3/少女は現れ、消える傷
現状、何も解っていないのが口惜しいのだが気になっていることが三つある。ちょっと整理しておこう。
まず一つ目は指環である。
右手の中指に黄金色の指環がはまっているのだが、これはオレの私物じゃない。しかも外れない。食い込んでいるようでどれだけ力を篭めて外そうとしても絶対に外れなかった。それに金色ってのが趣味悪い。
なんかこの世界に来てから進む度に何か起こるんだけどオレどっかのピラミッドから金ぴかの爪でも持って出て来たのかね……。指環を元の場所に戻せばいいんじゃないか? まぁ、それは冗談だ。
そして二つは日本語じゃない別の世界の文字なのに普通に読める。
日本語で書いてないのにそれがオレの頭の中でちゃんと何て書いてあるか分かってしまうということだ。多分、文字も書けるはずだ。
この異世界ってか……町の名前も『ファナグラム』って言うみたいなのだがオレみたいな人間のようなヤツもいりゃ、耳が尖がってたり、どう見ても獣みたいな顔をしたヤツが服を着て二足歩行で歩いてやがる。
ここは本当に異世界なのだろう。ああいうの妖精人とか獣人ってヤツか? いやホントどうなってんの? なんでいんの? 共生してるってことなんだよな?
さて三つ目なんだがオレはどうも嫌われているらしい。
みんなオレを見るなり視線を逸らしたり、距離を開けたり、モーセの十戒よろしく海が割れるように道を開けてくれるわけで。
なんなのこれ? 現実世界でも背が高い・目付きが悪い・言葉使いが汚いのトリプルコンボをしていたせいで思えば高校でも勝手に不良扱いされてたものだ。悪いことしてないのに……泣いていいっすか?
こっちから見れば周りの格好の方がコスプレしてるようにしか見えねぇってのに制服姿のオレの方がきっとずっと異質なんだろうな。オレと同じ格好をしているヤツなんて何処にもいやしない。
コスプレ大会ですって言ってくれた方がまだいいんだけどな。もうここはそんな冗談が通用しない世界なんだ。オレの知っている世界とはあまりにもかけ離れている。
オレの方がこの世界にとっては異物なのだろう。だから丸腰で何も持ってないはずのオレを見て、ばつ悪そうにして逃げたりするのかしらね……そういう態度取られるのキツいんですよ。
「待てよ」
かと、言って――
「おいおい、無視すんなよ」
知らない人に名前を呼ばれるのもどう反応していいか困るんですがね。
無視してもいいのかもしれないが、ここは立ち止まるべきだろう。だから呼び止められて振り向いたのだけど、いきなり殴られたんだがこれはどういうことだ?
「ははっ! いいザマだなぁーッ!!」
はぁ? なんだこれ?
空? 雲一つ無い青い空がオレを見下ろしてると思ったら、ついでにゴリラとサルみてぇな男も一緒になってヘラヘラ笑いながら見下ろしていやがる。
鼻血が流れてる。鼻に触れれば手の平にはいっぱいの赤い血。やべぇ、めちゃ痛い。とんでもなく痛い。くっそ痛い。痛みで死ぬ。これで死んだらお前のせいだかんな。
ただ頭の中が真っ白だ。オレは見た目こそ不良の形に見えるかもしれねぇが暴力で訴えるってのは好きじゃない。ってか怖くて出来ない。そもそも痛いのヤだし。
でも、それとこれとは話が別だ。
なぁ、許せねぇよな? 声掛けていきなり殴って、そんなの許せませんよね。だからオレはすかさず起き上がって男に向かって拳を突き立てた。
――が、オレの拳は男には届かなかった。普通に|躱されてしまった。ただ虚しく空を切る拳。
それどころかオレの拳を躱した男は更に声を大きくして笑っていた。
それが余計に腹が立つ。絶対こいつの顔面をぶん殴ってやりたい。鼻血を流しながら拳を振るうオレの姿がそんなに滑稽かよ。だったら何発もこいつの顔面に拳ぶちこんでテメェの顔面を面白くしてやる。
「人の話は聞くもんだぜ?」
んなもん知るか。ふざけんな。無視していきなりぶん殴って来るとかどんなDQNだよ
鼻血はすぐに止まった。もう大丈夫だ。もう考えるのは無しだ。とりあえずこいつは殴る。こんなことされて黙ってられっか。
「やんのか? いいぜ、見せてくれよ」
そう言って、男は手の甲をオレに向けた。
その指には指環が見えた。オレとは違う――銀の指環だった。
「勝負といこうや」
何を言ってんだコイツ?
だが男の台詞は何かの始まりを告げたのだろう。町中の人達が蜘蛛の子を散らすように家や店、建物の中へと消えていく。自分には関係ないと言わんばかりにオレを置き去りにして、消えていく。
「お前、どこの所属だ? 名前ぐらいは聞いてやるよ」
クラスってなんだよ? 学校か? 高校はついさっき卒業したとこだよ。
「どこのクラスでもねぇし、可愛い女の子になら教えてやってもいいけど、お前なんかにオレの名前なんか教えてやるもんかよ」
「ああ、俺もお前に名乗る名前はねぇけどよ……まさか無所属で戦闘士の俺に勝てるわけねぇだろ。」
結構です。お前みたいな毛深いゴリラの名前なんか知りたくないし、覚える気もない。聞き慣れなねぇ言葉ばっか言いやがって。
ただ煽られるのは不愉快だが、そんなことよりも知りたいことがある。ふと黄金の指環に目をやる。
「この指環はなんなんだよ?」
知っているなら教えて欲しい。指環のことは解っていても、自分が身に付けているこの指環のことは何一つ触れられていない。だがオレの質問に二人の男は顔を見合わせてから、腹を抱えて笑った。
「なに言ってんだコイツ! なんだよそれは!? 見たこともねぇ色だ、いくら色付きのが良いからってそりゃねぇよ!!!」
「黄金って普通にあるだろ? 何かおかしいこと言ったか?」
「はぁぁああぁッ!? なんだよそれ!! おうごん? 勝手にそんな名前の色作るなよ、やべぇ腹痛い! 笑いすぎて死にそうだ!!」
オレは何か間違ったことを言っているのか?
どう見てもオレの指にはまっているこの指環は黄金だろう? 金色と言うべきだったか?
いや、黄金で合っているはずだ。もしかしてそんな色は存在しないのか? そんなワケあるかよ……ある、あるはずだ。
「わかったわかった、それがお前の指環だってならやってやるよ」
男が地面に手を置く。緑色の光を吐き出しながら地面に手が埋もれていく。
そして、地から手を抜けばその手には細い棒のようなものが見えた。いや、先端を見れば刃の形をしているのだからそれは棒ではなく槍ということだ。
大地の槍。
オレの知っている素材で作られているわけではない。
掴んで抉った大地を槍に変えた。この男に殴られて怒りが湧いていたってのに、オレの関心は男が召喚した槍に向けられている。
「魔法みてぇだ」
「マホウぉ? これは環理ってんだ。知ってるくせにふざけたこと言ってんじゃ――」
そんなもん知るか。
オレの書いたノートにそんなもんは書かれていなかった。
だが、用語はどうでもいい。問題はそこじゃない。
そんなことよりも手を翳すだけで、手を振るだけで、気がつけばそこに槍が創り上げられるなんて魔法のようにオレの眼前で幻想が流れているって方が大問題だ。
知らない世界が広がっている。ここは、本当にオレにとっての新しい世界なんだ。その槍が意味することはたった一つなのだろう。
男が槍を振り上げたことで次に何が待っているのかもすぐに解った。
振り下ろされる槍刃はギリギリで回避することが出来た。オレが立っていた場所に深く槍の先端が突き刺さっていた。
「どうだ俺の緑色の槍の威力はよ。大地砕きってんだ。すげーだろ」
「すげぇな……いや、ほんとすげーよ。種も仕掛けもねーんだろ? 大地を削って槍を作り出して、ほんとオレの望んでた世界だわ。なぁ、それオレにも出せんのか?」
「イカれてんのか? そんなもん無理だってのはお前が一番知ってんだろ」
知らねぇから聞いてんだろ!
だが男はオレの苛立ちに目もくれず再び攻撃。体勢を低く、槍は水平に。その構えから来るのは突き。
一点に集中される攻撃の位置は大体予測できた。身を翻し、オレはその一撃を回避する。そして拳を強く握り締めて、男の顔面をぶっ飛ばす。
やられたらやり返す。
小さな悲鳴を上げて、男は地の上を滑りながら横たわる。
呻きながらオレを睨んでいる。そんな目で見んなよ、殴ったから殴り返しただけだ。寧ろよく動けたと思う。それはきっと現実味を感じられない体験のせいだろう。
地面から引き抜かれた架空の槍で、それに名前をつけて振り回す男を前にして感覚が麻痺したんだろう。夢みてぇだって。
ここでまだ現実味のある刃渡り十センチのナイフとか見慣れた包丁でも懐から出されて金出せやって言われる方が身動きは取れなかっただろう。まだそれならオレの世界でもあり得る。
「やりやがったなッ!」
男をぶっ飛ばしてもオレの勝利ではない。
二人組みの片割れの指環は光っている。今度は赤い光だ。手が急に発火した。なんだなんだ? 自分の手をいきなり焼いている?
――――違う。
男の小柄な身体がくるっと宙で回転。そのままオレの顔面目掛けて踵を落としてきやがる。
回避は出来なかった。だがなんとか左腕でそれを受け止める。喧嘩なんてしたことねぇくせに案外上手く動ける自分を褒めてやりたいぐらいだ。
そして男はそのままオレの左腕に触れてから一気に後退する。ホントにサルみてぇな動きだ。空中で何回クルクル廻ってんだよ。
「なんだ……!?」
唐突。受け止めた左腕が熱い。
いやそれどころかオレの左腕が急に燃え始めた。
「ふざけんなッ!!?」
触れただけでオレの腕が燃え出すなんてどうかしてる。いや、オレに触れる前に男の手の平からは確かに炎が燃え上がっていたが、その炎をオレに移したってことか?
「赤色。付け火。自身の炎をお前に移す。安心しろよ、ちょっと燃える程度だ。本気でやったら全身火ダルマだしな」
「説明どうもッ!!」
ご丁寧に自分の能力を語っちゃうのはバトル漫画でもよくある展開だ。
聞き流してさっさと着込んでいた上着を脱ぎ捨てるが、服だけがゆっくりと燃え尽きていった。確かに触れられた瞬間に炎上とかだったら今頃、オレは燃え上がりながらダンスでも踊ってたころだろう。
(一張羅だったんだよな)
自分の服に別に愛着はないが、元の世界の一部が消えたってのはちょっぴり寂しいもんだ。まぁ、今はあまりにもファンタジーすぎて傷心に耽っている場合でもない。
「よくもやってくれたな、ゴラァ!!」
やべぇ、さっき殴り飛ばした男も復活しやがった。手には何でも砕くって槍使いと、触れたら燃やす炎使い。ここまでピンチになってもまだ何も起こらないってのか?
突然、オレの脳裏で誰かが語り掛けて来るとかないの? いや、神さまいるだろ! どこにいるかわからねぇけどアイツまだ生き返らせてくれた以外、何の役にも立ってねぇ。
(おい、神さまいんだろ……助けろよ……)
心の中で語りかけるが無反応。
あー、ぶっ飛ばしてぇー。際限なく殴り続けてぇー。
な、何かオレも武器ないのか?
実はオレの身に何かすげぇモノが備わっていたりして?
ここで初めてオレはポケットに手を突っ込んでみた、が……残念ながらオレの身の回りには一切この状況を打開できるモノなんて無かった。
いや、ここでオレは神さまのセリフを思い出す。
なんかあってもどうにかなるって言ってたじゃないか。ってことは実はオレにはすげぇパワーがあるってわけよ。
生き返って異世界来てるんだ。ここは主人公っぽく壊れ性能バリバリの俺TUEEE系の能力が備わってるはずなんだ。
男も槍を出した時、指環が光ったじゃないか。だったらここはオレの指環もピカっと光って覚醒だ。そのまま余裕綽々の大逆転、大勝利。なんだ完璧じゃねぇか!
「よーし、見てろ……なんか出ろッ!」
とりあえず男を真似て地面に触れてみたがウンともスンとも言わない。そもそもオレの指環は光を放つことすらなかった。なんだよこれは……ここはあれだろ? オレの訴えに応えて力を解放するところじゃねぇか。
序盤なんだし、困惑しながらも敵対する勢力に立ち向かうオレに異能を与えるって段取りじゃないのか?
「来いッ! 飛べッ! 放てッ! 穿てッ! 砕けろォ! もしもーし、もしもし? おおーい……えーっと、ファイア! ビームッ! その他諸々ッ! 剣! 斧! 盾でもいいから出ろッ! なんでもいいから出ろッ! 出てください……出ろッ! 出ろやッ!!」
指環は煌きを放つことなく、やはり鈍い黄金の輝きを帯びているだけだった。心に共鳴し、力を発動し、世界を一変させる程の光を撃ち出すこともなく、本当にこの金の環はただの指に嵌める環でしかなかった。
「おいおい、そりゃ贋物だろ? お前、環理なんてホントは使えねぇんだろ? つまんねぇーな、お前。なんかもう飽きたわ、お前、寝てろや」
なんなんだ。オレはこの世界でなんなんだ?
現実の世界じゃ何の取り得もなかったただの高校生だ。無力であることを認めていたし、努めることさえもせず、時間だけを浪費してたことさえ無慙にも思わなかった救いようの無い馬鹿だったかもしれねぇ。
でも、新しく始まったこの世界で、新しく歩こうと思っていたこの心まで否定するのかよ?
この異世界も、やっぱり己に手を伸ばしてくれねぇのか?
どいつもこいつもオレに敵意とか憎悪向けて、なんなんだよ!
「ほらよ」
あ――――――
ただ、油断していた。気を抜いて、意識が逸れていたせいだ。人ごみの中を歩いていて、ふと肩が知らない誰かの肩とぶつかった程度。そんな衝撃だった。
その程度の衝撃だったんだ。
「……おいおい、マジか?」
さすがに男の顔面も蒼白していた。冗談でオレの肩が貫かれるとか笑えない。
だがこれはもう現実なのだ。この世界の現実。刃が肉体を貫通させるという事象。
気がついた頃にはオレの肩が鋭い岩石に貫かれ、血を噴き出してもがき苦しんでいる。
自分のことだってのにまるで他人事だ。いやそうであって欲しかった。痛い。いや、熱い。とても熱い。火傷なんてものじゃない。ただ焼かれているだけだ。焼けた棒で肩口を抉られているようだった。
悲鳴を上げた。
女のように泣き叫んだ。格好悪く、無様に、情けないまま涙を流して、涎を垂らして地面の上をのたうち廻った。
漫画のように痛みに耐えて戦い続ける姿などそこにはなかった。
そんなこととてもじゃないけど出来なかった。早く楽になりたい。痛いのが辛くて、苦しいのは嫌だ。自分の力でどうにかしようなんて思わなかった。ただ誰だか解らない何者かに助けを求めて、許しを、救いを請うた。
傷口を手で押さえても血が溢れて、血が流れて、死ぬ? 死ぬのか?
このまま何も知らぬまま、やっぱり死んで終わってしまうのか? そんなの、嫌だ。まだ死にたくない。死にたくないから、往生際悪く生き返ったってのに――
もう格好悪くてもいい。頼む、誰か、助けて、くれ……。
ゲームならHPが尽きぬ限り、苦しんでも傷ついても戦い続けれるのに、オレの身体はこんなにも脆弱で、一突き喰らっただけで痛みでこの身が四散しそう。
もう立ち上がることなんて出来ない。このまま眠ってしまえばもしかしたら全部終わるのかもしれない。
ああ、それでも、それだけは、嫌だ。
息は荒く、視界は揺れて、けれどもオレは否定する。心臓を貫かれたわけじゃない。頭部を壊されたわけじゃない。まだ生きている。生きているからこそオレは足掻く。音が死んで、声は聞こえなくて、それでもオレは生きていたと心から叫んでいた。
二度目の死を、迎えることに後悔した。
だがそんな悔恨は凛とした声に霧散される。
「昼間っから物騒なことになっていますわね」
閉じるはずの双眸が声と共に寸前で止まった。
音が再生された――横たわるオレの身体が影で覆われて、陽は遮られ、そして小さな少女が見つめている。
その長い髪は白銀のように透き通り、黒い傘を持っている。傘と同じように黒い装飾服を着込んだ少女。けれど、銀の髪に黒を纏って、宝石のように澄んだ赤い瞳がとても綺麗で――
無意識に手を伸ばしてしまった。
死ねば人は空の向こうへ逝く。だからこの黒と銀の少女がオレを連れて行ってくれるのだろうか? 悪いことはしていない……だから連れて行くなら天国にして欲しい。
だけど、その手は天使のものじゃない。その手は、
「あらあらまぁまぁ……」
少女はワザとらしく驚いて、体勢を屈した。
伸ばした手は土と血で汚れているというのに、それでも少女は柔和な微笑みを向けたまま、そっとこの手を握ってくれた。
「貴方、どうしてこんなことに?」
少女の問いにオレは首を左右に振ることしか出来なかった。意味の無い行為だった。それなのに少女は「そう、そう……」なんて言って、首を縦に振ってくれる。
少女の手はとても冷たくて、熱くなったオレの身体が冷えていくようでとても気持ちがよかった。ずっと、この手を握っていたい。
だが、その手は少女が先に離した。二人の男が声を荒げる。焦燥に駆られたように捲くり立てるように言葉を発する。
「――なんで、どうして……『第二冠』『鎌』『黒い指環』『不死者』『赤眼の人外』『原罪者』『最古最後』『吸血鬼』……『吸血王』……どうして、どうして……お前が、ここに!?」
聞いたことのない知らない言葉の中にどこかで聞いたことのある言葉が混じっている気がした。
少女を見た男たちは恐れ戦きながら聞き慣れない単語を吐き散らかしている。まるで恐怖が足を生やして歩いて来たように少女が一歩近付く度に男たちは震えながら後退る。
幼女は、嗤っていた。そう、嗤っている。
獲物を見つけた捕食者のように。
逃げることを諦め、喰われることしかないその結末を受け入れる蛙のように、蛇のように舌を出し入れしながら幼女は男らに近付いていく。
「陽の下を歩いているなんて……」
男が驚く。
陽の下を歩いたぐらいでなんだその反応は。
「どうして? そりゃ夜の方が気分はいいけれど、たまにはこうしてお日様の下を歩いたっていいでしょう? それにいつも思うのだけれどその二つ名って誰が付けたの? ワタシとしてはそんなので呼ばれる度に恥ずかしくなるわ……そう思わなくて?」
そう言って幼女はオレを見るけど、どう返していいのか解らなかったので何も言わずにいた。
「指環を重ねずに、無闇に環理を使用して誰かを傷つけることが違反であるということは指環を持つ者なら常識でしょう? しかも傷害行為なんて言い逃れできなくて?」
「違いますよー、ほらあれっすよ。驚かす程度だったんですって、なぁ?」
「え? お、おうよ! 俺らちょっとこいつを驚かしただけで」
驚かすってなんだよ。言い訳ひどすぎんだろ。
男たちは声を合わせて訳を話す。だが少女の瞳は更に鋭くなったように見えた。
「驚かす程度で肩口に槍突き刺しちゃう? ふーん、じゃあ私も驚かす程度で貴方たち二人の首を引っこ抜いても許されるのね。やってみてもいいのかしら?」
片手の五指を蠕動させながら少女がエグいことを言っているが、男たちの反応を見るに冗談ではなく、やろうと思えば本当に出来るのだろう。ガタガタと震え上がって良い気味である。
「「すんませんでしたーッ!!」」
大声を出して、二人の男は脱兎の如く逃げ出した。
年端もいかない少女を助けてもらっただなんて、なんとも情けない気もしたがそれでも本当に情けないから何も言えまい。
「ほんと今日はいい天気。絶好の散歩日和だわ。それで……調子はどう?」
男たちの背中が小さくなってはやがて消えてから少女が尋ねる。
年の頃は十代前半にしか見えないのだが、男二人が顔を引きつらせて逃げるのだからただの少女ってわけではないのだろう。まぁ誰であれ助けてもらったことには感謝しないといけない。
調子は良くない。気分は最悪。これまで生きてきて槍で肩をぶっ刺されるなんて体験はなかったし、今までで一番酷く鋭い痛みだった。もうやだ。
すげぇ痛い…………痛いは、ず、なんだろ。なんかおかしい。
やっぱり変だ。なんか変。あ、れ? 痛、くない?
傷口をずっと手で覆うようにしていたのだが確かに刺された時は形容し難い痛みが走ったはずなのに今はちっとも痛くない。それどころか血も止まってる。
「あ、あれ? あれれ?」
おかしい。痛みも感じないし、血も流れない。そして貫かれた肩口を覆っていた手を離してみればなんと傷まで消えてる始末。どゆこと?
「貴方が使えるのって再生とか治癒の環理なのかしら? さすがにどちらかだとは思うけど……両方なんて、二つは使えないから無理だけれど」
少女の問いにオレは首を横に振った。
魔法は使えないし、もちろん回復薬を呑んだわけでもない。そんなもの持ってないしな。存在するのかどうかわからんけど。
「あと貴方の服って面白いわね、それ……どうなっているのかしら?」
と、少女が指差すと燃やされてしまったオレの上着が落ちている。
燃え尽きた筈の、上着が。焼かれて灰になったはずの服が元に戻っている。汚れの無い新品同様にまで元通りとかダメだろ。さすがにこれは引く。
「いや、これはだな……」
説明できるはずもなく、そのまま何も言えなくなってしまった。
「とりあえず立ち話もなんですし、場所を変えません?」
いくらファンタジーが日常茶飯事なこの世界でも少女だって今、こうして起こったことに思うことはあるはずなのに問い質すこともなく、
「そ、そうだな……」
オレだって答えようのないことばかり起こっているわけだから少女の提案を呑むことにした。
それからは少女がオレの前を歩いて、追いかけるように進むだけだった。どこへ行くかはわからない。ただ今だけは無一文で、何の情報も、生きていく為の術も持たないオレが頼れるのはこの子だけなのだ。
少女を信じて、先へ進むしかない。
しかし服は直るわ、傷も治るわ――オレの身体、どうなっちゃったのかしら。