ending
――ending――
『ふふ……私は、幸せよ――“――”』
最初から最後まで、とても強い演技だった。
視線誘導。
間の取り方。
テンポ、ブレス、トーン。
体捌きや、身振り手振り。
力を貸すと言いながら、私がわたしにできたことと言えば、過去を見せたあのときだけ。いつの間にか私の半身は、自分の力だけで立ち上がって、誰かの心を動かせるようになっていた。
孤独だった。
交通事故で死んで、なんの因果か暗闇を漂っていた。
孤独だった。
暗闇の中で、私は、消えそうな命を見つけた。弱々しい命。
孤独では、なかった。
あの命を助けることができるのなら、私の一生も無意味ではない。
そんな風に、思った。
意識が闇に溶けて、気がつけば、つぐみは私の側面が強い状態で目覚めていたのは驚いた。優しく奔放な子だったのに、自信をなくして閉じこもって、一緒に生まれてきた私と並んで歩いていた。
(でもね、つぐみ)
臆病で、自信が無くて、それでも優しさを失わなかった少女。
もう、つぐみは、一人では立ち上がれなかった“病弱で弱々しい”女の子ではない。
自分の力で未来を切り開くだけの力を持った、強い子。
(だからね、つぐみ。これ以上一緒に居たら、私はあなたの枷になってしまう)
自分以外の人生の記憶。記録だけならまだしも、人格と記憶は、あなたのためにはならない。
美奈子さんとマクスウェルさんには申し訳ないけれど、私も、つぐみのことを娘のように思っていた面もある。だから、だからね。
「あなたはもう、大丈夫だよ。つぐみ」
暗闇の中、真っ白な世界に目を向ける。
「だから――ばいばい」
目を閉じて、身体を闇に預けたら――私の身体は、あっさりと、深淵に沈み込んだ。
――/――
「なんだか、げんきない?」
顔を覗き込まれて言われた言葉。凛ちゃんの心配そうな声に、わたしは思わず「なんでもない」と応えた。
妖精の匣の舞台、空き教室の控え室。時刻はまだ、正午を回ったばかりだ。
「ほんとう? つぐみはすぐムリをするから、しんぱい」
「あはは、ごめんね」
あの怒濤のオーディションを終えて三日。妖精の匣の撮影を終えて、凛ちゃんの次の仕事までの間、少しだけ二人で時間を潰していた。凛ちゃんはけっこう鋭いから、わたしが落ち込んでいるのに気がついちゃったみたいだ。うぬぬ、修行不足。
凛ちゃんにどうにか取り繕って首を振ると、凛ちゃんは完全に納得した様子じゃ無かったけれど、頷いてくれた。
「つぐみとさつえい、たのしみ」
「さやの、だよね。うん、わたしもたのしみ」
「おそろいだ」
「おそろいだね」
紗椰は、わたしの合格という通知が翌日に届いた。審査基準未公表、という話ではあったけれど――観客の様子を見れば一目瞭然だろう、というのが、エマさんからのメッセージの最後に添えられていた言葉だ。未公表なのに一目瞭然とはこれ如何に。
とはいえ無事、わたしは“紗椰”のキャストとして出演することができる。それはもちろん、嬉しいのだけれど……。
「そういえばつぐみ」
「どうしたの? りんちゃん」
「うみ、いけるんだよね?」
凛ちゃんの言葉に頷く。オーディションも終えて撮影の日取りが確定すると、自然と、海へ行く日も決めることができた。十二日後の八月三十日。凛ちゃんの誕生日に合わせて行くから、誕生日プレゼントも選ばないと。
もっとも、凛ちゃんの誕生日祝いもする、というのは本人には内緒だったり。サプライズだ。ブリッジ跳躍でプレゼントを渡すのとかどうかな? 驚いてくれそう。
「うみも、たのしみだね。りんちゃん」
「うん! ――あ、そろそろだ。じゃあ、またね、つぐみ!」
「行ってらっしゃい。がんばって!」
「うんっ!」
迎えに来た稲穂さんに連れられて、凛ちゃんが去って行く。そうすると、わたしは必然的に一人になってしまった。
「こはるさん」
「こちらに」
訂正。二人きり、だった。
シュタッと降り立つ小春さんの気配に安心する。小春さんは瞬時にわたしの意図を察して、側についてくれた。なんだか、人肌が恋しいから。
「いこっか」
「はい」
今日、わたしは大事な用がある。
小春さんに付き添ってもらって、車に向かう。親子三代で我が家に仕えてくれている、運転手の眞壁さん。最近は二代目の二郎さんの姿は見ず、初代の一さんか、三代目の三月さんばかりだったけれど、今日は二郎さんが運転をしてくれるみたい。
社用車に乗り込んで、車で揺られること数十分。気がつけば少しうとうととしてしまっていたけれど、ちゃんと、頭が覚醒できるくらいの間隔で小春さんが起こしてくれた。
「さ、つぐみ様」
「うん。どれくらい、だいじょうぶなんだっけ?」
「余裕を見て十五分、といったところでしょうか」
「わかった。ありがとう、こはるさん」
次のスケジュールとの兼ね合いをしながらわたしが向かったのは、ある郊外の病院だった。待ち合わせの予定どおり、入院患者用の中庭に入ると、ベンチに腰掛けて本を読む、金髪に深い青の瞳の少年――ツナギの姿があった。
「ツナギ!」
「つぐみ……来てくれてありがとう。隣、どうぞ」
「うん!」
ツナギの隣に腰掛けると、彼はわたしに柔らかく微笑む。虐待や心因的なショックなどを慮り、ツナギは今、一週間の検査入院をしていた。
「どう?」
「あー……椿さんに会ったよ。おれと、一緒に住んでくれるって」
「ほんと!? よかったぁ」
風間椿さん。ツナギのお母さん、千鶴さんのお姉さん。四条玲貴が入院して直ぐ、椿さんに話が持ちかけられたらしい。ツナギも千鶴さんをよく知る椿さんを受け入れて、秋から一緒に暮らすのだとか。
「ツナギは、これから、その、やりたいことってあるの?」
だから、わたしは、ツナギに尋ねる。もう、ツナギは鶫のフリをしなくてよくなる。なら、本当にやりたいことができるようになる、と、思ったから。
「あるよ」
「ほんと! どんなこと?」
「おれ、役者になりたい」
目を眇め、青空を見上げるツナギ。迷いのない瞳と力強い、言葉。
「強情な父さんに、いつまでも合わせてられないからさ。父さんがびっくりするくらいの役者になって、おれを息子だって認めさせてやりたい――っていうのが、一つ」
「ひとつ?」
「そう。もう一つは……証明したい、とでも言うのかな」
頬を掻いて、うまく言葉にできない心持ちを、濁した音で誤魔化すツナギ。彼は腕を組んで悩み、うなり、やがて頷いた。
「なりたい自分になれる。今の自分を変えたい“誰か”の背を押せるような、役者になりたい」
もう、今までのあやふやなツナギはいない。まっすぐな彼を受け止めるには、この中庭の空は狭すぎる。それほどまでに力のある言葉だった。
「そう思えるようになったのは、つぐみのおかげだ。つぐみはおれの尊敬する役者で、今はまだ友達だ」
「いまはまだ?」
首をかしげるわたしに、覆い被さるように、ツナギが振り向く。そうしてわたしの髪を一房すくい上げ――口づけた。
「いつか追いついて、追い抜いて、友達以上にだってなるからさ。そうしたら、誰よりも、おれを見て?」
「へ、へぁ」
「あはは、なにそれ。返事? じゃあ、そういうことだから!」
思わず間の抜けた返事をしてしまったわたしを置いて、ツナギは病院の中へ駆けていく。その後ろ姿から覗く耳が真っ赤に染まっていたから、なんだかわたしまで照れてしまった。
なんだろう。どうしよう。うぐぅ。誰かに相談。ううーん……マミィにちょっと、聞いてみよう。色々。
(でも、良かった)
あれから。
四条玲貴は入院をしたらしい。玲貴はツナギが側に行っても乱暴はせず、暴言も投げかけず、ぎこちなく突き放そうとしているらしい。
わたしなりに、玲貴に千鶴さんのことを思い出して欲しかった。同時に、ツナギを取り戻したかった。その目標はなんとか達成できたみたいだけれど、当然、わたし一人の力じゃない。綱渡りのようだったと思うと、胸の奥が軋んだ。
(玲貴も、ツナギも、なんとかなったよ。まだまだ紗椰の撮影なんかも心配だけれど、きっと、大丈夫、だから)
胸の奥。手を重ね、意識を深層へ傾ける。
(どうして?)
真っ白な空間。
そこに最早、闇はない。
(どこに行っちゃったの? ――鶫)
わたしの内側から、鶫の存在が、ぽっかりと消えていた。
まるで本当に、深淵に呑み込まれてしまったかの、ように。
――Let's Move on to the Next Theater――




