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平成23年3月11日(金)

 


 本日、昇任試験日。

 午前は3曹・3尉昇任試験、午後からは2曹・1曹昇任試験が行われる予定だった。


 僕は2曹昇任資格者だったため、1145に艦を出た。

 途中、厚生センター前で試験を終えて帰ってきた同じ分隊の海士とすれ違いつつ、総監部前にてバスに乗車。

 一路、横須賀教育隊へ向かった。


 12時半までには現地到着。試験は1400からとのことで、講堂隊舎の裏手にある自販機コーナーでコーヒーを飲む。他の艦や陸上部隊から人々が集まるため、半ば同窓会、同期会状態で、知り合いの少ない自分は少々居心地の悪い気分だった。


 1330頃から試験説明開始。

 携帯電話は電源を切り、室内前方の机に置くよう指示されそれに従う。


 1400から予定通り試験開始。

 そして、その46分後、すなわち1446ごろ、体に振動を感じる。

 最初は小さかったが、だんだん大きくなっていき、かつふれ幅の大きい揺れだったため、とっさに(遠くで大地震が起きたのでは)と考えた。


 試験官は当初は困惑するだけ、そしていよいよ揺れが大きくなったときに「机の下に頭を隠せ」と指示が出る。そして停電。言われるままに机の下に潜り込もうとするが、机が小さくて隠れられない。

 そのうち誰かからか「逃げよう」と声が挙がり、僕も近くにいた同僚の鏑木3曹に「逃げましょう」と声をかけ、身分証・制帽・携帯をもって、3階からサイドの露天階段を降りてグラウンドに出た。


 すぐに「○○講堂での受験者は集合!」と言われ、隊舎前に集まる。

 だが、津波のおそれがあることから「庁舎前に急いで移動!」と指示され、走って移動。


 庁舎前にて人員点呼。

 この間、携帯電話にて自宅を呼び出し。30回程度リダイヤルしてようやく繋がる。

 妻・息子ともに無事。安堵し電話を切る。


 その後、携帯電話のiモードにて情報収集。

 はじめて三陸沖にて震度6強の揺れがあったことを知る。

 しかしそのときは(震度6程度か)と安易な思いがあった。


 庁舎前に集まった人々の中に、以前乗っていた艦の元同僚(当時は教育隊班長)がいたので、声をかけて現在の情報を伝える。

 ただただ指示を待って立ち尽くす間に、津波についての不安が募ったためもう一度妻に連絡。「大丈夫よ~」とのことで、電話を切る。


 その後、庁舎1階のトイレで用を足したり、さらに地震の情報を収集したりで45分ほど経過したところで、新たな指示が伝えられる。

「試験を再開するから先ほどの講堂へ戻るように」とのこと。

 人々の間から失笑の声が挙がる。

 教育隊の隣に位置する陸自の武山駐屯地では災害派遣の準備が始まっていたからだ。


 とはいえ命令は命令。とりあえず戻る。

 そして地震発生から1時間後、1545頃から試験再開。

 停電で部屋が薄暗い中、皆それどころじゃないと言う雰囲気で、ろくに書き込んでいない試験用紙を裏返して、次々と退席していった。


 僕はなんとしても試験で悪い成績を残したかった ((注1))ので、よく考え慎重に間違った答えをすべて書き込んだところで、1615頃に退席した。

 そして北隊員クラブ付近に停車していたバスに乗り、教育隊を出る。


 しかし、正門を出たところで道路は大渋滞。

 よく見れば信号が消えている。林バス停付近では、男女2名の警官が交通整理をしていた。


 僕は艦にも連絡を入れた方がいいかもと思い立ち、面倒くさいながらも電話をしてみる。すると一回で船舶電話にかかり、2分隊の准尉が電話口にでる。

 状況を説明すると、「Wも受験者が帰還次第出港する」旨を告げられる。


 その後、バスの中でラジオが流され、被害の状況などを少しずつ知る。

 東京タワーの先端が曲がったことなども聞き、さらに津波に対する注意を促す他の受験者の電話内容なども耳に入り、もう一度、今度は妻の携帯に1723頃連絡。再度つながり、話を聞くも、全く地震の情報を聞いていないことを知る(2歳の息子にご飯をあげているからテレビを消していた)


 少し苛つき、情報をちゃんと傍受すること、逃げる準備をすること、逃げる際は電気・ガスの元栓を締めることなどを伝え、電話を切る。

 今度は母の携帯に連絡したところ、通じたので状況確認。父と妹は職場、母は買い出し中とのこと。詳細は後で、とのことで電話が切れる。


 その後、第1便ででたバスから連絡があり、未だ三浦縦貫道路に乗れていないとの情報が告げられる。そのため再度1733頃、自艦に連絡し、状況を伝える。

 自艦Wはすでに出港しており、受験者は僚艦Nに向かえとのこと。

 バスに居合わせた横須賀警備隊の隊員たちや、護衛艦の乗員数名が、それぞれ徒歩で基地に向かうためバスを下車していった。


 前の座席に座っていた見知らぬ隊員から、総監部へ電話してもらいたいと依頼を受けたため電話する。しかし総監部は話し中。船舶電話にかけた方が繋がりやすいですよと教えるも、そちらの番号は知らないとのこと。


 1811頃、知人が相馬市在住だと思いだし、メールを送る。

 すると1830頃、無事を知らせる返信あり。

 ノロノロとしか進まないバスに乗車中、停電の様子などをツイッターでつぶやき続ける。

 その後、衣笠十字路にでたあたりを境目に停電が解消されていることを確認。

 三笠アーケードまで来たところで、自分の所属する群の後方幕僚が自転車でやってきて、「○○群の乗員はすべて僚艦Nに向かうように!」と指示を出していった。


 1915頃総監部着。

 正門の立哨から、帰艦者は厚生センターでチェックを受けるよう指示され、とにかく厚生センター前でおろしてもらう。3階体育館にて、艦に乗れなかった者達はチェックを受け、僚艦Nへ。


 N乗艦後すぐに食堂へ案内され、食事。

 その後、W乗員は艦内の広い甲板にて集合する。3分隊は自分、出歯3曹、鏑木3曹、他3名の計6名だった。


 僕と鏑木・出歯の3名は狭い予備室(一人部屋)をあてがわれ、すぐにタオルと石鹸を借りて入浴(下着は同じものを着た)、その後フリータイムのような感じに。

 ちなみに寝床の割り振りは、僕ベット、出歯ソファー、鏑木ゴロ寝というもの。先任は出歯だし鏑木も入隊経歴では上なのだが、普段からでかい顔していたおかげでこのように。


 Nが出港した後、携帯の充電器を借りられないかと知り合いを求めて機関操縦室へ。

 その際、当時新鋭だった僚艦Nのピカピカな艦内に感嘆しつつ、先輩2曹から携帯の充電器を借用。

 出歯・鏑木両名のテンションの高さと空気を読まない内輪ネタに辟易しつつ、予備室にて携帯をいじりつつ就寝したのだった。



(注1)

海上自衛隊では昇任すればするほど責任と仕事量が増えていくために、昇任試験に備えて「あえて勉強をしない」「あえて間違えた回答を書く」「あえて白紙で出す」などのエクストリームな技で昇任を調整する人が一定数存在する。ちなみに「あえて白紙で出す」のはとっても叱られるので賢明な方法ではない。

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