『船頭一人にして船山に登る』2
僕はむすっとしてコーヒーをすする。
ここは喫茶店。名をロマンス。
都会で降りた駅の近辺にポツンとたたずんでいる古びた店だ。
何故僕が今こんなところにいるかというと……それには少しの説明がいる。
あの後……つまり痴漢を現行犯で捕まえた後、僕は痴漢と一緒に目的の駅を降りた。本来ならここで痴漢を迷わず警察につきだすことが最善だったのだが、三つの理由から僕はそれを却下した。一つ、被害者である僕自身が男であるということ。いくら女顔とはいえ「男が痴漢の被害にあいました」ではあまりに恰好がつかない。ていうか痴漢を署まで引っぱっていって「痴漢にあいました」と自分の口から言うのがあまりに躊躇われた。二つ、加害者が知り合いだったということ。正直この理由だけならば警察につきだすのもやむなしであったのだが……まぁ知り合いが痴漢の容疑で引っぱっていかれるのを見るのは忍びない。ていうか知人に痴漢をはたらくなという話なのだけど。三つ、加害者が女であったこと。男が女を指差して「この人痴漢です」というのはもはやコントであり、あまりに説得力を欠く。はたして警察はまともに僕の供述を信用するのか。そこはかとない不安があった。以上の三つの理由から僕は痴漢を解放した。
……解放したというか何というか。
いまだもって一緒にいるのだけど。
まさか痴漢からお茶のお誘いを受けるとは。
まぁそんなわけで僕は今痴漢に誘われて喫茶店ロマンスでコーヒーを飲んでいるのだった。まる。
むすっとしてコーヒーをすするそんな僕を痴漢がハッと鼻で笑う。
「なんだいなんだい暗い顔をして。この私とお茶をしているというのに真白くん、君は愛想がよくないね」
「痴漢よりマシだと思いますけど」
皮肉を言うも、痴漢はフッとキザに微笑むのみだ。
「まぁアレについては私も失態だったと思うよ。まさか私が男に痴漢を働いてしまうなんて……。一生の不覚だ」
「性別は問題じゃないでしょう!? 女ならいいのか!? 女ならいいんですか!?」
思わずつっこんでしまう。
「ふっ……美しい花を見ると愛でたくなってしまうのは私の悪い癖だ。常々直そうとは思っているのだが手がいうことをきかないのだよ」
「悪い癖っていうか犯罪ですけど……」
「しかしまさか男の尻を触ってしまうなんて……何たる失態」
「失態っていうか犯罪ですけど……」
「私の美少女センサーにも狂いはあるのだなと再認識させられたよ」
「狂いっていうか犯罪ですけど……」
「まさかこの私が……!」
「ていうか犯罪ですけどっ!?」
まったくこの人は……僕の話など聞きゃしないのだ。
「生徒会長が痴漢で捕まったら瀬野第二高等学校過去最大のスキャンダルですよ……」
「しかし美しく可愛らしい少女と触れ合いたいというのは私の人格の根幹を成すものであり……」
「だからといって痴漢は犯罪です。昴先輩ももうちょっと自粛してですね……」
多分言っても意味ないんだろうなぁとか思いながらも説教をする僕。
そうなのだ。
電車の中で僕に痴漢をはたらいてきたのは何を隠そう瀬野二カリスマ生徒会長にしてレズの権化、酒奉寺昴その人なのである。
ああ、アタマのズツウがイタい。
「いやしかし可愛い娘がいると思ってスキンシップをしてみれば、それが真白くんとはね……。男と女の区別がつかなかった自分の未熟さを悔いるべきか。それとも女性と見間違うほどの真白くんの女性的側面を称えるべきか……」
「……どうせ僕は女顔ですよ」
ふん、と不快そうに鼻息をついてコーヒーをすする僕。昴先輩はアールグレイを涼やかに嗜んでいた。
「しかしなんだね。今日は平日で学校だろう。真白くん、何故こんなところにいるのかね?」
「その質問、そっくりそのまま返します。昴先輩だって学校でしょ。こんなところで何をしてるんです?」
「私はサボリだよ」
「僕もサボリです」
僕と昴先輩はためらうことなく言い切った。
「やはり学校周りでは補導にあうからね。サボるなら都会に行こうと思い立ってね」
「僕も同じです」
言いながらコーヒーをすする。
昴先輩は皮肉げに笑う。
「本来なら子猫ちゃんたちの相手もせねばならないのだろうけど、私自身のプライベートタイムも大切にしたくてね。たまにこうやってフラリと一人で歩きたくなるんだ」
どこか物悲しそうに昴先輩は微笑した。
「で? そのプライベートタイムとやらでやることが可愛い娘を見つけて痴漢ですか。先輩、本当にいつか捕まりますよ……」
「いやいや……スキンシップは前戯さ。そうやって私を意識させたことを接点に、じわじわと篭絡する予定だったのだよ。それがまさか……釣れた魚が男とはね。まったく紛らわしいことをしてくれるよ真白くん」
「僕のせいですか? 僕のせいですか? 僕のせいですか?」
「きっぱりと君のせいだ」
「ああ……そう……」
もう言い返す気力もなく肯定する僕。
残り少ないコーヒーに砂糖とミルクをこれでもかと入れて、それを一気にあおる。それからカチンとコーヒーカップを受け皿にぶつけた後、口を開く。
「さて、それじゃあお茶にも付き合いましたし……」
僕は席をたった。
「これでお暇させてもらいますね」
そう言ってコーヒー代をテーブルに置くと、僕はそのまま喫茶店を出ようとして、
「まぁ待ちたまえ」
昴先輩に首根っこを掴まれた。
僕は立ち去ろうとした体勢のまま、首だけで振り向いて昴先輩に抗議に視線を送る。
「……何ですか?」
「いやまぁ特に意味はないが、ここであったのも何かの縁だ。今日は君と遊んでやろう」
僕はニッコリ笑って即答した。
「結構です」
「ふむ……さて問題はどこに行くか、だが」
「人の話聞いてます?」
「あそこは……平日はマスターがうるさいしなぁ……」
「聞いてませんね? 聞いてませんね?」
「かといってあの場所は男と行きたくはないし……」
ああもう本気で無視だよ、この人。
「そうだ。あそこにしよう」
「もう何処へでも連れていってくださいこんちきしょう」
投げやりにそう言う僕。
昴先輩はそんな僕をじろじろと上から下まで観察して、
「しかし……」
こう評した。
「君の服装のセンスはダサいを通り越して閉口するね」
「失礼します」
それ以上何も言わず立ち去ろうとする僕の襟をむんずと掴んで引きとめて、
「まぁ待ちたまえ。今日は特別だ。この昴様直々にコーディネイトしてあげよう」
偉そうにそんなことを言う。
「遠慮します。金もないですし」
「馬鹿だなぁ君は。酒奉寺家の跡継ぎの財布がたかだか君の着衣程度で揺るぐと思うのかい?」
「いえ、そういうんではなく先輩に関わりたくないので……」
「はっはっは。面白い冗談だ」
「いえ、冗談なんかじゃ……」
「では行こうか真白くん。光栄に思いたまえ? 私と並んで歩ける男なんて世界中探しても君だけなのだから」
じゃあ解放してください。
……なんて言っても聞くわけないのだ。酒奉寺昴という人は。




