2/やはり、ここは異世界
記憶ってのは不確かだ。
忘れていても、思い出せば生き返る。
胸ポケットには神さまから返してもらった黒色のノートがあった。
箱に詰めて、燃やしたはずの、あのノートがこうして形を取り戻している。だから、これはオレの心の中にあったものだ。神さまってのは凄いもんだ。そんなものさえ創り出せる。
切り株に腰掛けて大袈裟に溜息を吐いて力を抜いた。
歩き疲れたこともあるし、休憩がてらにノートを開いて見る。
地図だ。コンパスで描いた円に東西南北の方角に森、砂漠、海、町がヘタクソなイラストと共に記されている。
世界の名は『ファナグラム』
次のページにはまた見るに耐えないイラスト付きのキャラクター紹介。神さまに散々バカにされた部分だ。
主人公らしいキャラクターが描かれている。
そのイラストと呼ぶのも躊躇う不気味な人型の横には『白銀の髪に長髪。頬には刺青。孤独。仲間はいない。一匹狼の暗殺者。二本の短刀を持っている。凄く速い。強い』とだけ書かれている。
ついには技の名前のようなものが書かれているし、色んな能力も書かれている。主人公だけエラい気合入ってるんだよなぁ。次のページを見ても、名前と適当なステータスが記されているだけ。技名すらない。確実に主人公の説明だけで飽きちゃったヤツだ。
さっきのレヴィアって女の名前も書かれている。イラストは無いが適当な紹介は書かれている。ただ『赤い髪で炎を操る』だけだ。何の情報にもならない。
もう少し掘り下げて書いておけよ。どんだけ他のキャラに興味ねぇんだ。それにレヴィアと一緒にいたあのミナって子の名前はなかった。背景さんとかの類になるのかな?
……ほんと、なんだよこれ。破り捨てたい。
少しもこの世界のことなんて書かれていない。ただ名前だけが書かれていて、どこに何があるかも書いていない。
これじゃあ、本当にただのゴミだ。資源の無駄使いだ。紙を無駄にするな。
そしてノートを捲れば捲れども、オレの名も無かった。
やはり神さまの言う通り、作り描かれたのは世界そのもの。それだけだった。まさしく未完。何もかもが中途半端に出来上がっている。
ただ、何も得られなかったわけじゃない。
あいうえお順に整列されていない用語の連発。その中に一つ、気になることが。
指環。
オレの右手の指にも付いているコレだ。
これはこの世界で言うところの身分証みたいなもんだ。自身を証明する為のモノ。これが付いているからこの世界で生きることを許される。
しかし、ただの証明書ってならいいのだが……これを装備する者は決まって何らかの異能を身に付けているらしく。
そこで気になるのが、やっぱりオレの能力だ。
指環を付けているということは必ず能力を持つ者ということである。
ノートに書かれている様々な能力。オレの指環の色は黄金。
色彩によって得られる異能は分類される。しかし、
「おいおい……ないじゃねぇか」
赤や青はやはり色から予想できるように炎や水を操ると書かれているのだが、オレの装着しているこの黄金には何の能力も記載されていないのである。これではオレの能力が何なのか解らないじゃないか。
黄金の指環をジっと見つめて、オレは頭を抱える。
全く不親切だ。これがオレの作った世界なはずなのに、本人が解らないことだらけってのが納得いかねぇ。
それに、
「迷った!」
そう迷った。言葉通り。
迷子。
知らない場所で、知らない道を進んでいればそうなるのは明白だった。オレは森の中でしっかり迷子になってしまった。
どこを見たって景色は変わらず、樹木たちはオレを見下ろしてはこのまま森の中を彷徨い続けろと揺れながら嗤っているように見えた。
現実じゃない何処か遠い世界を望んだのはオレだったけれど何も知らないまま、解らないまま異世界に放り出されるのもぶっちゃけ困るわ……。
どれだけ歩いたってこの森からは抜け出せない。
そもそも神さまは何処へ行った。
「ぼくの説明を聞くかい?」
面倒くさい問い掛けにオレは反応を示すつもりなんてなかった。
「ふむふむ、やはり聞きたいようだね。いいよ、答えようッ!」
それなのに勝手に話を進めている奴がいる。
「やぁ、マトミくん! お望みの世界に辿り着いた気分はどうだい?」
そりゃもう気分は最悪だ。とってもとてもっとーっても胸糞が悪い。
「あれ? だんまりかい? おかしいなぁ……もっとこうテンション上げてってくれないかな? そうじゃないと折角、ぼくが根性出して君を異世界に叩き落した意味がないじゃないか」
何も言うまい。ただオレはコイツを地面に叩き落してやった。
「いきなりバイオレンスですなぁ……」
「オレはまだ事情が呑み込めてねぇんだよ」
そもそもなんだそのふざけた格好は。
初めてオレが見た自称・神さまの姿は光が人型を模したなんというか不気味な感じだった。黒い靄のようなモノが線を描いていなければ人の形にすら見えないそんな光の塊。
それはオレが初めて見た神さまの姿だった。
しかしこれはなんだ――オレの拳ほどしかない小さな身体。ふわりふわりとオレの顔の近くに浮かんではクルクルと回っている。金色のショートヘアに西洋人形が身に纏っていそうなゴシック調のドレス。
ぶっちゃけきな臭すぎて近寄りたくない。それに胸を張ってドヤ顔してるのがまた鬱陶しい。光ってたシルエットの時は解らなかったが、まさか女だったとはな……。
「好きでしょ?」
「お前じゃなけりゃな」
手乗りサイズのちっちゃな妖精と思えば確かに可愛くて好みだ。
中身がコイツでなければ、だが。
「それはそうと新しい世界はどうだい?」
「やっぱりここはお前が作った世界なんだよな?」
「そうだよ」
オレの顔の周りをどうやってんのか知らんがクルクル飛び回っているがコイツの相手をしてたら疲れるのでスルー。
「今日からマトミくんはこの異世界で生活するんだよ。大丈夫?」
「大丈夫なわけねぇーだろ」
ちっとも大丈夫なわけがない。
この世界が異世界だとして、そんなファンタジーな場所でオレはただの一般人でしかない。
魔王をぶっ飛ばす為に剣を取った正義の勇者ではないし、めっちゃすげぇ異能持った血族の子孫ってわけでもねぇ。
「どうすりゃいいんだよ」
「心配? まぁ、いいんじゃないかなー。■■もあるっぽいし、それで■■■■すりゃ、だいたいは解決するよ。いざとなったらそれを使えばOKだよ」
「頼むからオレが理解できる言葉使えや」
途中、どう聞いても人外しか解らない言葉で喋ってたぞ。何語なんだよそれは。
「ああ、別にこれ伏線でもなんでもないよ。ちょっとぼくら神さまの間で使ってる言葉なだけだからさぁーマトミくんに上手く伝えられないだけだから」
「じゃあオレが解る言葉に変換して喋れ」
「うーん、難しいや。とりあえずどうにかなるよ」
聞くだけ無駄だってことは解った。これ以上は問い詰めまい。聞いたところでオレが理解できないなら意味もない。
どうにかなるならそれでいい。難しい話は勘弁だ。さっさとオレはこの状況をどうにかしただけで神さまとお喋りしてる暇は無い。
「ボクはとりあえずマトミくんを全力で支援するよ。キミの人生に色々手を加えてしまった責任はちゃんと取るさ」
「そうしてくれ」
そうじゃないとオレが困る。
「まぁ、ボクの出番これで終わりなんだけどねー」
「は? おい、待てお前なにをふざけて――――」
偉そうなこと言ったくせに神さまはいきなり無責任なことを言い出したぞ。お前のこの先の出番の有無はどうでもいいが、それでもオレのサポートはしてくれるんじゃないのかよ。
「マトミくんをこっちの世界に飛ばして、いろいろ動きまくって疲れたんだよねぇ。ってことでちょっと寝るわおやすみー」
「こら、待てボケ。何を勝手なことを言ってやがるッ!!」
いきなりピカーっと光ったら、その光は四散してさっきまでいたはずの神さまは消えてしまった。
いや、おいおい……いくらなんでも酷すぎるだろ。このボケ神さま、どこへ行きやがった。ちょっとぐらいオレに情報の一つや二つないのかよ?
指環に触れても撫でても何も起こらない。見覚えの無い代物、まるで身体の一部と化したこの指環が、何を、意味して――――
ドーン。
轟音が鳴り響いた。
何だ? 耳を劈く程の激しい音が鳴った。肩が震えたのは小さく地が揺れたせいだ。
ドーン。いきなり地響き。
ドーン、ドーン。続けて地響き。
ドーン、ドーン、ドーン。しつこく地響き。
「なに? なになになんなの?」
音は鳴るたびに激しさを増し、オレの不安は大きくなる。
右へ左へ首を振り、視点を変える。けれど地響きの正体はわからない。
そして振り返ると――
『ゴオオオォオオォッ……』
「……………………はい?」
オレの目の前に何がいたと思う? いやぁ、こんなものを間近で見ることになるとは長いこと生きてみるものである。なんて生まれてまだ十数年の小僧ではあるが、そんなことよりもだ。
なんなんですかこれは、こんなのファンタジー小説とか漫画でしか見たことなかったんですが、
「すげぇな……まさか一つ目の巨人をお目に掛かるとはなぁ! いやぁ立派な棍棒ですね! 筋肉ムキムキ、カッコイイッ!!」
もう神さまのことなんて忘れている。それぐらいの衝撃だった。
ここが異世界だってのは解っていても、こんなもん見せられたらもう納得するしかないじゃないか。
異世界に飛ばされてファンタジーな怪物が現れて、腕を振り上げている。
これからどうなるかそれも解る。そしてオレが取るべき行動もはっきりしている。
オレの視界いっぱいに棍棒が広がった。すかさずオレは真横にダイブする。オレが立っていたはずの場所が粉々に砕けていた。
切り株が木っ端微塵だ。オレがあんなもんでぶん殴られたら粉砕するのは必至だ。
良かった良かった、よく躱したな。ナイスだオレ。よくやった、さてどうする!?
1、戦う
2、逃げる←
いやいや、1の選択とか選ぶ要素ねぇだろ。魔法でも使うんですか? そんなもの無いですよ。ってことで2でいきますよぉ!!
なんてオレが2の選択を選んだ瞬間、サイクロプスは地面に突き刺さった棍棒を引き抜き、躊躇なくオレを殺戮しようと振り回した。
「おいおいおいぃいいぃ!! いったいどうしてこうなったぁ!!」
いきなりこんなファンタジーと遭遇して、しかもぶっ殺されそうになってる。
オレの三倍を優に超す巨人を確実に倒す術など無い。こうして巨人の攻撃から逃れようと動き回るしかない。
だが残念なことにオレの体力は常人と変わりない。動き続けていれば体力は消耗される。限界はすぐにやって来るのだ。
「ぜー、ぜー、ゴリラみたいにウホウホ振り回しやがってぇ……ぜぇー、ぜぇー、しんど。くそしんど……助けてぇ、だれか……あー、もうだめ、やだ。くそぉー、たすけて」
どうしてオレはこんな目に遭っているのか。いきなり遭遇して、いきなり殺されそうになっている。死にたくないし、そもそも痛いのは嫌だわ。
けれど、どうにかしないとこのままだとオレよりも大きなあの鈍器で撲殺される結末が待っている。あんな棒でボコスカ殴られるのはごめんだ。けれど今のオレにはどうしようも出来ない。
「ああ、もう……どうすりゃいいんだ……」
こんな大きな怪物、オレが打ち倒すなんて夢物語を見るような余裕なんてないし、ゲームの主人公のような剣一本持って舞踏を踊って敵をやっつける才能も無ければ、不思議な能力を常備して戦わなければならない責務を背負った宿命の元に生まれたわけでもない。
けれど絶望などしていない。オレの立ち位置は最初から解っているのだから、それに誰かを失望させるわけでもないので悲しいことでもない。そんな、ことよりも、だ――
「うわぁ……すぺくたるぅー。ビデオカメラでもあればなー」
一つ目の巨人で十分に壮観だと言うのにこれはまた壮大な見世物である。一眼レフでもいいから持ってくりゃよかったなぁ。
大きな影が見下ろす。サイクロプスさえもその影を見上げて動けなくなっていた。巨大な双翼を羽ばたかせ、赤い鱗、象一頭を丸呑みに出来るであろう顎を開き、白煙を巻き上げ、涎を垂らし浮遊している。
「RPGの主人公ってすげぇよなぁ……何が出てきても勇敢に立ち向かってマジでイカすわ。剣だけで倒してるヤツとかどういう神経してるんだろうな」
ありもしない存在と遭遇したことでオレの精神がおかしくなったのだろうか? けれど現実味の無い光景の連続に逆に冷静になれる。
陸には一つ目、そして空中には空想上の生物の中では頂上に君臨するであろう赤竜が飛んでいるのだ。
そしてドラゴンは大きく息を吸い込んだ。ああ、某ベルトアクションのラスボスと同じモーションだわ。吸い込んでから吐き出されるモノが何なのか解ってしまうのが辛い。
さぁて……この間、オレがするべき行動はやっぱり一つだけだ。それが変わることはない。ドラゴンから見れば米粒のような極小サイズのオレが立ち向かう勇気は持ち合わせていない。
『ゴアアアアアアアアアアアアアアッ!!!!』
「まずっ!!!?」
溜めが短い。吸い込む時間よりも吐き出す時間の方が遥かに短かった。そして吐き出されたのは煙ではない。竜の口内から噴き出すのは灼熱の業火。ドラゴンブレス!!
「オレを焼いて食べたって絶対おいしくないからなッ! 腹壊すのでやめたほうがいいんじゃないかなッッ!!」
阿呆なことを叫んでもドラゴンと意思疎通が通うとは思っていない。叫んだと同時に僕はドラゴンに背を向けて駆け込んだ。
方角も解らないままあまり動き回るのは怖いし、オレは知らない所はナビなり地図を使って進むタイプなんだ。それでも今は形振り構っていられない。ただ今は奥へ、もっと奥へ。
耳に響き続ける厭な音が後方で響いていた。ドラゴンが放った火炎の吐息は辺りを焼き払ったのか、それとも一つ目の巨人が巻き添えになったのかそれを確かめようと後ろを向く暇すらなく、ただただ緑の海へ逃げるように突き進む。
――数分も経たず、オレはやはり途方を彷徨うこととなった。
いや、まぁ……元々、迷子だったわけだから状況は同じなのだが。
さっきのモンスター以外とはまだエンカウントしてないのは運がいい。ぶっちゃけドラゴンが飛んでるような場所だ。何が出てきてもおかしくない。
ついさっきは命の危機を感じたわけだが、オレはもう今までに無い体験をしてしまったわけで。ここは間違いなくファンタジーの世界だろう。ドラゴンが火を吐いて木々を焼き払い、大きな口を開いてオレを喰い殺そうとした。
未だに震えが止まらない。だがそれは恐怖だけじゃない。間違いなくオレは興奮している。
知らない世界、存在しない生物、オレは別の次元を生きている。この森を抜ければ何が待っているのか楽しみでならない。
たださっきのドラゴンから逃げ切ってからは新たに別のモンスターと遭遇することもなく、森なんだから植物っぽいモンスターとか出て来ないもんかね。アルラウネとかマンドレイクとかさー。
空を見上げれば真っ青。
オレの心は淀んで真っ暗だというのになんか腹立つ。けれど怒りで現状を打破できるわけがないからオレは歩き続ける。真っ直ぐ歩いていればいつか森の外に出られると思っていたがどうも景色は同じまま――
「あれ?」
ただただ適当に歩き続けていただけだというのにいつの間にやら森を抜け出せてしまった。しかも目の前には町が見える。
とにかくこの世界のことが知りたいし、まずはこの町に入ってみることにしよう。
さて、今度は何が待っているのやら……。