二日目
昨日はのんびりかき氷を食べて、暑さに茹だりながらぼけーっと縁側で伸びていたら日が暮れた。私だけではない、不思議ガール水色も同じくである。
ド田舎なので、はっきり言ってあまりやることもない。田んぼがだーっと広がっているだけだし、庭は広くて草ぼうぼうだけどそれだけだし、古風な民家と言ったら聞こえはいいけどポットン便所はクサい。あまり居心地はよくないね。あと暑い。
「おはよー」
「お、来た。おはよ」
間延びした声とともに、のんびり水色が現れた。
田舎だし、服装に気を遣うこともない。おじいさんかおばあさんくらいしかいないし。そんなわけで、こいつはノースリーブの白ブラウスに色気の欠片もない短パンといった装いだった。私も概ね似たようなもんだけど。いや、もっと酷い。
「眠い」
「そりゃまだ六時だし。もうちょい寝ててもいいんじゃない?むしろ早すぎでしょ」
「早くはない」
欠伸をしながら水色は私の真横に腰を下ろした。定位置である。
今日も今日とて何をするでもなく私たちは縁側でくつろいでいる――というわけでもない。
「暇だし釣り行かない?」
「何の?」
「ザリガニ」
「いいよ」
ぐでーっと足をぶらつかせながら、群青色とオレンジ色のあいだくらいの空を眺める。しばらくそうしてぼーっとしていたら朝ごはんだよーってお母さんの声が聞こえたので、声を返しながら水色と一緒に家に戻る。
なんか、気付いたころには食事とかも一緒になってた。そういうもんとして頭にインプットされてるので、さして私も水色も気にしたことはない。おばあちゃんとかは孫が増えたみたいって喜んでいるし大丈夫でしょ。
納豆ご飯と焼き魚、あと味噌汁とお漬物をかきこんで、ぱっぱと身支度を整える。水色はとんでもなく食事スピードがおっそいので、自分の分だけでなく水色の分の釣り具(ただし棒に糸を引っつけただけのやつ、あと裂きイカ)も準備して玄関に放り投げておいた。
待ちながらよれよれのソファで伸びる。
「またせた」
「よろしい」
クーラーなどという上等なもんは無いので、既にじっとり汗をかいている。どうせ日中もっと暑いだろうし、まぁ誤差だと思うことにした。
お母さんが用意してくれたいくつかのおにぎりの風呂敷包みを鞄に入れて、対ザリガニ装備を担ぐ。
「行くぞー」
「おー」
こういう所にはちゃんと乗ってくれるのが水色ちゃんなのであった。あんまり言葉は多くないが、反応を返さない時はせいぜい寝落ちした時くらい。うむ。例のヤツは、こういう所を褒めろってことなのだろうか?
田んぼ脇の用水路を2人して歩きながら、じとっとしてはいるけどまだマシな気温にじわじわと汗をかく。あ、虫除け忘れた。
「水色―」
「なに」
「虫除けスプレーある?」
「無いよ」
「……まじかー」
げー。虫除け無しの田舎山。それは都会の民の想像を遥かに超える地獄を意味する。いや、家の中ならまだいいんだけど、外はかなりキツいのよねぇ。
「お山に行くんでしょ?」
「うーん?あ、うん。そうね」
「なら大丈夫じゃない」
「かなぁ」
お山とは、なんかおばあちゃん家の近場にあるから私たちのメイン遊び場と化している小さめの山である。そこの川はけっこう水が綺麗だからお気に入り。あと、心なし虫が少ない。
水色はあそこにいる分には大丈夫じゃないって言いたいらしいけど、つったところで山である。山なのだ。山。虫の楽園。
「うへぇ」
ちょっと気が重くなった。こういうのはその日のうちはいいのだ。問題は帰宅してからで、もうとにかくそっから数日は痒くなる。こんなとこ刺されてたの?って感じのとこまで刺されてて、意識すると余計に痒い。ああやだ。
「ま、いいか……」
けど失敗を引き摺らないのが私の美点である。未練たらたらだけど。正直な話、自分で自覚する程度にはめんどくさがりなのである。
めんどくさがりでふと思ったけど、水色が何かを拒否するとこ見たことない。そこらへん私とは違うなぁって感じだ。うむ。犬系ポジション、と。ノリのよい犬子。褒めワードか?これ。まぁいいや。
水色ちゃん褒めワード集めの旅は続く。
ということもなく、普通にお山に着いた。
ちょっと陽が高くなってきたから暑さが増してたので、木に囲まれてちょっと涼しいのがありがたい。空気もおいしいし、やっぱりここは快適だ。虫を殲滅出来ればなおよし。
「水色―。なんで山の空気っておいしいの?」
「わかんない」
「さいですか」
ちょっと登って、小高くなっているところを超えると川が見える。大きめの石がたくさん転がってて、意外と流れは速いけどその石までしっかり見える。透明で綺麗だ。
「ここの水、ほんと綺麗だよね」
「うん」
岩のひとつに腰掛けて、木の長い棒もとい釣り竿の糸に裂きイカをひっつける。ザリガニらしき影が確認出来たので、そこに垂らして後はぼーっと待つ。
そう。私たちの帰省ライフは基本的にぼーっとすることに始まりぼーっとすることに終わるのだ。時間の流れが遅く感じるくらいにはのんびりしている。
刺激的な体験なんて何一つ無い。ただ二人並んでぼーっとして、食べて、寝て、ぼーっとして……というサイクルを繰り返してるだけ。まぁ、これはこれで悪くない時間ではあるけども。
「ん、引っ掛かった」
しばらくして、水色が竿をゆっくり持ち上げて川から引き出した。がっしり裂きイカを挟んだやたら大きなザリガニがぶら下がっていて、岩の上に下ろしてやる。
「おー、でけー」
「なかなか」
無表情ながらなかなかどうして自慢げである。慣れてる私ならともかく、知らん人が見たらすごいつまらなそうに見えるかもしれないけど、多分今水色ちゃんめっちゃ喜んでる。
「なんかこっちは全っ然掛かる気しないわ。別にとって食おうってわけでもないんだし、ガンガン捕まってもらわないと張り合い無いなぁ」
「え、食べないの」
「ん?食べるの?」
なんかちょっとだけ私たちの間に認識の齟齬があったみたいだが……私はちょっと遠慮願いたい。ザリガニ釣りを提案したのはこっちだけど、なんていうか、引っ張り上げて遊びたいだけだったし。キャッチアンドリリースだ。
若干しゅんとした様子の水色ちゃんをあやしつつ、のんびりお昼をとって、また釣りして、んでもって夕方くらい。こんな時間帯までいたんだし、ついでにアレを見てから帰ろうと思う。
いい加減ザリガニにも飽きたので、川に素足を突っ込んでぶらぶらさせつつ水色に提案してみる。
「水色―。アレ見てっていい?アレ」
「いいよ」
アレが何なのか聞きもしなかったな、こいつ。全肯定マンか。
アレ、というのは私が唯一認めてやってる虫のこと。蝶ですら「蛾じゃん」の一点張りで認めない私が唯一、多少なりとも好んでいるのがアレである。
陽がそろそろ落ちそうな、うろこみたいに並んでる雲と青いんだか橙なんだかよくわかんないその境の空を見上げて、頃合かなーと思う。
薄ら暗い山川のほとり。大岩に寝そべっていた私は身を起こして、暗がりを飛び回る光を見た。
蛍である。
「うん、やっぱりこいつらは生きてていい虫だ」
「カブトムシとかも好き」
「あいつは角振り回してるときもげたからちょっと……」
小さい頃の過ちである。もげたあと、私に向かって飛んできたからちょっとしたトラウマなのだ。南無……。
川のせせらぐ涼やかな音と、多分跳ねた細かな水なのだろう、しっとりとした空気。藍色の空と、暗夜に浮かぶ光の舞い。綺麗だ、って素直に思う。
水色をちらっと見ると、半身を起こしてうつらうつらしていた。一緒に見ようと頑張ったのだろうけど、一日外にいた疲れとか、あと単純にちょっと退屈なのとか、そういった諸々で限界来たのだろう。
思わず私は小さく笑ってしまった。こいつは昔から私の後にほいほい着いてくるけど、ちょっとアクティブに動いても頑張って着いてくるので疲れてはぶっ倒れていたのだ。多分根がインドア気質なのだろうと私は睨んでる。
水色はあんまりこういった風景を特別好むということはない。私は好きなんだけど、こいつはどっちかってーとなんか強そうな虫に興味を示す。そういう意味では男の子っぽいのかもしれない。
まぁでも、それでも水色は私に着いてくる。私はけっこうこの時間が好きなのだけど、こいつもそう思ってくれてるかは正直な話よくわかんない。何分田舎じゃ特にすることもないし、暇な中ではマシだから着いていってやる程度の認識かもしれないけど。
「水色―。ほら来な」
「うん」
悪いけど私はもう少し益虫観察をしていたいので、船を漕ぎ始めた水色を呼び寄せる。目を擦りながら這ってきた水色は、私のお腹の方に顔を向けながらふとももに頭を乗っけて転がった。お休みスタイル、膝枕である。腹枕の時もある。胸枕までいくとさすがに私が苦しいので、転がして調節する。腹まではセーフ。
こいつは疲れると勝手に這ってきてこうする習性があるのだけど、今回は私の要望でぐったりさせてしまったのでこちらから許可したのだ。私は寛容である。うむ。
しばらくすると寝息が聞こえてきた。湿った感触がふとももに感じられるので、多分涎垂らして寝てる。しょうがないやつだなぁと思いつつその頭を撫でながら、私は飛び交う蛍たちをのんびりと眺めていた。
やがてお腹が減ったので帰ろうかなという気になったものの、この特大サイズの芋虫が予想外に必死の抵抗を見せたので、まるで私は身動きをとることが出来なかった。両手を腰に回してがっしりホールドする芋虫を引き摺るようにして帰宅した頃にはとっぷり日が暮れていて、なんか私の方が総合的に疲れた気がした。解せぬ。