平成23年3月19日(土)
今日も朝から孤立地域の被災者調査で作業艇を派遣していたのだが、Wが航行中にプロペラ軸に索を巻き込んでしまい、急遽それを呼び戻すことになってしまった。
1000頃、僕がワッチで操縦員をしていると艦橋から急に右クラッチを脱 にするよう指示がきた。
急いで脱にすると、どうやら多数の索が艦底を通過したとのこと。
電機の明日田3曹が舵機室の方へ状況を確認しに行くと、途中でカンカンカンと底部から叩くような音が聞こえたという。
1020頃、今度は左クラッチも脱にするよう指示がきた。
どうやら左舷からも索が見えているとのこと。
そのうち、派遣隊を乗せた作業艇が途中で作業を切り上げて戻ってきたので、索を取り外す試みをしたそうだがビクともしない。
そのため、一時的に錨を入れ、主機を停止することになった。潜水員の応援を呼んでプロペラを調査するためだ。
1300過ぎ、付近にいた掃海艇Sからゴムボートで水中処分員 4名到着。
3分隊の潜水員の資格を持つ乗員も加わって潜水調査が始まった。
僕は一応テンダー に指定されていたので、後部に係留されていた作業艇から荷下ろし作業などを手伝い、その後の推移を見守っていた。
すぐにプロペラの方は異常がないと判明し(艦底部に引っかかっていただけ)、ついでに艦首のバウスラスターの方もみてもらった。
すると、バウスラの方には索が幾重にも絡まっていたとのことで、改めてこの近辺が船の航行に適さない海域であることを思い知らされた。
引き上げられた索は、宮戸島で作業艇に引っかかりそうになった索と同様、漁船か何かが使っていたと思われる使い古されたものだった。
作業が終了し、掃海艇の処分員たちが帰ることになった。
実はこの4名の中に、かつて同じ掃海艇で勤務していた海曹がいたのだが、状況が状況だけに自分から話しかけられずにいた。
ゴムボートがWを離れる間際、処分員の一人がタバコを所望したので、乗員から供出してもらい、僕が渡して火をつけた。その折りに海曹も僕に気がついたようで、ようやく二三言葉を交すことができた。
こんなところで知っている人に巡り会えるとうれしいものだ。艦長も艦橋から降りてきて、皆で処分員たちを見送った。
その後、自艦Wは抜錨し、作業艇・内火艇を先行させて浮遊物の多い海域からの脱出を計った。だが、先に内火艇がプロペラに索を巻いてしまい、急遽揚収する事になった。その後、作業艇も揚収し、結局前部見張りを配置につけながらの慎重な航行で抜け出さざるを得なくなってしまった。
実は昨日、某補助艦艇が被災者捜索のため出港したものの、あっという間に座礁。艦底部に浸水し防水部署が発動されるという一件があった。
今日はその一部始終を文書で読む機会があり、その気が抜けるような内容(本来、事前準備しておくべき応急機材がなく、すべてを他艦から借用しどうにか対処したという経緯)を皆で笑っていたのだが、明日は我が身である。
幸いなことにWは、一時間ほどで無事に抜け出すことができ、少し離れた沖合に錨を降ろした。
そして投錨後に、護衛艦Kから支援物品を作業艇にて受領。
何かと思ったら、最新の線量率計や防護衣、電池、コピー用紙だったらしい。
作業艇運行の際、取手士長の強い申し出があり、彼が作業艇機関長で乗っていくことになった。よくやるなぁと思うが、やはり好奇心というか、色々経験してみたいという欲望があるのだろう。
昨日の被災者からの手紙の件、ほかの人が書いたお礼の手紙も配布されていた。どうやら石巻の幼稚園の先生と園児が、護衛艦Tによって救助されたときのものらしい。
皆、海自に良い印象を持ってくれたようだ。
まあ憎まれるよりはそちらの方がいいに違いない。
しかし、ここまで恩義に感じられてしまうと、かえって恐縮してしまう。
いや自分の艦が助けたわけではないのだけどね。
本日出港の際、機械室で「光の旋律」 を歌っていたら、なんとなく被災者と結びついてしまって涙が出そうになってしまった。
良い歌なんだよなぁ。もっと広まってくれないかしらん。
(注1)
主機と艦尾に突き出たスクリュープロペラの間を、減速装置という機械が繋いでいる。これは主機の回転数を落としてトルクに変換し、出力を安定的に取り出すための装置だ。エンジンとプロペラの回転を切り離すこともでき、プロペラの回転を停止させたいときには「クラッチ脱」という指示がくる。逆に、プロペラを回転させるときは「クラッチかん(嵌)」という指示が来る。
(注2)
海上自衛隊では、機雷の捜索や爆破、不発弾の処理などに従事する潜水員を水中処分員と呼ぶ。
(注3)
潜水員の作業を海上で補佐する人間のことをテンダーと呼ぶ。
(注4)
震災の前年に放映されたテレビアニメ『ソ・ラ・ノ・ヲ・ト』オープニングテーマ。当時の僕は、この歌を聴くことで艦艇という閉鎖空間に耐えていた・・・!




