ending
――ending――
結局。
演技を終えて直ぐ、レオは急な呼び出しで慌てて去っていった。電話の向こうから聞こえてきた声は、たぶん、ロロさんだろう。
わたしはというと、マネージャーの連絡先を問われたのでベルを鳴らして御門さんを召喚。
『マネージャーさんと連絡はとれるかい? つぐみ』
『はい』
『うぉっひゃい?! ニ、ニンジャ!? んん。なんでもないよ。さ、仕事の話をしよう』
『あ、なかったことにするんですね』
『は、ははは……忘れてくれ』
正直、エマさんの様子はとても面白かったのだけれど、そのままお話し合いに入ると言うことで、轟芸能事務所のカフェスペースで、御門さんたちを待つことになった、の、だけれど。
「あの、こーくん?」
柿沼さんが席を外して少し。
コーヒーを片手に黙り込む虹君の様子に、首をかしげる。えーと、どうしたんだろう?
「オレは」
「はい」
重々しく開かれた口。その雰囲気に、思わず居住まいを正す。
「おまえのことが好き」
「はい――はぇっ!?」
「なのかと、思った」
「は、へ、え?」
あの、えっと、え? んんんん???
なんと声を上げて良いかわからず、思わず唸る。いやだって、え?
「おまえのことを考えるともやもやするし、黄金さんも恋がどうたらと煩い。おまけにレオがつぐみの隣に並んでいたら苛々した。だからオレは、妹よりも年下のおまえに恋をしているのかと、悩んだ」
なんて、え、告白? 告白なの?
「だが!」
「ひゃっ」
だん、と、音を立てて立ち上がる虹君。
わたしはといえば思考が追いつかず、思わず私に助けを求めた。意識の奥底で、私は走って逃げ出した。
「これは恋なんかじゃねえ! 今日の演技を見て思い知らされた。オレの演技はおまえよりも下だ! ああ、そうさ、認めてやるよ。いつの間にか前よりも上手くなりやがったおまえに、オレは嫉妬していたんだ! だから、レオが隣に居て、オレより先におまえの演技を越えるヤツが現れたのかと焦った! ああ、そうだ、認めてやるよ!」
被っていた猫も外面も何もかなぐり捨てた様子で、虹君はわたしに人差し指を突きつける。
「おまえはオレのライバルで、目標だ! 直ぐに追い抜いてみせるから、覚悟してやがれ!!」
「ひぅ、は、はい」
「っ――これで勝ったと思うなよ!!」
「ぇぇ……」
虹君はそう叫ぶと、背中を向けて走り去る。そして、入り口で待機していた黄金さんをひっつかみ、雑踏の中へ消えていった。
「あの、こーくん、ここ、こうきょーのば……」
ざわつくカフェ。見渡せば、エレベーターを降りてきたところだったのだろう。苦笑する柿沼さんと、腹を抱えて笑うエマさん。責任の一端はあなたにあるんだから、どうにかして欲しいのだけれど。
「いやぁ、笑った笑った。彼、けっこう愉快な子だねぇ」
「むぅ」
「ふっ、くくく、むくれないでくれよ、お姫様」
エマさんはひとしきり笑うと、わたしの頭に手を置く。なんとなく、つかめない人だ。
「君に課す重圧は、これからどんどん重くなることだろう。いや、私がとびきりのを課すって話なんだけれど」
エマさんはそう、あのときに見せたような苛烈な笑顔を見せる。狂気的で、愉しげで、ああ、そうだ。とてつもなく、演技の世界が好きで好きでたまらない人間の表情で笑う。
「私は君を子供とは思わない。何もできないガキだとは思わない。対等な人間として、とびきりの重荷を課せる。それに君は、耐えられるかな?」
それは果たし状だ。
これは、わたしたちへの、挑戦だ。
なら、わたしの答えは一つだけ。
「じょうとう」
そう言って人差し指を突きつけると、エマさんは端整な顔立ちを崩して笑う。
「くふ、ははははは! いいね、気に入ったよ。心底から君のファンになった。ああ、だから、君と撮影できる日を心待ちにしているよ――つぐみ」
「はい。わたしもたのしみです。エマさん」
ため息を吐く柿沼さんを引き連れて、どこかへ去って行くエマさん。その後ろ姿はなんとも愉しげで、ちょっとだけ、あんな風に生きられるのは羨ましく思った。
まぁ、でも、今は。
スマホのメッセージを開く。そこには、凛ちゃんの名前。
『ネットニュース見たけど、兄がつぐみに告白したってホント!?』
この状況をどうやって収束させるか、の方が大変かな。
(もう。怨むよ、こーくん)
そう、わたしは頭をひねりながら、メッセージの文章に悩まされるのだった。
――/――
いつものようにウィッグをつけて、軽く化粧を施す。女性の姿に戻ったおれ――私の姿は、なんともいつもどおりだった。
ロロの口車に乗せられて男の子の姿になったのだけれど……うん。楽しかった。あんな風に振る舞える自分がいたことが、嬉しかった。母さんのことでも進展があったし、きっと、次のチャンスでもっと深くまで知ることができるだろう。そうすれば、日記と併せてより確実に、父さんを優しかった頃に戻せるはずだ。
(父さんが早く戻るんじゃなければ、もっと一緒に居られたのに)
つぐみのことを考えると、胸が温かくなる。これまでに覚えたことのない感覚。胸に残る熱。虹が来たときは焦ったし、なんとなく、言い争いっぽい感じになってしまったけれど、後悔はしていない。なんだかとても、“友達”っぽかったから。
「いや、今はそれは置いておこう」
気を引き締めて、桐王鶫を演じないと。そうでないと、どんな目に遭わされるかわからない。お休みの日につぐみに会いに行こうとして、怪我で動けないなんて嫌だ。
いつものように、鏡を見ながら意識を切り替える。あのときのつぐみの演技はすごかった。とてつもなかった。私だって、負けていられない。
(そうだ。次はいつ見られるかわからないし、つぐみにメッセージを入れておこう。『無事に家に着きました。しばらく連絡はとれないとおもうけど、次は、一緒に竜胆に行こう』っと)
廊下を歩いて、応接室に向かう必要があったから、念のため、スマホは部屋に置いたまま出る。
今日は何故か、いつものモニタールームではなかった。
「来たわよ。用件って?」
何も知らないただの女性のように、そう振る舞う。すると父さんはワイングラスを置いて、私に対面の席を勧めた。
(暑い……夏なのに、暖炉に火が灯ってる)
気温の異常性なんかおくびにも出さず、腰掛ける。父さんは高そうなスーツに身を包んで、どこか上機嫌にも見えた。
「実は、少々急がなくてはならなくなってね」
「はぁ?」
「完成まで悠長に待っているのも、面倒になったのさ」
「なに、を?」
なにを、言っているのだろうか。
父さんは置いてけぼりの私を余所に、足下に置いた鞄から、一冊の本を取り出した。赤い表紙の、大きな本――母さんの、日記帳。
「それ、は」
「ツナギ。君はこれを求めていたね」
「っ」
「だから、これが最期の、楔だろう?」
立ち上がって、父さんの元に走る。日記を、日記帳を、母さんの思い出に手を伸ばして。
「っだめ、やだ、あ、ああああ」
父さんは、私が辿り着くよりも早く――日記帳を、暖炉の中に放り捨てた。
「やめろぉおおおおおおおおおおおおおおおッ!!!!!」
暖炉に飛び込もうとした身体を押さえつけられる。
ああ、いやだ、いやだ、いやだ、いやだ、いやだ。
「さぁ、生まれ変わるんだ!」
「あ、ああ、あああああ!」
「おまえはツナギでない。桐王鶫だ! それ以外の何者でもない!」
「いや、いやだ、いやだ、あ、ああああああっ!」
「今、このとき、この炎で――繋という人間は死んだ!!」
「し、んだ? おれが、しん、で、鶫、に」
「そう、鶫になるんだ。くひ、ひひひ、ひははははははははははッ!!!!」
灰に沈む。
なにもかも、なにもかも、灰の中でどろどろと溶けて。
「さぁ、目を覚ますんだ。誕生、おめでとう――鶫」
目を開く。
ここはどこだろう?
誰かが、私を抱き起こす。その手を、私は。
「触らないで」
「っ」
振り払って、睨み付けた。
「はは、痛いじゃないか、鶫」
「知らないわ。あなたのことは拒絶したはずよ。そうでしょう? ――玲貴」
くすんだ金髪。
落ちくぼんだ碧眼。
彼も、ずいぶんと年を取ったものだけれど――関係ない。
「待っていたよ。ああ、この日を、ずっと待っていた」
「近づくなと言ったはずよ」
「ふ、ふふ、ああ、すまないね。では、仕事の話をしよう。君の大好きな、演技の話を」
「! そういうことなら、聞いてあげる。なにを演じさせてくれるのかしら?」
私には他には何もない。
私には、演技だけあれば良い。
「君にとって、懐かしい役柄さ」
それが、私が生まれ変わった理由で、―――と、並ぶ資格……あれ? ん? 何に並ぶんだったかな。えーと、まぁ、良いか。
「なんだっていいわ。早く、私に演技を頂戴」
ただ演じるだけだ。
これまでも、これからも。
それが、私の存在理由だから。
――Let's Move on to the Next Theater――




