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じいさんの記憶

 父親が亡くなったと言って三日ほど休んでいた社長が、久しぶりに出社していた。

 専務以下、僕も含めてお悔みを伝えてはいるけれど、悲壮感はほとんど無い。亡くなられた方は齢九十を超えた爺様で、何度かお見かけしたけれど、大往生と言って差し支えないような年齢だった。

 心の準備が出来ていたというと失礼かもしれないけれど、正直驚きは無い。


「それでね、息子の反応が少し変わっていてね」

 昼の休憩中、社長が弔問のお礼の後で呟いた。

「なんだか驚いたような顔をしていて、あんまり現実感が無さそうだったよ。どうしてだろうね」

 社長からしたら父親がもう長くないことはわかっていただろうに、と不思議だったらしい。


 でも、僕にはなんとなく理由は察しが付いた。

 数年前に祖父が亡くなった時にも、多分同じような表情をしていたと思う。

 気付けば、僕の口は言葉を発していた。

「多分、実感が無いんだと思います。僕もそうだったし」

「実感?」


 意味が解らないという様子で社長が問い返して、僕は説明に頭を捻る。

「なんというか、僕の祖父が亡くなった時も、いまいち理解できなかったんですよ。祖父が死ぬなんてことが」

 熱い気持ちを言葉にするよりも、ぽっかりと空虚な気持ちを説明する方が難しいんじゃないだろうか。続ける言葉に迷う。


「あくまで僕のイメージですけれど、“爺さん”は生まれた時から“爺さん”なんですよ。親はなんとなく若い頃から見れば歳を取ったなぁ、なんて実感できますけれど、爺さんと婆さんは、物心ついた時から爺さんと婆さんなんです」

 駄菓子屋の婆さんがいつまでも歳を取らないような気がするのと同じかも知れない。よくよく思い出せば、確かに祖父母も年齢を重ねているのだけれど、変化は大きくないように思える。


「車に乗らなくなったとか、階段の上り下りが大変になった、とかの変化はありますけれどね」

「なるほどなぁ」

 社長は納得したように頷き、専務も興味深そうに聞いていくれていた。


「しばらく離れていれば、変化も分かる。でも、君と祖父も、社長の息子さんとお爺さんも、しょっちゅう顔を合わせていたんだろうね」

 専務の言葉に、社長は「たしかに」と頷く。

「あいつが生まれた時には、親父はもう七十近い年齢だったわけだ。爺さんが爺さんになっても、あんまり変わらんだろうね」


 笑っている社長の表情には、少し寂しさがある。社長にも孫がいて、その子が十歳の頃には七十歳前くらいの歳になる。自分の晩年を想像しているのかも知れない。

 同じく孫が生まれたばかりの専務は、何が楽しいのかニコニコしている。

「息子から『親父も歳を取った』なんて言われるが、孫からは歳をとったことすら気付かれないのか」


 いや、と専務は顎を撫でた。

「歳を取ったと思われないくらい、しょっちゅう孫に会っていられたと思えば、幸せかもしれない」

「そうだねぇ」

 幸せだったのか、と社長は目を閉じて、みんなもそれぞれ午後の仕事に向けて準備を始める。


 偉そうにいったけれど、僕の思い出の祖父はどうだっただろうか?

 写真を見えれば確かに祖父は若かった。僕が生まれた時、祖父はまだ五十前後。現役で電力会社に勤め、オートバイで通勤していたらしい。

 ここまでは、僕が生まれた後の話であっても僕が記憶している話では無い。

 僕が憶えている爺さんは、言葉そのままの老人だったから。


「のこぎりはいきなり刃を立てちゃいかん」

 そう言って、爺さんはのこぎりの刃が両面に違う種類が合って、それぞれ用途が違うことを教えてくれた。

 小学校低学年のことだったと思う。

 工作の授業が行われることになっていて、道具の使い方に自信が無かった私に、祖父が丁寧に教えてくれたのだ。


 祖父は電力会社の技術寄りの管理職であり、手先は器用だった。

 祖父母の家にはちょっとした倉庫があって、そこには大工道具や木材、釘などが沢山置かれていた。それを好きに使って良いと言われて、図り方や印のつけ方、簡単な設計の考え方を教えてもらいながら、本棚や椅子を作った。

 その時、僕は爺さんのことを知識の塊だと思ったものだ。


 ある日は釣りに連れて行ってもらった。

 大きな岩がゴロゴロとしている綺麗な川まで車で行って、時折岩の上をジャンプして移動しながら、体長十センチ弱くらいのはやが何匹も釣れた。

 クーラーボックスに入れて持ち帰ったのを、爺さんが手早くさばいて、婆さんが甘辛い佃煮にしてくれた。


 色々と教えてもらったし、あちこち連れて行ってもらった。

 共働きだった両親の代わりとして保護者になってもらい、僕と弟はなんども祖父の車で旅行に行っている。

 日本昔話を全巻揃えてくれて、泊まりに行っては何冊も立て続けに読んだのを良く憶えている。


 進学した時も、就職した時も、とても喜んでくれて、たくさんのお祝いを貰った。

 どんなことでも味方になってくれる人で、どんなことでも頼りになる人だった。

 疑問があれば祖父に聞き、食べたい物があれば祖母に作ってもらう。この二人がいれば安心だった。

 今思えば、何の理由も無いままにこんな生活がずっと続くと思っていた。


 仕事を辞めて故郷に帰ってきた時も、何も言わずに迎えてくれて、以前のように色々と教えてくれた。

 そんな爺さんだったけれど、亡くなる前の年あたりから急に老け込んでいった。

 外出が極端に減り、趣味だった庭いじりも隣に迷惑をかけない程度の最低限に済ませ、季節ごとに人参や大根、高菜や白菜を育てていた小さな畑は、何も植えないままにただの土の絨毯になった。


「爺さんは、爺さんだった」

 初めて気づいたのは、この頃だった。

 正確に言えば、爺さんは間違いなく老いていたのだ。僕が生まれた時よりも、学校に通っていた時よりも、最初に就職した時よりも、歳を取っていたのだ。

 老いのせいで身体はいくつかの病気に蝕まれ、身体を動かすことも面倒になり、目も耳も悪くなって「怖いから」と免許を返上した。


 当たり前のことだけれど、ショックだった。


 僕がそう気づいて、外に出ない爺さんとの会話が減って、一年が経ったころ、爺さんは珍しく散歩に出て、路上で呼吸器の発作が原因で倒れ、そのまま意識が戻らないまま、入院した病院で数日後に亡くなった。

 少しだけ苦しかっただろうけれど、長く痛みや苦しみを味わうことが無かったのは救いだったと思う。


 集中治療室で管に繋がれ、機械でどうにか生き延びている爺さんを見た時は、「こんなに細くて小さな人だったかな」と戸惑った。

 手足は冷たくなり、うっすらと開いた瞳に光は無かった。

 息を引き取ってから、通夜や火葬、葬儀と続く間、僕は泣くことはなかった。悲しいのは悲しいけれど、爺さんがいなくなるということに実感が無かったからだ。


「多分、しばらく経ってから実感がわいてくると思いますよ。祖父と一緒にやった事と、一緒にやろうとしてやり残した事を思いつくまで、僕もしばらく時間が掛かりましたから」

 なんとなく、就業間際に社長にそう伝えると、社長は目を細めた。

「そうか。そんなもんか」

 自分の時も、そうだった気がするよ、と言って帰り自宅を始めた社長を見送って、僕も爺さんから聞いた色々な話を思い出しながら、久しぶりに川釣りをしようと決めた。

 爺さんの手さばきを思い出して、僕もいずれ誰かに披露できるように。

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