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私に纏わる死止奮刃  作者: 三人天人
朝ぼらけ
2/6

朝ぼらけ 1

 東の空に薄ら白く広がる雲が、柔らかな黄色が差したのもほんの数分の間。

 三月という、暦上の春の終わりの月としては無暗に肌寒い朝。

「・・・・そういう訳で喃。儂らはその時が来るまで只々行李の中で闇を見つめるより他無かったものよ」

 ようよう上りゆく太陽に照らされる庭の松。葉に滴る春の露も震えて煌めく静謐な時間。

 まだ目覚めぬ人もいれば、床の温もりに心奪われて再び夢へと沈み込む人も多いだろう。

「儂等が“鬼着”としての働きを存分に果たせたのは大凡二百年といったところか喃。お主の先祖に当たる初代の纏異が鬼縫に加わってからは、妖退治に天災の収拾にとあれやこれやとよく使われたものじゃ」

 草木もようやく目覚めたかという密やかな、陽光のじわりと染み入る蔵の中。

 板張りの床をぱたぱたと、それなりに音を気遣って駆け巡る。

 そんな朝も早よからかじかむ手を擦り擦り、冷たい(きれ)で床を磨く。

 溜まりに溜まった埃の山は、先日の騒ぎで粗方吹き飛んでしまった。

 とはいえ、床の木目の隙間を埋める埃は健在なので、箒で掻き出し濡れた雑巾でこそぎ取る。

「特に松割は重宝されておった喃。何せコヤツめは天を駆ける。纏異は人の身で空を往く事の出来る点で極めて稀有であった。遠駈けをしては一晩に百里を飛ぶほどじゃからな。遠方への来援や災害での人草妖の救援にと何かと持ち出されておったわい」

 立ち止まり、赤くなった手に吐息を当てて温める。

 白い熱気がしばれる指に心地いい。

 開け放たれた庭へ続く重厚な戸。その庭先に並べられた行李に向けて問う。

「鵯さん、五十里ってどれくらいの距離なんです?」

「一里は大体4キロってトコロかしらネ。ここからだとそうネェ、摂津、今でいう大阪くらいまでかしラ?」

「えぇ?!じゃあ単純計算で時速100キロくらいまでは出るって事じゃないですか!松割すっご!」

「あったりめぇだろぉがタァコ!本気出しゃあもっとはえぇぜ!」

「そぎゃんこと言うて、よぉ森ば谷ばぶち当たっちゃあぶっ転んどったじゃろ。松ばかち割ったっち話も案外勢いばつき過ぎよってさりくりツッコんだんじゃなかと?おまやーせっかちやけんのう」

「っだこらてめぇ!ありゃちゃーーーんと狙ったに決まってんだろがぼけぇ!」

 静かな蔵と庭に響く、喧しくも秘かな談笑。

 特に松割と嶽丸の声は遠慮が無く、はっきり言って朝から聞きたい類の音量ではないが。

 それでも私が声を抑える限り、家の人たちを起こす事も無い。

 えぇ、それもそのはず。

 この声を発している一団は皆着物。

 この声は、私以外には聞こえていないのだから。

「それはそうと、纏異様。いつになればこの蔵は元通りになりますのでしょう。幸い、吹き曝しにはなっておりませんが、いつまでもこう焦げ臭いのは、えぇ、敵いませんわ」

 冷え込む朝に相応しい。涼やかな声が疑問符を浮かべて問うてくる。

 その声に、打てば響くように甲高い声が同調して行李を揺らしながら声を上げた。

「そうですワ、屋根も吹き飛んでそこいらジュウ焦げだらけですモノ!全く松割のバカタレときたら調子にノッちゃってもう」

「じゃかましいわいタコ!だいたい天上ぶち抜いたのは其処のガキだろぉが!」

「本はと言えばアンタが勝手に突っ走って纏異サマを乗っ取ろうなんて莫迦なこと考えたのがそもそもじゃあないのカイ?!その上失敗して逆に脅しつけられてザマァ無かったわヨホント!」

 ギャンギャンと始まる口げんかにはここ数日でとっくのまっくに慣れたのだけれど、その屋根をぶち抜いただのの話は正直耳が痛くて渇いた笑いがこぼれる。

 というのもですね、いままで明確な描写はあえて避けていたのですけれど。

 現在のこの「奥の蔵」、その屋根のど真ん中には真っ黒に焦げ付いた大穴を開いていて、せめて雨風が入らぬようにと使用人の皆さんでブルーシートを張ってくれているものの、シラサメさんの言う通り蔵内にはまだ板や箪笥が焦げた時の匂いがこびりついていて大変不快だった。

 室内の有様については、まぁほぼ全部松割が悪くて、飛び出した抽斗の中身、帯紐やら簪やらは八重ちゃん達が丁寧に片付けてくれたけれど、その、私の開けた大穴についてはどうしようも無くて、業者さんが来るまではとりあえずの掃除をしているにとどまるのである。

 今日から自分の管轄となる場所である故、まずは寝転んでも支障の無い程度には磨いておきたい。そして今日中には、抽斗の中の皆さんについても今は別の場所に移してあるので、そちらの整理もしてあげたいところ。

 で、掃除のついでと言ってはなんだけれど、その間の無聊を互いに慰めるつもりで、ガエンさんらに鬼着についてアレコレ聞いていたところであった。

 汚れと埃と焦げとを絡め取って真っ黒に染まった雑巾を、これまた黒灰色に濁り切った水を湛えるバケツに突っ込み中でゴシゴシと擦る。冷水が染み入るのも、痛みこそあれ雑巾がけで若干火照り気味の体には却って心地よくもあった。ここ何日かはあまり体を動かしていなかったので、いい感じの運動にもなって一石二鳥である。

 そうそう、体はもうすっかり良くなりました。

 あの日、綾子さんと協力している組織のお頭様の命が危ぶまれ、別の場所で裏切りによる大量惨殺が起きたあの事件からまだたったの三日程です。

 綾子さんと盃を交わした次の朝は、前日以上に体中が悲鳴を上げていたため、夜までほとんど寝たきりだったのですが、八重ちゃんが例の包帯を交換してくれてもう一晩明けた頃にはもうすっかりピンシャンでした。

「こんな凄い包帯ならもっとこう、儲けられるんじゃない?」

 などという私の浅薄な意見が

「包帯に込めた気を体内に巡らせて、本来有する気の循環を補助、活性化させて人間の細胞の分裂や細胞の持つ修復機能を数倍にして傷や疾患を癒す包帯。という非科学的効能が広く世間で受け入れてもらえるならその通りですね」

 と綾子さんに一蹴りにされたのが昨日の事。

 で、例の奥座敷に呼び出されたのがその数時間後の昼下がりでした。



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