scene6
――6――
――竜胆大付属中学・ロッカールーム
レッスンを終え、シャワーを浴びて着替える。まず何か仕事の連絡が来ていないかスマホをチェックするのが日課、だったのだけど――妹の、凛からのメッセージが堂々と一番上に残っていた。またガチャ爆死か? 兄に報告をするのはやめろ、ほんとに。つぐみからはそんな報告――
「ッ」
思わず、ロッカーに額を叩きつける。ガン、という小気味のいい音が、ほどよくオレを正気に戻してくれた。なにをばかなことを考えているんだ。
これじゃあまるで、オレが、つぐみのメッセージを、待ってるみたいじゃないか。
「ほんと、どうしちまったんだ、オレ……」
ロッカールーム内のベンチに座ってため息を吐く。つぐみが何事もなく退院できたのは良かった。それは、間違いない。でもあの後からどうも、つぐみのことを考える時間が増えた、ような、気がする。
あんな事件に巻き込まれて、なんで笑っていられるんだ。なんで、ソッコーで現場復帰なんかしてるんだ。なんで、誰も、「つぐみちゃんはもう大丈夫だろう」なんて言って、ちゃんとみてやらねぇんだ――って、いやいやいや。オレより近くにいるからわかることもあるって考えるのが普通だろうが!
「はぁ、切り替え切り替え。で、凛は――ぶっ」
思わず吹き出し、咳き込む。
赤らんだ頬、微かに潤む瞳、目を伏せ、口元に手を当て、照れる表情。空色の瞳の先に映る相手は、いったい誰なのか。オレには見せたことのない表情。いつも、オレと笑っていたアイツの隣に――待て、だったらなんで凛が撮影できてるんだおかしいだろくそが。
『つぐみ、喫茶Slashでデートの模様。至急、現場に急行されたし』
『……おまえがいけよ』
『私は仕事。いけるものなら……いけるものなら!』
『ふぅん。で、相手は? 美海か?』
『不明』
よくわからないやつのところに送り出すな!
いやいや、違う違う。だからこそ、場所が特定できるようなところへ送り出した、ということだろう。
『おまえがどうしてもっていうんだったら、様子を見に行ってやらないこともない』
『はいはい、どうしてもどうしても』
『投げやりだなオイ。まぁ良い。暇だから行ってやる』
『さすが兄! じゃ、報告は毎秒よろしく』
『するかバカ!』
凛とのメッセージ画面を閉じて、黄金さんの画面を開く。外出予定は必ず連絡するのが決まりだから、喫茶『Slash』に行ってつぐみの様子を見てくれと凛に懇願されたことを素直に送ると、二つ返事で、手伝ってくれることが決まった。
さっさと準備を終えて、あとは校門前で黄金さんの車を待つだけ、なんだけど。
(将来、からかうネタになるかもしれないし)
凛から送られてきた画像を開いて、保存を押す。からかいネタなんだから見つかって消されても困る、から、フォルダを分けて鍵を掛けて……よし。五年後……いや、十年後くらいにからかい倒してやろう。そう、慌てふためく十五歳のあいつの姿を想像して、蹲る。
(なに考えてたんだ、オレ)
オレは、こう、ちょっとおかしいのかもしれない。
心底イヤだが、親父に相談してみるか……。
「もう出て行った?」
「ありゃ。一歩遅かったみたいだね、虹」
喫茶『Slash』のオーナー、渡直子さんに告げられたのは、もう、二人はいないということだった。また、会話は聞こえないように配慮していたから、なにをしていたのかもわからない、と。
「ごめんなさいねー」
「いえ。急に、不躾なことを聞いてごめんなさい」
「はぅあッ!? び、美少年パワーが……」
……うん、まぁいいや。慣れてる。それよりも、だ。そうなると一体どこへ行ったんだ。二人きりで? デートに、いやいやいや。だからそれがオレになんの関係があるって言うんだ。
くそ、せめてアイツがもう五歳上だったら――だったら、何だって言うんだ。うがー!
「あの、夜旗君、これ、大丈夫なのでしょうか?」
「ははは、気持ちはわかるからね。あ、つぐみちゃんはどこへ行くとかは、言ってなかった?」
「んー……あ、そういえば出がけに、“とどろき”がどうとか」
頭上から聞こえてきた二人の会話に耳をそばだてる。とどろき……まさか、等々力渓谷か? つぐみは割とババ臭いところがあるから、十二分にあり得る選択肢だ。パワースポットよりも名水を選択するようなやつだからなぁ。
「ありがとう、直子ちゃん」
「いえいえー。他ならぬ黄金さんの頼みですから」
「今度、また、お酒でも奢るよ。――さ、行くよ、虹」
黄金さんに促されて喫茶店を出る。いつもの赤い車に乗り込むと、黄金さんはカーナビのセットを始めた。
「今ので、どこに行くかわかったの? 黄金さん」
「芸能人がわざわざ目的地に選ぶのなら、一つしかないと思うんだよね」
「やっぱり……等々力渓谷?」
「ちょっと遠いよ……そっちじゃなくて、ほら」
示されたカーナビの住所に、「あ」と言葉を漏らす。
「まぁ、ダメならダメでそれこそ等々力渓谷を目指すのもありだけど、まずは行ってみようか」
黄金さんに言われて、ひとまず頷く。大手芸能事務所、“轟”といえば、柿沼宗像や浅田芙蓉、それから式峰梅子なんかも所属する芸能界の老舗だ。子役とはいえ、芸能人が連れ立つのなら、確かに、あそこに行くって考えるのが普通だ。
いや、こればっかりは、普通の子供らしい所作が少ないつぐみのやつが責められてしかるべきだとは思うが。
「いやぁ、それにしても、虹も大きくなったねぇ」
「なにそれ」
後部座席に乗り込んで直ぐ、バックミラー越しに、黄金さんのニヤけ面が映る。
「恋、だろう?」
「はぁ? 誰が、つぐみなんかに」
「おっと。相手が誰とは言ってないよ。ははは」
「ッ文脈でわかんだろ!」
あー、くそ、なんだよ。うぜぇ……今日ばっかりはほんとに、この人は!
故意、濃い、いや恋か。って、違う違う。オレが? いずれは霧谷桜架を超えるこのオレが、恋? はは、ふざけんな。
頬杖をついて窓の外を見る。なんだってオレが、こんなことでやきもきしなきゃならねぇんだ。だいたい、いくつ年が離れていると思ってんだ。八歳だぞ、八歳。あいつが十歳でオレは十八、十五歳でオレは二十三……女子高生と大学生くらいならそうでも……いやいやいや、何考えてんだオレは!
(そりゃあ、演技は認めてる。あいつの実力は“ホンモノ”だ。凛も大概だが、つぐみはずば抜けている。あれであの妙なちぐはぐさが消えたら、本当に、正真正銘、化け物だ)
そして、その方がやりがいがある。同年代は、どいつもこいつも不甲斐ない。だからいつも上ばかり見ていた。けれどどうだ。今は手を抜くことがこんなにも、怖い。後ろから迫ってくるアイツが、とてつもない実力を持っているから。
だから、オレは、追い抜かれそうな今が――楽しくて、仕方がない。
(その状況には感謝してるさ。だけど)
だけど、今からそんな風に、大人顔負けの演技をして、壊れちまうんじゃないか。壊されちまうんじゃないか、なんて、不安が付き纏う。
鯉だか恋だか知らないが、そんなものはどうだっていい。それよりも、オレのやりがいがなくなって、凛にぴーぴー泣かれる方が面倒だ。
(だから)
だから、それだけ。
オレがアイツを助けてやるのだとしたら、理由なんて、それだけで十分だ。
「虹?」
「ん? あ、えっと、なに?」
「いや、ずいぶん長いこと考えていたみたいだけど……ほら、ついたよ」
「ん。ありがと」
轟芸能事務所の前に到着すると、黄金さんがさっさと受付に行ってくれた。けれど、前の人が受付で話し込んでいるのか、中々、進むことができないでいるようだ。
「黄金さん、どうしたの?」
「ああ、虹。どうも今、受付してる人、ここのゲストパスをなくしちゃったみたいでね」
「ふぅん?」
言われて、受付を覗き込む。轟みたいな大手のところじゃ、ゲストパスなしじゃ簡単には入れないからなぁ。それだけ、セキュリティは厳しい。
さて、突っかかってるのはどこの誰かと見てみれば、どこかで見覚えのある人間がいた。緑がかった艶のある黒髪に、アッシュグレーの瞳。すらりと高い身長の、男装の麗人。確か、親父が見ていた記事に……あ、そうだ。
「お姉さん、中に用事があるんですか?」
「あ、ちょっと、虹?」
黄金さんの声を振り切って、女性に声をかける。近くで見ればハッキリとわかる。まぁ、日本じゃ知名度は低いんだろうけど、あの、元名女優現名監督の閏宇の弟子ともなれば、このオレがチェックしないはずもない。
「えーと、君は――確か、夜旗虹君、だよね」
「はい。そういうあなたは、エマさん、ですよね」
「はは――これは驚いた。まだまだ日本では、私の知名度なんかないと思ったのだけれど」
柔和な笑顔の裏に忍ばせた、鋭い牙。やっぱりハリウッドなんていう人外魔境で生きる人間は雰囲気が違う。それを――まぁ、普通の人間じゃわからないだろうな。
「柿沼宗像さんに、仕事の話があってね。困っていたのさ」
「そうなんだ。あのさ、黄金さん」
「はいはい、ちょっと待っててね」
つぐみのことも気になるが、ドラマで共演している以上、つぐみがここに来る用事なんて柿沼宗像か月城東吾くらいだろう。で、月城さんは確か、生番組に出ていたはず。他の用事だったとしても、守秘義務の強い受付で聞くよりも、何かと顔が利く柿沼さんに聞いた方が早い。
轟事務所が目的地でなかったら……それまでだ。今から他の場所を探したって、もう、間に合わないだろうさ。
「ゲストパス、一緒に取れたよ。今回は特別ってことでね」
「ありがと、黄金さん。責任はオレが持つからさ」
「はは、責任を取るのは大人の仕事さ」
受付のお姉さんに笑顔で頭を下げると、お姉さんは頬を赤らめて手を振ってくれた。楽勝楽勝。
「さ、行きましょうか」
「ありがとう、虹君。いやしかし、なるほど、君は相当できるね。興味深い」
「はは、ありがとうございます」
連れ立って、柿沼さんが待つという応接室に向かう。エレベーターに乗って、歩いて向かって、直ぐ。白い扉が見えてくると――エマさんは、ノックもなくドアノブに手を掛けた。
「あ、ちょっと――」
開け放った扉の先。目を見張る柿沼さんと、オレの予想が的中して柿沼さんと一緒に居るつぐみ――と、その隣の、金髪の男。
「こうして対面するのは初めてですね。私の名は、エマ」
キザったらしい、胸に手を当てた礼と、苛烈な意思を滲ませた言葉。
「今日は“紗椰”のリメイクについて、お話をしに参りました」
なにもかも急すぎる流れに、オレは、思わず額に手を当てる。
早まったかも……なんて、柄にもないことを考えながら。




