scene7
――7――
――轟芸能事務所・屋上庭園。
突如現れたエマと名乗る男装の麗人。彼女と一緒にやってきた虹君と黄金さん。状況はよくわからないまま、わたしとレオも何故か連れ立ったまま。屋上に設置された植物園にやってきた。
特殊な話し合いをするときのために区切られたスペースで、広さはテニスコートくらい。わたしは、柿沼さん(と、柿沼さんのマネージャーらしき女性)とエマさんがお話し合いをする傍ら……虹君とレオと三人で、対峙していた。ど、どうしてこうなったの?
「じゃ、僕は邪魔にならないところにいるから」
そう言って端の方へ移動してしまった黄金さんを、ついつい、縋るように見てしまう。面倒だから離れた、とか、そういうことではないよね? ね?
「初めまして。オレは虹っていうんだけど、君は?」
あ、虹君、すっごく猫を被ってる。あんまり見たことがないような輝く笑顔でレオに話しかける虹君の姿に、思わず吹き出しそうになる。普段の虹君を知っているからかな。余計に、腹筋にダメージが入ってしまった。
「……レオ」
対してレオは、どこかぶっきらぼうにそう短く告げる。無愛想に見えるけれど、十中八九、緊張しているんだと思う。ついでに正体がばれないようにあまり声を出さないように、かつ、発声のトーンを変えているみたいだ。
yo!tubeのツナギチャンネルを見ていたときにも感じていたことだけれど、彼は声を操るのがとても上手い。発声、身振り。台詞以外のところで、演じたい物を見せる力。わたしも、負けてはいられない。
「そっか。つぐみの友達、かな? つぐみも大概、手が早いね」
「こーくん、それ、どういうイミ?」
にっこり笑顔でそう告げると、虹君は頬を引きつらせる。わたしが誰彼問わず引っかけているような言い方は、ちょっと、失礼じゃないかな。そう詰め寄れば、虹君は一歩引き下がった。よし、もう少し問い詰めてやろう。
「こーくん、言いたいことが――へ?」
そうやって、わたしが追い打ちを掛けようとして、直ぐに、手を引かれて後ろに下がる。
「あのさ」
レオは意図的にトーンを低くして、わたしの手を引いた勢いで、レオ自身の胸にわたしを抱き留めた。
「女の子にそういう言い方は、ないんじゃないか?」
胸を張って、堂々と言い放つレオ。そんなレオに虹君は――何故か、わたしの肩をつかんで奪い取るという方法で意思を示した。え、あれ、なんで!?
「と、大丈夫? 転びかけたように見えたから。――ああ、君への答えだけれど、オレとつぐみは“親しい”から、この程度のやりとりはよくやるんだ」
虹君、虹君、被った猫が逃げ出しそうです。なんて、こう、なんでだろう。口を挟めない。
「親しき仲にも礼儀ありって言葉、知らない?」
「あわわわ」
手を引かれてレオの方へ。
「気の置けない仲って言葉なら、知っているかな」
「あわわわ」
手を引かれて、虹君の方へ。
「屁理屈」
「あわわわ」
足がもつれながら、レオへ倒れ込み。
「頭が固いんじゃないか?」
「あわわわ」
バランスを崩したまま虹君の方へ倒れ込み。
「被ってた猫、逃げ出しているみたいだけど?」
「他人行儀に接してやったんだよ。わかるだろ?」
「DV起こしそうな男の台詞」
「ヒモにでもなりそうな男の台詞に聞こえるが?」
やがて、わたしなんかそっちのけで、言い合いを始めてしまった。つ、鶫はこういう時どうしてたんだろう。記憶を掘り返して――だめだ、まったく役に立たない!
混乱を極める状況。打開策を探そうにも、記憶の中の鶫はぺろっと舌を出して頭をこつんと叩いていた。なんだこのビジョン。
いや、でも、なにがどうでもなんとかしないと、なんて、わたしの決意は快活な笑い声で遮られる。
「あはははは、日本は久々だけど、面白い遊びが流行っているようだね」
柿沼さんとの話し合いをいつの間に終えたのだろう。男装の麗人、エマさんが手を叩きながら近寄ってくる。その後ろでは、柿沼さんが困ったように苦笑いを零していた。
「君がつぐみだね。空星つぐみ」
「は、はい。エマさん、でしたよね?」
「ああ、そうだよ。しかし、君が、ね。なるほど」
「っ」
思わず、息を呑む。蛇のようだ、とでも言えば良いのだろうか。品定めでもするかのように眇められた目に乗せられた、飢えた蛇のように鋭い意思。彼女もまた、桐王鶫のように、修羅場をくぐり抜けてきた人間だ。直感的に、そう、わたしは視線と共に受け取った。
「いや、実は私は子役も探していてね。女の子を雇いたいから、是非、君にもオーディションに参加して欲しいのだけれど……どうかな?」
「うけてたちます」
「即答、か」
気がつけば、わたしは、虹君とレオを置き去りにするようにそう告げていた。勘だ。全部、勘に過ぎない。けれどここで退いてはならないと、わたしの記憶と経験が疼いたんだ。
「――いやはや、こうなってくると、実力も味見したい。柿沼さん、まだ、時間は良いですか?」
「ええ、大丈夫ですよ。今日は一日、空けていますので」
何かを察したのか、やれやれと首を振る柿沼さん。ただ一人視線に晒されるわたしを守るように、一歩前に踏み出す、虹君とレオ。
「……可愛いナイトだ。よし、少し君の演技が見たい。二人も、付き合ってくれるかい? ナイトさん?」
「ええ、オレで良ければ」
「――つぐみだけに、無理はさせられない。わかった」
「ふ、ふふふ、そうこなくては」
エマさんは、そういうと愉しそうに笑う、笑う、笑う。世界の中心で、くるくると踊る影法師。まるで、わたしたちの全部を手のひらに乗せて、飲み干してしまうのではないかと思わせるほどの、得体の知れない表情。
「コンセプトは“善悪”、テーマは“勧善懲悪”。レオを善、虹を悪としようか。ショートストーリー。シーンテーマは“淵”。うーん、いいね、組み上がってきた。つぐみはレオにも虹にもいい顔をしたい、という役」
独り言のように、けれど確かな質感を持って紡がれていく言葉。レオの名を知っているのは、離れて柿沼さんと会話をしていたはずなのに、こちらの会話から聞き取ったからだろう。抜群の聴覚と、それを表に出さない演技力、それから複数の会話と会話を聞き分け区別するマルチタスク。
どんどん、どんどん、エマさんという人のことがわかってくる。そしてそれは、わたしがよく知る誰かに、どこか、似ているような気がしてきた。
「天才子役は、善人の役柄が得意になっていく。でも、つぐみ、君はドラマでいじめっ子の役をやっているそうだね? そうなると、既存の物に則るのは面白くないな。心底悪人でもないけれど、心底善人でもない、そんな役が良い」
独り言? いいや、違う。聞かせているんだ。わたしたちに理解させるのと、自分自身を納得させること。その二つを両立しているんだ。めまぐるしく動く瞳、手を組み、指を動かすことで身体に染みついた動きをルーティーンとして抽出、規格化して思考をまとめている。
――役者、なのかと、最初は思った。でも違う。この人はたぶん、役者を“使う側”の人間だ。
「構成は簡潔に、そうだな序破急で行こう。序章に、善人のレオと悪人の虹に愛嬌を振りまくつぐみ。破りに、そのことが二人に発覚する。急ぎに、破滅。これでいけるな? つぐみ」
これは、挑戦だ。彼女はわたしに、挑戦状を叩きつけた。初対面の五歳児にここまでのことをするなんて、普通は、正気を疑われることだと思う。けれど、この手の人間は、もう、最初から正気じゃない。
この世界には、時々、こういう人間が現れる。思えば、わたしの前世の、彼もそうだった。
わたしがそう、刹那、沈黙したことをどう受け取ったのか、虹君は戸惑いの表情で一歩前に出た。
「あの、エマさん? いくら何でも、急にそんな……つぐみ?」
その一歩を、わたし自身が手で遮る。
「やります」
「くく、そう来ないと。じゃあ、直ぐやろう。お姫様がこう言ってるんだ。自分たちはできない、とは、言わないよね? 虹、レオ」
「できないなんて、一言も言ってませんよ」
「……やる」
さて、どうしようか。最初は――
「つぐみ、レオ。最初はシーンを分けよう。スポットライトが当たっていない方は背を向けて、俯いて、片膝をついておく。最初はオレが行く」
――うん、えっと、確かに。虹君はさっきまでのどこかぐらぐらとした表情とは違い、目を鋭くしてわたしとレオに告げる。難しい一番手を名乗ったのはレオへの気遣いだろう。
レオもまた、虹君の様子に目を見開いて驚いている。けれど直ぐに頭を振って名乗り出た。
「いや、善悪の対比なら善人から行った方が見栄えする。最初は、おれがいくよ」
「じゃ、さいしょは、わたしのどくはくから始めたほうが、こうぞうがわかりやすいね」
「……わかった。ま、やらかしてもいいぞ。オレが全部ひっくるめてフォローしてやる」
「その必要はない」
「みぎにおなじく」
暖まっていく。エンジンを掛けた車のように、震えと熱が身体を満たす。
「言うじゃねぇか。――ハッ、ちょうどオレらしくなくて苛々してたんだ。全部ぶつけてあの女をひっくり返してやるぞ、レオ、つぐみ!」
「ああ」
「うん!」
三人で拳を打ち付けて、三方向に分かれる。そうすると、準備に時間がかかるとでも思っていたのだろうか。エマさんは少しだけ目を見開き、直ぐに笑みを深くした。その化けの皮を引っ張ってぺりぺりと剥がせると思うと、役者冥利に尽きるというものだ。
(自分の手が震えているのがわかる。始めたくて、演じたくてうずうずしてる)
題目は、なににしようかな。わたし一人で決めてしまうのは二人には申し訳ないけれど――この演目の主役はわたしだ。わがままに、傲慢に、踊り狂って壊れて見せよう。
(うん、なら、タイトルはこれだ)
“破滅”。
――どっちつかずの蝙蝠の果てを、とくと見るがいい……!




