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事故物件になる日

飛び降り自殺。

そこに関わるのは、遺族や警察だけでは無く……。

 不動産営業マンをやっていると、時折変わった出来事に出くわすことがある。

 三度目の就職で不動産の賃貸営業マンになった僕も、数年の間にいくつかそういう経験をすることになった。

 大概は排水管凍結とか地盤沈下による被害とか自然現象がほとんどで、業者に依頼すれば済むことが多いのだけれど、僕たち不動産屋と物件オーナーで協力して片付けなければならないこともある。


 人死にが出たときだ。


「飛び下りですか」

「そのようです。遺書も見つかっていますから、自殺なのは間違いないですね。現場、見ますか?」

 警察から連絡を受けて管理しているマンションに向かった僕は、屋上から飛び降り自殺をした人がいると聞いて、途端に暗鬱な気分になった。これで今日から数日は忙殺されるだろう。


 物件オーナーは少し離れた場所に住んでおり、すぐには来られない。念のため先に電話連絡を入れたが、代わりに処理してくれと言われてしまった。ひょっとしたら事件現場を見たくなくて、体よく押し付けられたのかも知れないが。

 僕だって見たくはないが、現場を確認せねばオーナーに報告もできない。渋々警官についていくと、古いマンションの正面、とある部屋の前にある植え込み周辺に、警察官や鑑識と思しき人たちが集まっている場所に連れてこられた。


「ご遺体はすでに回収済みですから、ご安心下さい。場所はここ。屋上に靴と遺書が残っているのを確認しましたので、おそらく屋上から飛び降りたものかと」

「念のため、聞きますけれど」

 僕が七階建てマンションの屋上を見上げて聞くと、警官は何かを察したようにさっさと答えてくれた。

「自殺と申し上げました通り、亡くなられました。即死ですよ」


 落ちたのは、申し訳程度にパンジーが植えられた花壇の縁からコンクリートの犬走りにかけての場所で、一度水で流されたようだけれど、血の跡はまだ生々しく残っていた。

「それで、見つかった免許証と遺書にあった名前なんですが……」

 警官が見せてくれた調査書類に記載された名前を見たものの、なぜか見覚えが無い。持って来ていた入居者名簿にも記載がないどころか、同じ苗字の人すらいなかった。


「免許証の住所がここでは無いのです」

「と、いうことは……」

「これから住民の方に聞き込みをしますけれど、恐らくは外部から入って来て飛び下りをされたのではないかと」

 頭を抱えて天を仰いだ僕は、オーナーへどう報告するべきかと唸った。


「大変なのはお察ししますが、まずは屋上を確認していただけませんか」

 古い建物であり、屋上へ上がるには最上階から梯子を上って、南京錠が掛かった金属の蓋を押し上げなければならない。

 警官に連れられてエレベータで最上階に行くと、南京錠はペンチか何かで壊されて床に落ちていた。


「鍵を壊して屋上に行ったようです。工具が上にありましたから、それを使ったのでしょう」

 わざわざそんなものを用意してまで、ということはこのマンションで死ぬと決めて、下見もしていたのだろう。はた迷惑な話だ。

「現場、見た方が良いですか?」


 できれば見たくなかったが、警官は破損状況の確認やら立会やらが必要なのでどうしてもお願いしたい、と引き下がらなかった。

 いずれにせよ、修理が必要な個所はリスト化してオーナーに報告せねばならない。

 スーツのジャケットを脱ぎ、ペンと手帳、そして小型のデジカメだけを持って梯子を上る。


 梯子と言っても、誰でも入れるようにしていては危険なので天井近くからほんの数段程度の長さしかない。そこまでは脚立を使ってあがるのだが、真新しい脚立が置かれていた。

 何気なく使ったが、これも死者が遺したものらしい。

「……使って良かったんですか?」

 警官は答えなかった。重要証拠とかでなければ、結構適当らしい。


「ふぅーっ……」

 物件を管理している以上、肉体労働は決して無縁では無いものの、梯子を使って昇り、重い鉄板状の蓋を押し上げて屋上に行くのはそれなりに骨が折れた。

 普段は滅多に使われないせいか、ぎしぎしと音を立てる鉄板の蝶番は相当にさびているようだが、自殺した当人や警察が何度か通っているせいか、そこまで動かし難くは無かった。


 顔を出して屋上を見回すが、特に何か目立つものは無い。

 この場所は随分前に担当物件として預かったときに見たきりで、以来貯水タンクの管理業者が三ヶ月に一度見に来る以外は、誰も来なかったはずだ。

 ざらざらとしたコンクリートに手を置いて身体を引き上げると、ぬるい風が吹いてきた。

 周りにフェンスなどは無く、ただ、給水タンクとそれを支える金属の土台だけがある殺風景な場所だ。


「こっちです。ここからだったようで」

 警官が指示した場所は、自殺者が飛び下りたところだった。

 元々は靴や遺書、免許証などが置かれていたようだが、今は全て警察が回収済みで何も残っていない。

 慎重に身を乗り出して、地面を見下ろす。


 下半身に寒気を感じるような恐怖もあるが、何よりも、ここから落ちて亡くなった人物がいるという事実が、より心を寒くした。

「……特に異常は無いようです」

「そうですか。では、ここにサインを。私はこれで失礼します。何かあれば署までご連絡ください。では」

「はい、ご苦労様です」


 僕が言われた通りにサインを済ませると、警官は早々に屋上から下りて行った。

 別に自殺現場に長く居たくないというわけではないようで、階下にいた他の警官たちと何やら状況の確認らしきことを続けているのが上から見えた。

 そして僕は、ぼんやりと屋上からの景色を眺めている。

「これが、死んだ人が見た光景か」


 そう思うと、特別な景色のようにも思える。

 七階建ての建物は、この中途半端な住宅街では高い方でも低い方でもない。多分、ここを死に場所に選んだのは、死ぬには充分な高さがあって、尚且つ屋上に侵入するのが容易だったからだろう。

 何しろ、分譲マンションと違って管理人などもおらず、屋上への鍵は簡単に壊せる南京錠だ。


「事故物件になっちまった」

 これから、住人の多くが退去していくだろう。

 先のことを考えると頭が痛い。どうして別のマンションを選んでくれなかったのか、としか考えられない自分はひょっとすると人間として駄目なのかも知れない。

 それでも、死んでしまった人よりも、生きている自分や、マンションのオーナーのことを考えなければいけない。


 生きているから、先のことを決めなくちゃいけない。

 そう思うと、自殺は「最後の決断」なのだと改めてわかる。

「全部終わらせたい、ってのはわかるけどさぁ」

 一人で呟いた。

 何もかもを人に押し付けて、勝手に死んでくれても困るんだ。生きている人間は困るんだ。遺された家族も困るんじゃないだろうか。いるかどうかも知らないけれど。


 僕はスマホを取り出して、まず会社に報告を入れた。

 賃貸物件での自殺そのものは、別に珍しいことでも無い。人は死ぬものであって、たまたまそのアパートなりマンションなりが現場になっただけだ。

 でも世間はそうは考えない。『いわくつき』になってしまった物件を抱えて、オーナーと僕たちはこれの資産をどうにか処理しなくてはならないのだ。


「……はい。ではオーナーへこれからすぐ連絡を入れます。他の入居者へは……はい、わかりました。戻り次第作成して、今日の夕方には全戸に投函します。……いえ、大丈夫です。お疲れ様です」

 上司も慣れたもので、とりあえずオーナーへ連絡を入れてから、全戸へ状況の報告と退去希望があれば受け付ける旨を書いた文書を配ることになった。

 すでに電話での問い合わせも数件来ているらしい。


 オーナーへ連絡を入れる前に少しだけ時間を空けて、どう伝えるかを整理する。自分のためにメモをした内容を確認し、これからのことを考えるのだ。

 部屋での事故ではないので、厳密には部屋の賃料を下げる必要は無いのだが、マンションに残る入居者や近隣住民から話を聞く可能性がある以上、自殺のことを隠して募集することもできない。


 一部の悪質業者ならそうするかも知れないが、ウチではやらない。あとで面倒になるから。

「“精神的瑕疵物件”のできあがり、と」

 人が一人死んだ。

 それは悲しいことかも知れないけれど、多分無くなった人は僕やマンションの持ち主にどう影響するかまで考えていなかったんじゃないだろうか。


 警察や救急、ひょっとしたら清掃業者くらいまでは頭に浮かんだかも知れない。もう少し冷静になって、オーナーまでは考えが及んだかも。

 だけれど、僕ら不動産業者はどうだろう。

 とりあえずマンションは一時空室の募集を停止している。そして退去者も多数出るのは間違いない。それら全てに関する作業で、僕たちに収入は発生しない。

 厳密には定額の管理料を貰っているわけだが、完全にイレギュラーな作業だ。


「僕たちのお給料はどうなっちゃうのかね」

 このマンションだけで会社が稼いでいるわけでは無いから、実際はオーナーの方がダメージは大きい。人死にはそれだけ経済に影響を与えるわけだ。

 でも、そこまで考えて死ぬ人はいないだろう。自分の命と言う、自分にとって一番重要なものについて考えているわけだから。

「死ぬ前に冷静になるって話もきいたけれど、どうなのかね」


 僕は再び、自殺者が飛び降りた場所に立った。

 見下ろすと、水で流された落下地点がよく見える。ここから落ちて、あそこにぶつかるまでほんの数秒だろう。

 死の瞬間まで何を考えていたかなんてわからないけれど、僕はとりあえず両手を合わせて、目を閉じた。


「まあ、生きている人間が後はどうにかしますよ。あなたに愚痴を言っても仕方が無いですからね」

 そして僕はまたスマホを取り出し、オーナーへと電話をかけた。

 生きている僕たちが、これから先のことを進めるために。

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