4/無償<タダ>より怖い、代物<モノ>は無い
ついさっきまで刺されて死に掛けてたわけですが、何故かこうして生きてるわけで。いや、それよりももっと驚いているのがこの少女だ。
世界観はオレの黒歴史が生み出したモノなのだが……登場人物は用意されていない。よって、遭遇する全ての存在が――オレの知る由の無い、誰か。
「どうしたの?」
「いや、さっきはありがとう……えーっと、名前、聞いていいか?」
そう尋ねると少女は少し考えてから、
「会長」
「はい?」
「ワタシの名前よ」
それって名前なのか?
「えーっと、じゃあ会長さん、で」
「よろしくね、坊や」
自分よりちっちゃい女の子に坊やって呼ばれた。
オレの身体の半分にも満たない矮躯なのに、そんな簡単に壊れそうな華奢を前に男たちは恐れていた。
強いんだろうさ、そりゃ強いさ。
そっと胸ポケットからノートを取り出す。そういや上着はさっきの男に燃やされたのに、これまで元に戻ったんだよな。本当ならこのノートも一緒に燃えたはずなのに。
とは、言うもののこの黒歴史は役に立たないことは知っている。これにオレがこれから起こりえる事象の一つでも書かれていればまだマシだ。
だけど、これには町の名前や……オレの妄想が書き記されただけで、だけどこれを元に作られた世界。新しい人生をやり直す為の世界。
けれど、オレはまだどうすればいいか解っていない。もうなんというか変な笑いしか出ない。
「何を見ているの?」
「あ? ああ、なんでも……」
さすがにこのノートはあまり他人に見られていいものではないだろうし、すぐにポケットに仕舞ったが会長さんは訝しげにオレを見ている。
「ああ、そういやオレの名前まだ言ってなかったよな。オレの名前は真上 蒔豊……じゃなかった、マトミ・マガミだ」
なんとなく、名前と苗字を反対にした方がいいかなとか思った。とりあえずノートのことに触れられるとマズい気がしたので自己紹介することで誤魔化してみたが、
「そう、よろしくね坊や」
いや、あの、名前で呼んでください。
だけど会長さんはオレの名を呼んではくれなかった。
「あの……オレの名前……」
「なぁに、坊や?」
――やめておこう。
「さっきはどうして……オレを助けたんだ?」
名前で呼んではくれないようなので、諦めて話題を変える。
「血を流して倒れているのを素通りしろと?」
眉間に少しだけ皺を寄せて、会長さんは何をくだらないことを聞くの?と言わんばかりに不満そうだった。
善い人すぎて、泣きそう。涙腺が少し緩んだ。
「いや、ほんとありがとう」
嬉しかった。下手すりゃあのまま死んでたかもしれない。生き返って即効で死ぬとか悲しすぎるしな。
「ところで……貴方こそ何者なのかしら? 」
今度は会長さんの質問。
ふむ、その質問は予想済みだ。だが、答えは用意していない。
「えっと、それは……」
実は神さまにミスって殺されたんで、お詫びに生き返らせてもらったんだ! それでこの世界も創ってくれてさぁー、新しい人生をここで過ごすことになったんだよねぇー。
(……言えるわけねぇ)
もしこの世界が本当にオレの妄想や妄言で固められていたとしても、ここで生きる人々には関係の無い話だ。ただの与太話と思われるだけだろう。
「いいわ、話はあそこで聞くから」
だが、会長さんは言及することもなくそっと指を差した。
「すんごーい」
圧巻だった。
大きな時計の塔の下にいるわけだが、サクラダでファミリアっぽい建物も見えるし、こんな凄い建物をこの目で拝めるだけでも正直感動してる。
「置いていくわよ」
声を掛けられて自分が感心して足が止まっていることに気づいた。
少女はそそくさと建物の中へと進んで行ってしまう。居場所の無いオレにとっては少女を追う以外に選択肢もないし、とにかく見失わないように進むしかなかった。
巨大な鋼鉄の扉がゆっくりと開き、吸い込まれるように中へと誘われる。だが踏み込んだ先、広がったのは暗黒だった。
と、言うより何か頭に被せられたような気がした。
「真っ暗ぁ?」
気がしたってか、本当に被せられてる。
「ひぶっ!!?」
後頭部に衝撃。
同時にオレの意識は消失した。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆
ポチャン、と水滴が落ちる音がした。
規則正しく、同じタイミングで水滴が落ちては跳ね返る。
(ここは……)
目を醒ます度に居場所が変わるわけだが、最初は夢の中……次は異世界、そして今度は建物の中だった。
だが窓一つ無い。時計も無い。昼なのか、夜なのかさえ解らない。何故か椅子に縛られてて身動き取れないし、どうしてこうなった……。
何一つ解らないこの状況で、一つだけ解ることがある。
(……とーっても怪しくてヤバい感じ)
床や壁は赤いペンキをぶちまけたように汚されている。
そして何より恐怖を感じたのは不気味な空間の中の隅々に配置された拷問器具である。全ての拷問器具が赤く染まっていた。ならその赤が意味するものは――
(やだ……こわい。オレとんでもないとこにいるじゃないですかー?)
拷問器具に関してそれほど詳しいわけではないが、そんなオレでも『鉄の処女』や『断頭台』ぐらいは知っている。
しかし、あのトゲトゲの椅子とか鉄の仮面にヘンテコな車輪みたいなのはどういう使い方をするのだろう……あれをオレに使うのか? やばーい、オレめちゃくちゃピンチだしぃー。
いや、待てなんで拷問されるんだよ。オレがそんなことされるとはまだ決まったわけじゃ――
ギイイイィと鉄と鉄が擦れる音がする。不快な音が耳に響く。そして重く厚い真っ黒な扉が開いた。
「あら、お目覚め?」
……現れたのは返り血を浴びた医者でも、不細工な仮面を被った変態でもなかった。現れたのは……つい先程、オレの命を救ってくれた恩人だった。
この子、ホント小さいよな。椅子に縛られているオレよりも小さいぞ?
これではまるでハロウィンの風物である仮装した子どもが「お菓子をくれなきゃいたずらするぞ」とでも言ってくれた方がしっくりするような気がする。
「貴方にはいろいろ聞きたいことがあるの。教えてくれるわよね?」
だが、現実はそう上手くない。
ニコって無邪気に笑って、片手に持っている鉈をブンブンと振り回している。そしてもう片方の手にはペンチのようなものが握られているのだけれど、どうするのでしょう?
いろいろと聞きたいことがあるのは解る。
ここの住人から見れば、オレは招かれざる客。怪しさ全開の不審者でしかない。
しかも傷が一瞬で治るわ、燃え尽きた服も瞬時に直ってしまうような奴だ。魔法のような奇跡を操るのが当たり前の風景であっても、それはやり過ぎだろ。
どう言葉を紡げば正解なのか、解らなくて。
だからオレは首を横に振った。会長さんは笑顔のまま手に持ってる鉈を振り回している。いや、まだ慌てるような時間じゃない。どうせそれ玩具だろう?
頑張ってオレを怖がらせようとしているのだろうなぁ、フフッ、頬がにやけてしまうね。
「嘘を、吐かないで」
鉈を振り下ろしてきた。
ズドン、と鈍い音を立ててオレの足の間に鉈が突き刺さっていた。おいおい、玩具じゃねぇ……本物じゃないか。もしこれが足に当たったら、なんて考えるとゾっとする。
ここはやはり助けを呼ぶべきだろう。だがオレは声を上げることが出来なかったのだ。
「むがぁー! むがががあぁー!」
野郎の口枷装備状態など誰が得をするのだ。声を出したくてもちっとも言語化できないし、まともに喋ることなんて不可能だ。呻き声しか出やしない。
そんなオレを見て、会長はゆっくりと椅子から刺さった鉈を引き抜いて口を開く。
「不細工な豚の鳴き声に似てるいるわ……滑稽よ」
「むほほほほおおおおおおおお!」
オレの獣のような声を聞いて会長さんは侮辱する。
不細工ってのは本当のことだから否定しないけど、やっぱ面と向かって言われると腹が立つぞ! くっそぉー……椅子に縛られて動けないし、声も出せないなんてジリ貧もいいとこだ。
そしてこんな凶器だらけの部屋に、小さな狂気が腹を抱えて嗤っている。オレは何も出来ないままあの鉈で切りつけられてしまうのだろうか。イヤだなぁ……痛いのだけはホント勘弁して欲しい。
「……と、まぁ、冗談はさて置き」
「むほ?」
いきなり会長さんは声のトーンを落として持っていた鉈を放り投げた。地面に転がっていく鉈。
朱い紅石の瞳がオレを見つめている。
蔑んだ視線で見つめられて悦ぶような趣味は無い。ただ紅く染まる瞳からは冷たく何もかもを凍て付かせるような視線が放たれている。
時間だけ過ぎて、オレは物理的に声が出せないしどうすることも出来なくて、
「ちょっとした余興よ。楽しんでくれたかしら?」
ブンブン!と再びオレは大きく首を横に振った。
「ふぅん? それは残念。そうねぇ……どうやら質問にも答えてくれそうにないし――」
そう言って、オレの中指の爪をペンチで挟んで、
「死ぬ?」
満面の笑み。その表情だけなら可憐で、綺麗で、可愛いけれど、やってることはただの猟奇だ。
ブンブン!と再度、オレは大きく激しく首を横に振った。別に隠しているわけじゃない。答えようの無い質問だから答えられないだけなんだ。
けれど訴えは届かない。そもそも口枷突っ込まれて声出せないの! 喋られないの解ってるはずなのにどうして気づいてくれないの? それに縛られて動けないし、ってこのヒトなんかめっちゃ怒ってる! やばい、こわい!!
「ここまで脅してるのにまだ言わないのね。ふぅん……そっかぁ……」
ペンチを乱暴に投げ捨てて、部屋の隅っこに会長が消えていく。しかしすぐに姿を見せて、
「ここは沢山の拷問の為の道具が置かれているでしょう? そうね……今日はこれを使おうかしら?」
そう言って幼女はいきなりヘルメットのようなものを取り出していた。頭部にはハンドルが着いている。
それが何て名前なのかは拷問道具に精通しているわけではないので解らないが、構造が単純すぎて何をするのかは理解できる。それを頭に装着したらそのまま巻いて万力で締め付けるだけで頭部を破壊するんだろう。
あれでオレの頭をペッチャンコにするつもりか? おいおい、頼むから、ホント頼むから痛いのだけはやめておくれよ。
「むほおおおおお! むほ! むほぉッ!!」
だからオレは全力で拒絶の意思を見せる。身体が動かないので今は首を左右に振ることしかできなかったが、意味が無かったとしても首を振り続ける。
逃げることは出来ない。椅子に縄のようなもので両手両脚を縛られていて身体の自由が奪われている。どこぞの199X年を生き抜いた世紀末覇者なら筋肉だけで引き裂けるのだろうが、オレにはさすがに無理だ。
会長はニヤリとおぞましい笑みを浮かべて拷問具を両手に抱えて歩いて来る。殺される? あれで頭部をぶっ壊されて殺されてしまうのか? 脳味噌ぺちゃんこ?
まだ、まだだ。
何もしてないぞ。オレはまだ何もしていないのに、こんな幕引きイヤだぁ!
恐怖のあまりオレは両目を閉じ、ビクビク震えながら救いを求めた。
しかし瞳を閉じてからは視界は闇に閉ざされ、身動きも取れずこの後に待ち構える結末を受け入れることしか出来なかった。
だがそんなオレを前に会長さんは大袈裟に溜息を吐いて、
「遊びすぎたかしら……?」
そう言って会長さんがパンパンと手を叩くと、ゆっくりとオレの口に装着されていた枷を外してくれた。縛られていた縄も外してくれた。両目を開けば会長さんが立っており、その手にはさっきの残酷な拷問器具も無かった。
「ここはちょっとした驚かす為の部屋。これだけの拷問道具を集めるのには骨が折れたわ」
ちょっとしたもんか、びっくり驚いたわ……。
しかしそんな精神異常を来たすような凶悪な部屋に関しての情報なんてぶっちゃけどうでもいい。
「貴方が眠っている間にいろいろ調べさせてもらったわ」
どうやら既に手回しが施されていたようだ。
眠っているというのは語弊だと思うが……どう考えても鈍器で頭を殴られたような衝撃だったぞ。気絶の間違いじゃないか。
「マトミ・マガミ……貴方に関する情報はこの『ファナグラム』のどこにもなかったわ。解っているのはその見たことも無い色の指環と――」
会長さんの手に持っていたのはオレが隠し持っていた厨二病全開ノート。気絶している間に奪われてしまったのか?
「いや、あの……それはですね……」
見られた? もしかして見ちゃいました?
見られて喪失するのはオレの精神力。それを見たって何も得られやしない。ただのゴミです。返してください。
「興味深いわ……これは何の本なの?」
「……はい?」
思っていた反応と違うんですよね。
なんかこう、きっしょーなぁにこれぇー気持ち悪いんですけどぉーと罵詈雑言の爆撃投下によってオレの意識は消失する予定だっただけに、会長さんの反応は反転していた。
何か考え込むようにして、何度も何度もオレを見ている。そのノートには何の効力もありません。ちょっとこの世界の設定が類似してるだけです。そりゃその設定から作られた異世界ではありますが。
「解読は出来ないけれど、ワタシはこれが何て書いてあるのか知りたい」
そういやノートは思いっきり日本語だもんな。この世界の住人が使う言語とは全く違う。読めなくて当然だ。
それなのにオレはこの世界の言葉が理解できるし、書くことも出来るのはなんだかズルをしている気持ちだ。
「ねぇ、教えてくれないかしら? これは、何なの?」
真剣な眼差し。オレを辱める為に問いかけているわけではない、何か理由があるのだろう。こんな価値の無い紙切れの束に、何を望んでいるのかは知る由もないが――だけど、やっぱり、嫌だ。
「読めないの?」
「あ、いや……」
肯定も否定も無く、はっきりと言えばよかったのに、嘘を吐けばよかったのかもしれない。だけどオレには会長さんを騙せなかった。
そんな真っ直ぐな瞳を前にして、虚言を吐き出す余裕はなかった。
だけど、
やだぁあああああああああ、読みたくないいいいいいいいいい。過ちが形と成って描かれている狂気の文章を朗読するなんて、いくらなんでも生き地獄に他ならない。そんなの読むぐらいなら死んだ方がマシだ。
「そう、解ったわ……こんな手を使うのは卑怯かもしれないけれど、」
中途半端な反応ばかり見せてしまったオレが悪かったのだろう。視線による圧力が増したような気がして、息をするのも苦しくなった。大きく息を吸い込んで、呼吸を整える。
落ち着け、息のやり方を忘れたのか?
そんな風に自分に言い聞かせる。だけど会長さんの赤い瞳が鋭さを増す度に視界が歪んでいくようだった。
サイクロプスやドラゴンに襲われた時ですらまだ動くことは出来た。だけど、今のオレには指先すら動かせやしない。
恐怖による支配。心は既に掌握され、もう避けられない。
ああ、もう、ダメだ。これは、とてもじゃないが回避できない。
「命令よ、読みなさい」
手を鋭く伸ばし、伸びた爪がオレの頚動脈に向けられる。
「この部屋は確かに冗談でしかないけれど、行為そのものは冗談じゃなくなるわよ」
「そ、それは……あの、拷問はしますよってことですか?」
「答えて、欲しいの?」
本気だわ、コレ。
選択権なんてない。定められたことなのだ。逃げ道なんてない。逃げるという行為すら許されない。
恥らって死を選ぶなら、辱めを受けて生きた方がまだいいような気がした。このヒトはきっと平気な顔してオレに拷問を行うだろう。諦めよう。そして、死のう(精神的な意味で
「無償で、とは言わないわ」
別に金品を求めているわけじゃない。そんなものは要らない。オレが欲しいのは命だけだ。だけど予想だにしない言葉に、
「じゃあ、何をくれる?」
訊いてしまう。報酬があるというのなら、やはり気になるものだ。
そしてそんなオレの問い掛けに、会長さんはほんの少しだけ息を吸い込んで、
「ワタシ」
なんて、即答するものだから、
「……はい?」
素っ頓狂な声が出たわけで――