、わ、わたしの夢は、鶫とはっ、ぁぁ、っ、鶫とは、ひっく、違う。ハリウッドに立つことじゃないっ。わたしは、わたしの夢は」
「つぐみ……あなた」
夢が、わからなかった。
将来のコトなんて、何一つ思い浮かばなかった。
空っぽのわたしが夢を見るコトなんて、できっこないって思ってた。
でも、もう、違う。
「わたしの夢は! 鶫と、ハリウッドに立つこと! っ、あなたと一緒に、夢を見ることを忘れてしまった人たちに、もう一度、夢を見せてあげること!」
わたしに夢をくれたあなた。
わたしに夢を託してくれたあなた。
わたしに、夢を見る楽しさを教えてくれた、姉のようなひと。
「いなくなるなんて、ぅぁっ、言わないでよ……わたしが夢を叶えるそのときを! 一番近くで見ていてよ、鶫ッ!!」
世界から、音が消える。
みっともなく泣きじゃくるわたしに、鶫は、そっと手を伸ばした。
「それでも、私はいつか、いなくなるよ」
「……うん」
「まったく、もう、しょうがないな――なら、見せて。私があなたの側からいなくなるその日まで、あなたが夢を叶え続けるところを、見せて。つぐみ」
「――うんっ」
空は淡い水色に。
きらきらと輝く星々が瞬き。
アスファルトから伸びた蔦が、森を作る。
「――カット。ふん。桐王鶫はこんなものじゃないはずなんだがな」
「はは、負け惜しみかい? 洞木監督?」
「勝敗は観客が決める。あいつらの勝敗は――叶え続けた夢の先に、あるんだろうさ」
「さすが、稀代の監督はロマンチストだねぇ。うーん、しかし、この作品のタイトルはなんだろう?」
「ふん。決まっている。一つしかない。それが、桐王鶫“らしさ”だろうが……儂は疲れた。おまえが言え、エマ」
鶫の手の中で、目を瞑る。
彼女の笑顔に抱かれるように、彼女の声に包まれるように。
洞木監督の終了の合図は、わたしたちだけではなくて、記憶の海から現れた観客たちにも伝わった。みんなが、拍手でわたしたちを、歓迎してくれた。
「ははっ、では――本日はお集まりいただき誠にありがとうございます! 桐王鶫と空星つぐみの夢と人生を巡る公演はこれにて閉幕!」
意識が、浮かび上がろうとしている。
この夢の舞台が、終わろうとしている。
「此度のタイトルは『ホラー女優が天才子役に転生しました ~今度こそ二人でハリウッドを目指します!~』――今回の物語はこれで終わり、ですが、どうぞ気を落とさないで」
世界が光に包まれ、そして。
「これより先は、空星つぐみが夢を叶える物語! さぁ、開幕の準備を拍手でお迎えください。ここに、新たな物語の幕が上がる――!」
ふわふわと、心が浮かび上がる。
心の底には、暖かな魂が、寄り添うようで。
わたしは。
目を開ける。
窓から差し込む光が、ベッドを照らしていた。
(おはよう、鶫)
(――ええ、おはよう、つぐみ)
目を閉じる。
意識の奥底、草木で覆われたアスファルトの上で、倒木に腰掛け、手を振る鶫の姿が見える。
「んー……よし!」
さぁ、今日も、わたしの人生という舞台の幕を上げよう。
わたしたちの夢を、叶え続けるために。
――First movies All Clear Congratulation!――
――Let's Move on to the Next Theater――




