scene4
――4――
最初は近況から。怪我はなかったか、なんて話から、ドラマの話まで。わたしのはなしを聞くツナギは、とても楽しそうに見える。
たくさん話して一息吐くと、まだ暖かさの残るカフェオレが、喉を癒やしてくれた。
「改めて、さ」
「うん?」
「受け入れてくれて、ありがとう」
「……ふふ。ともだちのことだもん。うけいれない、なんて答えはないよ」
ツナギが絞り出すように告げた一言にそう答えると、彼はわたしの返答に胸をなで下ろす。男の子の格好と口調にしているけれど、やっぱりまだ、仕草には少女のような戸惑いがあった。今、こうやって殻を破っている最中なのだろう。
「……せっかくだから、このままどこか、おでかけとか……する?」
なんとなく、一息吐いたタイミングでそう告げてみる。ツナギの力になりたいとは思ったけれど、でも、どうすれば良いのかなんてわからない。ただ、思い浮かべたのは、鶫が生きていたとき、“さくらちゃん”に手を差し伸べたときのことだ。
わたしの見本は、やっぱり鶫だから、わたしも同じように、友達に手を差し伸べたい。そうやって告げた言葉には、やっぱりまだまだ迷いみたいなのがあった。拒絶されたら、イヤだって言われたらどうしよう。そんな、臆病なわたしの性根。
「これ以上、つぐみに付き合わせるのは――」
「付きあわせる? どこか、行きたいところがあるの?」
「――ぁ、いや、えっと」
嫌われるのは怖い、でも。でも、鶫ならどうした? 絶対、退かなかったはずだ。だって彼女はとても強い人だったから。わたしだって“つぐみ”だ。鶫みたいに、できるはずだ。
「だったら、いっしょに行こ? ね!」
身を乗り出して、ツナギの手を握る。びっくりして目を見開くツナギに詰め寄れば、彼はカァっと頬を赤くした。照れてるのかな?
それにしても、彼の目は綺麗な青色だ。そう、海の深いところ。光の薄れる深海の色。そういうのを――なんて、いうんだったっけ。
「わわわわかったから離れて、つぐみ!」
「あ、ごめん」
「ふぅ、はぁ、し、心臓に悪いよ……いや、良いけどさ」
ツナギはパタパタと手で顔を仰ぐと、熱を冷ますようにコーヒーを呷った。かつてのわたしと同じで、友達が少ないから、距離感がつかめないのかも。そういうのってあるよね。わかるわかる。
「それで、ツナ――レオの行きたいところって?」
「あー、行きたいところっていうか、なんていうか……母さんのことが、知りたいんだ」
「レオの、おかあさん?」
まだ、どうにも踏み込んで良いのかわからず聞けていない、ツナギの家族のお話に、わたしは思わず居住まいを正す。
「母さん、は、おれが二歳の時に死んでるんだ。正直、優しい人だとか、そういうの以外はほとんど覚えていなくて……だから、母さんのことが知りたいんだ」
「そっか……うん、わかった、協力するよ!」
「ありがと――とはいえ、なにもかも手探りなんだけどさ。父さんのことは、その、話せないし」
話したくない、じゃなくて、話せない、か。お母さんが亡くなられている以上、ツナギの現状はお父さんのせい、っていうのが濃厚かな。だって、お父さんのことを告げるとき、ツナギはどこか悲壮さを滲ませた様子で瞳を伏せたから。ダディを見習うべきお父さんなのは間違いない、と、思う。ダディはあんなに素敵なのに、もう!
「よし、じゃあさくせんかいぎだ! いま、わかってることってあるの?」
「あるにはあるけれど……よく頭を撫でててくれたこととか、あー、小さい頃は姉に比べられて大変だったとかなんとか、でもお姉さんの名前とかは知らなくて……あ、そう、あと、母さんの旧姓とか」
「なるほど。みかどさんだったら、それで調べてくれそうだけど……」
ポーチの中のベルに思いを馳せる。きっと、鳴らせば直ぐに駆けつけて、さささっと調べてくれることだろう。
「御門さんって、あの、つぐみのマネージャーの?」
「ううん。いま、こはるさんはお休みちゅうで、みかどさんはこはるさんのおかあさん」
「えっと、わがままで申し訳ないんだけど、知らない大人の人はちょっと……」
まぁ、そうか。そうだよね。あんまり知られたいことではないよね。
「うーん。そうしたら、レオのおかあさんのお名前だけ、きいてもいい?」
「え、あ、うん」
わたしはもちろん、聞いたところでちんぷんかんぷんだろう。けれど、鶫の記憶は別だ。掘り起こしていけば、関わってきた人間の名前くらい引っ張り出せる。鶫の生前ならともかく、わたしのスペックなら、既に知ってる物事を引き出すことくらい、なんということはないからね。
「風間」
「え?」
ん、あれ、えっと。
どこかで、聞いたような、気が。
「風間千鶴。それが、母さんの旧姓だよ」
風間、という、名字。その名字に心当たりが一人居る。でも、鶫の“桐王”とか凛ちゃんの“夜旗”ならまだしも、風間さんっていうのはそこそこいる名前だ。
「……そのおかあさんのおねえさん? が、何をやっていたか、とかは?」
「ごめん。そもそもその話だって奇跡的に覚えてたってだけだから、正確な情報かどうかも……」
「そうなると、ヒントは名前――んーっと、こっちは引っかからないなぁ」
風間、という方面で当たってみるのが良いのかも。一応、わたしの……鶫の記憶で思い当たるのは一人だけだ。共演したことがあるのは一度だけだけれど、そう、実力派として、当時、女子高生ながら名演技で名を馳せた一人の女優。
「げいのうかんけいの人なら」
「つぐみ? 心当たりが?」
「えーっと、かざまつばきって、知ってる?」
風間椿。桐王鶫が二十五歳の時、初めてさくらちゃんと共演した作品――“紗椰”で、紗椰が心を通わせた女性、“咲惠”を演じたひとだ。
――老舗芸能事務所“轟”といえば、誰しも一度はその名を耳にしたことがあるであろう、超大手芸能事務所の一つだ。
思い立ったが吉日。少ないヒントでも、足で歩いて探せばきっとなんとかなる。わたしは眞壁さんにお願いして、ツナギと一緒に、赤坂にあるこの芸能事務所まで足を運んだ。
「つぐみは相変わらず、行動力の塊だね」
「そうかな?」
「そうだよ……」
御門さんにスマホで(こっそり)連絡をしておいたおかげか、いつの間にか、芸能名鑑を閲覧したりするアポイントメントはとっておいてくれた。早くない? いや、助かるんだけどね……。
眞壁さんが運転席から降りて、黒服の人からカードを二つ受け取ると、わたしとツナギに渡してくれた。ホルダーに入れて首からかけると、これが、入場証になるようだ。わたしはその大きな社屋をぽかんと見上げるツナギの手を引いて、ビルに足を踏み入れる。
すると、ビルの中の人たちの視線が、わたしに集まるのを自覚した。
(なんだろう。なにかやっちゃったかな)
意識を集中。ツナギを感じながら、周囲の音も聞き分ける。
「あれって、『妖精の匣』のつぐみちゃんじゃないか?」
「隣の子も子役かな。格好いいもんね」
「やぁん、かわいい。眼鏡もキュート」
「もしかして誰かに用かな? 今、『妖精の匣』のキャストって誰がいる?」
「ちょっと確認してみるよ」
……あ、あれ? 変装が秒でばれてる。おかしい。キャップも被って、伊達眼鏡までしてるのに。いやそりゃ、鶫のときはこんなもんじゃなかったけれど。もちろん、すっぴんで歩いてもばれない、という意味で。
「つぐみ? まず、どうする?」
「うけつけに行こ、レオ」
「おっけー」
とりあえず、ツナギの手を引いたまま受付に小走りする。閲覧レベルは低いのだろうけれど、ゲストレベルの入場許可証でも芸能名鑑くらいは見られる……よね?
なお、鶫が生前所属していた黒部芸能事務所は、入り口から入って二秒で本部でした。小さな芸能事務所だったからね。仕方ないね。
「あの、すみません」
「(うわぁ、美少女……)はい。いかがなさいましたか?」
ん? 今、小さな声で何か呟いたような?
……まぁ、良いか。小さな子供二人で訪ねてきたら、そりゃあびっくりするよね。小春さんはこういうとき、受付をさっと済ませていてくれたりする。御門さんは、なるべく全部、わたしが行動できるようにする。御門さんの方がちょっと厳しいんだよね。
「えっと、げいのうめいかん、が、見たいのです」
「はい。入場証も……お持ちですね。では――」
そう受付のお姉さんが案内をしようとしてくれた、の、だけれど。
「つぐみちゃん?」
「へ?」
かけられた声に戸惑い、振り向いた。
「かきぬまさん?」
少しだけ息を切らした柿沼さんが、わたしに声をかけてくれたみたいだ。そういえば、柿沼さんも轟芸能事務所の所属だった。一度、たぶん冗談で、鶫に引き抜きの話を持ちかけてきたことがあったっけ。
柿沼さんは受付のお姉さんと一言二言、言葉を交わす。それからなるほど、と頷いた。
「いや、何事かと思ったけれど、そういうことか。はは、つぐみちゃんは偉いね」
「えっと?」
一歩引いて状況を見守るツナギを余所に、柿沼さんは優しく笑ってわたしの頭を撫でてくれる。
「お友達のために、わざわざ芸能事務所まで足を運ぶなんて、そうそうできることではないよ」
……なんで、レオのためってわかったんだろう。レオに視線を合わせて、二人で首をかしげる。レオはやっぱりこの格好だと落ち着かないのか、わたしが見るとあからさまに安堵した様子を見せていた。たぶん、バレはしないとは思うけれど、心配だよね。呼び間違えないように気をつけないと。
「はは。自分だけのためなら、スマホで検索をかければ良い。けれど、そうしなかったのは、二人で見つけることに意味があったから、だろう? うん、やはり、つぐみちゃんは優しい子だよ」
スマホ、で、検索……? そ、その手があったか。
役者魂が働きかけて、動揺が表情に出ないように気をつける。けれど手を引いていたツナギには一目瞭然だったのか、じとーっとした目でわたしを見ていた。うぅ、疎くてごめんなさい。
「ちょうど、私も少し時間ができてね。聞きたいことがあったら答えるよ。なに、この事務所はもう長いんだ」
「ほんとですか?! ありがとうございます!」
「あ――その、ありがとうございます」
これは、願ったり叶ったりだ。当時、風間椿――椿ちゃんは、何度か柿沼さんとも共演していた、と、思う。だから紙面で見るような情報とはまた違った話が聞けることだろう。
……うん、ちょっと遠回りしちゃったかもって思ったけれど、良い方向に進んでいる。そう、レオに笑いかけたら、彼は頬を掻いて目をそらした。ふふふ、照れているのかな。
「さ、こっちだ。応接室に空きがある」
「はい! いこ、レオ!」
「あ、待って、つぐみ!」
風間椿。彼女が、レオのお母さんと繋がっているとは限らない。けれど……確かな一歩を進んでいるような、そんな気がして、レオの手を握る力が強まる。
どうかこの一歩が、彼の救いになれば良い。そんな風に、思いながら。




