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平成23年3月23日(水)



 今日は、「つらい仕事」があった。


 昨日の日記の締めくくりもそうだが、今日の午前中のワッチでも、旭士長や取手士長らと談笑をしながら、「昨日のニュースの週間天気予報で、曇りのマークが十字架の形に並んでいたから、今日は何か起こるぞ」などと話していた。

 もちろん、ダレていた雰囲気を明るい方向に持っていこうと思い口にしたのだが、それが数十分後に的中してしまうとは。


 11時過ぎ頃、艦内の号令マイク ((注1))で遺体を発見したという情報が入る。

 すぐに遺体揚収用意がかかり、機関士から操縦員を交代してやるといわれ、僕は若干混乱気味の操縦室を出た。食堂ではすでに昼食が始まっており、同じ遺体洗浄係の電機・明日田3曹及び応急・出歯3曹が食事中だった。声をかけると、明日田が「食事をしてからの方が」と言っていたので、なるほどと思い自分も食事をかき込んでおくことにした。ちなみに昼のメニューはカツ丼。


 昼食を急いで終え、医務室に向かうと、すでに自分以外の各分隊の指定者は集合を終えていた。

 皆、専用の感染防護服に着替えている真っ最中だった。この感染防護服というのは、不織布で出来たつなぎ服、靴カバー、防護メガネ、防塵マスク、ゴム手袋(2重にできる)が1セットになったもので、この前に護衛艦Kから物資を受領した際に貰ったようだ。


 急いで防護服に着替え、後部甲板に整列すると、すでに内火艇は降下を終え、遺体の揚収に向かっているところだった。緊張しながらその動向を目で追っていたのだが、今度は、左舷で遺体を発見したとの情報が艦内マイクではいる。

 驚いて左舷に視線を移すと、すでに取手士長が後輩海士に指示を出して、遺体の位置を常に把握しておくよう命じているところだった。僕もちらりと、小さな背中が海面に漂っているのを確認していた。


 やがて内火艇が帰投し、右舷に横付ける。デッキクレーンによって遺体の入ったモッコが持ち上げられ、後部甲板のブルーシートの上に降ろされた。緊張は増すばかりだった。どんな遺体が納められているのか、想像せずにはいられなかった。老人なのか子供なのか、男なのか女なのか。そして腐敗状況はどうなのか。


 看護長が近寄るのにあわせて、僕も歩み寄る。

 皆と一緒に袋を開けてみると、そこには少しふくよかで小柄な老人と思われる御遺体が入っていた。腰の曲がり具合や手の皺からの大体の判別だ。ただし、脱げた上着が首に引っかかっており、顔だけは隠れてみることができない。

 おろおろしているわけにいかないので、上着に手をかけて脱がそうとするが、看護長に止められた。無理に扱うと皮膚が剥がれてしまうおそれがあるためだ。はさみによって看護長が少しずつ上着を切り取っていくのを待つ。その際に、少しだけ嫌な臭いがした。たぶん、これが腐敗臭なのだろう。老人ホームなどの臭いを凝縮して適度に薄めたような、という印象だった。


 やがて顔が露わになる。やはり高齢者だ。六〇歳代ぐらいだろうか。しかし、最初はそれが男なのか女なのか区別が付かなかった。鼻の部分がつぶれ、目は閉じていたものの顔自体も苦しそうな表情を浮かべていた。顔かたちから男女を判断するのは難しかったのだ。しかし衣服が女性向けのものであることから女性だと判断された。


 後は衣服を持ち上げ、中に入り込んだゴミなどを洗い流す作業。完全には流れないから、手を入れてゴミを掻き出すなどしなければならなかった。それが終わったらシーツにくるみ、側に用意された遺体収容袋へ納める作業。

 収容袋は、銀色のビニールと不繊維紙を合わせて作られた簡素なもので、三方がチャックであけられるようにできており、大きく口を開けることができる。見た目はスーツかコート用の収納バックのようだった。そこへ御遺体を納め、もう一度シーツにくるんだ上で、チャックを閉める。そしてその上から銀色のガムテープで密封するという作業を行った。

 しかし老人とはいえ軽くはない。五人がかりで、肌や肉がズル剥けにならないよう慎重に扱わなくてはならなかった。


 そして二体目の御遺体を洗浄する作業。

 こちらは、一体目よりも更に高齢の女性だった。八〇歳代だろうか。衣服は身につけておらず、完全に裸だった。やはり苦しそうな表情を浮かべ、頭部に衝撃を受けたのか、こめかみの傷のほかに鼻や口から若干の血が滴っていた。

 肌は一体目も二体目もやや全体的に黒ずんでおり、所々が斑点のように真っ白くなっていた。艦の動揺に合わせて顔や胸の前で組んだ手が動くので、不謹慎だが気色悪い。


 一体目と同じ作業を終え、安置場所である中部甲板の屋根の下へ。

 その頃には、気分の悪さがピークに達していた。とはいえ吐くほどではない。胸の真ん中、鳩尾のあたりにグルグルと気持ちの悪さが渦巻いている感覚。緊張感によるものなのか、嫌悪感からくるものなのか、判別はできなかった。そうして作業を終え、最後に二体の御遺体に手を合わせた後、僕はトイレの中にこもって暫く考えごとをしていた。明確なものではなく、ただ漠然とそれまでの出来事を反芻していただけだ。


 燃料関係の書類仕事がたまっていたので、すこしパソコンに向かおうかとも考えたが、他の乗員が使用中であることを理由にベットで横になることにした。なんとなく気だるい感じが残っていたからだ。少しフワフワしたような感覚もあった。いずれにせよ、良い状態とはいいがたい。四〇分ほど、ベットでボーっとした後で風呂に入り、燃料係として在庫報告の仕事を終えた後、ワッチに入った。もう今日はDVDプレーヤーで明るいアニメでも見てゆっくりするつもりだった。


 しかし、今日という日はそう簡単には終わってくれなかった。

 1800頃、僕のワッチ中に突然速力が停止となり、艦橋から右クラッチ脱の指示がきた。

 どうやら振動がするから軸をかん脱させ異常の有無を確認するとのことらしい。左右のクラッチのかん脱を試し終えた後、機械室の旭士長から右軸に少し振動があるとの報告を受け、機関士の指示で僕も下に降りる。


 その後、操縦員は機械員長に交代。

 他の機械員らも機械室に降りてきて探知を実施。その後、異常が認められないので、右軸のみの変速指示がくる。そして速力が上がり始めたところで、異常が露わになった。


 いきなり1号主機が唸りを上げたかと思うと、右クラッチが脱になってしまったのだ。

 最初は他の機械員と顔を見合わせ、(翼角を零度に戻さずにクラッチを脱にするなんてバカだなぁ)などと思っていた。 ((注2))

 状況を確認しようと操縦室へ上がったところで「主機故障、機関科員配置につけ」の号令マイク。ようやく異常事態なのだと飲み込み始めた。操縦室では機関長たちが処置を考えてる最中だった。なにが起きたのか機械員長に尋ねると、突然1号主機の負荷があがり、回転数が不規則に下がり始めたとのこと。それで急いでクラッチを脱にしたとのことだった。


 どうやらワイヤーをプロペラに巻き込んだらしいと話がまとまり、今夜はその場に投錨することになった。その際にバウスラスターも異音があるとのことで、僕と西士長でスラスター機器室へ探知に入ったが特に異常なし。そして入港後、右軸固定作業 ((注3))を実施。僕としては初めてのリアル軸固定だった。


 その後、追い打ちをかけるように造水装置の2次フィルターが目詰まりを起こして急遽交換する羽目になったりするのだが、今日は本当に色々なことがありすぎて限界だ。

 この辺りで寝ることとする・・・。




(注1)

 艦内の乗組員に指示や情報を伝える手段として、艦内各所へ設けられたスピーカーから一斉に号令を流すこと。艦長や副長、当直士官の指示の元、当直海曹が艦橋や舷門からマイクを通じて令達する。


(注2)

 自艦Wのスクリュープロペラは、翼角を任意の角度に変更できるCPP装置を装備していた。主機の回転数を変更することなく一定幅の推力を調整することができ、翼角をマイナス側へ変更すれば、軸を逆転させることなく後進の推力も得られる。プロペラ軸を主機の駆動軸から切り離す際は、負荷低減の為に必ず翼角を零度にしてから、と定められていた。


(注3)

 スクリュープロペラや軸が損傷したとき、遊転して被害が拡大しないように軸を固定する作業のこと。滅多に起こることではないため、未経験だった僕は大変緊張しました。

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