scene4
――4――
――一九九五年。
連続短編ドラマ“祈り”という作品は、共通の幽霊が様々な人間を脅かす、というストーリーだ。あるときは普通の家庭が。あるときはどうしようもない悪人が。あるときは万人に優しいような善人が、様々な形で“祈り”という都市伝説を耳にして、その悪霊に遭遇する。
私は、その極悪非道たる悪霊、“寧”を演じる、いわゆるホラー女優だ。これまでも様々な悪霊役でお茶の間を震え上がらせてきた訳だけれど、こうした、ドラマのレギュラーとも言えるような立ち位置は初めてだった。
「桐王さん、考え事ですか?」
なんて、余計な振り返りをしていると、マネージャーの辻口さんに心配そうに声をかけられてしまう。辻口、諭。細身の身体に女の子みたいに質の良いさらさらの髪。分厚い眼鏡を取れば、結構かわいい顔立ちをしている男性。
真面目な彼に心配をかけてしまったのだと思うと申し訳なくなる一方で、不意を突いて驚かしたくなってしまう自分がいるのは、内緒だ。
「あはは、ごめんごめん。今日の相手役のことを考えていたの」
「ああ……。四条玲貴、ですね。いったいいつ到着するのか」
「そうねぇ。まぁ、どうせこのあとは特にお仕事もないし、のんびり待ちましょう」
本日の短編ドラマのお相手は、“四条玲貴”という若手俳優だ。年は私よりも一つ上だから、二十六歳かな。才能の塊みたいな俳優さんで、デビューから三年で瞬く間に駆け上がった。
母親がイギリス人だという彼は、鮮やかな金髪に青い目のハンサムで、それはもう人気がある。共演者はもう、一度同じ現場になればメロメロなのだとか。それで増長してこうして遅刻なんかもしてしまう恥知らずだ! なんて、うちの事務所の所長令嬢の珠美ちゃんが、忌々しそうに言っていた。
私的には、ちゃんと演技をしてくれるのならそれで構わない。まぁ、メイクも終わって衣装も整えちゃってるから、あんまり身動きが取れないのと、夜の野外での撮影だから少し肌寒いのは、不満といえば、そうだけれど。
「四条さん入ります!」
そうやって辻口さんと談笑(仕事の話とか)をしていると、スタッフさんの声がロケ地に響く。社用車から降り立つ美貌の青年。薄暗いロケ地においてなお輝く容姿に、女性スタッフや演者さんの目が釘付けになる。
なるほど、なるほど、遅れた謝罪を口にしても、どこか慇懃無礼さが否めない。相応の自信とプライドがあるのだろう。口先だけの謝罪でも、そうは見せない演技力が、彼の印象を支えている、といったところなのかな。
(なるほどねぇ)
なら、その態度相応の演技を見せてくれる、ということだろう。んふふふ、燃えてきた。
なんにせよ、これで撮影準備に入れることだろう。気を取り直してシーンの準備に取りかかっていると、件の四条さんが私に近づいてきた。
「やぁ、君が悪霊役の子だね」
「ええ。今日はよろしくお願いしますね、四条さん」
外向きの笑顔でさっと挨拶を済ませる。すると、ちょっと淡泊だったのが彼の何かしらのプライドに障ったのか、四条さんはほんの少しだけ眉をひそめた。そして、周囲の喧噪の中、私にしか聞こえないような声量で、小さく呟く。
「ホラー女優、か。何でも良いが、俺の足を引っ張らないでくれよ」
「はぁ」
四条さんは、それだけ告げて踵を返す。残された私は、というと。
「桐王さん、そろそろスタンバイ……桐王さん?」
「ああ、辻口さん。今日の演技なのだけれど――」
首をかしげる辻口さんに、私はにっこり微笑んで。
「――加減はなしで、行くからね」
「は? ぇぇ……」
ごめんなさい、と笑って告げると、辻口さんは真っ青な顔で頷いた。
(私は“寧”。安寧を喪ったもの。私に出逢うすべての存在を、怨嗟の渦に巻き込み呪う――ただ一人も、例外なく)
場所は都内の神社。深夜にさしかかる時間だから、外灯の明かりも頼りない。私は“祈り”の監督、田川監督に「自由にやって貰った方が怖いからよろしく」と、真っ青な顔で言われているから、ホラー演技は私の裁量。もちろんタイミングは台本どおりに行うけれど。
シーンがスタートすると同時に、私は神社の裏手に待機。四条さんは今回は初の悪役の挑戦ということで、結婚詐欺師の役だ。騙されて自殺した女性が、命を賭けて呪ったことで、都市伝説“寧”が発生する。そして今は、その四条さんが、自殺した女性の友人に呼び出され、彼女と口論。衝動で彼女の首を絞めている最中に私が出現する、と。神社の裏からでも、四条さんのはっきりとしたよく通る声が響いてくる。
「――なら、あんたさえ“いなくなれば”、俺の罪を知る人間はいない、ということだ」
「ひっ……い、いや、来ないで!」
「もう、遅い……!」
さて、普通に出現していたら、視聴者も共演者も辻口さんも飽きてしまうことだろう。四条さんに足を引っ張らないでくれとまで言われてしまったからね。地獄の淵で奈落に向かって足を引っ張られれば、彼も満足してくれるかな。
気配を消す、とはよく言うが、呼吸を押し殺したり足音を立てないように気をつける、なんてことをしたら違和感が付き纏う。だから、一番大事なのは“同調”。耳を澄ませて、風の音と呼吸音を合わせる。彼らの立てる音と、足音を合わせる。気配を溶け込ませることこそ、気配をなくすことの真骨頂。
閏宇に“トラウマになるからやめろ”なんて大げさなことを言われたこともあるけれど――たまには良いよね。
「死ね、死ね、死ねよ、ほら!」
「う、うぁ……こひゅ……ひゅ……」
光の当たらない位置。まだ、監督すらも私の存在に気がつかない。膝を僅かに曲げて頭の位置を変えないように、地面を滑るように近づく。
そして、迫真の演技をする彼のその肩口、横顔に並ぶように、背後から頭を突き出した。
『諞弱>』
「っっっ――っうぁわああああああああああ!?!?!!」
地面に転がるように飛び退いて、立ち上がろうとして失敗して転ぶ彼。女を騙してきた男に、また、滑るように近づく。タイミングは尻餅をついた瞬間。生理反応で瞑られた瞳が開く前に、彼の正面に“出現”すると、彼は尻餅をついたまま、服が土で汚れることも厭わず逃げ出した。
頭のいい人、目のいい人、身体能力が高く優秀な人ほど、物体が動き出すとその先を予測して行動する。だから、重心を右に倒しておきながら左に移動すると、相手は右に動かした視線の先になにも見つけられなくて、消えたように見える。あとは気配と同調しながら滑るように移動すれば、コマ割りでの合成なんか必要ない。人力ワープの完成だ。
『縺翫∪縺医b』
「ひっ」
近づいて、頬に両手を当てて、真下から覗き込む。
『闍ヲ縺励a』
「ひぎゃああああああああああ…………ッ――」
そうしてやれば、四条さんは悲鳴と共にぱたりと倒れ、動かなくなった。
……のは、良いのだけれど、いつまで経っても「カット」の一言が聞こえない。ちょっと様子を見てみようかな? カメラが回っていても良いように、悪霊のまま――“寧”のまま、彼らすらも恐怖のどん底に導こう。
『■■■■■ァァァァァ』
うなり声。首の位置は動かさず、最初に肩をカメラ側……私から見て左側に、次に腰、片腕、片足と、パーツごとにバラバラの動きで身体を向ける。それから最後に、ぎこちなかった動きが嘘だったかのように勢いよく顔を向ける。
「ひぃッ」
「た、たすけて」
「誰か、誰か」
「(ぶくぶくぶく)」
声もなく怯える声。
か細い声で助けを求める人。
尻餅をついてうわごとのように何かを呟く人。
泡を吹いて仰向けに倒れ込む辻口さん。
私は彼らを視界に入れると、頭の高さを変えないように素早く後ろを向きブリッジ。そのまま、カメラに向かって跳躍した。
『谺。縺ッ縺翫∪縺医□――!』
飛翔。
着地。
カサカサと迫る。
「う、うわぁぁぁ、出たぁぁぁッ!?」
監督の叫び声。
演者さんの失神。
スタッフさんの絶叫。
私はカメラの奥まで駆け抜けると、身体を起こして周囲を見る。えーと、終わりで良いのかな。監督に近づくと、監督は腰が抜けたまま後ずさりした。
「あのぉ、監督? カットで良いのでしょうか?」
「あわ、あわわ、あわわわわ、あわわわわわわわ」
うーん……もしかして、やりすぎてしまったかな?