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蛞蝓妃

作者: 坂上周二

 川べり近くの土手が夕暮れに包まれている。

 人影もまばらな時間帯に、私の前を日傘を差して歩く女がいた。日も落ちたころに日傘をさしているというのもおかしな話しだ。

 随分丈の長い振袖を着た女で、下の方は地面にすれてずるずるといっていた。

 ふと見ると女の通ったあとの地面には、べったりと糊でも塗ったようにてかっていた。

 不思議に思った私は特に何も考えず、女に声をかけた。


あのぅ、すいません

 

はぁ。


 突然話しかけられ、女は驚いたようだった。

 髪が長くて顔は見えない。ただ傘を持つ手が幽鬼のように仄白く、気味の悪い、青い血管が浮いていた。


あなたのとうった跡が、なにやらぬめぬめと光っているのですが。


 と聞くと女はああなんだ、と安らいだ様子で肩を落とした。


私がナメクジだからでございます。


 ねっとりと女が言った。


へぇ、そうだったんですかぁ。


 答えが出ると簡単な話しだった。なるほど、この不気味なにらにらとした光り方は、昔日に見たナメクジの跡そっくりだ。

 私にはカタツムリの友人があるが、彼女が紫陽花の葉をなぞる時、確かに虹色めいた美しい跡がついていた。

 そうとわかってしまうと恥ずかしいものだ。自分で解決しようなどという好奇心を出さず、いつもの通りに、彼女にこんなことがあったと報告に伺えばよかった。

 そうすれば、彼女に会う口実というものができたのだが。


ね、あなた。


 また女が私に声をかけてきた。先ほどまで二三歩遠くにいたはずが、気が付くと隣までにじり寄っている。


私に塩を投げるとどうなるか、とか聞かないのね。小さくなるのかい、とか聞かないのね。

やさしいのね。

あなたって不思議ね。

ね、あなた、私を家まで送ってくださらなくて。


 酷く粘ついた響きで、耳元に女が囁いた。

 鼓膜までべたべたするような気がした。


そういう寄りかかった言葉はやめてくれませんか。


 言葉ついでにじりじりと寄ってきていた女を突き飛ばした。声もなく土手下まで女は落ちていく。

 嫌なものに行き会った。

 しかし今の光景を誰かに見られていたらは不味い。下方でうずくまっている女がいつ起き上がってくるとも知れない、私はさっさとその場から背を向け、逃げ出した。

 不愉快さを振りきるように家まで駆ける。

 なんだってナメクジなんぞと同格に扱われなくてはいけないのだろう。

 馴れ合いは御同属様とだけしていればいいものを。


 大きな紫陽花の生垣が見え始めて、私はもうすぐ家だという事に気が付いた。咽がからからに渇いている。外出も、人に声をかけることも、彼女なしにできることではなかったのだ。

 ぜぇぜぇと大きく息をしながら縁側にたどりつくと、私は熊のように背中を丸めて座り込んだ。

 それにしてもナメクジとは嫌な生き物だった。カタツムリとは大違いだ。

 彼女は常に荷を背負い、荷を家とし、荷を砦とし、荷と共に活きているのに、ナメクジときたら、のっぺりと大きな岩の下に隠れるばかりなのだ。


 しばらくそうして小さくなっていると、玄関先に小柄な人影が見えた。

 カタツムリだ。


君、君ね。蛞蝓妃に大そうな事をしたそうじゃないか。今度ばかりは、本当に不味いことになった。


 開口一番につぶやいた。彼女がカタツムリというよりはリスに近い顔をかしげる時は、相当不機嫌なときだけだ。

 翠髪のボブカットをなびかせて、私の隣に腰を下ろす。

 このご様子だと、私は偉い人に偉いことをしてしまったらしい。


私にはどうしようもないことかもしれないよ。君ってやつは本当にまぬけだよ。


でも僕をたすけてくれるんだろう。


 嬉しくて、私の声は跳ね上がっていた。カタツムリは呆れたように肩を竦めている。

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