お昼ご飯を食べたら美術館へ行きましょう
梅雨が明けた。明けた途端、真夏日になる。陽射しが眩しい。
早朝の作業が早く終わった僕には少し時間の余裕が出来た。涼を求めてやって来たのは映画館。冷房が効いていて、まるで天国のよう。ちょうど見たかった映画が上映されている。時間もぴったり。
「ちょっち時間オーバーになるけど、まあいいか」
すぐにチケットを購入して劇場へ入った。
映画を見終えて館内のショップを覗いてみる。僕が見た映画とは違う映画のキャラクター商品の中にいいものを見つけた。
「これは彼女が喜びそう」
一つ購入して彼女にラインを送った。
『今日も暑いね。ということで、映画館に避難しました』
『まあ、サボったのね』
『体調管理です』
『ものは言い様ね。でも、それ、いいわね。私も使わせてもらおうかしら』
午後からの仕事を終えて帰宅する。彼女からのラインが届いた。
『今日は私の大好きなお陽様が出て元気に過ごせました』
『僕は暑いのは苦手です。明日も暑くなりそうで憂鬱です』
『あら、私、明日お休みが取れたのよ。もし、よかったらお付き合いしてもらおうと思ったのに残念ね』
うわぁ! なんてこった。せっかくの彼女からの誘いを! すぐに返信。
『君と一緒なら暑くても大丈夫。是非お供させてください』
『お仕事はどうするの?』
『休む』
『大丈夫なんですか?』
『大丈夫!』
『それではお昼ご飯を食べてから、美術館へ行きましょう』
『やったー! 美術館デート、憧れていたんです』
『それはよかった。それにしてもあなたったら子供みたいですね』
お昼前にJRの駅の中央改札で待ち合わせすることになった。お昼は彼女がお気に入りのお店でランチの予約をしてくれるという。
朝からワクワクして早く家を出た。既に夏の太陽が顔を出している。やはり、今日も暑い日になりそうだ。彼女が大好きなお陽様は僕の額に玉のような汗の雫を絶やすことがない。そして早く着き過ぎた僕は時間になるまで待ち合わせ場所近くの喫茶店で過ごすことにした。
「そろそろかな」
待ち合わせ場所に着くと、間もなく彼女がやって来た。
「お待たせしました」
「うん。少しだけ」
「まあ、あなたったら。それでは行きましょう」
にっこり笑う彼女。今日もいつものようにロングスカート。風になびいて涼しげだ。そんな彼女と一緒に居たら、どんなに暑い日だって涼しいに決まっている。
「はい。行きましょう」
「ところで、どこかで時間をつぶしたんですか?」
「どうしてですか?」
「汗をかいていませんよ」
「それはね、君が居るから。君と一緒に居ると暑いのなんて忘れます」
「まあ、あなたったら」
そう言って彼女はふふふとまた笑う。そんな仕草がまらない。
案内されたのは個室だった。いい雰囲気。ちょっとドキドキする。横並びで彼女が座る。なぜだか、体が震えるのは冷房が効きすぎているせい? いや、多分、彼女のせいに違いない。こんなに近くに彼女が座っている。
メニューを見る。彼女が目を輝かせてメニューを見ている。そんな彼女の横顔に思わず見惚れる。
「これがいいわ」
「じゃあ、僕もそれにします」
「ビールを飲みましょう」
「うん。ビール飲みたいですね」
彼女は小グラス、僕は中グラス。
「乾杯! お疲れ様です」
「うん。お疲れ様」
ランチのご膳が運ばれてきた。
「わあ! すてき」
「本当。すごいですね」
「日本酒も飲みましょう」
「うん。日本酒、飲みたいです」
それぞれ好きな銘柄の日本酒を注文する。この店は日本酒の種類が豊富だ。さすが、彼女が選んだ店だけのことがある。
「この後、美術館に行きたいの」
「うん。そう言っていましたね。前売り券を買ってありますよ」
「まあ! 素敵。さすがですね」
「実は昨日ね、たまたま美術館の前を通ったんです。平日なのにけっこうチケット売り場に行列が出来ていたので、並ぶ時間がもったいないと思ったから前売り券を買っておいたんですよ。でも、君と一緒なら並んでいる時間もいいかなとも思ったりもしますけど」
「あら、あなたったら」
食事を終えるとテラスから階段を上って屋上に出る。屋上から公園に入って行ける。公園内に美術館はある。当日券売り場にはやはり行列が出来ていた。
「正解でしたね」
「そうですね」
僕はポーチからチケットを取り出した。その時に目に入ったものを一緒に取り出して彼女に渡した。
「お土産」
「あら! 可愛いてるてる坊主」
「うん。今日いい天気になりますようにって、ずっと持っていました」
「これ、あの映画のものですね。見たんですか?」
「これを見たわけではないんですけど、館内のショップに売られていました」
「ありがとうございます」
彼女の喜ぶ顔がとても可愛くて、そして、愛おしい。
前売り券のおかげで並ばずに入館できた。世界文化遺産にもなっているこの美術館には一度来てみたいと思っていた。それが彼女と一緒に来ることが出来て、これはもうこの上ない幸せだ。
ここでのお目当てはべただけど、モネの睡蓮。直に見ることが出来て感動した。もちろん、展示されているのはモネだけではない。他にも著名な画家の作品も数多く展示されている。その一点一点を食い入るように見て行く彼女。彼女の隣で同じ作品を僕も見る。くっ付きそうなほど彼女の顔と僕の顔が近づく。彼女の体温が感じられるくらい体が重なる。僕はなんだかいらないことを考えそうになる。彼女はそんなことにもかまわずに作品を見て歩く。
「すごいですね」
彼女の言葉にふと我に返る。
「はい。すごいです」
広い館内を回るのに4時間ほどを費やしただろうか。一通り鑑賞し終えて彼女が言った。
「そろそろ、なのではないですか?」
「大丈夫ですよ」
「外に出て喫煙所を探しましょう」
「ありがとうございます」
タバコを吸う僕がこの日はずっと吸っていなかった。彼女はそのことを気遣ってくれた。
「ほら、あそこ。ありましたよ」
「ありましたね」
「では、ごゆっくりどうぞ」
手前のベンチに腰掛けて待つ彼女。僕は一人で喫煙所に向かう。本当はタバコなんて吸わなくても良かった。その分、彼女と一緒に居たかった。けれど彼女の気遣いに応えるために僕はタバコを1本吸った。急いで吸った。早く彼女のもとに戻りたくて。
「お待たせしました」
「では行きましょうか」
「はい、行きましょう」
そろそろ陽が傾き始めている。僕はJR、彼女は地下鉄。
「改札まで見送りに行ってあげます」
「本当に?」
「はい」
地下鉄の入口を通り過ぎて彼女はJRの改札口まで来てくれた。
「今日はありがとうございました」
「こちらこそ。気を付けてね」
お互いに手を振って、僕は改札口から駅の中へ入って行く。彼女はまだ僕のことを見ているだろうか…。気にはなるのだけれど、ここで振り返ったら、そして、もし彼女の顔がまだ見えたら、僕はきっと引き返して彼女の腕を捕まえてしまいそう。そして、二度と離したくなくなるかも知れない。後ろ髪を引かれる思いで、僕はホームへの階段を駆け上った。