表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

緩やかに滅んでいく

作者: クスノキ


 スマートフォンのアラーム音で目覚める。私は寝ぼけ眼をこすりながらベッドから降り、リビングに出て、フィルターペーパーとコーヒー豆をセットして、スイッチを押した。


 コポコポというコーヒーメーカーの音を聞きながら、トースターで食パンを焼き、上に乗せるための目玉焼きをフライパンで焼く。


 チーン! というパンの焼きあがる音を合図に私は火を止める。ほとんど同じ時間に出来上がったコーヒーを淹れて、パンの上に目玉焼きを乗せる。そこで私はテレビのリモコンを探した。


 テレビのリモコンはリビングのテーブルの上にある。手に取って、ボタンを押して、画面の向こうのニュースキャスターたちの顔を見ながら、朝食をとる。


 食事を終えたら、さっと洗い物をしてスーツに着替える。テレビを消して、家を出た。


   *


 家を出たら、近所の駅から電車に乗り、一時間電車に揺られて職場に行く。職場についたら与えられたデスクに座り、その日の仕事内容を確認。昼休みをはさみつつ、夕方までパソコンと向き合って仕事をする。


 時折ある上司のいちゃもんを聞きながら終業時間。一時間残業をした後に帰宅。着ていたスーツをハンガーにかけ、コンビニで買ってきた弁当を電子レンジで温める。


 テレビをつけると夜のニュースがあっている。政治、経済、社会情勢。


『――議員の汚職について、野党は激しく追及しており……』


 時間だ。リモコンでテレビを消す。風呂と洗濯を済ませてベッドに入る。そうして私は眠りについた。


 平日はこのルーティーンの繰り返し。休日は平日よりも一時間遅く起きて、ウィンドウショッピングと行きつけのカフェでコーヒーを飲む。

 そのような生活を、私は一か月続けている。


 変化はない。()は広がり続け、私のような人はたくさんいる。私たちの世界は緩やかに滅んでいる。



   ***   ***



   ***   ***



 “哲学的ゾンビ感染症”。この致死率百パーセントの病気が発見されたのは半年ほど前のこと。発見は偶然。とある男性が健康診断で脳を検査したところ、脳機能の全てを停止させていたことから始まった。

 はじめ、病院は大パニックになったらしい。なにせ脳機能が死んでいるにもかかわらず、その男性は当たり前に健康診断に行き、当たり前に受け答えをしたのだ。


 見た目に違いはない。体が腐食しているということもないし、体温が低いということもない。血は流れ、心臓は鼓動を続けている。見た目は何一つ、人間と違いはないのだ。

 でも彼は死んでいた。医療機関が彼の体を詳しく調べたところ、新しいウィルスが見つかった。強力な空気感染力を持ち、一度発症すれば、一か月と少しで確実に死に至る病。

 けれどそのウィルスで死んだ人間は、当たり前に動いてしゃべる。しかし確かに脳は役割を果たしていないのだから生物学的には死んでいる。


 よって、哲学の思考実験から名前をとって、この新しい病気は“哲学的ゾンビ感染症”と名付けられた。


 “哲学的ゾンビ感染症”の性質が解明されるにつれ、病を知る関係者はパニックに陥った。同じ部屋にいるだけで感染してしまう感染力。さらに発症すれば絶対に死ぬという特性。特に第一感染者である男性はやり手の外交官として日々多くの人間と触れ合っていたから、すでにどれだけの感染者が生まれているのか分からなかった。


 それはまるでゾンビ映画のようで、病を知る誰もが今の社会が崩壊するものと信じてやまなかった。


 しかし、そんなパニックは起きなかった。理由は二つ。一つ目はパニックを恐れた政府機関がこの病気の存在を伏せたこと。そして二つ目。


 ゾンビが増えても、()()()()()世界は何一つ変わらなかったのだ。


   *


 翌朝、私はスマートフォンのアラーム音で目覚めた。寝ぼけ眼をこすりながらベッドから降り、リビングに出て、フィルターペーパーとコーヒー豆をセットして、スイッチを押す。

 フィルターが少なくなってきたなと、あいまいな思考で思う。


 コポコポというコーヒーメーカーの音を聞きながら、トースターで食パンを焼き、上に乗せるための目玉焼きをフライパンで焼く。


 チーン! というパンの焼きあがる音を合図に私は火を止める。ほとんど同じ時間に出来上がったコーヒーを淹れて、パンの上に目玉焼きを乗せる。そこで私はテレビのリモコンを探した。


 テレビのリモコンはリビングのテーブルの上にある。手に取って、ボタンを押して、画面の向こうのニュースキャスターたちの顔を見ながら、朝食をとる。


 食事を終えたら、さっと洗い物をしてスーツに着替える。テレビを消して、家を出た。


   *


 家を出たら、近所の駅から電車に乗り、一時間電車に揺られて職場に行く。職場についたら与えられたデスクに座り、その日の仕事内容を確認。昼休みをはさみつつ、夕方までパソコンと向き合って仕事をする。


 時折ある上司のいちゃもんを聞きながら終業時間。一時間残業をした後に帰宅。着ていたスーツをハンガーにかけ、コンビニで買ってきた弁当を電子レンジで温める。


 テレビをつけると夜のニュースがあっている。政治、経済、社会情勢。


『――議員は汚職事件の責任を取り、辞任すると今日発表が……』


 時間だ。リモコンでテレビを消す。風呂と洗濯を済ませてベッドに入る。


   *


 私は“哲学的ゾンビ感染症”の第Ⅲ期に当たるらしい。脳機能の七割以上が停止した状態。それでも私はこうして思考して、生きている。私がこの病の存在を知ったのは三週間前。毎日がどうにも他人事に思えて、精神科を受診したのだ。

 そこで私は“哲学的ゾンビ感染症”の存在と、自分がそれに感染していることを知った。


 “哲学的ゾンビ感染症”は世間には公表されていない。しかしそうと診断が出た人間には、その存在が伝えられるらしい。

 政府がそう決めたらしい。発症者に伝えても、情報は洩れない。


 病院に行った時の私の病気の進行は第Ⅱ期。“哲学的ゾンビ感染症”は感染しただけの第0期から始まり、発症、次第に脳機能を停止させていく第Ⅰ期から始まる。第Ⅰ期での自覚症状はない。

 脳機能の半分が機能を停止した時点で、進行は第Ⅱ期。私同様、自分を含めた何もかもが他人ごとのように感じるようになる。


 精神科に受診する人間が多いのはこの段階。さらに言えば、脳機能の七割以上を停止させた第Ⅲ期に入ってしまえば、自分で自分を動かしているのだという認識が薄れ、体は勝手にこれまでの毎日を繰り返すようになる。おかしいと思う思考もあいまいだ。

 そこまで行ってしまえば、認識のずれをなんとも思いもせずに毎日を過ごすようになってしまう。当然、病院なんて行かない。


 そして脳機能の全てを停止させた状態が第Ⅳ期。脳が働いていないのだから、生物としては死んだ状態。晴れてゾンビの仲間入りだ。


 私がこの話を聞いた時、まるで他人事のように思えて何の動揺もなかった。あぁそうか。そういうことだったのだなと思うばかりで、悲しんだり、驚いたりという感情は湧き出てこない。

 私にそれを告げた医者も、進行はすでに第Ⅳ期。精神科医としての仕事を果たすだけのゾンビだ。


 ゾンビがゾンビ予備軍に、「あなたはそのうちにゾンビになりますよ」と告げているのだ。皮肉な話だ。


 ともあれ、私は変化のない毎日を過ごす。スマートフォンのアラーム音で目覚め、寝ぼけ眼をこすりながらベッドから降り、リビングに出て、フィルターペーパーとコーヒー豆をセットして、スイッチを押す。


 トースターで食パンを焼き、上に乗せるための目玉焼きをフライパンで焼く。


 パンの焼きあがる音を合図に私は火を止める。ほとんど同じ時間に出来上がったコーヒーを淹れて、パンの上に目玉焼きを乗せる。そこで私はテレビのリモコンを探す。


 テレビのリモコンはリビングのテーブルの上にある。ボタンを押して、画面の向こうのニュースキャスターたちの顔を見ながら、朝食をとる。


 食事を終えたら、さっと洗い物をしてスーツに着替える。テレビを消して、家を出る。


 近所の駅から電車に乗り、一時間電車に揺られて職場に行く。与えられたデスクに座り、その日の仕事内容を確認。昼休みをはさみつつ、夕方までパソコンと向き合って仕事をする。


 一日二回の上司のいちゃもんを聞きながら終業時間。一時間残業をした後に帰宅。着ていたスーツをハンガーにかけ、コンビニで買ってきた弁当を電子レンジで温める。


 テレビをつけると夜のニュースがあっている。


 時間になってリモコンでテレビを消す。風呂と洗濯を済ませてベッドに入る。そうして私は眠りにつく。


   *


 繰り返しの毎日の中で、私はゆっくりと死んでいく。満員電車の中で何人がすでにゾンビなのか。あるいは発症者なのか。興味もないし、知ろうとも思わない。


 規則正しい毎日。上っ面をなぞる日々。


 ある日、会社からの帰り道。近所のコンビニがつぶれていた。その前には呆然と立ち尽くす人々の群れ。


 彼らはまるでどうすればいいのか分からないというような顔をしていた。決められたことをしたくても、できないのだというように。


 上っ面をなぞる私たちに、成長はない。


 次の日、つぶれたコンビニの前には誰もいなかった。あそこでたむろしていた彼らはどうなったのだろう。わからない。どうでもいい。


 私はただ毎日を歩く。朝起きて、食事をとって仕事をする。一日二回の上司のいちゃもんを聞きて、一時間の残業の後に帰宅。テレビで流れる同じニュースを聞きながら、夕食を取って、眠る。


 コーヒーを淹れるためのフィルターがなくなった。どうすればいいのか、分からなかった。


 満員電車の人の顔ぶれは変わらない。彼らはいつも同じ場所、同じ表情で揺られている。


 それでも社会は回っている。同じ人が同じことをする。変化がないから異常は起きない。異常がないから、毎日を送ることができる。


 デスクに座って仕事をする。同じ仕事。同じことの繰り返し。そこに意味があるかどうかこそ、意味がない。


 この社会に、私たちの心は関係ない。


 “哲学的ゾンビ感染症”が発症して、死に至るまでの期間は一か月とちょっと。私が発症してから一か月とちょっと。



   ***   ***



   ***   ***



 スマートフォンのアラーム音で目覚める。寝ぼけ眼をこすりながらベッドから降りる。リビングに出る。コーヒーメーカーのスイッチを押す。


 トースターで食パンを焼き、上に乗せるための目玉焼きをフライパンで焼く。


 パンの焼きあがる音を合図に火を止める。中身のないコーヒーを淹れて、パンの上に目玉焼きを乗せる。テレビのリモコンを探した。


 テレビのリモコンはリビングのテーブルの上にある。手に取って、ボタンを押して、画面の向こうのニュースキャスターたちの顔を見る。朝食をとる。


 食事を終えたら、洗い物をしてスーツに着替える。テレビを消して、家を出る。


 家を出たら、近所の駅から電車に乗り、一時間電車に揺られて職場に行く。職場についたら与えられたデスクに座り、その日の仕事内容を確認。昼休みをはさみつつ、夕方までパソコンと向き合って仕事をする。


 一日二回上司のいちゃもんを聞きながら終業時間。一時間残業をした後に帰宅。着ていたスーツをハンガーにかけ、コンビニで買ってきた弁当を電子レンジで温める。


 テレビをつけると夜のニュースがあっている。政治、経済、社会情勢。


 時間だ。リモコンでテレビを消す。風呂と洗濯を済ませてベッドに入る。そうして一人のゾンビは眠りについた。

 感想、ブクマ、ポイント評価、誤字報告などくださると嬉しいです。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[気になる点] 思考する力は残っているはずなのに、フィルターが無くなり、どうすればいいのか分からない点に、引っかかりました。 [一言] 非常に面白いというか、興味深い内容でした。 毎日同じことを繰り…
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ