7/炎と共に、迷宮を
「なんて面倒……」
「こっちの台詞だ」
迷宮に足を踏み入れ、最初にレヴィアが口を開き、オレが返す。
期待はしていたし、覚悟もしていた。その結果がこれだよ。しかし、これはレヴィアも予測できなかったようで、何やらブツブツと独り言を呟いてばかりだ。
「こんなこと……どうして……なぜ、反応しない?」
「それで、これからどうすりゃいいんだよ」
「静かにしてくれ、次の手を考えてる」
ほんと自分勝手すぎて腹立つわ。ちょーっと綺麗だからって何を言っても許されると思うな。マジで顔は良いんだけどなぁ……言動が最悪だわ。
「それにしてもよく平然としていられるな」
「慌てふためいた方がいいか?」
「それはそれで鬱陶しい、灰になれ」
もうこいつにはどんな言葉を返しても、次に返って来るのが決まって暴力が言語化されたようなものばかりなので何を言っても無駄な気がする。
「貴様は本当に知らないのか? その指環のことも、環理のことも……」
「もし知ってたとしてさ、その……オレの環理ってのが、危ないモノだったらどうするんだ?」
「どうされたい?」
質問を質問で返すのは反則だとは思うが、その問いに対しての答えは既に用意してあったりする。
「痛いのはゴメンだ、だから出来る限りアンタたちの言うとおりにする」
「信じろと?」
「信じてくれ、とは言えない。ただ、アンタは口は悪いが善いヒトっぽいからなぁ……」
「なに?」
眼鏡の定位置を戻しながら、レヴィアの表情は少し苛立っているように見えた。もちろん見ない振りをして、オレは話を続ける。
正直、散々な言われ様だし、こいつのことは嫌いではあるが、それでも憎めない理由があるのだ。
「この迷宮って入ったら二度と出られないんだろ? なのに一緒に付いて来てくれてるじゃねーか、だから善いヒトだろ」
「それはここが班を組んで入る決まりがあるからだ。だから二人一組以上でなければいけない」
なんて「能力の審査をする為の人員も必要だからな」と付け足してレヴィアは喋っているが、ついつい頬がにやけてしまう。
「オレは何も知らないんだぜ? 正直に説明する必要もないだろ? 単独で迷宮を進めって言ってりゃそのまま多分歩いてた。それでモンスターの餌になるか、トラップの餌食になるんだ、危険人物ならそれの方が良くないか?」
レヴィアはオレのことを不信がっていたし、どっちかというと不審者扱いしてた。ましてや不可解な色の指環を装備して、環理に至っては曖昧だ。そんな怪しさ満載の存在ならさっさと処理してしまった方がいいんじゃないか?
なのにレヴィアはそれをしない。素っ気無い顔のまま「死ね」とか平気で言う女だ。ぶっちゃけ迷宮に閉じ込めて、そのまま背中向けて帰りそう。
だけど、オレの質問には毒を吐きつつも答えてくれるし、こうして一緒に迷宮を探索している。
「ああ、そうだな……そうすれば、よかったな」
「え?」
「気づかなかった。そうだな、出口で待っていればよかったんだな……貴様が迷宮の中で死ねば問題は解決。無事に抜け出したのなら、その時こそ次の手を考えればいいわけだった。……盲点だった」
なんかめちゃ悔しそうなんですけど。
あれ? 善いヒトじゃない? 余計なこと言っちゃった?
「冗談だ」
「笑えねぇよ」
絶対、本気だったろ。迷宮にオレを置き去りにして町に帰ってもおかしくない。
「私が知りたいのは貴様の持つ環理だ。だからこうして同伴しているだけだ……貴様が無事に迷宮を脱出しようが、途中で死のうがはどちらでもいい」
「ひでぇ……」
「だが私は知りたい。貴様の指環も、環理も。それを知るまでは、同伴してやる」
どうして、そんなことが言えるのか。
「お前は、何なんだよ……」
「はっきり、させたくないか?」
「それは……」
何を――
「貴様の存在が、善か、悪か」
そっとレヴィアの声を耳に、オレは自分の指先に埋まる環を見た。
金色の輝き、だが世界にとっては未知の煌き。『黄金』と云う言葉は無く、そんな在りもしない色を持ったオレが知りたいこと。
「はっきり、させたいよな」
自分のことが曖昧なままなんてやっぱり嫌だ。
異能の所在はどうでもいい。知りたいのは、オレはこの世界にとって有害か、無害か、だ。
「やっぱ、レヴィアって善いヒトだよな」
「私は善意でこんなことをしているわけではない、安寧の為だ。統括士は世界を守る為に動いている」
「だからさ、そうやって誰かの為って時点で……善人すぎんだろ」
オレは、そんなこと出来ない。きっと、無理だと思う。
だからこそオレに対する態度も言葉も悪いレヴィアでも、どうしても憎めない。羨ましいとさえ思えた。
(オレも誰かの為に、行動できればな)
聞こえないように、そっと心の中で。
どうして新たな人生を歩んだのか? 新しい生き方を見つける為にここに来たんだ。
なら、まずは自分が出来る最善を選択しなければならない。
これは最初の試練だ。オレはレヴィアに認められなければならない。とにかく迷宮を突破しよう。残念なことにオレは指環こそしているが、未だにどんな環理を持っているのか不明なままだ。
レヴィアの判断基準は解らないが、とにかく今は迷宮を踏破することだけを考えよう。
「早速、出て来たな」
覚悟と同時、脅威が湧き上がる。
通路の中央、緑の液状がドロリと垂れては形を成していく。それは小さな球状となって地を這いずり回っている。
「スライムだな」
「スライム? ああ……」
ファンタジーならいつでもどこでもお目にかかる雑魚級のモンスターじゃないですか。しかも足元でコロコロ転がって、ちっとも怖くない。
自分の数倍はあるであろうサイクロプスや、更にそれを上回る巨体を見せ付けたレッドドラゴンに遭遇しているせいか、なんというかこんな極小サイズの怪物には流石に驚かない。
「きめぇ……」
だが、それでも怪物には変わりない。
それが喩えゲームやアニメの世界では雑魚中の雑魚であったとしても舐めてかかるような真似はしない。
どこぞの勇者なら単身で魔王と戦う為に怪物どもを剣や魔法で塵芥にするのかもしれないが、オレにはそんな勇気も力も無い。
「スライムってこんなデロデロだっけ……ちゃんと形、整えとけよ」
ゲル状のまま緑色の水溜りがのそのそと動いて、こちらに近付いて来る。どうすればいい? 戦う? 手段は? オレには何も無い。
だがスライムとオレとの距離は少しずつ縮まっていく。
気色悪すぎる。もっとこうドラ○エみたく可愛らしい姿をしてくれていればまだマシなのだが、ただの汚物が動いているようにしか見えない。
怪物との邂逅はこれが初めてではない。
だが、戦闘となれば違ってくる。何せオレは戦い方なんて知らないのだから。
「躱せッ!」
レヴィアの叫びが聞こえた。その言葉は耳朶に届いていた。
だけど、
「無理ッ……」
返事する暇があるなら、回避に徹するべきだったか。
液状化したままのスライムは海栗のような外見へ変態し、鋭い針のように自身の身体を伸ばす。
気がついた頃には針は肩や腹を貫通していた。
自分の身体が貫かれたということが解ったのは激痛が走ってからだ。
「痛ッ……痛いぃ、痛いぃ!!」
無様。どうしようもない。痛いものは痛いんだ。痛みに耐えて、立ち向かう余裕なんてなかった。
「チッ――」
舌打ちが鳴り、熱風が吹いた。
レヴィアが腕を払い、オレの身体を貫いていた触手を裂いていた。
素手で、容易く液体の身体を切り払った。いや、その腕は赤く、紅く、燃えていた。橙に燃える瞳のように、彼女の腕もまた業火の如く。
「……下劣」
鷲掴みにされるスライム。ブクブクと音を立てて沸騰していた。
そして、
「爆ぜろ」
慣れた手付きで、いつもそうしているように。
赤い色冠は強者の証。選ばれた者だけが装備することが出来るその指環。
赤い色が放つは炎。色はその者の力を顕す。
そして迷い無く、躊躇せず、冷静なまま――燃え盛るその掌は怪物を木っ端微塵に爆散させた。
「すげぇ……」
あっという間の出来事だった。余りにも呆気の無い幕引き。
「驚いた……お前、すげぇ強いんだな」
感服してしまった。ものの数秒足らずで怪物を瞬殺する光景を見せ付けられば誰でもそう思うだろう。
「いや、私も驚いている」
「ん?」
オレは首を傾げる。
「傷をどこへやった?」
「………………ああっ」
レヴィアの言葉で気がついた。
そもそも痛みも感じない。痛覚をどこかへやっては、ついでに傷まで消えてしまった。貫かれた傷どころか服も元通り。
「質問、いいか?」
「なんだ?」
「環理には、傷を治したり、物を直すようなモノはないのか?」
「ある……な。青は戦闘だけでなく支援や回復の環理に特化している。しかし、だ――それは青でなくてはならない。貴様はどうした? 色を発することなく、ただ瞬きした頃には全てが元に戻っていた。これはあり得ない」
そしてレヴィアの腕は赤く燃える。
「危険だな、貴様は」
「ちょ、ちょっと待てッ! やめろ、落ち着け!!」
スライムを爆破したみたく、オレの身体も塵にするのか?
「確実に貴様はさっきのスライムに殺されていたはずな。死んでいなければならない……、にも関わらず、傷は癒え、何事も無かったように存命している。そんなけったいな輩を放置できるはずがない」
「まぁ、待て……お前の言いたいことは解る。死んでなけりゃいけない致命傷を喰らって生きてるってのはおかしい。オレだっておかしいと思うさ、でもさ……オレもなんでこうなってんのか解らないんだよ」
自分のことなのに、何も解らない。
自分のことなのに、何も知らない。
だから、オレは知りたいんだ。こんなのいくらなんでも不気味すぎる。なぁ、神さま……テメェは一体、オレの身体に何しやがったんだ?
神さまは答えない。答えてくれるはずがない。消えてしまったアイツなら、きっと何か知っているのかもしれない。だけど、その答えには到達できそうもない。
「もう少しだけ、時間くれねぇか? この迷宮を出るまででいい……何も知らないまま終わりたくない。本当にオレが危険だと判断したら、お前の好きにしていいからさ」
これは賭けだ。分の悪い賭け。
何しろ勝ちが見えない。何一つ解っていないだけに不利である。
だけど諦めたくはない。レヴィアにオレの存在を認めさせて、この世界で生きるチャンスを勝ち取ってみせる。
でも、こうやって心の中では大口叩きまくってるけれど、どうすればいいのかも解らなくて――
「嘘、ではないな?」
「こんな状況で嘘吐けるほど強くない」
「そうか……なら、最後まで見届けよう。貴様の環理が何なのか、それさえはっきりすれば問題ない」
ならば先に、進むしかない。
この先に待ち受けるモノがなんなのか未知数だが、それでもオレは歩むことを止めてはいけないのだろう。
しかし、なんというかこの女――
「やっぱ善いヤツだよなぁ……」
なんというかちゃんとこっちの言い分を聞き入れてくれるんだよな。殺されそうになったけど、それでもやっぱり憎めない。
「何をにやけている……気持ちが悪い」
嫌いだけどさ。
「先へ進め」
レヴィアの言うとおりに前へ。逃げることは出来ない。もう逃げる道なんてない。前へ進むしかない。しかし、先へ進もうとしたその時、
「誰か、つけて来ているな」
なんでそんなの解るんだよ。だがレヴィアが立ち止まって後ろを振り向いた時には既に燃え盛るその手の上で凝縮していた炎が投擲されていた。
「ちょ、いきなり殺す気か!?」
「暗がりで見えんから照らしただけだ」
なるほどね、そんなことも出来るのか。
「威嚇でもあるがな……怯えて追ってこなければそれでいい。しかし執拗につけて来るのなら話は別だ、迎撃する」
容赦なさすぎだろ。だが何者かが背後を歩いているというのは不気味だ。正体をはっきりさせておいた方がいいだろう。
「あー、びっくりしたぁー」
だが、そんな不気味の正体は、
「ごめんね、来ちゃった」
ミナだった。