scene7
――7――
打ちっぱなしのコンクリート。
有刺鉄線のフェンスに伝う朝顔。
白く塗られた鉄のガーデンテーブル。
ブリキの人形、ネオン看板、バッティングマシーン――さび付いた機械。
雑貨ビルの屋上。無理矢理とってつけたようなスペースは、ありふれた物を独特なセンスで組み合わせ、現代美術的とも言うべき真新しい芸術の体をしていた。その目に痛い光景の中央、ガーデンチェアに腰掛けてコーヒーを啜る男装の麗人の姿に、壮年の男――四条玲貴は、さほど気にした様子もなく、機嫌の良さそうな微笑みを浮かべて近づいていく。
やぁ、などと気さくな挨拶をし、男装の麗人、エマの正面に腰掛けた。玲貴の前にはワイングラス。そこになみなみと注がれるコーヒー。ワインは、神の血と称されることがある。では、ワイングラスに注がれたコーヒーの、その意味は? 玲貴は、揺れる水面を気にせず、コーヒーに口づけた。
「呼び出して済まないね、四条」
「いいや、構わないとも。ずいぶんと融通を聞いて貰ったからな」
互いを見ているのに、互いのことを気にしていない。お互いがお互いにとって、物としての価値しか見出していないのだろう。歪だが、噛み合ってはいるようだった。
「それで、エマ。俺に何の用だ?」
「空星つぐみ――ああ、相手の子には膝をつき合わせてお話をしてみたのだけれど、君の秘蔵っ子には話を聞けていないだろう? ただ、前日に本人と話すのもフェアでない。なら、あなたで良いか、とね」
「気遣いありがとう。彼女も喜ぶよ。では、何が聞きたい? 性格? 性質? 癖? 趣味? 好きな食べ物であっても構わないよ」
「彼女、ねぇ。く、ふふふ、なるほど、なるほど、なるほど」
玲貴の言い草に、エマは嫌悪を浮かべ――る、はずもなく、ただただ愉しそうに笑う。
「なら、私が聞きたいのは一つだけ」
「一つ?」
「彼女を使って、君はなにを成そうとする?」
「は――?」
ここまで、余裕という仮面を被り続けていた玲貴の表情に、僅かにひびが入る。玲貴の目の前にいるのは、尋常の人物ではない。映画を撮るためだけに、ハリウッドから東京に移り住んだ奇人。おおよそ通常の人間が欲しがるような自己顕示欲、出世欲を持ち合わせず、映画のためだけに生きる狂人だ。
玲貴は仮面を被り直す。口角を三日月のようにつり上げ歪に笑う、エマを、さらなる狂気で覆い隠さんばかりに。
「君の目的が知りたい。どうやって作り上げたか、は、興味は無いけれど――君の感じだと、精神の支柱を突き崩して塗り替えた、といったところかな」
「いやはや、驚いたよ。君もやってみるかい?」
「いいや。映画以外に興味は持てないね」
子供を破壊したような人間に向けるエマの目は、嫌悪でも好感でもない。ただただ、無関心であった。興味を持たない、という、残酷な言葉だった。
「玲貴、君はなにを思って人間を作ろうなんて思ったのか、聞かせて欲しい。そうしたら私は、私のオーディションで、快く君の作品を見られることだろう」
「――世間に評価される前に死んでしまった大女優の再臨さ」
玲貴は、一口、コーヒーで唇を濡らす。ワイングラスの向こう側で笑うエマに、己の言葉をぶつけるために、己の目的を見せつけるために。
「ああ、ああ、そうだ。彼女はまだ死ぬべきでは無かった」
「彼女、ね」
仮面が剥がれる。見透かされるような目を前に、頑なに、あのモニタールームだけで晒し続けていた素顔が現れ始める。口元は歪み、目は血走り、頭髪をかきむしり、ガーデンテーブルに両肘を付いて笑う。わらう。嗤う。
「いつだって平等だった。他人を差別せず見下さず媚びず優しくけれど強い人だった。まだ死ぬべきではなかった。レッテルで他人を見ず地位や名誉や容姿も関係なく人の魂を見抜く人だった。まだ死ぬべきではなかった。だってそうだろう。彼女ほど熱意のある人間はいなかった! 彼女に並ぶほどの気概も持ち合わせていないくせに彼女を貶めるような人間たちだけがのうのうと生きて鶫だけ死ぬなんて許されるはずはないいいやッ許すわけにはいかない。そうだろう!? だから俺は鶫を再びこの世に呼び戻すッ!! 天に昇ろうなんて許さない。純白の羽をむしり取って、この世に再臨させ、あの日々を取り戻す――」
立ち上がり、地団駄を踏み、口角から泡を飛ばし、叫ぶ。その狂気に圧倒されるものが大半だろう。こんな狂気をぶつけられ怯まない人間などそうはいない。
そのはず、なのに。
「それで?」
差し込まれた言葉。
冷静に、冷徹に、冷酷に放たれた言葉。
エマの求める回答は、そんな、表層の言葉では無いのだ、と。
「――それで、やっと、俺は赦しを……ッ」
口を押さえ、一歩下がる玲貴。今この場において、狂気というネジの外れた舞台で打ち勝ったのは誰であったのか。勝者はただただ愉しげに、玲貴を観て嗤っていた。
「なるほど、参考になったよ。さすがは四条玲貴といったところかな。ありがとう」
「――満足したのなら何よりだ。俺は帰らせて貰う」
「ああ、どうぞ。ばいばい、また明日」
「ああ」
おぼつかない足取りで歩き去る玲貴の後ろ姿に、エマはひらひらと手を振る。屋上へ続く重い扉が開かれ、閉まり、屋上から気配が遠ざかっていった。
「うーん、なるほど、なるほど、なるほど。演技の世界に生きていた割には、といったところかな」
玲貴のワイングラスを持ち上げ、落とす。コンクリートで砕けるグラスと、僅かに残ったコーヒーの飛沫。
「自分が狂人を演じていることには、気がついていないように見受けられる。あれは、私の、ボクのように生まれ持った狂気ではない。ああ、そうだ。あの狂気を名付けるのなら」
エマは両手を広げ、謡うように嗤い、立ち上がってくるくると回る。
「逃避のための狂気」
自分の答えに納得がいったのだろう。エマは楽しげに笑う。そうであるのなら、果たして、彼の狂気によって生み出された子供は――エマが見初めた“化け物”に、勝てるのだろうか、と。
「困った。この対決には勇者がいないな。悪人と魔王の対決なんて――くふ、ひ、はは、ははは、ははははあはははははっははははははっはははッ!!!!!!」
露ほども困ってはいないであろうに、エマはそう嘯く。そして同時に、頭の隅で思うのだ。舞台という戦場で、最後まで立ち続けるのは誰か、と。
――/――
――八月十五日・私立鴨浜中央学園。
鴨浜中央学園とは、芸術・芸能に力を入れている名門校の一つだ。竜胆大付属のように芸能人用のクラスがあったりする訳じゃ無いけれど、教育そのものは高水準にまとまっているのだとか。
東京都でもお台場に近いこの学園には、二六〇客席の小劇場がある。今日のオーディションの舞台はこの小劇場を扱う。桜架さんが経営しているウィンターバードの方が設備は良いらしいけれど、なんでもこの学園は四条玲貴が投資をしているのだとか。
「つぐみ様、体調はいかがでしょうか?」
「だいじょうぶ!」
「なによりです。ですが、ご無理はなさらないでくださいね?」
「うん、わかりました、こはるさん」
社用車で鴨浜中央学園に入り、敷地内の屋外駐車場に車を止める。運転手の眞壁さんにお礼を言って車を降りると、出演者は、駐車場脇の入り口からそれぞれの控え室に向かう手筈になっているのだとか。
控え室に向かう途中で、関係者用の通路から劇場の様子を見ることができる、の、だけれど。
「いっぱいだ……あ、そうだ。ツナギにアイサツとかってできるかな? こはるさん」
「参加者同士の顔合わせは、演技への影響を配慮して禁止する、とのことでしたので……難しいかと」
客席二六〇にひしめく観客。満員の舞台でオーディション、なんてことになるとは夢にも思わなかったなぁ。みんな、鴨浜の関係者なのかな? 舞台の最前列は、特別に席が設けられているみたいだ。審査員はいないということだけれど、関係者席みたいなのはもうけているのかな?
「こはるさん、いちばん前のせきには、だれが?」
「主演決定済みの演者さんの中から何人か、ですね。エマ監督、霧谷桜架、見城総、常磐姫芽。それから、凛様の世話係として夜旗虹。最初のベースの演技を終えた後、柿沼宗像と夜旗凛もここに加わる、ということですね」
見城さん! 鶫の記憶を引き出すと出てくるけれど、当時はにこにことした笑顔の多い、ちょっと臆病で優しい青年、というイメージだったみたいだ。紗椰の演技中に失神してしまったこともあるらしいのだが、そのときは、当時の紗椰の監督だった洞木監督が、“リアリティのある演出”として組み込んでしまったのだとか。
あと、世話係って……まぁでも、六歳だもんね。凛ちゃん。そういえば必要だよね。一人じゃ心細いだろうし。稲穂さんが最前列という訳にもいかないんだろうしね。
(あとは……そう)
常磐姫芽、さん、という方はアイドルグループの一人で……ええっと、グループ名は思い出せないけれど、センターだったはず。それ以上のことは、ちょっとよくわからない。
(年頃の女の子としてそれもどうなんだろう……アイドルくらい履修しておかないと、来年、小学校でひとりぼっちになっちゃう……)
凛ちゃんと同じ学年だったらなぁ。そう、がっくりと肩を落とす。そうしたらその思いが天に届いたのか、「つぐみ!」と、わたしを呼ぶ声が聞こえた。
「りんちゃん?」
廊下の先。控え室に向かおうというところだったのだろう。凛ちゃんと、凛ちゃんのマネージャーの稲穂さんが並んでいた。
「つぐみ、その、だまっててごめん。わたし、“さき”を演じるんだ」
「知ってたよ?」
「えっ――そっか。つぐみだもんね。つぐみならしょーがない」
それってどういう意味かな? 凛ちゃん。
「でも、だから、だいじょうぶ。今日はよろしくね? りんちゃん」
「うんっ! つぐみのことだからトンデモないことするだろうし、わたし、つぐみに恥ずかしくない演技、するから!」
「と、とんでもないって……う、うーん?」
凛ちゃんの中で、わたしはどんな感じになっているんだろうか。うぬぬ。
――でも、それだけ凛ちゃんはわたしに期待してくれているってことだよね? なら、凛ちゃんの期待にきちんと応えなきゃ。凛ちゃんの親友として、凛ちゃんの期待に応え続けたいっていう思いは、わたしにとって、とても大切な想いだから。
(できれば、ツナギにもあっておきたかったけれど)
オーディション参加者同士は顔合わせできない、なんて言われると難しい。あとになって「揺さぶりを掛けたんじゃないか?」なんて言われたら、公平性がなくなっちゃうもんね。
(ツナギ……わたしは)
ツナギの演技はわたしの前。彼の演技を見ることは、できる。見てどうなるかはわからないけれど……わたしは。
「つぐみ様?」
「こはるさん……なんでもないの。いこ!」
「はい」
小春さんを伴って、控え室に向かう。
オーディションの舞台は、刻一刻と近づいていた。




