scene1
――1――
ウィンターバード俳優育成学校・会議室。まずは頭から本読み(椅子に座ったまま、声色だけ演技をして台本を読み合うこと)を行い、軌道修正なんかをしていこう、ということになった。物語の前半は、紗椰と咲惠が出逢って交流を深めていくシーンになる。
この場面では登場人物はほぼ、紗椰と咲惠――つまり、桜架さんと姫芽さんだけだ。二人が本読みを行う間、わたしたちは二人の関係性について理解を深めて、自分のキャラクターを理解する。
「ねぇ、あなた、ずっとここにいた人でしょ? 誰を見ていたの?」
まず驚いたのは、紗椰の親友で事件の切っ掛けとなる、咲惠役の姫芽さんの台詞だ。薄く緩む頬、ひそめるような声。アイドルというレッテルからでは考えられないほど、巧い演技だった。
「あ、驚いてる。うん、私、見えるんだ。だから、あなたの名前を聞かせて?」
『――紗椰』
「紗椰……私は咲惠。なんだか、私たち、似ているね?」
物怖じしない咲惠に、戸惑いながらも返事をする紗椰。ただの地縛霊でしかなかった紗椰と、人とは少しズレた感性を持っていた咲惠。二人の歯車が優しく溶け合う、大事なシーン。
エマさんの様子を盗み見れば、彼女は実に機嫌が良さそうに笑っていた。これを見越して起用したのだとしたら、びっくりだ。だって、わたし以外はオーディションではなくオファーだったはずだから。
場面は進み、今度はクラスメートのシーンだ。後に咲惠を襲う金城・田処・手田、見張り役の麻生。彼らの中でリーダー格の金城が咲惠にフラれる、という、因縁のスタート地点。
その、金城尚將を演じるのは、逆立たせた金髪のガタイの良い男性、K-1選手のGOU――ゴウさんだ。この方もやっぱり、演技が巧いのかな。
「なぁ咲惠、良いだろ。俺と付き合えよ」
……ん、あれ?
「ごめん。興味ないの」
咲惠の台詞は、紗椰に対する物と違ってずいぶんと平坦だ。心底興味が無い、ということが、ありありと伝わってくる。なんというか、だからこそ。
「おい、咲惠! チッ、調子に乗りやがって」
ゴウさんの拙さが、浮き彫りになってしまう。やっぱり、アイドルの方が演じる機会が多い、ということなのかな。姫芽さんの演技に比べてしまうと、やっぱりどこか拍子抜けに思ってしまう。
棒読み、といえば良いのかな。感情を込めようとしているのはわかるけれど、抑揚にかけている。エマさんはどう思っているのかな? なんて、彼女を見てみれば、エマさんは変わらずにこにこと機嫌良さそうに本読みを眺めていた。
(やっぱり、エマさんが一番わかんないよ……)
そのあとも、男性アイドルの方もお笑い芸人の方も、みんな、ゴウさんと似たり寄ったりだった。こうなってくると今度は、姫芽さんを選んだ理由がわからない。
――わからない、ということは読めない、ということ。読めないということは、予想も付かない展開が待っている、ということ。わくわくする。どきどきする。なんだか、心が弾む。
(鶫も、そう思うよね? ――って、そうだった)
そうやって暖まった気持ちが、小さくしぼんでいくのがわかった。こんなことじゃ、ダメなのに。
(いつかは、忘れていくのかな。鶫の記憶も、優しさも、力強さも、ぜんぶ)
そんなの。
そんなの、いやだよ。
「よし、じゃあ次は君だ。つぐみ」
エマさんに呼ばれて、わたしの台詞を眺める。桜架さんの演じる紗椰が、咲惠の病室を眺めて、己の良心を切り離して捨てていく。産み落とされたわたしは、虚ろな瞳で眠る彼女の頬に手を当てて、一言、謝る。
守ってあげられなくてごめんね。側に居られなくてごめんね。寄り添ってあげられなくてごめんね。一緒に生きていけなくて、ごめんね。
(もっと、話したいことがたくさんあったのに)
緩く手を握り。
下唇を噛んで。
震える喉を抑え。
囀るように、こぼす。
「――ごめんね」
一言。たったの一言で、しんと静まりかえる。
「うん、いいね。さすがだよ、つぐみ」
エマさんがそう言ってくれたので、次の台詞を反芻しておく。ちょっと感情を込めすぎたかも知れない、なんて思っていたのだけれど、良いのかな。わたしは幽霊なのに、善良な心なのに、良いのかな。
幽霊。
実体のない存在。
ただわたしの中でわたしを支えてくれていた鶫は、なにを思っていたんだろう。
本読みが一通り終わると、各々で片付けに入る。姫芽さんや、男性アイドルの飴屋キョーイチさんなんかは慌ただしく上がっていき、桜架さんは柿沼さんや見城さんたちと、エマさんを交えてまだブラッシュアップをしていた。
わたしもあの輪に交ざろうかな、なんて思っていたのだけれど、心配げにわたしを覗き込む凛ちゃんの視線に、阻まれる。
「つぐみ、わたし、話きくよ?」
どきり、と、胸が跳ねる。
「なになに、つぐみ、悩みゴト? このエミリにどーんと任せなさい!」
次いで放たれたエミリちゃんの言葉に気が抜ける。緊張が解れて、かえって、凛ちゃんの気遣いがすとんと胸に落ちた。
「うん……ありがとう、りんちゃん、エミリちゃん」
悩み、といえば悩みなんだろうけど、でも、言葉に出すと難しい。鶫に会いたい。鶫と会って、話がしたい。でも、何を、なんて?
わたしのその行動が。わたしのわがままが――どうして、鶫を“紗椰”にしないと言い切れるの?
「ある、ひとが――」
わたしにとって、鶫は、どんな関係の人なのかな。相棒? 友達? 姉妹? どれも正解で、どれも少し違うような気がした。だから自然と、曖昧な言葉になってしまう。
「とおくへ行ってしまって」
本当に帰ってくるのかもわからない、ただ、出てきたのはそんな曖昧な言葉だった。悩み。悩んでいるのは間違いないのだけれど、どんな解決を望んでいるのか、わたし自身がわからない。わからないから、こんな曖昧な言葉しか出てこないんだ。
だって、もしも、もう疲れてしまったのなら、呼び止めるべきじゃない、かもしれない。もしも、わたしの側に居るのが嫌になってしまったのなら、追いすがっても迷惑だ。もしも、もうどこにもいないのなら、悩むことに意味すらない。
「どうしていいか、わからない」
相談しておいて、こんなの、ひどいよね。でも、これ以上の言葉が出てこない。いつも鶫が一緒に居た。そうだって気がついていないときも、気がついてからも、ずっと。鶫がいたから頑張れたし、鶫のおかげで、凛ちゃんやツナギを救えた。
鶫がいなければ――わたし一人じゃ、なにもできなかった。
「つぐみは、そのひとに会いたいの?」
凛ちゃんの問いかけに、ただ頷く。会ってどうすれば良いかなんて、全然わからないけれど。
「会えるかわからない。でも、会ってなにを話したらいいのかも、わからない」
「ふーん。ならエミリがズバッと教えてあげる!」
「エミリちゃん?」
「カンタンよ。会ってから考えたらいいの!」
胸を張るエミリちゃんに、思わず圧倒される。そんなことを言われても困っちゃうなぁなんて思っていたら、わたしの直ぐ隣で、凛ちゃんが小さく笑った。
「ふふ、うん、そうだね。つぐみはいつも、いろんな人にやさしくて、気をつかってくれる。でもたまには、なにもかんがえなくても、良いのかも。だってわたしの目はもう、つぐみの中で、“会いたい”っていう気もちが一番つよいように、見えるから」
たどたどしく、でも、目を見てそう言ってくれる凛ちゃん。なんだか二人を見ていたら、胸がぽかぽかと温かくなってくるみたいだった。
会いたい。その気持ちだけは揺れない。なるほど、確かにそうだ。いつだって、わたしはみんなに、勇気を貰っている。
「そうだ! ねぇねぇつぐみ、せっかくだからオトナにも話を聞いたらいいじゃない!」
「エミリ、めいあん。つぐみ、あそこでなにかをさっしたおししょーが手をふってる。いこう」
「へ? え? あれ?」
そういえばまだ、桜架さんたちは意見交換の最中だった。エマさん、桜架さん、柿沼さん。眼鏡を掛けた優しそうな男性の、見城さん。ビシッと背を伸ばした中年の綺麗な女性、須崎さん。みんなわたしの大先輩だ。
「カントク! つぐみに悩みゴトがあるの! オトナのチカラで解決して!」
「あわわわ、エミリちゃん、だめですよぅ。監督さんにそんな風に話しかけては……」
「ええ、カタいこと言わないでよ、くさつぅ」
ずんずん進むエミリちゃん。そんなエミリちゃんにあっけにとられる皆さん。先陣を切ったエミリちゃんを慌てて追いかける草津さんと、彼女の勢いをどこか挑戦的に見る凛ちゃん。凛ちゃんまであんな風に突撃し始めたら、収拾が付かなくなっちゃうよ……。
けれど、さすが大人のひとということなのかな。エミリちゃんの姿勢にさほど動揺した様子も無く、エマさんたちは優しく迎え入れてくれた。
「役作りかな? いやはや、さっきの一言を見るに、つぐみは既に役を獲得しているように見える。そうするとプライベートかな? ククク、どうしようか? 桜架。私たちにはおおよそ人の悩みなんかわからない!」
「一緒にしないで下さいね、エマ。……この人の言うことは気にしなくても良いから、わたしたちに何でも話して。つぐみちゃん」
大げさな手振り身振りで頼りないことを言うエマさん。みんな、そんなエマさんに苦笑を零したり引いたりと様々だけれど、桜架さんだけは目を細めて少しだけ額に青筋を立てていた。
「ほら、つぐみ、オゼンダテはしたわよ。どどーんと話しなさいな!」
「エミリがきくわけじゃないよね。……でもつぐみ、おししょーならきっとだいじょうぶだよ。パパッとかいけつしてくれる」
凛ちゃんがそう、エミリちゃんに負けじと胸を張る。そうすると桜架さんは少しだけ頬を引きつらせた物の、直ぐに咳払いで気を取り直してくれたみたいだ。
「し、信頼が重いわ……んんっ。まぁ、でも、あなたたちよりは長生きのつもりよ。少しは、お話を聞いてあげられると思うわ」
「あの可愛らしかったさくらちゃんも、もう三十路だもんなぁ」
「見城さん? なにかおっしゃいましたか?」
桜架さんが微笑みながら(目は笑っていない)見城さんを見ると、見城さんは眼鏡をズリ落としながら後ずさる。
「ななな、なんでもないよ。ねぇ柿沼さん!」
「私に振らないでくれるかな。それよりも、須崎さんが君の言葉に傷ついているようだよ」
「あ、あははは、須崎ちゃん、そうプリプリしないで」
「私はなにも言っていませんが……柿沼さんも見城さんも、良い度胸ですね」
みんな、すごく仲が良いみたいだ。なんだか、わたしと凛ちゃんと虹君と、珠里阿ちゃんと美海ちゃん。みんなが集まったときのような感じがして、心がぽかぽかと温かくなる。
「気を取り直して……さ、つぐみちゃん。なんでも話して」
「え、えーと、んーと、その」
でも、その、なんて言えば良いんだろう。会いたいという気持ちは動かない、それだけはわかった。でも、会ってどうするのかということにはまだ、答えは出せてない。
会ってどうするのか。どうしたいのか。いや、そうだ。桜架さんだからこそ、聞けることはもう一つある。今だからこそ聞けることが、あった!
「つぐみのことを――きりおうつぐみのことを、おしえてください!」
「鶫さんのことを? ……なるほど、確かに、紗椰の演者であるのなら彼女を知っておくのは良いことよ。ふふふふ、良いわ。スカイツリーのときでは到底語りきれなかった桐王鶫ダイアリー全千八百二十七章を余すこと無く事細かにみっちりと五臓六腑から骨の髄の随の随まで教え込んであげ――」
「ああ、それなら私の先生に聞くと良い。幸運なことに、まだ滞在しているからね」
「――エマ、あなた、代わりに聞きたいようね」
せ、千八百二十七章ってなんだろう。とても気になる。気になるけれど、頭がパンクしてしまうかもしれない。
「せんせい?」
「ああ、知らないかな? ……元大女優にしてハリウッドで活躍する女監督。そして桐王鶫の親友でもあった――」
知らず。
ごくりと、生唾を呑み込んだ。
「――閏宇、という魔女さ」
閏宇。
鶫の親友。
彼女が、日本にいる?
驚きが胸を駆ける。
同時に、閏宇さんに知り合うことができる、彼女に話を聞けるという歓びが、静かに胸を満たした。




