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ホラー女優が天才子役に転生しました ~今度こそハリウッドを目指します!~  作者: 鉄箱
Theater15 Two Generation Miracle+Star Upcoming Universal Ideal
131/182

scene6

――6――




 ――物心が付いたとき、一番最初に覚えていた光景は、床に転がったビール瓶だった。


 冷たいアスファルトの上に立つ。この夢の世界の中で、あの日の事故を追体験すれば、きっと今度こそ目覚めることはないだろう。そんな風に思ったから、そうなるように舞台(・・)を組んだのに……ほんと、敵わないなぁ。

 ()の前に立つ小柄な少女。銀細工のように繊細な髪に、空の模様を溶かし込んだような青い目。私が生きていた頃は、こんなビスクドールのように可愛い女の子とこんなにも近しい関係になるなんて、想像もしていなかった。


(でも、そっか、来ちゃったか)


 思えば、“思いどおり”なんて言葉とは、いつも、無縁な人生だった。

 はっきりと記憶に残っている原初の光景は、畳の上に転がるビール瓶だった。ほつれた畳と色あせた縁。見上げれば、卓袱ちゃぶ台に空き瓶を並べて、酒を呷る父の姿があった。

 遠くで烏が鳴いていて、目張りされた窓の向こうは茜色に染まっていて、窓ガラスに映る裸電球の明滅が妙に恐ろしかった。立ち上がれば、夜の仕事に出かけようとした母に突き飛ばされて、鞠のように畳の上を転がる。ただ、おなかがすいた、とか、暑い、とか。生存に必要な感情以外は、とっくに淘汰されていた。


 暴力と放置。

 失望と諦観。


 誰かに愛して貰うということがわからなかった。父が死んで、母が消えて、祖父母に引き取られて。

 黒部所長の事務所に所属して、初めての仕事の前に祖父母を失って、愛を返すやり方もわからなくなった。

 閏宇に出逢って、柿沼さんに出逢って、さくらちゃんに出逢って、玲貴に出逢って。いつしか私の周りに人が溢れても、愛がどういうものなのか、ついぞ理解しきれなかった、と、思う。


(でも)


 私を見つめる彼女の姿を見る。暗闇を漂っていた私を引き寄せた、暖かい魂。死にかけの赤ん坊。理屈はわからないけれど、彼女に生まれ変わる(・・・・・・)ことで、彼女の命を繋ぐことができた。

 ねぇ、つぐみ。あなたはすごいよ。あんなに小さな命だったのに、あんなに弱々しい魂だったのに、色んなモノを吸収して大きくなった。


(だから)


 だからもう、私みたいな異物は、あなたの人生に必要ない。いつかきっと、足を引っ張ってしまうから。あなたは、私なんかよりもずっと、立派な女優になれる。それは、一番側で見守ってきた私だからこそ、太鼓判を押せる。


つぐみ()

「……帰りなさい。ここに、あなたの居場所はないわ」

「わるぶってもダメだよ。わかるから(・・・・・)


 う、うーん、やりにくいなぁ。苦笑して、ちゃんとまっすぐ彼女の目を見る。どれだけ距離が離れていても、手に取るようにわかるよ。あなたもそうであるように、私だってそう。

 でも、でも、私が深淵に沈んでからあなたが導き出した答えは、わからない。寂しい? 不安? 怖い? わからない、けれど、なんだっていい。私の答えは変わらない。


「ねぇ、つぐみ。もう手を引いてあげなくたって、あなたは大丈夫だよ。私が言うんだから間違いないわ。自分の足で歩いてここまで来た。きっと、これからも、自分の足で歩くことができる」

「みんなにたすけてもらわないと、ここまでは来れなかったよ、つぐみ()。いまだって、こはるさんにたすけてもらった」

「違うよ。そうじゃない。つぐみが築き上げてきた信頼関係が、絆があなたを助けるなら、それは、つぐみが自分の力でつかみ取ったものだよ」


 一歩近づく。私もつぐみも同じように、語り合いながら近づいていく。夢の中の舞台。夜空は雲に覆われ、ぐるぐると渦巻く。稲妻が雲を照らし、降り始めた雨がアスファルトに跳ねて天に戻った。

 外灯が揺れ、身じろぎ、腰を折って礼をする。私たちの舞台を歓迎するように、憤慨するように、怯えるように。


「もう、つぐみは一人でも大丈夫だよ。過去の苦しみも、恐怖も、悲しみも、全部私が連れて行く。記憶の中に連れて行く。だからあなたは、こんな余計な記憶に苦しまないで。悪霊は、除霊されて終わるべきなんだから」


 私の後ろに人影が立つ。ぽつり、ぽつり、ぽつりと、影からにじみ出るように。あの日、生涯の別れとなってしまった二十年前の姿のまま、みんなが立つ。

 まずはつぐみの後ろに立っていたはずの閏宇が、溶けるようにこちらに来た。柿沼さん、倉本さん、赤坂さん、黒部所長夫妻、さくらちゃん、サラちゃん、椿ちゃん、諭君と珠美ちゃんが並び立って、その直ぐ隣には、玲貴の姿。着飾った母と、よれたスーツの父。優しく微笑む祖父母――たくさん、たくさんの、人々。


「だから――ばいばい。あなたと過ごした日々は、楽しかったよ、つぐみ」


 ひび割れる。アスファルトに入った罅が、徐々に、徐々に、大きくなっていく。これで終わり。ここまでで終わり。うつむき、唇を噛むつぐみの真意はわからない。けれど、うん、あなたが今、言葉にできない全部が、あなたが築いてきたモノなんだね。

 自分というモノがなかった少女。なんとなく記憶に引っ張られて、流されることしかできなかった幼い女の子。そんな、か弱い女の子はもういない。


「ねぇ、つぐみ()

「なに? つぐみ」

「やっぱり、わたしたち、こんなの(・・・・)じゃ、だめだよ」

「つぐみ?」


 ひび割れていたアスファルトが、その動きを止める。私とつぐみの間。少しだけ離れた場所に、一人の女性が浮かび上がった。スーツ姿の、男装の麗人。つぐみの記憶から構成された彼女が、不敵な笑みを浮かべる。

 そんな彼女の正面。虚空から降ってきたパイプ椅子。私の記憶の中の人々から一人、ふてくされた顔で歩いてきて、音を立ててパイプ椅子に座る初老の男性。



「はっはっはっ、こんな大舞台の監督を任せられるとは思わなかったよ! さすがはつぐみだ!」

「だが公平性は必要だろう。儂を動かしたんだ。冴えない演技をしてみろ。夢だろうが何だろうが、まとめてお蔵入りだぞ、桐王鶫」



 困惑する私の側で、距離を取って構える二人。閏宇の弟子だという女性監督、エマ。そして、生前散々お世話になった、洞木ほらぎ仙爾せんじ監督。

 ひねくれた外灯がスポットライトのように形を変える。踊り狂う雨が空中で静止し、光が差した。


「わたしたちはいつだって、こうやってわかりあってきた」


 つぐみの後ろに、たくさんの人影が見える。つぐみの両親。小春さん、春名さん、眞壁さん、真宵さん。凛ちゃん、珠里阿ちゃん、美海ちゃん。早月さん、夏都さん、鉄さん、万真さんと真帆さん。年老いた柿沼さんに並ぶのは、海さん。それから、ずいぶんと大人びたさくらちゃん――桜架が、つぐみサイドであるはずなのに私の方へ移動しようとして、同じく現在の閏宇に捕まっていた。中央で並ぶのは、虹君とツナギ。彼らの後ろに続くのは、玲貴と、玲貴を支える千鶴さんと、ため息を吐く義足の諭君、ロロ、ルル、ラギ――たくさんの人々。



「おい、桐王鶫」

「えーと……洞木監督?」

「タイトルはどうする」



 タイトル。

 ああ、ははっ、そっか。



「つぐみ。つぐみが決めて」

「テーマだけでいいよ、つぐみ()

「タイトルは、結果で決めれば良い、ということかな」

「うん」



 互いに後ろを向いて、自分たちの観客の方へ歩く。スポットライトが赤く輝き、舞台を彩るレッドカーペット。空中で静止した雨粒が、光を反射して万華鏡みたいに輝いた。



「私は悪霊」



 たちの悪い地縛霊で、子供に取り憑いてこう言うのだ。「ハリウッドを目指せ。さもなければ取り殺してやる」ってね。



「つぐみは善良な女の子」



 あの子は必死で悪霊と戦って、ついに音を上げさせてしまうのだ。溢れる才能と、開花させた実力。それから、彼女の優しさに惹かれたたくさんの仲間たちの助力を得て。



「演目のテーマは、善と悪、なんてどう?」

「うん。いいよ。どんなテーマだって、かんけいないから」

「あはは、この私を前にして、言うじゃない。良いの? 私の方が、圧倒的に有利だよ」

「うん。だから(・・・)



 二人、同時に振り向く。

 スポットライトは白く変わり、足下を照らし。顔を上げる瞬間を今か今かと待っているかのようだった。



「はじめて、つぐみ()とえんぎを競うんだもん。どきどきしてきた!」

「ぷっ、あはははは! なにそれ。私も、同じ事を考えていたわ」



 台本はない。

 テーマもチャートもふわふわしている。

 それでも、演技を始めたら、全部が全部整って、舞台になるって信じてた。





「刮目なさい!」





 声を上げる。

 ああ、今この瞬間だけは、全部置いていこう。




「これより現れるは昭和終期を震撼させしホラー女優! せいぜい怯え竦んで恐怖なさい! あなたの善が、私の悪を越えられるモノなら、踏み越えて見せなさい!」




 タイトルは、こんなのはどうだろう?


 『ホラー女優が天才子役に取り憑きました ~子供を操って人々を恐怖に陥れます~』


 なんて、ちょっと直球過ぎるかな?

 私が悪として、悪のまま終えるのであればそれでいい。そのまま、私を完全に成仏させるストーリーを叩きつけてあげよう。




「さぁ、共演だ! 合わせてくださいね? 洞木監督?」

「ふん。小娘が。儂は儂の流儀でやるだけだ。カメラを構えろ、化け物共!」

「んふふふ、いいね、いいね、現実のボクになんか分けてやらない。独り占めだ!」




 アクの強い監督二人が、同時に手を上げる。

 影からにじみ出た看板や交通標識が、カメラやマイクを持って踊り出す。





「シーンゼロ――」





 エマ監督のかけ声。





「――アクションッッ!!」





 洞木監督の合図。





「ふふ――最初で最後の共演。二人きりのエチュード」





 スポットライトが舞台の中央を照らし出し――雲間から降り注ぐ稲妻が、私たちの舞台を祝福した。



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― 新着の感想 ―
[一言] 最終回?
[一言] すごい引き込まれる
[一言] 桜架さんは歪みないね笑
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