scene6
――6――
八月十四日。あれから、瞬く間に日々が過ぎていった。撮影やレッスンをこなす中、ついに今日、エマさんから台本が届くということで、SSTプロの応接室で小春さんを待っていた。
というのも、私にもオーディションの相手――ちゃんと聞いたわけではないけれど、十中八九ツナギ、にも、公平に前日に台本を渡すことにしたのだとか。
「あっ、おはよう、こはるさん!」
「はい、おはようございます、つぐみ様」
台本を持ってあとから合流する予定だった小春さんが、ノックと共に入室する。
「こはるさん、こはるさん、とどいた?」
「はい、つぐみ様」
あの日、なんでか小春さんは少し落ち込んでいるように見えた。いつもと変わらない表情と態度だったから、こう、直感、みたいな感じなんだけれど。
もしかして、あのハンカチのT.Kって……なんて、考えないこともないのだけれど、自分で乗り越えて立ち上がった小春さんに、追い打ちを掛けて聞いてしまうようなことはできなかった。いつか、話してくれたら嬉しいけれど。
「既に順番は決められているようですが……抗議なさいますか?」
「ううん。だいじょうぶ、ですけど……どんな感じなんですか?」
くじ引きとかではないんだね。そうすると申請順とかかもなんだけど、エマさんのやることだからなぁ。気にしてもしょうがないと思うんだよね。
「まず、最初に“沙希”役の子役と柿沼宗像さんで台本に忠実な演技をしてくださるそうです」
沙希役、と言えば、リメイク前の作品で桜架さんが演じた役だったと思う。確か、前にキャスト一覧を見せて貰ったときは“オファー中”で空欄だったと思うんだけど、もう決まったのかな?
首をかしげて小春さんを見上げれば、小春さんは少し躊躇して、それから、何もなかったように手元のタブレットを読み上げた。
「はい。沙希役の子役は――夜旗凛、ですね」
「へ? え?」
「配役決定の告知を同時に行うらしく、おそらく本人には口止めがされているのでしょうが、付き合う道理もありませんので」
順番が決められていた、という辺りでちょっと怒っているんだろうなぁ。言われてみれば、ここ数日の凛ちゃんの様子はちょっとおかしかったような気がする。目が合えばそっと逸らして、声をかければ肩を震わせていた。てっきり虹君がなにか言ったのかと疑っていたけれど……疑ってごめんね、虹君。
「つぐみ様の順番は、三番目です。最後、ですね」
同じ台本。それも、忠実なのが一つ、アレンジを加えるであろうツナギのが一つ。同じ舞台の三番目だと、当然、相手は飽きてきちゃうよね。
なるほど、二番目ならそう不利でもないと思ったけれど、凛ちゃんクラスの演者が最初に演じたあとの二組だと、明らかに不利だ。ふぅん?
「大丈夫ですか? つぐみ様……」
「もちろん! へっちゃらです!」
燃えてきた。
一日しかないけれど、台本も読み込んでおかないと。
「それで、こちらが台本です」
渡された台本は、レポート用紙二枚分に印刷されたものだった。一枚目には諸注意。二枚目に台本。微妙に見づらいけど、無駄を省こうというエマさんの無言の意思を肌で感じるようだった。エマさん、ほんと相変わらずだ。
とりあえず、一枚目から目を通していく。
一、アドリブは基本的に無し。
二、アレンジ・言い換え・多少の付け足しは有り。
三、衣装は申請・各自で用意、どちらも可。
四、審査基準は未公表。
テーマ『年の差の恋』
※対象は四条玲貴氏に協力をして貰います。
※場所は人気の無い公園を想定しています。
※二人きりですが屋外です。
※男性はなんらかの日課で公園に訪れています。
と、なるほどなぁ。
どう考えても、五歳児と五十越えの男性との恋愛なんて設定に無理がある。観客も入れると言うことだけれど、観客もさぞ戸惑うことだろうなぁ。で、えーと、肝心の台本は……これか。
男性「また来たのか」
少女「うん。だめ?」
男性「好きにすれば良い」
少女「今日はね、お花を持ってきたの」
男性「そうか。それで?」
少女「あげる」
男性「はぁ……わかった、受け取るよ。これで良いか?」
少女「ありがとう」
男性「もう用はないな? 俺のようなおじさんに構っていないで、遊んできたらどうだ?」
少女「ここにいたい。だめ?」
男性「友達はいないのか? 知人でもない大人の男といたら、親が心配するぞ」
少女「あなたの方が良い。友達よりも、お父さんよりも、お母さんよりも、あなたがいい」
男性「そんなこと、君の親は許してくれないぞ」
少女「許さなくても良いよ。あなたが許してくれたらそれでいい」
男性「俺はつまらない男だ。君のような子供は、子供らしく遊べば良い」
少女「子供らしいって何? 私らしくってなに?」
男性「屁理屈か?」
少女「そんなよくわかんないものよりも、私は、あなたがいい」
男性「わからないな」
少女「わかって。私は、あなたが好き。お父さんやお母さん、友達とも違うの」
男性「不幸になるぞ」
少女「幸せだもん」
男性「はぁ。いつか、それが夢だとわかる。目が覚めるまでなら、ここにいてもいい」
少女「言ったね。目なんか覚めないよ。夢は叶えるものだから」
男性「覚めるさ。ああ、だが、夢を見るのは自由だ。好きにしろ」
少女「うん!」
と、こんな感じだけれど、この長さだと普通の子役だったら一日じゃ覚えられないと思うんだけど……エマさんだしなぁ。
恋愛、というから少し身構えたけれど、どちらかというと“少女”の初恋という面が強いように見える。現に、こうして台本を眺めていると、“男性”は“少女”をあしらっているだけ。最後に折れるのもきっと、「いつもこんなやりとりをして、諦めちゃったんだろうなぁ」と思わせる。
(だからこそ)
これってすごく、アレンジが難しい。なにせ“少女”が主人公としてピックアップされているのではなく、これは“二人の劇”だ。二人で息を合わせないと、アレンジも何もない。わたしも凛ちゃんみたいに柿沼さん相手だったら、もう少し演じやすいかもだけれど、四条玲貴かぁ。
しかも観客は、「柿沼宗像はああ演じた。四条玲貴ならどうなる?」という期待を込めて見る。そして、ツナギのパートで観客はその欲求に対して満足してしまう。
(審査基準は未公表、なんてよく言ったものだよね)
観客を入れる以上、観客を沸かせることができない演技に価値なんてない。そのくらいのこと、わたしにだってわかる。だから、きっと、わたしがこのオーディションを通過するには、満足しきった観客を、もう一度、満足させなければならない。
(一歩も引く気は無いけれど――半端な気持ちで挑んだら、きっと、この舞台に食べられる)
予感が背筋を駆け抜ける。緊張が、台本を掴む手をじっとりと濡らした。
――/――
――四条邸・スタジオルーム。
義足を鳴らして歩き進むと、スタジオルームから声が響いてきた。
「一人、か」
日が落ち始め、スタジオ内に夕日が差し込む。昨日、台本が手に入ってからというもの、ツナギは熱心に台本をなぞっていた。本番は明日だ。オーディションの日取りまで時間がかかってしまったのは、僕の不徳の至りか。
だが、おかげで大体の準備ができた。あとは、今の“仮面”の奥底で眠るツナギ次第だ。結局はツナギ自身に頼らなければならないなんて、ロロに笑われてしまう。でも、できることが少なかったとしても、最後の最後まで足掻かなければならない。
「失礼します。……そろそろ、休憩なさっては?」
「諭君? ――あ、もうこんな時間なんだ。あはは、ごめんごめん」
「彼は?」
「彼、って、ああ、玲貴? 追い出したわよ。相手のあの子は打ち合わせできないのに、私だけ玲貴と練習するなんて不公平だもの。やっぱり勝負は公平でないと!」
追い出された、ということはいつもの部屋か。モニタールームでこちらを監視しているのではいささか都合が悪い。だが、そのための手は打っている。四条は僕に、「念のため、台本を早めに入手しろ」と指示を出し、僕はそれに応えた。
エマ監督に、公平に、空星つぐみにも利があるようにするから、台本を入手させて欲しいと交渉したことは、四条には言わずに。エマ監督は多くは聞いてこなかったが、同時に、僕の提案を面白がっているようだった。
『ああ、いいとも。ではどうする?』
『四条玲貴を引き留めていただきたい。それでイーブンになるようにいたします』
『なるほど、なるほど、自分の担当の役者に揺らぎをかける、と、君も悪い男だ』
『さて。清濁は併せのむように心がけておりますので』
『くっくっくっ……ひ、ははははは! ――よし、乗った』
今、思い返しても、疲れるやりとりだった。一度、閏宇さんにはよく話を聞いた方がいいと思うのだが、鶫さんの幽霊に逢ったと自慢――ではなく、報告してから一度も連絡を取っていない。エマ監督が我々の不利益となるような行動をとっている訳でもないのだから、深くは入り込まなくても良いだろう。
休憩するツナギの傍ら、スマートフォンを確認する。表示されていたメッセージは、エマ監督の物。『任務完了。彼とはたっぷり“お話”させて貰うよ』と書かれていた。スタジオから顔を覗かせば、走り去る四条玲貴の車が見えた。なんといって呼び出したのやら。
ですが、良い仕事です、エマ監督。
では、僕は僕の仕事をいたしましょう。
「鶫さん」
「ん? どうしたの?」
首をかしげる。髪をかき上げる仕草は、彼女に本当によく似ていた。あまりにも似ていたから、僕は――虫唾が走る。
「日記を、覚えていますか? ツナギの母君の日記です」
「あー……うん、ごめん、覚えてない」
「熱中し出すと周りが見えなくなるのは、変わりませんね」
「あはは」
鞄を漁って取り出すのは、僕の切り札だ。状況が整うまで、切れなかった札だ。
「日記そのものの復元は難しかったのですが、彼女は生前、紙に書き留めるのはそう得意では無かったようです。立派な日記帳を買ったら、使うのがもったいなくて手元に置いておくような」
「なんだか、身につまされる話だわ……」
うぬぬ、と、唸るツナギ。縋っていた日記を焼くことによって、玲貴は、ツナギの心を破壊した――つもりになっていることだろう。だが、ツナギの心が壊れていないのは、空星つぐみのことを意図的に記憶から消していたことからも明白。
壊れていないのなら、眠っているということだ。そして、眠っているのなら、目を覚ませてやれば良い。たとえ強固な眠りだとしても、揺さぶれば、必ず――その眠りは、浅くなるのだから。
「こちらが、ツナギの母君が“日記代わり”に使っていた携帯電話です」
シンプルな黒いボディの携帯電話。今は、ガラケーと俗に呼ぶようなもの。古ぼけたそれも、二郎の経由で完璧に修理・充電されていた。
これを今、渡されて、“鶫さん”が余計な思考を取り入れるかと問われれば、首をかしげざるをえない。だが、植え付けられた人格といえど“鶫さん”の皮を被っているのなら、僕に軍配が上がる。
「競う相手は、ツナギの友達を名乗った少女です。彼女と公平に向き合うためには、記憶の切っ掛けとなる情報は採り入れておきたい、でしょう?」
「――諭君には、敵わないなぁ。うん、そうだね。ありがとう。見せて?」
「さ、どうぞ」
僕から携帯電話を受け取るツナギ。受け取る手が僅かに震えたことに、彼は、気がついているのだろうか?
その深層心理の訴えを、心の奥底の叫びを、彼の求めるものを、僕は信じる。
ツナギ。
僕は君のマネージャーだ。
その誓いを示し続けると、約束しよう。
君が夢を叶えるその日まで。




