opening
――Opening――
「はぁっ……はぁっ……はぁっ……」
廃墟の中を女性が走る。着ていた小綺麗な服はぼろぼろで、所々に赤黒い血の跡がにじんでいた。
「なんで、どうして」
息を荒くさせ、力なく垂れ下がる片腕を庇いながら、女性は呻くように回顧する。
「ヒロシも、アキラも、エミコも、みんなみんな死んじゃったのに! もう、あなたの恨みは晴れたんじゃないの!?」
叫び、悔やみ、やがてその苦痛にも終わりが訪れる。
「……行き止まり……? なんで」
黒い壁が彼女の行く手を阻むと、女性は力なく壁を叩いた。うぞうぞと背筋を這いずり回るような不快感。運動によって温まったはずの身体は、避けられない現実を前に冷え、固まっていく。
――ひた、ひた、ひた。
女性は耳に届いた音に、ひゅぅ、と、声にならない悲鳴をあげた。それが、意味のないものだと知っていながら。
――ひた、ひた、ひた。
首を振り、縋り付くように壁を叩き、割れた爪から血が滴る。
――ひた、ひた、ひた。
「いや、イヤ、いやよ、イヤ、あんな風に死にたくない。死にたくない!」
絶望に瞳を染めながら、女性は音のする方に振り向く。月明かりで照らされた廃墟に、人影のようなものはない。
ただ、それでも、まるで近づいてきているようだった。
――ひた、ひた、ひた。
「うぅ、ぅううぁぁぁ、イヤァァァッ!! 来ないで、来ないでよぉ」
音が。
――ひた。
近づいて。
ひた
来る。
ひた
ひた
ひた
ひた
ひた
「あ――――――――――れ?」
やがて、音が止んだ。
まるで最初からそんな音などしていなかったように、ひゅうひゅうと己の息づかいだけが、静かな空間に満ちる。
「許して、くれたの?」
へたり込んだ女性の、安堵の息。
声は静かに、けれど確かに、落ち着きを取り戻していく。
その。
肩に。
――뇣膕ꫣ膄
「ッッッ」
この世のものとは思えない“声”が、響いた。
「カァァァット!!」
――/――
セットの照明が舞台を照らす。私は目の前で一息吐く女優仲間に手を差し伸べると、彼女は役柄が抜けきっていないのか、引きつった顔でそれを受け取った。
「お疲れ様です」
「は、はは、はい、お疲れ様です。鶫さん」
撮影終了時に直ぐさま態度を切り替えるのは、経験則から来る自己防衛手段だ。これを行わなかったとき、相手役の俳優さんが不眠症で入院し、それを私のせいにされたことがある。
ホラー女優として名を馳せることにやりがいは覚えているけれど、なにも、本当に悪霊になりたい訳ではないのだ。
「いやぁ、今日も良かったよ、鶫ちゃん!」
「ありがとうございます、監督」
スタッフさんたちに挨拶をして、私は次の現場に向かう。ティーンズで役者の世界に入ってから早十七年。私はこの業界で知らぬ人のいない“ホラー”女優として名を馳せている。
元々ホラーが好きだったこともあって、私は現状に一切の不満を持っていなかった。そりゃあホラーしか仕事がこないことに思うところもあるけれど、ある意味では本望というべきものだ。
好きなのはジャパニーズホラーではあるものの、役が降りたらなんでもやるのが私の信条。目指すはハリウッドで人々の恐怖を背負うこと。不満はないけれど満足もしていない。
「桐王さん、次の現場までは車で向かいます」
「はい」
専属のマネージャーに促され、黒塗りの車に乗り込んだ。役柄のために伸ばした黒髪も、次の現場ではカツラに押し込まないといけない。なにせ、次は動く焼死体だ。
現場まで台本を広げながら最終チェック。私は声を出すような役ではないけれど、他の演者さんの台詞も把握しておかないと。設定の読み込みは大丈夫だと思うけれど、せっかく時間はあるんだし確認もしたい。あ、そういえば次はさくらちゃんと共演か。久しぶりだけど元気かな。
「あ」
そうやって集中していたから、私は少し、反応が遅れてしまった。バックミラーに映り込む、恐怖に歪んだマネージャーの顔。目の前には、ハンドルに縋り付くように眠るドライバーの運転する、大型トラック。
(これ、ぜったいホラー映画の呪いって言われるやつだ)
焼け付くような痛みと、なにもかもを挽き潰すような衝撃の最中。
私の脳裏に浮かんだのは、最期まで、ホラー映画に関わるようなことだった。