scene1
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「え? テレビきょく?」
唐突にルルから告げられた言葉に、実家の応接室でスケジュールの確認をしていたわたしと小春さんは、揃って首をかしげた。
あの日、わたしが潜りすぎた一件は“疲労”と判断されたようだ。仕事中のダディとマミィを呼び出す感じになっちゃったみたいで、思い出す度に胸が痛い。一応様子見で一日は入院して、翌日には行動する許可を勝ち取った。
結局、あれから自分の内側に潜れてはいない。諸々なんだったのか、知りたいことだらけ。それでも進まないとならないから、今日も起きて、ご飯を食べて、頑張ろう……なんて思っていたら、珍しく家まで来たルルが、わたしたちに「一緒に来て」と言い出したのだ。
「唐突ですね。あなたらしくな――いことはありませんね」
「よくわかってるじゃない、コハル。で、どうなの? つぐみ」
ルルは気負いした様子もなく、ごくごく自然体で聞いてくれる。こうして対等に向き合ってくれるのは良いのだけれど。
「わたしはいいけど……こはるさん、スケジュール、ありますよね?」
さすがに、確認しないわけにもいかず、小春さんに聞いてみた。
「今日は、トッキー秋モデルについての打ち合わせですね。午後からでしたら空きがあります」
小春さんに言われて、そういえばそうだったと頷く。また海さんと二人で撮影する秋の新商品についての打ち合わせに参加することになっているのだ。今度は企画段階から参加することで、どんなCMにするのかみんなで煮詰めよう、ということになっていた。
ルルはわたしの言葉に幾分かの逡巡を見せると、どこかにメール。打ち合わせていたのかなんなのか、直ぐに返事がきたみたいだ。ルルは億劫に頷いた。
「そうね――ええ、午後からで問題ないわ」
「うん、わかった。でもルル、なんでテレビきょくに?」
「さぁ?」
さぁ、って……いやでも、ルルが本当になんの意味もないことをさせるとも思えないから良いんだけれど、うん。まぁ、妙なことにはならないでしょう。
ちょっと――気分転換が欲しかったんじゃないかと問われれば、首を縦に振るしかないのだし。
「じゃ、そういうことで。あとでテレビ局で合流よ」
「あ……うん」
「合流、って、ちょっと、瑠琉菜――ああ、もう。しょうのない子ですね。瑠琉菜が申し訳ありません、つぐみ様」
小春さんはそう言って頭を下げるが、わたしとしてはまったく気にしていないので首を振る。ルルのことは信用しているし、わたしは彼女の腕と仕事に関する心意気を信頼して尊敬している。そんなルルの頼みくらい、どーんっと聞いてあげたい気持ちが強かったから。
「あはは、だいじょうぶだいじょうぶ」
言いたいことだけ言って、さっと消えていくルル。誰にもはばかることなく肩で風を切って歩き去る姿はカッコイイ。
「嵐のようでしたね」
「……うん」
小春さんの、どことなく疲れた声に苦笑する。ルルは相変わらずマイペースで、そんなところも好きなところなんだけれど……いつか、わたしがルルを振り回してみたいな。
株式会社『レリモ』は、前回同様、広告主から撮影を委託された映像会社だ。わたしたちは千代田区にある『レリモ』のオフィスを借りて「トッキー モンブラン(正式名称未定)」のCMに関する打ち合わせを行うことになった。
今回は、演者の意見を最大限に取り入れたいという『レリモ』と広告主の意向で、わたしだけでなく海さんにも来て貰っている、ということで。
「おひさしぶりです、かいさん」
「久しぶり、つぐみ。――『紗椰』で顔を合わせることになると思っていたが、ちょっと早かったな」
緩くウェーブのかかったブラウンの髪、切れ長でシャープな目元。トレードマークなのか、眼鏡はダークブルーの細いものだ。
「わたしは、オーディションぐみですよ?」
「ん? そうなのか? まぁ、相手も運がなかったな」
「まだ、きまってませんよ?」
「はいはい」
……なんだか、前回ほっぺたをこねくり回されたときから思っていたけれど、ちょっとわたしに対する扱いが雑ではないだろうか。せっかくだし、この辺もCMで改めて貰おうかな。初恋の次だから――うん。
「本日はお集まりいただきありがとうございます。改めまして、プロデューサーの阿部です。皆様、どうぞよろしくお願いします」
前回同様、阿部さんという方がプロデューサーとしてわたしたちに挨拶をくれた。そのまま、まずは商品説明。発売予定日は九月後半で、今回は最初からCM内容に合わせてパッケージを決めるそうだ。
つまり、今回のこの打ち合わせは、CM内容だけではなく、商品名にも関わるような物らしい。
「――今回のトッキーはモンブランのチョコレートコーティングです。クッキーはココア風味で、中心にはビターチョコレートの芯が入っています」
ビター。なるほど、ビターか。前回は初恋レモン。次はビター。なるほど、なるほど。
顎に手を当ててうんうんと頷いていると、そんなわたしの様子に気がついた海さんが、どこか挑戦的な表情でわたしを覗き込む。
「つぐみ、なにか思いついたのか?」
「えっと……」
言いよどむと、阿部プロデューサーは期待の眼差しでわたしを見る。うぅ、プレッシャーだ。逆境になると楽しくなってきてしまう自分が恨めしい。
「たとえば」
そう、前置きをして。
例えば、そう、スマホなんかでも良い。通話越しに聞こえる女性の声。自分以外の誰かと楽しそうに話す、憧れのお兄さん。わたしはそれを見て、手にしたトッキーに口づけをして。
「で、えっと、こう」
試供品のトッキーを手に取る。憧れのお兄さん。初恋の人。恋い焦がれる感情は、いつだって想像でしかなかった。でも――私の記憶が教えてくれた、行き場のない燃えるような感情が、恋だとするのなら。
壁を背に、口づけしたトッキーを噛む。口の中に広がるビターな甘みがわたしの心を表しているのだとしたら、なんとも滑稽だ。涙も流れていないのに、心のわだかまりを拭うように目元を擦った。
「にがい」
苦い気持ちに、甘い心で蓋をする――なんて。
「……どうですか?」
「あー。やっぱり、オーディションの相手が可哀想だと思うぞ」
海さんは額に手を当てて、やれやれと言いたげに首を振る。それは、なんというか、まだ早いと思うのはそうなのだけれど……今の演技の感想は?
「――だ」
「ん? あべプロデューサー、いま、なんて?」
「恋心ビターモンブランだ! これでいこう! いやぁ、つぐみちゃんを呼んで良かった! さぁさぁ細部を煮詰めよう!」
喜び勇んで細部を煮詰め始めるスタッフさん方の姿を、思わずぽかんと見てしまう。こんな、子供の意見でも、まっすぐに聞いてくれる人たちと今度こそ最初からお仕事ができるのは、幸福なコトなのではないだろうか。
そんなスタッフさんたちの熱意に当てられたのか、海さんもまた、輪に交ざった。
「それなら、僕はあの縁側で空を見ながら背を向けて通話するのはどうだろう。前回の昼間の光景と合わせて、秋らしく夕暮れの撮影とか」
「なるほど! でしたら、台詞は入れずにナレーション音声のみにするとよりノスタルジックかもしれませんねぇ!」
「監督の梅崎です。発言よろしいですか? それでしたら、カメラワークは終始海さんの背中から行い、障子の裏に隠れるつぐみちゃんをピックアップというのはどうでしょう?」
「僕は背中のみ映して貰っても、もちろん構わない。けれど、十五秒のCMは背中のみ、三十秒のCMでは、走り去るつぐみに気がつく僕、という前からのカットを少しだけ入れる、とか、どう思いますか? 阿部プロデューサー」
「いいねぇ! 煮詰まるねぇ!」
負けじとばかりに自身の演技方法に的確な注釈を入れる海さん。とてつもなく“熱”を感じる現場に嬉しくなって、わたしも、その輪に飛び込んだ。
「あの、でしたら――!」
一体感、とでも言うべきだろうか。皆の熱意が高まっていくのがわかる。
これは、もしかしたら、けっこうすごいことになるの、かも。




